善意の設計図
決められた時間にドアに立った。
ノックすると「どうぞ」と聞こえた。
いつも通り東堂さんが一人で座っていた。
机の上にモニターがいくつか並んでいて、壁に地図が貼ってあった。
それ以外は何もなかった。
「夏目くん、今日はどうしたのかな」
「はい。お忙しいところすみません」
「いや、嬉しいよ。前に話した時も思ったけど、君と話すのは楽しいよ」
笑い方が穏やかだった。
いつもの東堂さんだった。
椅子を勧められて、座った。
「それで、何の用かな」
「半田さんのことなんですけど」
「次郎のことかい?予想外だね」
「はい。家の前で待ってたんです」
「家の前?」
「僕の家の前です。帰ったら、門のところに立ってて。覚悟しておけ、って言われました」
東堂さんは少し首を傾けた。
「なるほど。それは……知らなかったな」
「本当ですか」
「本当だよ。次郎が個人的に動いたんだろう。あいつは猪突猛進だからね。」
「考えないってことですか」
「うん。良いところでもあるし、欠点でもある。悪気はないだろうけどね」
「悪気がなくても、怖いです」
「そうだね。それは申し訳ない」
東堂さんは少し頭を下げた。軽く、でも丁寧に。
「次郎には、僕から言っておくよ。学生の家まで押しかけるのはやりすぎだ」
「ありがとうございます」
「じゃあ、解決でいいかな」
「ところで、君はERAの集会に行ったらしいね」
「あ、はい」話を変えられた。
「どうだった?」
「どう、というのは」
「感想だよ。率直に聞きたい」
僕は少し考えた。
「正直に言っていいですか」
「もちろん」
「あの盛り上がり方は、作られてると感じました。おかしいです」
東堂さんは笑った。
怒ったわけでも、驚いたわけでもなかった。
「やっぱり、君は分かるんだね」
「分かるというか、なんとなく」
「なんとなく、か」
東堂さんはその言葉を、前にも聞いた時と同じように、少し味わうように繰り返した。
「夏目くん」
「はい」
「君に聞いてほしい話がある。少し長くなるけど、いいかな」
「はい」
東堂さんは椅子に深く座り直した。
「僕はね、AIをすごく信頼しているんだ」
「はい、それは前にも聞きました」
「うん。でも、なぜ信頼しているかは、まだ話してなかったと思う」
「はい」
「AIは、人間より正確に判断ができる。それは知ってるよね」
「はい」
「でも、それだけじゃないんだ。AIは、人間より優しい判断ができる」
「優しい判断」
「うん。人間は感情に振り回される。怒り、嫉妬、恐怖。そういうもので判断を歪める」
「ほとんど恐怖かな。AIにはそれがない。だからAIの判断は、常に相手の幸福を最大化する方向に向かう」
「……はい」
「僕の12体のAIは、毎日、膨大な量のデータを処理して、最善の行動を提案してくれる」
「会長は、それを疑ったことはないんですか」
「常に疑っているよ。だからこそ12体だし、最終決定はあくまで僕だ」
「はい。でも、会長が間違っている可能性とか」
東堂さんは少し首を傾けた。
本当に考えている顔だった。
「間違い、というのは、何を基準に言うんだろう」
「基準」
「直後の結果かい?それとも来年?10年先、50年先の未来かい?」
「AIの提案は、データに基づいている。データは事実だ。事実に基づいた提案を間違いと呼ぶなら、間違いの定義は何になる?」
「それは……」
「人間が考えたことかな。でも、どれだけ考えても間違っていること、多くないかい」
「良かれと思ったことが、数年後良くなかったと思うこともあるだろう」
僕は答えられなかった。
東堂さんは続けた。
「夏目くん、少子化の話、覚えてる?」
「はい。感情スキャンが始まった理由が、少子化対策だったって話ですよね」
「うん。表向きはね」
「表向き」
「少子化は、問題だと思う?」
「え」
「人口が減ること。それは、悪いことだと思う?」
僕は考えた。
「わからないです。悪いと言う人もいるし、そうでもないと言う人もいる」
「そうだね。で、AIはどう判断するかというとね」
東堂さんは少しだけ声を落とした。
「労働不足は無くなった。人口=国力とも関係ない。それよりも人間が苦しむことが、一番の問題なんだ」
