第26話「断罪ショーの綻び」
会計官の声が、広場に響いていた。
「——第七項。被告ヴィオレッタ・エーデルシュタインは、祝福貨基金の管理権限を濫用し、東部三州の復旧予算より計三十七万四千二百祝福貨を私的口座へ不正送金した疑い——」
羊皮紙を広げた手が、わずかに震えている。
ヴィオレッタは黙ってその声を聞いていた。手枷の重みが手首に食い込み、短鎖が護衛の腕と繋がったまま、鉄の微かな軋みを立てる。額の左側を伝う血が、顎の線まで降りてきていた。拭う手は、ない。
会計官が次の項目を読み上げる。声は朗々としているが、紙を持つ指の先だけが妙に白い。
「——第八項。同被告は、北方商会向け災害支援融資の決裁過程において——」
数字が、次々と並べられていく。
ヴィオレッタの視線は、会計官の顔ではなく、その背後——処刑台の上方に据えられた巨大中継スクリーンへ向いていた。
画面の下端に、基金残高がリアルタイムで流れている。
会計官が読み上げる数字と、スクリーンに表示されている数字。ヴィオレッタの目が、その二つの間を往復した。
——切り捨て。
州境間精算の端数処理。このシステムの仕様では、一祝福貨未満の端数は切り上げで処理される。例外はない。設計したのは自分だ。
なのに、スクリーンの残高表示も、会計官が朗読している帳簿も、どちらも切り捨てで計算されている。
つまり、この数字はシステムが出力したものではない。
外で作った。
人の手で。
ヴィオレッタは何も言わなかった。まだ、その時ではない。
会計官の朗読が続く。群衆はそのたびに怒号を上げ、赤い光の粒子が空中を舞った。赤色祝福貨——断罪の見物料。一粒ごとに、ヴィオレッタへの嘲りと憎悪が金額に変換されていく。
「——以上、全十二項目の罪状をもって——」
会計官が羊皮紙を巻き戻した。その手つきだけは妙に丁寧で、まるで役目を終えた台本を片付ける役者のようだった。
広場が、一瞬だけ静まる。
舞台の転換を、群衆が本能的に察知した沈黙。
そして——レオンハルトが、前に出た。
*
白と金。
日差しを受けて燃え立つような皇室礼装が、処刑台の最上段に立った。金糸の刺繍が光を弾き、無数の勲章が重たげに揺れる。群衆の視線が、磁石に吸われるようにその姿へ集まった。
レオンハルトは両手を広げた。
「——帝国の民よ」
声が、魔導増幅されて広場の隅々まで届く。同時に、全国のスクリーンにサファイアブルーの瞳が映し出される。優しげで、爽やかで、信念に満ちた——とても上手な目の使い方。
「今日、この場に集まってくれたこと。全国から見届けてくれていること。私は、感謝の言葉もない」
声を落とした。間の取り方が巧い。群衆が次の言葉を待つ空白を、レオンハルトは正確に二拍だけ作った。
「先ほどの罪状を聞いて、皆も感じたであろう。帝国の基盤を守るべき立場にあった者が、その権限を悪用し——民の汗と血で築かれた祝福貨を、私物化していた」
群衆の間から、怒りの声が上がった。「許せねえ!」「死刑だ!」
レオンハルトは片手を上げ、その声を制した。制する必要のない声を制してみせることで、自分がこの場の支配者であると示す——そういう動作だった。
「私は、皆と同じ怒りを感じている」
ヴィオレッタは、その横顔を見ていた。
風が吹いて、黄金色のウェーブが揺れる。計算し尽くされた角度。中継スクリーンに映る自分の姿を、おそらく視界の端で常に確認している。
「だが——」
レオンハルトの声が、一段低くなった。
「性急に裁くことは、私にはできない。それでは、公正な断罪とは言えない」
群衆がざわめいた。何人かが「殿下……」と、敬意を含んだ声を漏らした。
見事な演技だ、とヴィオレッタは思った。
台本通りの感情を、台本通りの間合いで、台本通りの表情と共に差し出している。この男にとって統治とは、常に「上映」だった。政策の中身ではなく、政策を発表する時の照明と音楽と画角。
「だからこそ、法に基づく公正な裁きを——」
赤色祝福貨が、滝のように降り注いだ。
スクリーンの右端に、送金総額が表示されている。数字が跳ね上がるたびに群衆が沸き、金額が大きくなるほど歓声も大きくなる。断罪のために金を払い、金を払うことで断罪に参加する。娯楽と憎悪と正義感が、決済システムの上で一つに溶け合っていた。
レオンハルトはその光景を背負い、両腕を広げたまま微笑んでいた。赤い光の粒子を浴びながら。
ヴィオレッタの目は、その赤い滝ではなく、スクリーンの下端に流れ続ける基金残高の数字を追っていた。
切り捨て。切り捨て。切り捨て。
全ての州境間精算が、仕様と異なる端数処理で計算されている。一つ二つの誤りではなく、体系的に——つまり、意図的に。
