5-6
意を決し、俺は入った。
遠くからいらっしゃいませと聞こえた。
落ち着かない。
用件を早く済ませて早く引き上げよう。
表情が現れないように、顔に力を入れる。
非常にあせっている。
どうなるんだ、と背筋が寒くなる。
不意に防犯ブザーが鳴ってしまったら、俺は何をしてしまうだろう。カメラには、もちろん俺の姿は映っているよな。
まるでコンビニ強盗だな。
既に俺は立派な犯罪者なのに。はっきりいって間抜けすぎる。
これじゃまるで初めて風俗店に入った大学生みたいだ。
ちなみに、俺はそのような店に入ったことはない。
いや、ほんとに。
腹が鳴った。
それが俺には防犯ブザーのように聞こえた。あわてて周囲を見回す。
店員は弁当を並べていた。
気のせいだと気がつくと、大きなため息が出た。
「幽霊の、正体見たり、枯れ尾花。それにつけても、腹も減ったよ、と」
ダメだな。
完全に気が弱くなっている。今の俺がSだと言っても、誰も信じはしないだろう。
空腹になると、考え方が悲観的になってしまって、いけない。
人を殺すより、コンビニに入ることのほうが、勇気がいるのはなぜだ?
タオルと替えの下着を手に取った。
本来ならここで会計を済ませ、早々に立ち去るべきだが、俺は食料品を見てまわった。
パックのコーヒーと、パンを取った。いや、弁当のほうがいいか?
バランスよく食ったほうが、いや、胃が受け付けてくれるかどうかわからない。弁当みたいに色々と入っていて、量が多いものは今の俺には食えるだろうか。
しかし、それはパンでも同じだ。量をとればいいというものでもないだろう。今、下手に大量に食えば吐いてしまうかもしれない。おにぎりの梅ならどうだ?
おにぎりなら色々とバリエーションがあるから、二つも食えばだいぶ違うだろう。少なくとも、ご飯で炭水化物、のりで植物繊維が取れる。俺はパンを置き、梅と鮭のおにぎりを手に取った。
いや待て、おにぎりにコーヒーはあわないな。そう思い。俺はパックのコーヒーを置き、ペットボトルのお茶を取った。
店員がじっと俺を見ている。
多分、ばれていない。
が、不快感をあらわにした表情で俺を眺めている。汚い手で触るな、とでも思っているのだろう。
きっとそうだ、そうに決まっている、そうであると願っている。
これでいいだろう、とレジに向かったとき、パックの酒が目に付いた。
『S、泥酔していて逮捕される』
これも恥ずかしすぎる。俺は酒に弱いのだ。下手に飲みすぎて
「俺はSだ」
と、口にしてしまいかねない。
ないとは思うが、リスクは避けたい。俺はパックの隣においてあるワンカップをとって、レジに向かった。
「……円です」
無造作に一万円を出し、おつりを受け取る。レジの金は、俺の所持金よりもずっと少なかった。
俺は何事もなくコンビニを出た。
防犯ブザーもならず、発作的にコンビに強盗もせず、ばれもしないで買うことができた。
「なんだか、疲れたな……」
こうつぶやいてみた。
服の下は冷や汗が流れていた。冬に窓ガラスにできる結露みたいに、俺の背中全体に噴出していた。
外の冷たい空気が心地よく感じられた。
息が白い。
その上、激しく繰り返している。
再びコインランドリーに向かうが、心臓にかけられていた奇妙なプレッシャーはいつの間にか取り除かれていた。
「やったー、シャワーだシャワーだーっ。垢を落とすぜーっ、イエーイッ。ウホウホーッ」
走りながら、荷物を振り回し、大声で叫んでいた。ただの近所迷惑なホームレスだった。
このとき俺は、自分が指名手配中の凶悪犯だということを、すっかり忘れていた。
それまで身に着けていた下着をコンビニの袋に入れ、シャワーを浴びる。
タオルを手の届く場所においておき、手で体をこする。
うっかりしていて、タオルをひとつしか買ってこなかった。シャワーは百円で四分間出る。財布の中から百円がなくなるまでずっと連コインで使用するつもりでいた。
暖かかった。
寒くて縮こまっていた皮膚がほぐれていく。
指先がうっすらと汚れていく。髪は指を通すと引っかかった。体の表皮も薄い粘膜がついているみたいだった。それが少しずつはがされる。空腹を忘れ、体をこする。
気持ちよかった。
俺はずいぶんと長い間、体を汚していたままのようだった。急にシャワーなんか浴びて逆にかゆくなったりしはしないか?
まあ、これで少しは体臭が解消されるだろう。
新しい下着をつけ、服を着る。もちろん銃とドスの装備は忘れない。
体は温まっており、しばらくは寒くならないだろう。コインランドリーのドアからは隙間風が入ってこない。
一夜だけでも、野外で寝るよりはずっと心地よさそうだ。
服も着終えた。目にかかりそうな湿り気を帯びた前髪を後ろへ流し、いすに座った。
リュックから新聞を出す。宗像での事件の被害者の死亡記事を見るためだった。
その欄には名前と年齢がずらっと並んでいるだけだった。
詳細は裏面にあった。死亡者の下に重軽傷者。
名前だけざっと目を通す。一度読んだだけではわからなかったが、俺の家族を筆頭に知り合いが思った以上に入っている。
もちろん知らない名前のほうが多い。
「ん?」
俺は一人の覚えのある名前を見つけた。
それは女性の名前で、俺より二つ年下だった。
そのとき、体から熱が引いていくように感じた。
「どうして、この子の名前が」
俺は裏の詳細を呼んだ。
『A・E、保育士。Sのサブマシンガンに胸部を撃たれ、病院に運ばれたが、まもなく死亡。休暇で実家に戻る途中だった。被害者は福岡市内の保育園に勤務。児童のみならず、父母からも信頼を置かれていた。今回……』
その記事を俺は最後まで読むことができなかった。
嘘だ。嘘だ、そんなこと!




