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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第24話「途切れた回線」

 短剣の冷たさが、一瞬だけ遠のいた。


 代わりに、側頭部に鈍い衝撃が来た。剣の腹。骨に響く重さではなく、意識を刈り取るために計算された一撃だった。


 ミレイユの視界が、赤い術式光の区画から一気に遠ざかる。


 床の結晶の破片が、頬に貼りついたまま溶けるように輪郭を失っていく。砕けた記録棚の影が、水底に沈むみたいにゆっくりと暗くなった。


 ——送信バー。


 あれは、どこまで進んだのだろう。


 画面は、見届ける前に砕かれた。でも送信キーは叩いた。バーは走り出していた。パネルが壊されたのは、その後だ。だから——


 思考がほどけていく。答えを組み立てようとする指先が、もう何も掴めない。


 最後に残ったのは、破壊された水晶板の、あの澄んだ音だった。


 それすら、やがて聞こえなくなった。


 *


 *


 馬車の車輪が石畳の継ぎ目を拾うたび、手枷の鎖が短く鳴った。


 ヴィオレッタ・エーデルシュタインは、揺れる暗がりの中で目を閉じていた。閉じているのは眠っているからではない。この薄暗い護送馬車の中で、視覚に使う処理を一つでも減らしたかった。


 馬車の壁は厚い。外光は入らない。だが音は漏れてくる。


 車輪の軋み。護衛騎兵の蹄鉄が石を叩くリズム。それに混じって、遠く——まだ遠く——人の声がある。低く、うねるような音の塊。個々の言葉は聞き取れない。だが、あの密度と粘りは知っている。


 群衆だ。しかも、怒っている。


 正午の処刑に向けて、帝都中央広場はすでに沸いているのだろう。レオンハルトの演出部隊が、朝から煽っていたはずだ。「平民を数字で弄んだ冷血令嬢の最期を見届けよ」——おそらくそんな文句で。


 ヴィオレッタは、鎖の遊びを確認した。手枷から床の金具まで、鎖の長さは腕を膝に置くのがやっとの寸法。指先は動く。右手の人差し指に嵌まった銀の指輪——シグネット——の存在を、金属の冷たさで確かめた。


 まだある。


 左袖口の縫い目の裏に隠した通信紙片。これも確認した。だが、今朝から何度さわっても、紙片は死んでいた。帯域が通じない。ミレイユへの回線は途絶したまま、一度も復帰していない。


