決戦
(決戦の日 早朝 侍女長の部屋)
「おはようございます。侍女長さま」
「ああ、いらしたのですね姫。そこにお座りなさいませ」
侍女長はうんざりした表情を隠そうともせずにセーラを見た。
情報収集は大事な仕事だが、話が要領を得ず、だからと言って声を荒げれば怯えて使い物にならなくなるセーラは厄介な相手なのだ。
セーラを相手に話を引き出すのは、敵から情報を引き出すよりも何倍も神経を使う。
セーラは隠すどころか、懸命に情報を伝えようとしているのだが。
この姫の祖父が賢者と名高いノア老公、世の中は皮肉なものだ。
侍女長はそう考えた。
「あの、宝剣だそうです」
セーラが唐突に言った。いつもの事である。
「宝剣ですか?姫、何の話をしていたのです。皇帝陛下は?」
「お祖父さまに預けたそうなんです。それがとても大事だと仰っていました」
「姫はその宝剣を見たことがありますか?」
セーラは首をブンブンと振った。
「私はお祖父さまのお部屋に入ったことはありません。
あのお部屋には入ってはいけないのです」
「つまり宝剣は見たことが無いのですね。それならそう言えばよろしいのですよ」
「申し訳ございません」
これくらいの注意でもうセーラはすくんでしまう。
侍女長は殊更にやさしげな声を出した。
「その宝剣はどうして大事なのですか」
「あの、ひとつしかないのです。証だって仰いました」
「姫、よおく思い出して下さい。大事な事ですよ。
宝剣は何の証なのですか?」
「信頼とか預けるとか……。政に必要だとか。証明できるとか。えーと。ノアだから持つことができたけどシーフは駄目だって。返してもらわないとって言ってました」
侍女長は宰相がノアがアーサー皇帝から下賜された宝剣を手に入れた話を思い出した。城一つ分の価値がある宝剣だと言っていたが、それどころではなかった。
あの宝剣は皇帝の信任の証であり、必要なら政治に使えるらしい。
もしかしたらいざという時には皇帝の代行をする権限が、あの宝剣には与えられているのかも知れない。
侍女長はほくほく顔でセーラに言った。
「よく分かりました。姫は戻ってお休みなさい。
正午の祭典には姫も参加しなければなりません。
分かりましたね」
「はい、侍女長さま」
セーラはそう言って美しい礼をしたが、その顔に密かな満足が浮かんでいた。宰相はこれでジークフリートがシーフに預けた始祖の剣を万人の面前に持ち出すだろう。
侍女長の去る姿にセーラは冷たい声で呟いた。
「さようなら侍女長。もうお会いできないと思うと少しさびしいわ」
そう言って奈落に落ちるであろう侍女長を見送った。
(同日 一時間後 宰相宮)
宰相はシーフから贈られた宝剣を、何度も見返していた。
実に見事な宝剣だが、この宝剣に法的な権限が与えられているとは知らなかった。
ノアは一度も、この宝剣を余人に見せたことが無かったが、そう言う理由だったと思えば納得できる。
アーサー皇帝が今わの際にノアに宝剣を与えたことは、噂になったが、そのことについてもノアは一言も喋らなかった。
だからその話さえ眉唾かと思っていたのだが、宝剣は実在した。
あんなに欲していた伝家の宝刀を、実はもう手にしていたのだ。
この宝剣を振りかざせば、私が政をすることを阻むことは出来まい。
あの暗君でも不可能だ。
何しろ、この宝剣にはいざという時は皇帝代理の権限まで与えられていたのだから。
アーサー皇帝とノアの絆はよく知られていたから、万が一に備えてアーサー皇帝がノアに後事を託したと考えても可笑しくはない。
宰相はその宝剣を携えて正々堂々権力を握ろうと考えた。
そうして勝利を確信し、酔いしれるように宝剣を眺めていた。
(同日 正午 正殿大広間)
