【第十三章:内部汚染(Internal Contamination)】
アグノテウム中央政庁――その中枢に位置する統合評議会室。
六圏の代表が席に着くよりも前に、すでに緊張だけが先に集まっていた。
静寂ではない。
“今日は何かが動く”ことを、誰もが本能で察していた。
円形の会議卓を囲み、抑えられた照明と無音の空調の中、
ホログラフィック投影が淡い光を放つ。
模擬戦中の戦闘ログ、物流記録の断片、
そして記録上は存在しない搬入ルートの異常検知。
重苦しい沈黙を破ったのは、アストラニア評議を代表する
アリオス・メルカンディア議長だった。
彼女は形の良い手をホログラムへとかざし、浮かび上がる地図と数値を示す。
「当圏の外交物流ラインにて、未登録の搬入ログが三件確認されました。
発信元は不明、搭載便も未申請。
時期は……ドラウスト圏内で発生した模擬戦と完全に重なっています」
言葉を切ると、視線が自然に一点へ向かう。
そこには無言で腕を組む大男の姿があった。
カルナ=ゼルヴァ域の代表、ダルガン・モルク。
元労働監査官にして、廃棄炉爆発から十名を救い出した伝説を持つ男。
「模擬戦に行き過ぎがあったのは事実だ」
ダルガンは重く口を開く。
「だが、だからといってそれが保守派の陰謀だと? 言葉が軽いな」
次いで、ドラウスト圏の代表ヴァルグ・サリオン
「……議長、私からも一言。我がドラウスト圏は確かに保守的だ。秩序なき技術の暴走には断固として反対する。だが、我々はそれ以上に『軍としての理』を重んじる。……我々ドラウストの武人は、自身の肉を断ってまで血肉を敵陣に捧げるような、理を欠いた真似はしない。 ダルガン殿、貴殿が用意するという兵力に、その『理』と『透明性』はあるのか?」
会議卓を囲む誰もが言葉を探す
「……まさか、セリグマと通じているのではあるまいな?」
スフェル=ヴェリス宙帯の代表ルーネ・キアルが、仮面のような無表情のまま冷徹な疑念を突きつけた。
その問いに、議場は一瞬にして凍りつく。
ダルガンは目を細め、低く言い捨てた。
「――あんな“神の犬”共と? ……冗談も程々にしろ」
その否定には、信仰も理念もなかった。
ただ、現実を泥の中で這いずりながら背負う者の、乾いた怒りだけがあった。
沈黙を破り、重厚な金属の軋みと共に身を乗り出したのは、ドラウスト圏の代表ヴァルグ・サリオンだった。
「議長、私からも一言。我がドラウスト圏は徹底した実用主義と戦略合理を重んじる。秩序なき技術の暴走には断固として反対だ」
ヴァルグは鋭い眼光でダルガンを射抜く。
「だが、我々はそれ以上に『武人の理』を重んじる。……我々ドラウストの兵は、自身の肉を断ってまで血肉を敵陣に捧げるような、理を欠いた真似はしない。 ダルガン殿、貴殿が用意するという兵力が、理を外れた“野良犬”の集まりではないと、誰が保証する?」
「軍人らしい言い草だな、ヴァルグ殿」
ダルガンは鼻で笑い、静かに、しかし確かな圧力を持って言葉を返した。
「貴殿らの言う『理』とは、壁に守られた清潔な兵舎の中でだけ通じる贅沢品だ。現場の労働者にとっては、明日のパンも、肺を焼く冷却材の霧も、貴殿らの戦略図には載らん『誤差』に過ぎない。その誤差を埋めるために、誰が血を流していると思っている?」
「何だと……!?」
ヴァルグが椅子を蹴るようにして立ち上がり、声を荒げた。
「貴様、アグノテウムの航路を守るために命を懸けている我が軍の献身を、現場の不手際と同列に語るつもりか! そのような無法な理屈が、この神聖な評議会室で通ると思うなよ!」
ヴァルグがさらに一歩踏み出そうとしたその時、議長席から硬質な音が響いた。
「そこまでにしなさい、サリオン代表」
アストラニア評議会議長、アリオス・メルカンディアが、静かな、しかし有無を言わせぬ制止の声を上げた。
「ここは感情をぶつけ合う練兵場ではありません。我々に求められているのは、六大圏の調和と、アグノテウムの存続のための対話です。着席しなさい」
