約束の言葉
セーラはとても元気よく仕事を始めることが出来た。
なんといっても、満腹だと身体の冷えが全然違う。
井戸水を汲むのも、雪の中を重い桶を運ぶのも、いつもより楽に感じられた。
井戸水は、朝に4回。昼に3回。夕方には6回も運ぶ。
夕方が多いのは、子爵家の皆さんがお風呂を使うためだ。
それでも今は仕事はそれだけで、後は刺繍をしたり、夫人のお手紙を代筆したり、エリーゼの勉強の課題を作成したりしている。
小部屋での仕事が多いので、洗濯係の時よりはずっと楽だった。
セーラが、今日の課題を受け取りにエリーゼの元を訪ねたときの事だ。
「セーラ。あなたは、きちんと星の欠片を探したのかしら?」
「はい、お嬢様。野原の楡木のところで、星が落ちるのを待っていましたが、夕べは星の欠片は落ちてきませんでした」
「怪しいわね。
お前、もしかしてどこかでサボっていないでしょうね。
星の欠片なんておとぎ話だと、私を馬鹿にしているんじゃないでしょうね?」
「とんでもございません。お嬢様。
私は、星の欠片が落ちてくると思っております。
これからも、お探しいたします」
「ふーん、まぁいいわ。今日の課題よ。
優が頂けるように頑張るのよ。わかっているわね」
セーラが畏まって課題を受け取り下がろうとすると、セーラの声が聞こえた。
「ちゃんとやっているか、次は必ず確かめさせなさい」
セーラに声が届くのをわかってやっているのだとセーラは思う。
本当に見張りが付くかはわからないけれども、これでセーラは、あの隠れ家が仕えなくなった。
セーラは部屋に戻ると、執事に手紙で知らせておいた。
暖炉に火を灯して待ってもらっては申し訳ないから。
暫くしてセーラの手首の痣がほんのりと温かくなったので、セーラは検索を掛けてみた。
執事の方からお返事が届いている。
「もしも尾行があるときには、ドアノブにリボンをかけておきます。
何も掛かっていないときは安全なので、入って来て下さい」
との事だった。
セーラは、思わずにこりと笑っていた。
いつの間にか、たった一度訪れただけのあの場所が、セーラの安全地帯になっていたのだ。
その夜も雪が降った。
セーラは律儀に、星の欠片を探しに外に出る。
尾行がいても、いなくてもどちらでも良かった。
セーラは、たった1度だけ逢った男が、無性に懐かしかったのだ。
だから楡の木まで、まっすぐに歩いた。
そうして目当ての楡の木の前に来ると、セーラは跪いて祈りを捧げた。
「どうか、あのお優しい主さまが、お健やかでいらっしゃいますように。
私の感謝の気持ちが、あの方に届きますように、」
セーラはもう一度逢いたいとは、願わなかった。
それはあまりにも分不相応な願いにしか思えなかったから。
不思議なことに、この楡の木の前にいると主さまの姿がまざまざと思い出せるのだ。
少し困ったような顔でセーラを見ていたこと。
一瞬みせた不快そうな表情。
見間違いかもしれないが、セーラを大切なもののように見た瞬間。
主さまの表情の、ほんのかすかな違いに意味を見出そうとしている自分に気がついて、セーラは苦笑した。
私は何を考えているのだろう。
主様は私を救ってくださった。
それだけで十分なはずなのに。
セーラは目覚めかけた恋心を、邪な心の様に感じて自を恥じた。
しんしんと降り積もる雪の夜はあまりにも静かであった。
だから聞こえてしまった。
「ちぇ、つまんねぇ奴だなぁ。本当に祈ってやがる。
星の欠片なんぞ落ちてくるわけもねえのに。
おぉ、寒い。こんなところにいたら凍えてしまう。
帰ってお嬢様に報告して、褒美に酒の一杯も頂こう」
本人は、小さな独り言を言ったつもりだろう。
ただ辺りが余りにも静かだったので、その声は野原に響いてしまったのだ。
男の帰る足音が遠ざけると、セーラも立ち上がった。
すっかり冷え切った身体を暖炉で温めて、あの美味しいココアを頂こう。
秘密のドアの前にはなにも掛かっていなかったから、セーラは鍵を使ってドアを開けた。
ゆっくりと部屋に入ると、執事が現れて、セーラの外套を受け取り雪を払ってくれた。
「さぁ、お嬢様。こちらへ」
暖炉の前には座り心地の良い安楽椅子とオットマンが置かれていて、サイドテーブルには湯気の立つココアがあった。
「まぁ、まさかこれを私の為に?」
「申し上げた筈ですよ。お嬢様。我々はその為ここに残っているのです」
セーラーの顔は曇ってしまった。
「もしかして、他にお仕事があるのではございませんか?
