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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第27話「数字が空気を変える」

 レオンハルトの瞳が、一瞬だけ揺れた。


 それは群衆には見えなかっただろう。処刑台の高さ、中継スクリーンの画角、その両方が彼の表情を「堂々たる裁定者」として切り取るよう設計されている。だからこそ——設計者には見えた。


 あの微かな瞳の揺らぎが、困惑なのか、怒りなのか。


 どちらでもいい。重要なのは、彼が即座に笑い飛ばせなかったという事実だけだ。


「……何を言っている」


 三拍遅れた。


 レオンハルトの声が、増幅術式に乗って広場に響く。いつもの朗々とした声だ。だが語尾に滲んだわずかな空白を、ヴィオレッタは聞き逃さなかった。


 彼は今——自分が何を言われたのか、分かっていない。


「帳簿の講義か?」


 笑いが戻った。あの完璧な微笑。群衆に向けた、計算し尽くされた余裕の表情。


「処刑台の上で算術の授業とは、さすがは"数字しか見えない冷血令嬢"だ」


 ざわ、と笑いが広場に広がった。嘲笑だ。いつものパターン。レオンハルトが皮肉を言い、群衆がそれに乗る。何百回と繰り返されてきた、この帝国の断罪ショーの定型。


 ヴィオレッタは笑わなかった。


 視線をレオンハルトに向けることすらしなかった。見ているのはメインカメラだ。その奥にいる、全国の端末の向こう側の人間たちだ。


「では殿下。ひとつ、算術の問題をお出ししましょう」


 声は変わらない。処刑台の増幅術式が、その冷えた声を帝国の隅々まで運んでいく。


「先ほど会計官殿が読み上げた罪状第四項。東部三州向け災害復旧基金の流用額、八百四十二万六千三百祝福貨」


 数字だ。ただの数字だ。群衆の大半にとっては、聞き流される程度の退屈な羅列でしかない。


「そしてスクリーンに今映っている基金残高——」


 ヴィオレッタの目が、スクリーン下端の数字列を正確に追った。


「州境間精算の端数処理が、切り捨てになっています」


 間を置いた。


 一拍ではなく、二拍。


「帝国決済システムの仕様では、州境間精算の端数は——切り上げです」


 広場の空気に、変化はなかった。まだ、群衆の大半はこの言葉の意味を理解していない。処刑台の上の女が何か小難しいことを喚いている、という程度の認識だろう。


 だが。


 全国の端末の、そのさらに向こう。


 帝都の両替商の奥で、台帳と算盤の間に座っていた老商人の手が止まった。


 北方の交易所で、出納帳を突き合わせていた書記官の顔から血の気が引いた。


 州境の税関で、日常的に端数処理を行っている下級官吏が、同僚の肩を叩いた。


 その反応は、ヴィオレッタには見えない。聞こえない。だが——知っている。


 数字を扱う人間にとって、端数処理の仕様違反がどれほど致命的な意味を持つか。


「つまり——」


 ヴィオレッタの視線がメインカメラに据えられたまま、微動だにしない。


「この帳簿の数字は、帝国決済システムが出力したものではありません」


 *


 沈黙の色が、また変わった。


 三度目だ。期待の沈黙、理解不在の沈黙、そして今——疑問の沈黙。


 群衆の中から、小さな声が漏れ始めた。


「何を……言ってるんだ?」


「帳簿が偽物ってことか?」


「いや、そんなまさか。皇太子殿下が提出した帳簿だぞ」


 ざわめきは、しかしまだ嘲笑の残滓を含んでいた。処刑される側の人間の戯言。信じるに値しない。そう思いたい空気が、広場にはまだ残っている。


 レオンハルトが、口を開いた。


「くだらない」


 今度は遅れなかった。声に余裕が戻っている——ように聞こえた。


「罪人が処刑台で数字を並べたところで、何になる。端数処理の些末な違いを論って、自分の罪をごまかそうというのか」


 うまい。ヴィオレッタはそう評価した。


 演出の天才だ。技術の細部に踏み込まず、「些末」という言葉で矮小化し、「罪人」というレッテルで信用を削る。彼がいつもやってきたことだ。


 中身のない言葉で、中身のある指摘を殺す。


 だから——中身を、もう一段重ねる。


「些末、ですか」


 ヴィオレッタの声に、感情はなかった。


「では殿下。もうひとつ」


 レオンハルトの眉が、かすかに動いた。


「罪状第七項、災害基金への拠出金について。先ほどの読み上げでは、拠出の財源を『国民からの祝福貨による寄付』としていましたね」


 スクリーンの映像が、レオンハルトの横顔を大写しにしている。その完璧な造形の裏側で、何が起きているかは分からない。だが彼は黙っている。黙って聞いている。まだ「些末な話だ」と切り捨てるタイミングを計っている。