ヴァルグはなおもダルガンを睨みつけていたが、議長の威厳に押されるように、忌々しげに息を吐いて席に戻った。 議場に、重苦しく、耳を突き刺すような静寂が戻る。
その静寂を吸い込むように、ダルガンがゆっくりと立ち上がった。 椅子の軋む音が、冷たい空気の中に不気味に響き渡る。
彼は、議場の中央で淡い光を放ち続ける「最新技術の結晶」たるホログラムを見つめた。
そして、誰に問うでもなく、心の底から搾り出すような声を落とした。
「……技術の進歩が人類を豊かにした、と言うのか?」
彼の瞳に怒りはない。あるのは、積み上がった事実の重みだけ。
誰もすぐには答えられなかった。
「ならば聞こう。
カルナ=ゼルヴァ域の採鉱層で、
今も冷却材の霧に咳を噛み殺して作業する者たちは、それで報われたか?」
彼の瞳に怒りはない。
あるのは、積み上がった事実の重みだけ。
「最新の整流炉が導入されてから、過負荷事故が三件起きた。
“作業効率の向上”という名目で、マニュアルが簡略化された結果だ。
記載のない手順に巻き込まれた少年が、機械に潰されて死んだ」
感情を荒げることなく語られるその内容に、
議場の温度が一段下がった。
反論できない――いや、してはならない、と誰もが悟る。
「進歩の代償は、常に“現場”に押しつけられてきた。
光の中で理想を語る者たちは、
死と背中合わせで働く者たちを“効率”と呼ぶ。
……それが、お前たちの言う未来か?」
卓に落とされた拳の音が、硬質な空間を震わせる。
「我々が守りたいのは、“支払える範囲の未来”だ。
秩序なき進化ではなく、“耐えうる明日”だ」
その言葉は重く、議場を完全に支配した。
軍務局長官が慎重に口を開く。
「……では、その未来を監視する部隊は、誰が用意する?」
誰も答えられない。
追加の兵力など、どの圏にも残っていないからだ。
沈黙を破ったのは、またダルガンだった。
彼はまるで、最初からこの瞬間を待っていたかのように言った。
「我々が担う。
……兵力は、カルナ=ゼルヴァ域が用意する」
議場に波紋が走った。
息を飲む音がいくつも重なる。
スフェル=ヴェリス宙帯の代表アレクトが険しい声で噛みつく。
「……まさか、セリグマと通じているのではあるまいな?」
その疑念に、ダルガンは目を細め、低く言い捨てた。
「――あんな“神の犬”共と?
……冗談も程々にしろ」
その言葉に、信仰も理念もなかった。
ただ、現実を背負う者の冷たい怒りだけがあった。
彼の“兵力提供”が救いなのか、あるいは新たな火種なのか――
その答えを、この場にいる誰ひとりとして判断できなかった。
会議は続く。
しかし、議場を満たしていた空気は、もう平穏ではなかった。
クラウンから戻った一行を迎えたのは、ネルヴェリア機構の異様な静けさだった。
Dev-3の足元を、白銀の冷却床が微かに軋ませる。
情報局からの正式な報告指示はまだなく、艦隊司令部は“会議明けの調整”に追われているらしい。
リアナがつぶやく。
「……今日だけで、いったい何がいくつ動いたんだろ…」
「おそらく、その答えはまだ俺たちには届いていない」
ユルクが冷静に返す。
だが、その言葉の裏側で――機構内部に、確かな“異物”が入り込んでいた。
搬入口の向こう。整備エリアを抜ける通路に、見慣れぬ人影が数名。
肌焼けし、工務服は煤け、錆びついた識別タグをぶら下げている。
ネルヴェリアの技術者には見えない。
カイルが眉をひそめた。
「……おい、あれネルヴェリアの連中じゃねえぞ?」
シオンも視線を向け、すぐに理解した。
――この空気、知っている。
クラウン裏通りで感じたものと同じ、“規格外”の気配。
その先頭の男が、施設監督と笑顔で握手を交わした。
制御扉が開き、堂々と内部区画へ通されていく。
リアナの声が低くなる。
「……入っていく?それも、堂々と...。ネルヴェリア機構の認証が、あの人たちを『正規』だと認めてるの……?」
誰も答えられなかった。
むしろネルヴェリアの技術者の一部は、
彼らに“まるで旧友のように”接している。
その背後の暗がりから、さらに影がひとつ。
――ガイル・ヴォルグ。
クラウンで遭遇した、あの男だった。