 ミレイユが、今どこで何をしているのか。生きているのか。任務を果たせたのか。


 知る手段がない。


 ヴィオレッタは、その事実を処理し終えた。処理し終えたことを確認し、次に進んだ。感傷は仕様書に載っていない。


 残存する手札を、もう一度並べる。


 一つ。シグネット。設計者権限の物理キー。これは手元にある。


 二つ。証拠ログの抽出能力と、中継ラインへの差し込み予約。処刑台が高位端末として機能するなら、ここから証拠をシステムに差し込む経路だけは、設計者権限で確保できる。


 三つ。第三鍵の認証トークン。ミレイユに抽出と送信を指示した、最後の一手。


 だが、三つ目の状態が分からない。


 ミレイユが宮廷放送局の地下で何を成し遂げ、あるいは成し遂げられなかったのか。あの紙片が沈黙している以上、確認する方法は存在しない。


 馬車が大きく揺れた。交差点を曲がったのだろう。群衆の声が、一段階近くなった。


 ヴィオレッタは手枷の鎖を膝の上で束ね、目を閉じたまま、指輪の表面を親指の腹でなぞった。


 シグネットの内部には、これまでに格納した波形断片が眠っている。証拠の欠片。仕込みの残滓。だが第三鍵なしでは、これらを全国へ叩きつける権限が——


 指輪が、震えた。


 微かな振動。馬車の揺れとは違う。金属の内側から、骨を伝って指の根元に届く、極めて短いパルス。


 ヴィオレッタの目が開いた。


 暗い馬車の中。手枷の隙間から覗く右手。指輪の表面に、目には見えない変化が走っている——いや、見えない。設計者としての直感が、データの流入を知覚しているだけだ。


 受信。


 何かが届いている。外部から、指輪の記憶領域に、データパケットが流れ込んでいる。


 ヴィオレッタの呼吸が一拍止まった。


 ——ミレイユ。


 あの子が送ったのか。通信紙片ではない。もっと深い経路。あらかじめ指定しておいた座標——指輪の記憶領域を直接宛先にした、片道送信。


 データの塊が、指輪の中に展開されていく。認証トークンの構造体。暗号化された多重署名の束。ヴィオレッタが設計した第三鍵の——


 頭の奥で、硬い音が鳴った。


 ヴィオレッタにしか聞こえない音。設計者が自分のシステムに接続したとき、異常を知らせるために仕込んでおいた、最も原始的な警報。


 **認証不完全。**


 トークンの本体は届いている。多重署名の束も、暗号化層も、ほぼ無傷で展開できた。だが——末尾。最終認証コードの格納領域。そこだけが、空だった。


 欠損ではない。データが壊れているのでもない。最後の1バイトだけが、そもそも届いていない。送信プロセスの最終段階で、何かが起きた。回線が切れたのか、端末が壊されたのか、あるいは送信者の身に——


 ヴィオレッタは、その先の推測を切り捨てた。


 事実だけを見る。


 第三鍵の認証トークンは、99%の状態で手元にある。しかし最終認証コードが欠落している。この1バイトがなければ、三鍵構造は成立しない。


 つまり。


 証拠ログの抽出は、できる。中継ラインへの差し込み予約も、できる。だが——全国中継を固定する権限。全国のUIを掌握する権限。民意保全条項を本起動させる権限。それらの全てが、たった1バイトの空白の向こう側にある。


「……足りない」


 声に出したのは、自分でも意外だった。


 馬車の暗がりに、自分の声が落ちた。低く、乾いた、感情を削ぎ落としたはずの声。なのに、その一言だけが妙に重かった。


 全国同報の権限が取れない。不正ログを全国に叩きつける瞬間に、あと1バイト分だけ、手が届かない。


 ヴィオレッタは目を閉じた。


 暗闇の中で、指輪の中に横たわる不完全なトークンの構造を、設計者の目でなぞる。99%が完璧に組み上がった城。だがたった一つの楔が抜けている。その楔がなければ、城門は開かない。


 ミレイユは、送った。


 それは確かだ。このデータは彼女以外に送れない。あの子は任務を果たした——果たそうとした。最後の最後で、何かに阻まれた。1バイトだけ。たった、1バイトだけ。


 感傷が込み上げかけた。


 ヴィオレッタはそれを、三秒で圧殺した。


 感傷は仕様書に載っていない。悲しみでシステムは動かない。泣いてもビットは埋まらない。ならば、持っているもので何ができるかを考えろ。


 不完全な第三鍵。設計者権限。処刑台という高位端末。


 証拠を差し込むことはできる。局所的にUIを操作することもできる。だが全国を掌握する最後の一手が、ない。


 99%の武器。


 それは、刃のない剣に等しかった。


 馬車の振動が変わった。速度が落ちている。車輪の音が、石畳の質の違いを拾い始めた。広い通りに出たのだ。


 そして——音が変わった。


 遠くで低くうねっていた群衆の声が、急激に近くなった。壁越しではない。馬車の周囲を、直接取り囲むように、人の声が膨れ上がっている。怒号。嘲笑。罵声。それらが混ざり合って、一つの巨大なうねりになっている。


