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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第23話「宮廷放送局の地下」

 選択肢は、一つしかない。


 ゲートの向こう——赤い術式光が脈打つ隔離サーバー区画。黒装束が三人。鉄槌。短剣。魔力探知。


 正面から突っ込めば、三秒で死ぬ。


 ミレイユは視線を上げた。


 保守通路の天井。石壁と石壁の隙間に、錆びた金属のダクトが走っている。換気用。幅は——肩が通るか、通らないか。


 視線をゲートに戻す。黒装束たちは、第七列の記録棚に取りかかっていた。先頭の一人が結晶を引き抜く。別の一人が鉄槌を振り上げる。


 砕ける音。


 あと一列。


 ミレイユは、左手で天井のダクトの継ぎ目に指をかけた。


 錆びたボルトが、爪の間で軋んだ。皮膚が裂ける感触。痛みはあった。だが右腕のそれに比べれば、痛みがあるだけまだいい。


 感覚があるということは、まだ動くということだ。


 ボルトが一つ外れた。二つ目。三つ目で、ダクトの蓋板が数センチずれた。


 隙間から、埃の匂い。乾いた空気。ダクトの内部は暗く、奥まで続いている。区画の壁を越えて、内側へ。


 ミレイユは左手だけでダクトの縁を掴み、壁面の配管を足場にして身体を持ち上げた。


 右腕が垂れ下がる。邪魔だった。使えない腕が、重力に従ってぶら下がり、身体の重心をずらしていく。


 歯を食いしばった。左腕の筋肉が悲鳴を上げる。


 肘をダクトの内側に引っかけ、腹這いで身体を押し込んだ。金属板が背中を擦り、服の繊維が千切れる音がした。


 ダクトの中は、思ったより狭い。


 仰向けには、なれない。横向きにもなれない。腹這いのまま、左腕だけで這うしかなかった。右腕は身体の下に挟み込んで固定した。でなければ、動くたびに垂れた腕がダクトの壁を叩いて音を立てる。


