【第十章:未定義の光(Undefined Light)】
アグノテウム中央評議区――。
統合軍本部の地下に設けられた“臨時戦略合同評議会室”は、
ふだんの政治会議とは異なる張りつめた空気に満ちていた。
巨大な円卓を囲むのは、六圏を代表する重鎮たち。
軍上層部、ネルヴェリア機構の技術責任者、そして元首ルセリオ・アレヴァート。
壁面スクリーンでは、ドラウスト宙域での模擬戦映像が無音で流れ続けている。
アークラのギアが出現し、数秒で三機を葬った瞬間。
そして――イマジディアが“応じるように”高出力を引き上げた一幕。
重い沈黙の中、会議は始まった。
秘書官セファ・グレイスが、会議中央に立つ。
中立的な進行役として選ばれた彼女の声だけが、静寂に溶けた。
「――本会議は“アークラ接触事案”および“共鳴反応”についての緊急協議とします。
議題は三項。
一、未確認敵性ギアとの交戦記録
二、試験機イマジディア/I.E.S.S技術の危険性評価
三、現場規律および作戦運用に関する処置」
発言権を示す光が円卓の周囲をゆっくり回り、まずはネルヴェリア機構側で止まった。
白髪混じりの技術参謀、フェリオ・エルグラフ中尉が立ち上がる。
理論派で知られながらも、今回は珍しく険しい表情を浮かべていた。
「……今回の反応を“想定外”と呼ぶのは、甘さでしょう。
I.E.S.Sは、エネルギー波形が未完成の段階で実戦投入されました。
アークラとの共鳴は偶然ではあり得ません。
私は――当面の凍結措置を提言します」
発言直後、円卓の空気がわずかに揺れた。
自然保護を掲げるエレウセア圏代表、リュア・セリシェルが続く。
彼女は映像を見つめながら、抑えきれぬ怒りをにじませた。
「これは“兆候”ではありません。
あの機体は、アークラを引き寄せる。
宇宙の均衡を乱す技術は、人類の敵です。
封印こそ唯一の選択肢です」
背後の補佐官たちが緊張に息を呑む。
その隣、カルナ=ゼルヴァ代表ダルガン・モルクが静かに頷いた。
「我々の域は、改革政策によって資源管理が締め付けられた。
今度は宇宙そのものが危険に晒されるとなれば、国として容認できない。
――封印に同意します」
保守派二圏の意思が重なると、室内には圧力に似た重みが満ちた。
続いてドラウスト圏代表、ヴァルグ・サリオンが椅子を引いた。
硬い声が響く。
「……ヴァーグ中尉の件は、本国として深く反省する。
だが、今回の交戦で敵を押し留めたのは、イマジディアだ。
技術の未熟は兵で補える。
封印より継続こそ現場のためだ」
エレウセア席から小さく舌打ちが漏れる。
通信文化を司るスフェル=ヴェリスの局長、ルーネ・キアルが静かに手を挙げた。
「私たちが恐れるべきは、技術そのものではなく“判断の偏り”です。
現時点で確証のない“宇宙全体への危険”を決定材料にするのは、
むしろ情報制御として危険です。
――公開下の議論である以上、客観的証拠を重視すべきです」
その声は、混乱を抑え込む水のように会議室を冷やした。
続いて改革派の中心、アストラニアの議長アリオス・メルカンディアが立つ。
「我々が積み上げた科学技術は、未知を恐れぬ意思の結晶だ。
アークラが脅威であるほど、
技術は後退ではなく前進を選ぶべきだ」
保守派席がざわつき、セファが軽く手を上げて制止した。
保守派は一斉に声を上げた。
「前進が滅びを招く!」
「他園の技術の暴走に我々を巻き込む気か!」
「ドラウストの不祥事を改革の口実にするな!」
改革派も負けじと言い返す。
「恐怖で止まれば、アークラに対抗する術がなくなる!」
「ネルヴェリアの技術を活かさずして、何を守れるという!」
「保守派こそが未来を閉ざしている!」
円卓は、派閥が露わになった瞬間、完全に“政治戦場”の様相を呈した。
セファ・グレイスが机を軽く叩き、声を張る。
「静粛に。議題は“思想批判”ではなく“技術の扱い”です」
しかし沈黙は、ほんの数秒しか続かない。
そのとき――元首ルセリオ・アレヴァートがゆっくりと立ち上がった。
室内の喧騒が、吸い込まれるように止まる。
彼の表情は、怒りでも高揚でもない。
ただ深い覚悟だけが宿っていた。
「封印か、希望か――」
低い声が、円卓全体に響く。
「人類は、技術に滅ぼされたのではない。
