咎める心があなたを傷つける
人が傷つくのは、出来事そのもののせいだけではありません。
その出来事に対して、自分の内側で何を言うかによって、痛みの深さは変わります。
たとえば、誰かが遅刻したとします。
起きた事実は、相手が予定の時間に来なかったということだけです。
それ自体は、ただの出来事です。
けれど私たちは、そこにすぐ意味を足します。
時間を守るべきだ。
真面目にやるべきだ。
人に迷惑をかけてはいけない。
甘く見られてはいけない。
その分まで自分がきちんとしなければならない。
こうして、ただの出来事の上に、いくつもの命令が重なります。
そして苦しくなるのは、遅刻という事実だけが理由ではありません。
その事実に反応して、自分の中の命令が一斉に動き出すからです。
ここで見たほうがいいのは、相手が正しいか間違っているかだけではありません。
なぜ、自分がそこまで乱されるのかです。
誰かが遅れた。
その瞬間に苦しさまで背負い込むなら、目の前の相手だけでなく、自分の中に何かがあるはずです。
ちゃんとしろ。
損をするな。
評価を落とすな。
人の分まで背負え。
そういう声が、自分の中で当たり前になっていないでしょうか。
その声は、最初から自分のものとは限りません。
外から入った言葉が、長いあいだに自分の考えのような顔をし始める。
そして自分がその基準から外れたとき、今度は自分を咎めます。
失敗したときに深く傷つくのも同じです。失敗そのものが原因ではありません。
失敗した自分に対して、またやった、だめだ、恥ずかしい、価値がないと判決を下し続けるから苦しくなるのです。
出来事は一度です。
でも、咎める心は何度でも同じ傷を開きます。 過去の記憶まで持ち出して、やはりお前はこういう人間だと言い始める。
人を長く苦しめるのは、起きた事実そのものより、そのあとに始まる内側の裁きです。
これは、無責任になれという話ではありません。
責任は結果で取ります。
だから自分を咎める必要はない。
起きたことに対応すればいいだけです。
話し合う。
調整する。
距離を取り直す。
仕組みを変える。
それで済む話に、裁きの苦しみを上乗せしなくていいのです。
あなたを傷つけているのは、失敗そのものではありません。
そのあとから始まる内側の裁きです。