 金属の味が口の中に広がった。錆と、自分の血の味。ダクトの蓋板を外したときに切った指から、まだ血が滲んでいる。


 這った。


 一メートル。二メートル。ダクトの内壁が体温で温まり、自分の息が反射して顔に返ってくる。酸素が薄い。


 下から、鉄槌の音が響いてきた。


 金属板を通して、振動が腹に直接伝わる。結晶が砕ける衝撃。それが、骨の奥まで届く。


「第七列、完了。残り一列」


 声が、すぐ下から聞こえた。


 ミレイユは這う速度を上げた。肘が金属板を擦り、甲高い音が鳴る。


 止まった。


 息を殺す。


 下の音が、一瞬途切れた。


「……風か。換気系がまだ生きているのか」


 別の声が応じる。


「放っておけ。手前から順に潰す」


 鉄槌の音が再開した。


 ミレイユは、唇を噛んで這い続けた。


 *


 帝都の朝は、灰色だった。


 地下牢の天井近くにある、拳ほどの換気孔。そこから差し込む光の色で、ヴィオレッタは時刻を計っていた。


 薄い灰色。夜明け直後。処刑は正午。


 鉄格子の向こうで、革靴の足音が近づいてくる。一人ではない。三人か、四人。


 鍵が回る音。


「時間だ」


 看守ではなかった。護送兵。帝国紋章の入った胸当てを着けた、無表情な男たち。


 ヴィオレッタは石壁に背を預けたまま、動かなかった。


「立て」


 手枷の鎖が引かれた。金属が石床を擦る音。肩に鈍い衝撃が走り、半ば引きずられるようにして立ち上がらされた。


 牢の外は、松明の明かりだけだった。地下通路を歩かされる。革靴と、自分の素足が交互に石を叩く。


 冷たい。


 その冷たさだけが、まだ感覚を繋いでいた。


 左袖口の縫い目の裏——通信紙片は沈黙したままだ。昨夜から、一度も振動していない。ミレイユからの応答は、ない。


 右手の薬指。銀の指輪の重さ。


 それだけが、まだ「武器」と呼べるものの全てだった。


 地下通路の突き当たりに、陽の光があった。石段を上がり、地上に出る。


 馬車が一台、待っていた。窓のない、黒塗りの箱馬車。囚人護送用。


 護送兵がヴィオレッタの背を押した。


 狭い車内に押し込まれ、向かい側の板壁に背中をぶつける。手枷の鎖が、床の金具に繋がれた。


 扉が閉まる。


 闇。


 馬車が動き出した。石畳の振動が、尾てい骨から背骨を伝って頭蓋に届く。


 ヴィオレッタは目を閉じた。


 通信紙片は、沈黙している。


 ミレイユが成功したのか。失敗したのか。生きているのか。


 知る手段が、ない。


 薬指の銀が、体温を吸わずに冷たいままだった。それが何かの答えであるような気がして、振り払った。


 感傷は、仕様書に載っていない。


 *


 ダクトの終点は、壁だった。


 行き止まり。ミレイユは左手で壁面を探った。指先に、金属のグリルが触れる。排気口。ダクトの出口。


 グリルの隙間から、赤い光が漏れていた。術式光。隔離サーバー区画の内部。


 位置を計算する。ゲートから入って、記録棚が一列目、二列目——ここは奥から数えた方が早い。排気口の角度と距離からして、第八列の天井裏。


 最奥。


 第三鍵の保全庫がある列。


 ミレイユはグリルのネジを左手で回した。指が滑る。血と汗で、金属の溝が掴めない。


 服の裾を指に巻きつけた。回す。一つ。二つ。三つ目で、グリルが外れかけて手元から滑り落ちそうになった。


 咄嗟に押さえた。左手の親指と人差し指の間で、金属板が震えている。


 落とせば、音がする。


 黒装束たちは、第八列に向かっているはずだ。


 ミレイユはグリルを音を立てずにダクト内に引き込み、自分の腹の下に敷いた。


 排気口から顔を出す。


 床までは、約三メートル。だが記録棚は天井近くまで届く高さがあった。棚の最上段の横桟が、排気口のすぐ下——左手を伸ばせば指がかかる位置にある。


 棚には、まだ結晶が並んでいた。無事。


 そして棚の裏側——壁との隙間に、保守用のアクセスパネルが見えた。旧型のコネクタ。ケーブル接続口。


 あそこだ。


 問題は、棚を伝って三メートル下の床まで降りること。片腕で。音を立てずに。


 鉄槌の音が、近づいてきた。第七列の破壊が終わり、足音がこちらに向かっている。


 考えている時間は、ない。


 ミレイユは排気口から上半身を出し、左手で棚の最上段の横桟を掴んだ。


 身体をダクトから引き抜く。一瞬、全体重が左腕一本にかかった。肩の関節が軋む。指の付け根の裂傷が開き、血が棚の木部に滴った。


 足を横桟にかけた。爪先で探り、金属のフレームに引っかける。体重を分散させた瞬間、腕の負荷がわずかに減った。


 降りる。一段。二段。


 棚の結晶が、微かに共鳴した。体重を受けたフレームの振動が伝わったのだ。


 止まった。息を止めた。


 鉄槌の音は、まだ第八列の手前——第七列の残骸を踏み越えている段階だった。足音と、ガラスの破片を蹴る音。


 あと数十秒。


 ミレイユは棚の最下段まで降り、床に足をつけた。音を殺して、棚の裏側に回り込む。


 保守用アクセスパネル。


 蓋は、ただの嵌め込みだった。ロックはない。旧式のインフラだ。誰もメンテナンスに来ないから、施錠する必要がなかった。


 蓋を外す。内部に、埃を被ったコネクタ群と、束ねられたケーブルが見えた。


 ミレイユは腰の工具袋から接続用のプラグを取り出した。これだけは、ここに来る前に用意していた。ヴィオレッタの指示書に「放送局地下の旧保守端末は第二世代コネクタ規格」とあったから。