ジークフリート皇帝は正殿大広間の玉座に座っていた。
ジークフリートの元には昨夜のうちに始祖の剣が盗まれたという報告書と、その証拠の封蝋が届けられていた。
念の為に保管庫の責任者も呼んである。準備は整っているのだ。
勿論その始祖の剣はシーフによって二か月も前に、既に宰相の手元に届いていたのだが。
後は敵が罠に落ちるのを待つばかりである。
セーラはそこからかなり離れた場所に、それでも席を設けられていた。
ちんまりと大人しく座っているセーラに目をくれる者もいない。
それどころではないのだ。
今日は宰相が正式に摂政となって、権力の中枢を担うのが決定される日だ。
貴族会議の面々は、これからは甘い汁が吸えるとニマニマしていた。
真面目な顔をしようとしても、顔が緩んでしまうのだ。
式典が始まり皇帝が皆を労うために立ち上がり声をあげようとした瞬間、それを大音声が遮った。
「お待ちください。皇帝陛下。申し上げたき儀がございます」
「余の話を遮るとは、宰相、いかにそなたであろうとも無礼ではないか」
「残念ながら陛下。貴方に政を司る資格はございません。
昼日中から寵姫にうつつを抜かし、夜は酒を飲んで酔いつぶれる。皇帝とは名ばかりの愚者。私はこのような時の為に既にこの宝剣を預かっております」
宰相は宝剣を捧げ持った。
幾人かの老貴族はその宝剣を知っているらしく、息を呑んでその宝剣を見つめている。
皇帝ですら声も出ないように、じっと宝剣を見つめていた。
やはりそうだったのだ。この宝剣には大きな意味があった。
宰相はいよいよ声を張り上げようとしたとき、皇帝が叫んだ。
「どういう事だ。それは皇帝しか持ちえぬ始祖の剣。皇権の証であるぞ。
保管庫の責任者をここへ呼べ」
その声にこたえて一人の文官が進み出た。
「申し訳ございません。保管庫の点検は三月ごとに行われます。
前回あったはずの始祖の剣は昨日紛失が確認されております。
何者かが盗みだしたものかと。封蝋が剥がされておりました。
既に証拠は提出致しております」
「あい、分かった。下がるがよい」
皇帝は宰相を睨みつけた。用意していた証拠を宰相に投げつけた。
「昨日『始祖の剣』紛失の報告を受けておった。
何奴が皇帝しか持ちえぬ剣を盗みだしたかと思えばそなたであったか!
誰かこの者を捉えよ。皇位簒奪を企てた謀反人。国家反逆罪であるぞ!」
その玉音に応えるべく、貴族たちを完全武装した騎士団が取り囲んだ。
どこに潜んでいたものか。
宰相の手ごまであった衛士たちの姿はどこにもない。
騎士と漆黒の梟達が一斉に捕縛に向かう。
ダンテ元帥が姿を現した。
「宰相閣下、いや、反逆者を閣下とは呼べぬ。ヨーク卿、大人しく縛に就くがよい。既にそなたの館、宮の捜索を始めている。縁者共は獄についた。後はお前だけだ」
「違う、違う。これはアーサー皇帝の宝剣だ。始祖の剣などではない。私は皇位なぞ狙ってはいない。摂政になればそれでいいのだ。誰が皇位を望むものか」
「フィクトス公爵にお尋ねする。ノア老公がアーサー皇帝から下賜されたという宝剣、誠に存在するのか?」
シーフが姿を現した。
「元帥閣下のお尋ねとあらば、お答えいたしましょう。アーサー皇帝は常に戦いの先頭に立たれたお方。宝剣などを作られたことすらございません。
アーサー皇帝の宝剣などは世迷い事。
ただし愛刀を父であるノアに下賜したのは事実。下賜された刀は此処にある。
十五年の間は父の腰に、今は私の使う鉄剣、これがその剣でございます」
シーフは腰にさした刀をすらりと抜いた。
切れ味だけを重視したような、飾り気のない剣。
その剣ならば、ノアの剣帯にあったと貴族たちは思い出した。
「皇帝陛下。こちらがヨーク卿が行ってきた不正の証拠。お改め下さい」
