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殺しの天才  作者: 迫田啓伸
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5-5

 シャワールームに入り、水道の蛇口をひねる。

 水で空腹を満たした。でも、もう限界のようだ。

 物足りない。

 胃が重くなるだけ。

 食欲はなくなるのはいいが、このままだと考えることも、銃を持つ力もなくなるんじゃないか? 栄養失調で。

 そんな時に限って、無性に腹が立ってくる。

 時々発作のように起こっていたイライラが押さえられなくなる。

 何をしていても手につかなくなる。

 抑えたい、忘れたいと思うのだが、どうしようもなくマイナスのほうに気持ちが高ぶってくる。

 今は、以前のレベルじゃないんだ。

 無性に怒りが湧き起こってくるんだ。誰かを殺したいと思うほど。それこそ。自分なんてどうでも良くなってくる。

 以前なら、空腹のときは何か食えば収まった。

 ただの空腹による苛立ちの場合が多かった。今は、どうかわからない。空腹による勘違いであればいいのだが。

 洗面台と向き合ったまま、俺はずっと視線を落としていた。

 白い陶器の洗面台にはまだかすかに水滴が残っている。洗濯機が並ぶ部屋からシャワールームに光が入り込んでくる。

 何も聞こえない。どこか遠くでバイクが走っていくのがわかる程度だ。

 コインランドリーの中は暖かい。

 風が入ってこないし、乾燥機などの出す温度がこの中に充満しているせいでもあるだろう。

 変な匂いを気にしなければ、寝るにはなかなか快適な場所である。もう少し贅沢を言えば、ベンチがほしいところだ。横になって眠れるから。

 俺は顔を上げた。

 洗面台の鏡がちょうどいい高さにあり、俺の顔が映る、はずだった。

 鏡に映ったのは、以前の俺とは違う顔だった。

「お前は、誰だ?」

 髪が伸び、ひげも顔中に蓄えられている。

 手入れしていないせいでうっとうしい無精ひげが口元やあごや頬にまで。

 生えている、というよりも点々と植わっているという感じだ。

 顔はやせこけ、頬骨が浮き出し、鼻筋も以前より筋張っている。

 髪が目元まで伸びてきていた。ほとんど目が隠されている。手で前髪をかきあげた。目だけは以前のままだ。だが、いささか充血気味だ。

 よく見れば、目や口や鼻の顔の基本パーツはほとんど変化がない。

 目が少し釣りあがったか?

 鼻がさらに骨ばってきたか?

 あごが細くなってきたか?

 皮膚が赤で茶色く薄汚れてきた。それに、少しふけたか?

 髪も少々埃っぽくなり、べたつきそうな変なテカリ方をしている。その髪に耳も隠されていた。襟足は首を覆い、肩にまで達しそうだ。

 俺はリュックから新聞を取り出し、広告になった手配書を広げて鏡の中の俺の顔と並べてみた。

 似ていない。

 昨日、交番勤務の巡査が俺をSだと気づかなかったのは巡査が怠慢だったからではない。手配書の(三年前の)顔と今の顔が似ていなかったからだ。

 時間が経つにつれて多少は容貌が変わるだろうが、これは異常だ。

 しかし、俺は十日以上水しか飲んでいないし、身だしなみを整えてもいない。それ以上にあれだけの犯行をやってしまった。これで以前と同じ生活を送れると思っているほうがおかしい。

「それにしても、俺はますます不細工な面になったな……」


 コインランドリーから歩いて五分、距離にして大体百メートル先にコンビニを見つけた。

 俺はコンビニでタオルと替えの下着を買おうとしていた。

 交番勤務の巡査がわからなかったのだ。コンビニの店員に気づかれるわけはない、と思う。

 どうなるか実験してみたかったし、それ以上にシャワーを浴びたかった。

 せっかくだから汚れた下着ではなく、新品に換えたかった。それにタオルがないと体がふけない。

 汚れたシャツで拭くわけにもいかないだろう。シャワーを浴びたあと、体をよく拭かないと湯冷めしてしまう。

『S、風邪を引いて、寝込みを襲われて逮捕』

 こんな記事が載せられたら、俺は日本の歴代凶悪犯罪者の中で一番間抜けな男になってしまう。もっとも、凶悪犯として名を上げたくなんかなかったのだが。

 コンビニの前に立った。

 店員はレジで接客している。

 店内にはあまり客がいない。民家とアパートの間にあり、横幅は広い。ガラス張りの面を多くとっていて、中の様子がわかる。

 レジでは、寒くなる季節に備えて暖かい食べ物、おでんとか饅頭とかの入れ物も設置されていた。

 客が帰っていく。若く、学生風の男だった。薄い青のスエットの上下に灰色のフリース。

 服装のレベルでは俺とそれほど変わりない。

 見た目ではそうでも、俺と彼がまとっている雰囲気とか体臭のきつさでも大きな開きがあるのは明らかだった。

 コンビニの前を俺は何回も往復した。

 俺はまだ迷っていた。以前なら何も考えずにはいっていけたのに。

 ばれることが心配だった。容貌がかなり変化しているとはいえ、俺がSであることには変わりはない。

 それに、ホームレスが入ってきたというだけで防犯ブザーを鳴らされてしまうかもしれない。

 顔と手は念入りに洗ってきたのにな……。洗った水が少し茶色くにごっていたが……。

 銃は、装備してきた。

 空港にあるような金属探知機がコンビニにあるとは思えない。

 ベレッタとジェリコを上着の左右のポケットに、M500は背中のホルスターに入れた。ドスも懐に入っている。

 入っていいのかなぁ。しかし、入らないと。

 ばれたらどうしよう。

 俺はコンビニを離れたり、遠くから見たり、近づいたり、中をのぞいてみたりした。店員は俺に気づいている様子はない。

 落ち着かない。

 殺しを決行したときのように、堂々としていろよ。

 どうしてこんなことでこう優柔不断になるんだよ。

 そんなことより、今俺がしている行動は、まるでコンビに強盗に入ろうとして、いざというときに迷っているみたいだ。考えてみれば……深く考えなくてもみっともない。


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