 左手でプラグをコネクタに差し込む。押し込む。カチリと嵌まる感触。


 接続完了。


 パネルの奥、小さな水晶板に淡い光が灯った。起動画面。旧型のテキストインターフェース。


 文字が流れる。


 ```

 * SYSTEM v2.14 / MAINTENANCE ACCESS   *

 STATUS: DORMANT (last access: 4,211 days ago)

 ```


 四千二百十一日。約十一年。先代公爵の設計を引き継いで、ヴィオレッタがこの区画を改修した頃だ。


 カーソルが点滅している。コマンドの入力待ち。


 ミレイユの指が止まった。


 ここからが問題だった。第三鍵の認証トークンは、通常のディレクトリ構造には存在しない。正規のファイルパスで検索しても、見つからないようになっている。


 ——だって、ヴィオレッタ様が隠したんだから。


 あの人の設計思想。あの人のUI哲学。あの人だけの、癖。


 ミレイユは目を閉じた。


 アーカイブ局で、毎日のようにヴィオレッタの設計したシステムを触っていた。保全技師として。膨大なファイル群の中に、時折——本当に時折——あの人の「署名」のようなものが紛れていた。


 通常のユーザーは絶対に気づかない。管理者でも、気づかないかもしれない。


 ディレクトリの階層構造の中に、一つだけ名前のないフォルダが存在する。名前がないのではない。名前が「空白一文字」なのだ。見た目上は何もない。だが確かにそこにある。


 ヴィオレッタ・エーデルシュタインが、自分にしか見つけられない場所に、最も重要なものを隠すときの——


 ミレイユは目を開け、コマンドを打った。左手の指一本で。


 ```

 > cd /archive/ceremonial/ /

 ```


 スラッシュとスラッシュの間に、全角空白が一つ。


 画面が切り替わった。


 ```

 * HIDDEN PARTITION   *

[AUTH_TOKEN_VAULT]

[FAILSAFE_REGISTRY]

[DESIGN_NOTE_personal]

 ```


 あった。


 ミレイユの視界が、一瞬だけ滲んだ。


 AUTH_TOKEN_VAULT。認証トークンの金庫。第三鍵のデータが、ここに眠っている。


 泣くな。まだ終わっていない。


 左手でコマンドを叩く。


 ```

 > extract AUTH_TOKEN_VAULT --full --route=designation_alpha

 ```


 designation_alpha——ヴィオレッタが通信紙片で伝えてきた送信先座標。処刑台の休眠系統に繋がる、唯一のルート。


 画面にプログレスバーが表示された。


 ```

 EXTRACTING... [██░░░░░░░░░░░░░░] 7%

 ```


 遅い。


 当然だ。十一年間休眠していたシステムだ。処理速度は最低限。だがデータの完全性を優先するなら、これ以上は速くできない。


 鉄槌の音が、すぐ近くで鳴った。


 壁一枚、棚一列。それだけの距離に、黒装束たちが来ている。


 ```

 EXTRACTING... [████░░░░░░░░░░░░] 23%

 ```


 ミレイユは棚の裏側に身を縮めた。パネルの光を、自分の身体で遮る。


 ```

 EXTRACTING... [███████░░░░░░░░░] 41%

 ```


 黒装束の足音が、第八列の入口で止まった。


「最後だ」


 ミレイユの背筋を、冷たいものではなく、熱いものが走った。怒りだった。


 ここまで来て。ここまで、来て。


 ```

 EXTRACTING... [██████████░░░░░░] 62%

 ```


 棚の反対側で、結晶が引き抜かれる音。一つ。二つ。


 鉄槌が振り下ろされる。


 砕ける音が、骨に響いた。


 だが——第八列は長い。最奥の保全庫は、この棚の一番端。黒装束たちは手前から壊している。まだ、届いていない。


 ```

 EXTRACTING... [████████████░░░░] 78%