シーフは書類の束と地図、いくつかの鍵束を皇帝に捧げた。
「なるほど、さすがに反逆を企む者共だ。これ程の犯罪を行ってきたとは。
シーフ公。他にも犯罪に加担した者もいよう。委細漏らさず調べあげるがよい」
「御意」
シーフは貴族会議の面々を睨みつけた。
「大人しく捜査にご協力頂きたい。家名を存続させたいのならば」
シーフの覇気に皆は身震いした。
これがこの男の本質だったのか。
ペコペコと宰相の太鼓持ちをしていたのは、擬態であったのだ。
しかも対立していたシーフとノアは実に気楽に会話している。
何もかもが嘘だった。
貴族会議の面々はへなへなと崩れ落ちた。
「シーフ貴様!よくも私を騙したな。この卑劣な男め」
「なんのことでしょう、ヨーク卿。
その剣がアーサー皇帝の宝剣だなどと、私は一言も言ってはいない。
そなたが勝手に言い立てただけであろう」
確かにあの時、ノアは宝剣を見せただけだ。
あれをアーサー皇帝の宝剣と思い込んだのは自分であった。
宰相はがっくりと肩を落とした。
しかも余程腹に据えかねていたのか、シーフは宰相をヨーク卿と連呼する。
宰相は目がまわるような気分だった。
しかも、もっと気分が悪い事がおきた。
皇帝が宣言したのだ。
「丁度良い。我が国の未来の皇后を紹介しよう。
フィクトス公爵家の娘セーラだ。
セーラは聖女でもある。既に神殿での登録は済んでいる。
明日から、セーラも神殿で治癒の施しを始めるだろう。
セーラ、場が乱れた。少し整えてくれるか」
セーラは真っすぐに皇帝の傍に近づくと壇上に立った。
そして静かに息を整える。
視線を、ゆっくりと広間の人々に動かした。
人の目を見れぬほど気弱だったはずの娘は、ひとりひとりの目を静かに見据えている。
臆することなく堂々とした姿は気品に溢れていたから、弱気な娘と侮っていた人々は仰天した。
セーラは静かに浄化の光を、広間の隅々、そして宮殿の外へと広げていった。
浄化の光粒はあまねく人々に降り注いだが、悪心を持たぬ人々はその光を受けるだけ。
だが、浄化を必要とするほど、心の闇が深い人には浄化の光粒はその場所に集中して何とか浄化しようとする。
それゆえに悪しき心に浄化の光が集中して、その姿が鮮明になるから、漆黒の梟は、たやすく逃げ隠れしていた人々を捕縛することが出来た。
やがて光の粒は収束し、セーラの指先で瞬いて消えた。
セーラはそっと息を吐いた。
セーラの指先は青白くなり、少し震えていた。
浄化の力を使うと、セーラの身体は凍るように冷えてしまう。
それがセーラの異能の代償だった。
ジークフリートはそっとセーラに己のマントを掛けてやった。
しかし人々から見ればその様子は一服の絵のように荘厳だったから、これからはセーラの立后に否やを言うものもいなくなるだろう。
騎士に捕縛された侍女長は、大きく目を見開いてセーラを見つめていた。
ようやく侍女長は自分の違和感の正体に気がついたが、それは全てが終わった後だったのだ。
セーラの浄化の前は、熱気を帯びて暑いくらいだった広間は、セーラの浄化を受けた後は涼しげな風が吹き抜けたような清涼な気配を漂わせていた。
皆は皇帝ジークフリートを見た。
誇り高い皇帝は全てを把握して、シーフやダンテを手足のように使い、必要なら貴族会議を潰すこともいとわないかもしれない。
冷たい氷を背中に落とされたように、人々は身震いした。
とにかく家に帰って何か飲みたい。
喉がからからだから。
けれど、今日は長い一日になる。それを覚悟した。
ようやく人々は自覚したのだ。
決して敵にしてはならぬ者を敵にした。
皇帝は民の庇護者ではあるが、冷徹な支配者でもあるのだ。
貴族会議はここにきて、ようやくそのことを自覚したのだった。