この数字を作った人間は、帝国決済システムの端数処理仕様を知らない。
知らないまま、帳簿を外部で偽造した。
そして今、全国中継でその偽造帳簿を堂々と流している。
——おあつらえ向きだ。
ヴィオレッタは視線をスクリーンから戻した。額の血が、もう乾きかけている。こめかみの鋭い痛みは、今は遠い。
「——帝国の明日を、我々の手で守ろうではないか!」
レオンハルトが演説を締めくくった。
地鳴りのような歓声が返った。赤色祝福貨の光が空を埋め尽くし、広場全体が赤く染まった。帝国最大の断罪ショー。舞台の上の男は今、自分が世界の中心にいると信じている。
歓声が最高潮に達した、その瞬間。
レオンハルトが手を振り下ろした。
静寂が、落ちた。
*
黒衣の巨漢が、前に出た。
処刑執行人。その手に握られた大剣は、刃渡りだけで成人の胴ほどある。柄に巻かれた革紐が使い込まれて黒ずんでおり、装飾は一切ない。機能だけがある。人体を断つ、という機能だけが。
大剣が、ゆっくりと頭上に掲げられた。
群衆が息を呑んだ——ではなく、前のめりになった。処刑の瞬間を一秒でも早く見たくて。スクリーンの画角がヴィオレッタの首元にズームし、赤色祝福貨の送金速度が目に見えて跳ね上がった。
金属が空気を裂くような、甲高い共振音。大剣の刃に魔力が流れ、日光を反射して白い線を空に引いた。
ヴィオレッタの足元で、短鎖が軋んだ。護衛が半歩退がったのだ。刃の射程から離れるために。
レオンハルトが、ヴィオレッタの正面に立った。
上からの視線。サファイアブルーの瞳が、見下ろしている。優しげで、爽やかで——そして、何かを待っている目。
「ヴィオレッタ・エーデルシュタイン」
名を呼ぶ声は穏やかだった。穏やかに設計された声だった。
「最後に、言い残すことはあるか」
群衆が静まった。今度は本当の沈黙だった。広場を埋め尽くす数千の人間が、一人の女の口元を見つめている。全国の端末の前でも、同じ沈黙が広がっているのだろう。
レオンハルトの口元に、かすかな期待の色があった。
許してほしい。間違っていた。殿下の慈悲を——そう言わせたいのだ。
あの冷徹な令嬢が膝を折り、涙を流し、命乞いをする。その瞬間を全国中継で撮る。レオンハルトがそれを寛大な笑みで受け止め、しかし「法は法だ」と悲しげに首を振る。断罪ショーの完璧な最終幕。
——台本は、そういう筋書きなのだろう。
ヴィオレッタは、レオンハルトの顔を見上げた。
額から頬へ流れた血の痕が、乾いて茶色い線になっている。アメジストの瞳は、底冷えするほど静かだった。
群衆が待っている。レオンハルトが待っている。全国の視聴者が待っている。処刑台の上の女の、最後の言葉を。
ヴィオレッタは——レオンハルトから、視線を外した。
サファイアブルーの瞳の中の期待が、一瞬、困惑に変わった。
ヴィオレッタの目が向いたのは、レオンハルトの顔ではなかった。処刑執行人の大剣でもなかった。群衆でもなかった。
メインカメラだ。
処刑台の正面、やや上方に固定された全国中継用の主撮影装置。この瞬間、帝国全土の端末と暫定直列同期で物理的に繋がっている、一つの目。
ヴィオレッタは、その目を真っ直ぐに見た。
手枷の鎖が鳴った。姿勢を正したのだ。処刑台の上で、血と泥と罵声にまみれたまま、背筋だけが完璧に伸びた。
会場の空気が変わった。
怒りでも嘲りでもない、得体の知れない緊張が、広場の底を這い始めた。処刑される側の人間がする目ではなかった。あの目は——
ヴィオレッタが、口を開いた。
声は大きくなかった。叫びでも、懇願でも、呪詛でもなかった。
ただ、よく通った。
処刑台の増幅術式が声を拾い、広場の空気を震わせ、全国の端末から同じ音圧で流れ出す。
「殿下」
レオンハルトの名ではなく、敬称だけを使った。視線はカメラに据えたまま。
「さきほどから画面の下に流れているその基金残高ですが——」
群衆の何人かが、つられてスクリーンの下端に目をやった。数字が流れている。ずっと流れていた。誰も気にしていなかった数字の列。
ヴィオレッタの口元が、かすかに動いた。
「端数の処理が、間違っていますよ」
*
沈黙が、質を変えた。
さっきまでの沈黙は期待だった。今の沈黙は、理解の不在だった。群衆の大半は、彼女が何を言ったのか分かっていない。
だが——分かる人間は、いる。
全国の端末の向こう側に。帳場を預かる商人、州境の税関吏、銀行の窓口係、地方の会計士。数字を日常的に扱い、端数処理の意味を骨の髄まで知っている人間たちが。
ヴィオレッタはメインカメラを見つめたまま、次の言葉を待っていた。
自分の言葉ではない。
レオンハルトの。