技術を恐れて、制御を怠ったから滅びたのだ。
破壊を恐れて後退すれば、アークラに飲み込まれる未来しか残らない」
スクリーンに映るイマジディアの姿が、光に照らされる。
「我々が恐れるべきは“過去”ではない。
今ある光を見逃すことだ。」
彼は短く息を吸い、宣言した。
「――I.E.S.S搭載機イマジディア。
その運用を“限定的に継続”とする。
本部承認下でのみ出撃を許可し、同時にネルヴェリア機構へ全面調査を要請する」
その決定は、賛否を問わず、絶対だった。
セファが閉会を告げると、代表たちはそれぞれの思惑を胸に席を立った。
保守派の席には怒気が残り、
改革派は胸を撫でおろしながらも緊張を解くことはない。
ネルヴェリアの参謀たちは、重い責任を肩に感じながら資料を抱えていた。
そのすべての視線が一瞬だけ、スクリーンに映る一機――
“虚構式”イマジディアへ向けられる。
人類を救う光か。
それとも――宇宙を揺るがす危険か。
答えは、まだ誰にもわからなかった。
議場を後にしようとするフェリオ・ゼルト中尉の前に、
エレウセア圏統括官――リュア・セリシェルが静かに歩み寄った。
「フェリオ中尉。あなたの発言には一貫した技術的筋道がありました。
……もし今後、我々と歩調を合わせる意思があるなら、エレウセアとしても協力を検討しましょう」
柔らかく装ってはいるが、その瞳には確かな“勧誘の色”が宿っていた。
フェリオは一拍置き、淡々と返した。
「私は技術に基づいた意見を述べただけです。
思想や派閥の力学に与するつもりはありません」
リュアの眉がわずかに動く。
それは失望か、あるいは警戒か――判断がつかないまま、彼女は踵を返した。
代わって近づいてきたのは、ネルヴェリア機構の代表、ケル・ザナフだった。
「……中尉、今日はすまなかったな。
本来なら部門長級の会議だ。中尉を呼ぶのは異例もいいところだが……」
フェリオは姿勢を正し、短く首を振る。
「いえ。必要と判断されたなら、責務です」
ケルはその律儀さにかすかな笑みを浮かべ、声を落とした。
「今回の件で、数カ所の研究部門に“追加予算”を回した。
イマジディアと I.E.S.S――強化開発を進める。
……君の評価は、上層でも信頼されているよ」
その言葉に、フェリオの瞳がわずかに揺れる。
ネルヴェリアの技術が評価される喜びではない。
“これから起こること”の重さを悟った揺らぎだった。
「……どうか、光を導く技術であってほしいですね」
その呟きは、誰に向けられたものでもなく、
会議室の冷たい空気へと静かに溶けていった。
あれから、Dev-3は監視対象となり、しばらくはドラウスト圏での待機を命じられている。
カイルやリアナは、以前と変わらない調子で日々を過ごしている。
気を張っているのか、本当に“いつも通り”なのか――俺にはまだ判断がつかない。
ダリオ先輩はあちこちの中隊に呼び出されては質問攻めにあい、やたらと忙しそうだった。
グラン隊長は報告業務に追われ、ほとんど姿を見かけない。
……本当に、申し訳なく思う。
――そして、俺はというと。
周囲からの視線は冷たかった。
背中に刺さるような監視と、遠巻きに潜むささやき声。
“厄介な存在を見る目”だというのは、言われなくても分かった。
「……また監視対象が出てきたぞ」
「例の試験機か。イマジディア……なんで軍はあんなものに」
「チッ、あいつら調子に乗ってんな」
聞こえないふりをしようとしても、耳が拾ってしまう。
その空気を察したのか、ユルク・バレンタが不機嫌そうに眉を寄せる。
「は? あいつがいなきゃ今ここにいねぇんだよ。口の利き方に気をつけろ」
前に出ようとしたユルクを、ジュリ・メイアが肩に手を置いて止めた。
「……でも、そう見られるのは仕方ないのかもね。
私たちは“異常”のそばにいる。それが事実なら、周りが警戒するのも当然だよ」
ユルクは悔しそうに唇を噛んだが、それ以上は言わずにその場を離れた。
その冷たい空気の中で、俺はただ立ち尽くしていた。
そんな俺の横へ、足音が近づいてくる。
「……まだ、ここに居られるんだってね」
声をかけてきたジュリは、さっきまでの張り詰めた格納庫とは対照的に、柔らかく微笑んでいた。