 ヴィオレッタは、その猶予を与えなかった。


「スクリーンの下を見てください。今、流れている祝福貨の色」


 広場のスクリーンに、送金のエフェクトが滝のように流れ落ちていた。処刑を見届けるための投げ銭。群衆の熱狂が金に変わる、祝福貨システムの華やかな演出。


 その全てが——赤い。


「赤色の祝福貨は、カテゴリ上『娯楽・見物料』です」


 ヴィオレッタの瞳が、スクリーンの赤い奔流を映してかすかに光った。


「仕様上、災害基金の口座へはルーティングされません」


 間。


「カテゴリ変換が発生していないのに、災害基金に入金されている。これは手動で送金先を書き換えない限り、物理的に不可能な操作です」


 群衆のざわめきが、質を変えた。


「——待て。赤は娯楽用、ってことは」


「基金に入れるなら青じゃないと……」


「おい、ということは帳簿の拠出記録自体が——」


 ヴィオレッタの目が、初めてレオンハルトを捉えた。


「あなた、私から奪った決済システムのカテゴリ変換すら理解していないのね」


 声は大きくなかった。叫びでも、嘲りでも、弾劾でもなかった。


 ただ——事実だった。


 仕様書に書いてある、ただの事実。


 *


 スクリーンの隅で、コメントの流れが変わり始めていた。


 全国中継に連動した祝福貨システムは、送金と同時に短いテキストを付与できる。それまでは「天誅!」「冷血女に裁きを!」「殿下万歳!」といった赤色の断罪コメントが画面を埋め尽くしていた。


 今、その流れに——異質な色が混じり始めている。


『ウチの帳場でも端数は切り上げなんだが』


『赤で基金に入金って、できたっけ? 窓口やってるけど見たことない』


『待って。第四項の数字、手元の地方報告書と合わない』


 まだ少数だ。圧倒的大多数は、断罪ショーを楽しむ赤色の奔流のまま。だが——プロの目が、動き始めていた。


 帳場を預かる者。税関の実務者。銀行の窓口係。地方の記録官。


 数字を日常の手触りとして知っている人間たちが、ヴィオレッタの指摘を自分の実務経験と照合し始めている。


 その声はまだ小さい。赤色の大合唱にかき消されそうなほど小さい。


 だが、数字は嘘をつかない。


「——黙れ」


 レオンハルトの声が、増幅術式を通して広場に叩きつけられた。


 先ほどまでの朗々とした響きが消えていた。声に力がある。だが、それは余裕の力ではない。


「罪人の戯言に踊らされるな! この女は帝国を欺いた国賊だ! 数字をこねくり回して煙に巻くのが、この女のやり口だろう!」


 群衆が反応した。「そうだ!」「殺せ!」。赤い声。赤い熱。断罪ショーの気持ちよさを奪われたくない人間たちの、反射的な叫び。


 ヴィオレッタは、待った。


 叫びが途切れる瞬間を。群衆が息を吸う、その一瞬の空白を。


「殿下」


 静かに。


「今の私の指摘に、数字で答えてください」


 空気が止まった。


「端数処理の仕様は何ですか。赤色祝福貨のルーティング先はどこですか。カテゴリ変換の条件式は何ですか」


 一つ、一つ、杭を打つように。


「この決済システムを運用しているのはあなたです。私の罪状を立証した帳簿を作ったのもあなたの側です。なら——答えられるはずでしょう?」


 レオンハルトの口が開いた。


 閉じた。


 スクリーンが、その顔を映している。全国の端末が、その沈黙を中継している。


 一秒。


 二秒。


 三秒。


 答えが、出ない。


 会計官の方を見た。視線で「何か言え」と命じている。だが会計官の顔は紙のように白い。額に汗が浮いている。端数処理の仕様——彼はそれを知っていたのか、知らなかったのか。いずれにせよ今、全国中継の場で口を開けば、次にヴィオレッタの刃がどこに飛んでくるか分からない。


 コメント欄の流れが、さらに変わった。


『あれ、殿下答えられないの?』


『仕様って……自分のとこの決済システムの仕様も知らないのか?』


『いやいや、端数の話はともかく、赤で基金にルーティングできないってのはマジなのか? 誰か銀行勤めの奴教えてくれ』


『北部第三支局の窓口だけど、赤色祝福貨の基金口座への直接入金は、うちの端末では弾かれる。間違いない』


 一つの疑問が、次の疑問を呼んでいた。


 ヴィオレッタは何も言わなかった。言う必要がなかった。数字が、仕様が、帝国中の実務者の記憶と照合されて、勝手に答え合わせを始めている。


 彼女が仕掛けたのは爆弾ではない。


 問いだ。


 答えを知っている人間が、帝国中に散らばっている。その人間たちに「確認してみろ」と促しただけだ。


 レオンハルトの拳が、壇上の手すりを叩いた。


 音が、広場に響いた。


 *


「——もういい」


 レオンハルトの声が変わっていた。


 朗々とした演説の声ではない。皮肉を織り交ぜた余裕の声でもない。金属を引き裂くような、剥き出しの音だった。


「罪人の詭弁に付き合う必要はない」


 スクリーンに映る彼の顔は、まだ美しかった。黄金の髪、サファイアの瞳、完璧に仕立てられた皇室礼装。だがその造形の下で——何かが、決定的に崩れ始めていた。


 群衆はそれを見ている。全国の端末がそれを映している。


 ヴィオレッタの目には、スクリーンの片隅でコメントの色が少しずつ変わっていくのが見えた。赤一色だった流れに、灰色の——判断を保留した、疑問符のついたテキストが混じり始めている。