彼の足取りは落ち着いている。
だが、その瞳には獣の警戒の色が宿ったままだ。
シオンと視線が交差する。
わずかに――ほんのわずかに、口角が上がった気がした。
すぐに目を逸らし、施設の奥へ消えていく。
シオンは思わずつぶやく。
「……スカーヴァンが……ここに?」
呟きは格納庫の冷気に飲まれた。
だが、それが錯覚でないことはすぐに理解する。
整備区画の奥――
バリアゲート越しに、三つの影が鎮座していた。
「……おい、なんだよ、ありゃ……」
カイルの声には、珍しく軽口がなかった。
「……っ、あの機体……!」
シオンの喉が、無意識に渇いた。
剥げた塗装。溶接痕だらけの関節。
規格の違う武装アーム。左右非対称の脚部。
見紛うはずがない。クラウンの闇で、自分たちのソルディギアを圧倒した、あの左右非対称の醜悪なシルエット。
整備灯の下で晒されたその姿は、戦場で見た時よりもさらに禍々しく、剥げた塗装や生々しい溶接痕が、ネルヴェリアの清潔な空間を侵食しているように見えた。
「おい、冗談だろ……。あのボロ布を纏ったようなギアが、なんでここに並んでるんだよ」
カイルの声には、いつもの軽口がなかった。
かつては「骨董品」と吐き捨てたはずのパイロン・ギア。
しかし、目の前に居座るそれは、もはや単なる旧式機ではなかった。
戦場を生き抜いてきた者だけが纏う、重苦しい「意志」の塊。
それが今、ネルヴェリアの最新鋭機と同じ光を浴び、まるで新たな主人のように静まり返っている。
リアナが息を呑む。
「……もういい、行きましょう。グラン大尉のところへ。
このまま見てるだけじゃ、埒があかないわ...」
誰も反対しなかった。
緊張はまだ言葉にならず、じわりと背中を押していた。
――ヴァルゲイン。
その名を、この時点で知る者はいない。
だが、“何かが侵入してきた”という感覚だけは、確かにそこにあった。
ネルヴェリア基地内。
第二試験中隊所属・Dev-3小隊の艦へ戻ったシオンたちを迎えたのは、
薄暗い照明と、モニターに流れ続ける慌ただしいコードログだった。
ブリーフィングルームの扉が開く。
「……戻ったか」
グラン大尉の低い声。
隣には副官のダリオ・レーンが腕を組んで立っていた。
その表情は、いつもより険しい。
「座れ。状況が変わった」
シオンたちが席につくと、
グランは艦回線を操作し、中央ホロモニターに六大圏の紋章を投影した。
「六大圏評議会で、“緊急判断”が下されたらしい。
ただし――通達はカルナ=ゼルヴァ側から一方的に届いたものだ。
現段階で、正式な発令文書は存在しない」
リアナが問い返す。
「……つまり?」
ダリオが静かに補足する。
「表向きじゃなく、“裏側の意志”が動いてるってことだ」
グランは、さらに言葉を続けた。
「新たに“技術監査部隊”が編成された。 ……お前たちも、ここへ戻る際に搬入口で見かけたはずだ。あのネルヴェリアの規格から外れた連中をな」
カイルが椅子に寄りかかったまま、眉をひそめる。 「……まさか、さっきの薄汚ねぇ連中が……あのスカーヴァンどもが、そうなのか?」
グランは頷いた。
「“ヴァルゲイン隊”――それが与えられた部隊名だ」
空気が重く張り詰める。
「名目は“技術監査”。
だが実態は……元軍人、傭兵、そしてスカーヴァンの戦闘残党を再編した即応部隊だ。
指揮系統は曖昧だが、実質的には保守派の裁量下にある」
シオンの声が低く漏れる。
「それで……あいつらが、ネルヴェリア機構に?」
ダリオが頷く。
「技術協力を名目に、現在すでにネルヴェリア施設内で
“機体の整備と規格改修”に着手している」
「……そんなの、ありかよ……」
カイルが呟く。
怒りではない。
呆れと、不信と、理解不能の入り混じった声。
グランは重く言い切った。
「――ありなんだよ。今の体制ではな。
通達が正式化されれば、我々は何も言えなくなる」
リアナは口を閉ざし、指先を固く握りしめていた。
誰も次の言葉を持てない。
ただ――
“異物が入り込んだ”という事実だけが、
小隊全員の胸に、静かに、そして確実に重く沈んでいった。