 ```


 もう少し。もう少しだけ。


「——待て」


 足音が止まった。


「魔力残滓がある」


 ミレイユの左手が、キーボードの上で凍った。


「微弱だ。だが——ここだけ、空気の流れが違う。上か」


 上。換気ダクト。ミレイユが通ったルート。体温と微量の魔力が、ダクト内に残留している。


「排気口が開いている」


 足音が速くなった。棚の端を回り込んでくる。


 ```

 EXTRACTING... [██████████████░░] 89%

 ```


「ネズミがいるぞ。回り込め」


 三つの足音が散開した。一つは棚の左側を回り込む。一つは右側へ。


 そして三人目——金属フレームに靴が噛む硬い音。壊れかけた隣の棚をよじ登っている。横桟を蹴り、最上段に手をかけ、天井付近まで一気に這い上がる。


 鉄槌がダクトに叩きつけられた。轟音。金属板が歪み、ダクト全体が悲鳴を上げるように軋んだ。


 だがミレイユはもうダクトの中にはいない。


 棚の裏。パネルの前。画面の光に照らされた、血と埃にまみれた顔。


 ```

 EXTRACTING... [███████████████░] 95%

 ```


「——そこか!」


 棚の右側から、黒装束の腕が回り込んできた。ミレイユの襟首を掴む。革手袋の指が首の後ろに食い込み、横に引き倒そうとする力がかかった。


 身体が傾いた。左肩が壁に当たり、膝が崩れかける。


 視界の端で、画面が切り替わった。


 ```

 EXTRACTING... [████████████████] 99%

 ```


 その下に、点滅するボタン。


 ```

[SEND]

 ```


 黒装束がミレイユの襟首をさらに引いた。身体が棚から離れようとする。


 ミレイユは引かれる力に逆らわなかった。


 逆らわない代わりに、崩れ落ちる身体の重さごと、左手を前に突き出した。


 膝が折れ、上体が前のめりに倒れる。襟首を掴む手が引く方向と、重力と、自分の最後の意志が、一瞬だけ三つ巴になった。


 その均衡が崩れる前に——


 左手の指先が、水晶板に触れた。


 血が画面を汚す。


 ```

[SEND]

 ```


 叩いた。


 ```

 TRANSMITTING...

 ```


 送信バーが走り出した瞬間、襟首を掴む力が加速した。身体が横に引き倒され、パネルの前からもぎ離される。左手の指が水晶板の表面を擦り、爪が欠けた。


 うつ伏せに叩きつけられた。砕けた結晶の破片が頬と顎に食い込む。肺の空気が全部潰れた。


 背中を踏まれた。靴底が肩甲骨を押さえつけ、床に縫いとめる。


 別の足音。パネルに向かう。


 鉄槌が振り下ろされた。水晶板が割れる音。澄んだ、高い音。それから、コネクタが歪む鈍い音が続いた。


 パネルの白い光が消えた。


 区画に残ったのは、術式光だけだった。砕けた結晶の破片が床に散乱し、その一つ一つが赤い光を拾って鈍く明滅している。壊れた棚の残骸が影を落とし、黒装束の輪郭を赤く縁取っていた。


 ミレイユは頬を床に押しつけたまま、壊されたパネルの方へ目を向けた。


 水晶板の残骸。割れた表面に、もう文字はない。送信バーが最後にどこまで進んだのか——見届ける前に、画面は砕かれていた。


「始末しろ」


 黒装束の声が、頭の上から降ってきた。


 短剣の切っ先が、うなじに触れた。冷たい金属。赤い術式光が、刃の側面に細く映り込んでいる。


 ミレイユは目を閉じた。


 ——ヴィオレッタ様。


 届いたかどうかは、わからない。


 でも、叩いた。ちゃんと、叩いた。


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