 まだ足りない。


 まだ、圧倒的に赤が多い。断罪を望む声、処刑を楽しむ声、「殿下を信じる」という声。この帝国の大多数は、数字よりも物語を信じる。美しい王子が悪い女を罰する物語を。


 だから——数字だけでは勝てない。


 勝つ必要もない。今はまだ。


 ヴィオレッタが必要としていたのは、勝利ではなく——亀裂だ。


「殿下」


 もう一度、その敬称だけを呼んだ。


「最後にひとつだけ」


 レオンハルトの目が、ヴィオレッタを射抜いた。その瞳に浮かんでいたのは怒りだ。処刑される側の人間に、全国の前で問い詰められている——その屈辱への、隠しきれない怒り。


「あなたが先ほど『私が平民を貨幣で操った』とおっしゃいました。でしたら当然、その貨幣——祝福貨システムの仕様書はお読みになっているはずですよね?」


 沈黙。


「何頁ありますか」


 沈黙。


 ヴィオレッタの口元が、ほんの微かに動いた。笑みとは呼べない。呼べないが——それを見た群衆の何人かが、理由もなく背筋を正した。


「……知らなくても無理はありません。あの仕様書、四千二百頁ありますから」


 コメント欄が、一瞬だけ止まった。


 それから——爆発した。


『四千二百頁www』


『殿下が読んでるわけないだろ!!』


『つーか誰が読むんだよそんなの!!』


 嘲笑だ。だが、その嘲笑の矛先が——揺れていた。


 ヴィオレッタを笑っているのか。レオンハルトを笑っているのか。その境界が、曖昧になり始めていた。


「四千二百頁の仕様書を書いた女が言っています」


 ヴィオレッタの声は冷たく、平坦で、揺るぎなかった。


「あの帳簿は、私のシステムが出した数字ではない。人の手で、システムの外側で作られた偽物です」


 *


 静寂が落ちたのは、ほんの一瞬だった。


「黙らせろ」


 レオンハルトの声が降ってきた。低く。硬く。


 ヴィオレッタの隣に立つ護衛が、一歩踏み出した。短鎖が引かれ、手枷が食い込む。だがその手が口に伸びるより先に、増幅術式はヴィオレッタの最後の一文をすでに拾い終えていた。処刑台に刻まれた増幅術式は、天板上の音声を自動で捕捉する。声が発せられた瞬間に、全国の端末へ届いている。物理的に口を塞いだところで、言葉はもう帝国中に放たれた後だった。


「音声を切れ」


 技師への命令だ。増幅術式を落とせ、という意味だろう。だが増幅術式は処刑台の基幹機能であり、全国中継と連動している。暫定直列同期で全回線が束ねられた今、増幅術式だけを選択的に落とすことは——


 できない。それは、仕様上できない。


 ヴィオレッタは知っている。設計者だから。


 レオンハルトは知らない。仕様書を読んでいないから。


 技師が何か叫び返している。「暫定直列同期中は個別の——」という声が、群衆のざわめきに呑まれて途切れた。


 レオンハルトの手が、壇上の欄干を掴んだ。白い手袋の下で、指の関節が浮き上がっている。


 コメント欄は止まらない。


『音声切れないってどういうこと?』


『おい、殿下の顔やべえぞ』


『端数の件、ウチの地方帳簿と照らし合わせたら確かにズレてる。これどういうことだ?』


『赤で基金ルーティングの件、本省の同僚に確認した。仕様上不可。以上』


 亀裂が、走り始めていた。


 ゆっくりと。だが確実に。


 ヴィオレッタの仕掛けた問いが、帝国中の実務者の手元で、それぞれの帳簿と照合され、それぞれの経験と突き合わされ、それぞれの言葉で——拡散している。


 レオンハルトがこれを止める方法は、二つしかない。


 数字で論破するか。


 力で黙らせるか。


 一つ目は、彼にはできない。


 だから。


「——今すぐその女の首を落とせ!!」


 金切り声だった。


 演説の声でも、裁定者の声でも、王子の声でもなかった。追い詰められた人間の、なりふり構わない絶叫だった。


 処刑執行人の体が、動いた。


「最後の言葉」が長引く間、足元の石畳に刃先を預けていた大剣——その柄を両手で握り直し、全身のばねを使って一息に振り上げた。刃渡り、成人の胴体ほど。鍛え抜かれた鋼が頂点に達した刹那、魔力の脈動が走り、刃が光を弾いた。


 そして——振り下ろされた。


 群衆が息を呑んだ。コメント欄が一瞬止まった。全国の端末の向こうで、無数の目がスクリーンに釘付けになった。


 ヴィオレッタは、メインカメラを見つめていた。


 最後まで。


 空気を裂く金属の悲鳴。重力と魔力が束ねられた、人間の首を断つためだけに鍛えられた一撃が、弧を描いて落ちてくる。


 その軌道の先に、ヴィオレッタの白い首筋があった。

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