「殺せ!」


「冷血令嬢を処刑しろ!」


「民の金を弄んだ報いだ!」


 個々の声が聞き取れるほどに、近い。馬車が群衆の中を割って進んでいるのだ。護衛騎兵が道を作り、その隙間を縫うように。


 ヴィオレッタは、その罵声を、天気予報でも聞くような顔で受け止めた。


 知っていた。レオンハルトの世論操作がどれほど巧みか。あの男は中身のない演説を黄金の声で届ける天才だ。この群衆の怒りは本物だが、怒りの方角が間違っている。彼らは、自分たちの生活を支えるインフラを作った人間を殺そうとしている。


 だが、それを今この場で説明する方法はない。


 馬車が止まった。


 蹄鉄の音が止み、車輪が最後に一度だけ軋んで、沈黙した。群衆の声だけが残る。地鳴りのような、途切れることのない怒りの持続音。


 外から鍵の音。鉄の錠前が外される。


 馬車の扉が開いた。


 光が殴りつけてきた。


 地下牢と護送馬車の暗闘に慣れ切った目に、帝都の正午前の陽光は暴力だった。ヴィオレッタは反射的に目を細め、白く焼けた視界の中で、最初に見えたものを捉えた。


 空だ。


 いや——空ではない。


 空を覆うほどの巨大な魔導スクリーンが、広場の上空に展開されていた。中継用。全国へ映像を飛ばすための、魔力投射面。まだ起動前で、表面は鈍い灰色に沈んでいる。だがその規模は、通常の公開処刑に使うものとは桁が違った。


 レオンハルトは本気だ。これを全国に流すつもりでいる。


 護衛の手が、ヴィオレッタの腕を掴んだ。馬車の床金具から鎖が外され、代わりに護衛の手首と手枷が短い鎖で繋がれた。引きずり出される形で、石畳の上に足を下ろす。


 群衆の声が、壁を失って直接身体を叩いた。


 見渡す限りの人間だった。広場を埋め尽くす群衆が、護衛騎兵の作った細い道の両側から、憎悪の目をこちらに向けている。腐った果物が飛んできた。護衛の肩に当たって弾ける。別の方角から、石が飛んだ。それは護衛の盾に弾かれた。


 ヴィオレッタは、飛来物に目もくれなかった。


 視線は、広場の奥——群衆の頭の向こう——に据えていた。


 処刑台。


 石段の上に組まれた、帝国式の公開処刑壇。中央に据えられた断頭台の刃が、正午前の光を受けて白く光っている。周囲には儀礼旗が立てられ、皇室紋章の入った垂れ幕が風に揺れている。見物席には貴族用の日除けまで設えてある。


 見世物だ。


 断罪の見世物。レオンハルトが用意した、自身の善政をアピールするための舞台装置。


 だが、ヴィオレッタの目は、群衆が見ているものとは別のものを見ていた。


 処刑台の基部。石組みの中に埋め込まれた、六角形の魔導刻印。儀礼用の装飾にしか見えないそれが、実際には何であるか——この広場の誰よりも、ヴィオレッタは知っていた。


 あれは端末だ。


 全国中継と皇室儀礼を束ねる、高位の制御端末。設計したのは、他でもない自分自身。


 あの台の上に立てば、設計者権限で触れられるものがある。証拠ログの差し込み。局所UIの操作。不完全であっても、あの台に載っている機能のいくつかには、手が届く。


 だが——全てには、届かない。


 指輪の中で眠る、最後の1バイトを欠いたトークンが、沈黙している。


 ヴィオレッタは、処刑台を見上げたまま、一歩を踏み出した。護衛に引かれるのではなく、自分の足で。鎖が張り、護衛が一瞬だけ怯んだ。


 群衆の罵声が、空気ごと肌を圧した。腐った果物の酸っぱい匂い。石畳の照り返し。巨大スクリーンの灰色の影。


 全てが、ヴィオレッタの設計した世界の上で回っている。


 その世界を、今から奪い返す。


 ——武器は不完全。手札は足りない。通信は途切れ、唯一の部下の生死も知れない。


 それでも。


 ヴィオレッタ・エーデルシュタインの足取りに、よろめきはなかった。


 処刑台の石段が、近づいてくる。

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