どうぞそちらを優先なさって下さいませ」
「これは申し訳ございません。
私共の仕事は、お嬢様のお世話をすることなのです。
どうぞ、この爺を困らせずにこちらにお座り下さい」
セーラは素直に頷いた。
疲れた体を安楽椅子は優しく受け止めてくれた。
その上汚れた長靴ではと遠慮して履物を脱いだので、室内用の靴を履いている。
オットマンに遠慮なく足を預ければ、このまま眠ってしまいそうなほど心地よい。
セーラはココアを手にすると顔を綻ばせた。
「あの、何とお呼びすればよろしいですか?」
セーラは今頃になってようやく、執事の名前を知らないことに気がついたのだ。
恥しくて頬が染まっているのが、自分でもわかってしまう。
「セバスチャンと呼んで頂けますか?
執事というものは大抵そのような名前と、相場が決まっておりますからのう」
「はい、セバスチャンさま」
「セバスチャンでございます」
有無を言わさぬ目で彼はそう言った。
「はい、セバスチャン。
私はここで初めてココアを頂いたのですが、きっとココアが一番好きな飲み物かもしれません。
いつもありがとうございます」
セーラは丁寧にお礼を言ったが、ではセバスチャンの本当の名前はなんというのだろう?
と、考えていた。
セバスチャンも主様と同じ種類の人間に思えてしまうのだ。
「セバスチャンは将軍様みたいにカッコいいですね」
「ふぉふぉふぉ、私が将軍に見えると申されるのですね。
確かに主様が気に掛けるほどの事はあるかもしれませんな」
セーラはどうやら自分が、賢しらな事を言ったらしいと気がついた。
「申し訳ございません。余計な事を申しました。
お恥ずかしゅうございます」
「構いませんよ。セーラさま」
そう言うセバスチャンの声は柔かかった。
セーラはお嬢様呼びからセーラ様と、呼び方が変化したことに気がついて、安心したように頷いた。
ちょっとだけ、受け入れて貰えたみたい。
そう思ったセーラは、もう少しセバスチャンと話たくなった。
「お風呂やベッド。とても気持ちよかったです。
朝ごはんもとても美味しくて。ありがとうございます」
セバスチャンは大きく頷くと、またこの間のような魔道具を取り出した。
セーラは今度は一体何をするのかしらとおもったが、素直に手首を差し出した。
最初は1枚だった花びらは2枚になった。
セーラが問いかけるような顔をすると、セバスチャンは説明してくれた。
「こちらは転移の魔法陣です。
セーラ様が行った事がある場所を正確にイメージできれば、その場所に転移できますよ」
「まぁ、それではこの場所へも?」
「勿論でございます。
お館でもご自分のお部屋でも、セーラ様がよく知っている場所でさえあれば」
「なんて素晴らしい魔法なのでしょう。
ありがとうございます。
でも、とても高価なのではございませんか?」
「なんの、なんの。
これは私の趣味みたいなものですから、お金など掛かっておりません。
ご安心下さい。
ただしこれらの魔道具は使う者の魔力を利用しております故、魔力切れにはご注意下さい」
「私は魔力なんて……」
「少し、お手をお借りしますぞ」
セバスチャンが手を取ると、セバスチャンから冷たい力が流れてきた。
色で言えば水色の魔力。
それがセーラーの身体の中心に辿りつくと、ぽかぽかと温かいお日様みたいな魔力に変る。
「どうですかな?」
「最初、セバスチャンから氷のような水色の冷たい魔力が流れてきました。
それが私のお腹の中に入ると、ぽかぽかとした黄色い温かな魔力に変化しました」
「これは驚いた。セーラ様は魔力の色や性質までわかるのですね。
やはり学院に留学させた方がよいだろうなぁ。
それではその黄色い魔力をご自分の指先に集めて見て下さい」
セーラが言われた通りに魔力を指先に集めると、指先には明るい光がともった。
「最初の魔法がライトとは。セーラ様らしいですね」
「私は今、魔法使えたのですか?」
「そうですよ。魔法を勉強したくはありませんか?」
「勉強したいです。でも」
「気持ちさえあれば、お勉強はできますよ。
明日迎えを寄越しますから安心してお待ちください」
「さぁ、転移でお戻りください。
明日は忙しくなりますからね」
セーラはせかされるように、自分の部屋に転移した。
長靴も外套もランタンも忘れたことに気がついたけれど、そんな事より明日何が起こるかの方が気になった。
「本当に、一体何が起きるのかしら……」