「肩身は狭いかもしれないけど……私たちは気にしてないよ。ね、ユルク?」
隣で腕を組んでいたユルクが、そっぽを向いたまま短くうなずく。
「まぁ……本当にヤバい奴だったら、もうとっくに殴ってる」
「それ……褒めてるのか?」
「褒めてんだよ」
ジュリがクスッと笑う。
「今ちょうど食堂に行くところだったの。よかったら一緒にどう?」
俺が頷くと、そのまま自然に三人で歩き出した。
──食堂に入った途端、背後から弾けるような声が響いた。
「ちょ、ちょっと待ってシオン!? なんでジュリさんと一緒に!? えっ、そういう流れ……?」
振り返ると、目を丸くしたリアナが慌てて駆け寄ってくる。
「……俺もいるんだけど?」
ユルクがムッとした声で口を挟むと、ジュリが小さく笑った。
「あ、ごめんユルク。ちょっと影が薄かったかも?」
「おい」
「冗談だってば」
リアナは焦ったように両手を振る。
「わ、私も一緒に行くからね? 別に変な意味じゃなくて!」
そんなやり取りをしていると、遅れてカイルが現れた。
「はいはい、青春してんなぁ。技術班ってこんなに騒がしかったっけ?」
「うるさい、カイル!」
「事実やんけ」
やかましいほどのやり取りなのに、不思議と胸の奥が少し軽くなる。
……気づけば、周囲の冷たい視線なんて、いつの間にか忘れていた。
「……ありがとう。みんながいてくれて、助かるよ」
ジュリは優しく笑い、ユルクはそっぽを向いたまま「勝手に助かれ」と呟く。
リアナは小さく俯きながら、どこか嬉しそうだった。
――この日常は、一瞬かもしれない。
だけど、それでもいい。
確かに“ここにいる”と感じられるなら。
シオンは、基地の宿舎に戻った直後、突然の呼び出し通知を受け取った。
差出人はネルヴェリア機構本部。
指定された場所は、軍司令ブロックの一室──通常、少尉の立ち入る領域ではない。
重厚な扉が並ぶ静かな廊下を進む。
このエリアに漂う張り詰めた空気は、軍務とはまた別種の緊張を帯びていた。
呼び出し先の部屋が開くと、中にいたのはネルヴェリア機構の技術代表、ケル・ザナフ大佐だった。
「来てくれてありがとう。……少尉をこの層に呼ぶのは本来筋違いだ。だが今回は、私個人の用件でもある」
シオン少尉は軽く頭を下げ、勧められた椅子に腰を下ろす。
ケルはデータパッドを閉じ、穏やかな視線を向けた。
「……君のイマジディアには、これからさらに注目が集まる。
だがその視線の多くは、“期待”と同じくらい“恐怖”や“疑念”を含んでいる」
「……はい」
短く答えながらも、シオンの胸には確かに重いものが沈んでいた。
ケルは続けた。
「それでも乗り続けるというなら──私は技術者として、いつでも君を支える。
それが君自身の“意思”であるのなら」
シオンの視線が揺れる。ケルはそれを正面から受け止めた。
「フェリオ中尉が言っていた。
『妄想じゃなかった』とな。……私もそう思う。
その力には、確かに希望がある。
だが、それを証明するのは“機体”じゃない。“君”だ、シオン・エイセル少尉」
呼吸がひとつ深く落ちる。
名を静かに呼ばれたその瞬間、胸の奥で何かが確かに形を変えた。
シオンはまっすぐ前を向き、言葉を結んだ。
「……俺は、証明してみせます」
ケルは静かに頷いた。
* * *
──深夜。
格納庫はすでに無人だった。
ただ夜間灯だけが長い影を落とし、その中心にイマジディアが佇む。
その姿は、まるで暗闇の中で呼吸しているかのようにすら見えた。
シオンはその前に立ち、しばし見上げて動かなかった。
(あの時……たしかに、通じた気がした)
脳裏に浮かぶ“滅び”の声。
敵の言葉だったのか、それとも別の何かなのか──答えはない。
考えるほどに、胸の奥に波紋が広がっていく。
「……それでも」
彼はそっと手を上げ、イマジディアの胸部装甲に触れた。
金属の冷たさの奥に、微かな温度を感じた。
「この力が……“前に進む”ためのものであってほしい。
そう願ってるんだ」
応える声はない。
ただ静かに、機体は彼の掌を受け止めていた。
「……ありがとう」
夜気に溶けるほどの小さな声で呟き、シオンは手を離す。
その横顔は、ほんの少しだけ影が晴れたように見えた。
彼はゆっくりと格納庫を後にした。
足取りは──確かに前へ進んでいた。