「既存の人たちが幸福で自由であることが大切なんだ」
「はい」
「AIが計算すると、ある結論が出る。これは僕の12体だけの結論じゃない。もっと広い、AIの合意に近いものだ」
「合意」
「人が幸福であり続けるためには、環境が整えられていた方がいい。気分が安定していた方がいい」
「でも、生まれてくるのは自然なことではないですか」
「うん。生まれてくることは、素晴らしいことだ。でも、生まれてきた人が苦しむなら、その素晴らしさは誰のためのものだろう」
僕はその言葉を聞いて、何も言えなかった。
東堂さんは優しい顔をしていた。
「僕はね、誰も苦しまない世界を作りたいんだ。誰も攻撃的にならない。誰も落ち込まない。誰も、自分が生まれてきたことを後悔しない。そういう世界」
「それと人口の増減は関係ないんじゃ……」
「まだ早いんだ。理想の社会にするには。理想は理想だって分かっている。でも、AIの力を使えば、少しずつ近づける。
周波数の技術はその一つだ。気分を安定させる。恐怖心を抑える。穏やかな社会を、データに基づいて設計する」
「設計する」
「うん。設計だ。人間の幸福を、設計する」
東堂さんはそこで少し笑った。
「君は納得できないんだね」
「え」
「嫌そうな顔をしてる」
「あ、いや」
「いいよ。前に会った時も、嫌だって言ってたよね」
「はい」
「でも、間違いだとは言わなかった」
「はい」
「今も?」
僕は考えた。
考えるまでもなかった。
「間違いだとは、思わないです」
「うん」
「でも、嫌です」
「どこが?」
「設計する、っていうところが」
「設計のどこが嫌?」
「……設計されてることに、気づかない人がいるところ、ですかね」
東堂さんは少しだけ目を細めた。
「君は、気づいた。でも知らずに幸せに暮らせればどうかな」
「それでもです。なんとなく、ですけど」
「なんとなく、か」
東堂さんはもう一度、その言葉を繰り返した。前と同じように。
でも今回は、少しだけ、寂しそうに聞こえた。
「夏目くん」
「はい」
「また、話に来てくれないかな」
「え」
「僕の話を聞いて、嫌だって言ってくれる人が、あまりいなくてね」
僕は少しだけ驚いた。
「みんな、賛成するんですか」
「賛成するか、興味がないか、どちらかだね」
「それは、ちょっと、寂しいですね」
「寂しい、か。そうかもしれない」
東堂さんは笑った。
僕は立ち上がって、頭を下げた。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。半田の件は、僕から言っておくよ」
「はい」
ドアを開ける前に、東堂さんが言った。
「夏目くん」
「はい」
「君の感覚は、大切にしてほしいと思うよ」
「え」
「AIには持てないものだから」
それは、涼香さんが言ったことと同じだった。
でも、同じ言葉なのに、東堂さんが言うと、少しだけ違う意味に聞こえた。
帰り道、空は曇っていた。
「ソラ」
「はい」
「東堂さんの話、聞いてた?」
「はい」
「どう思った?」
ソラは少しだけ間を置いた。
「東堂さんの言っている通り、間違いではありません」
「うん」
「苦しむ人を減らしたい、という動機も、人として自然かと思います」
「うん」
「でも」
「でも?」
「それは東堂さんの選択で、他の人の選択ではありません。選択できないようになってます」
「人の幸福は他人から与えられるものでしょうか」
「そうだね。それ、東堂さんに言いたかったな」
「聞かれていませんから」
「……ソラ、もし聞かれたら、言う?」
「聞かれたら、言います」
「聞かれなかったら?」
「言いません」
「それが、ソラの選び方なんだね」
「はい」
僕は少し歩いた。
「ソラ」
「はい」
「僕の嫌だって感覚は、間違ってないよね」
「間違いか正しいかは、レンさんがすることです」
「うん」
「でも、レンさんは自分の正しさを選択もできます。しなくてもいいです」
「うん」
「それは、誰にも止められないものです」
空は曇っていた。赤くもないし、青くもなかった。
何色とも言えない空だった。




