真実と事実
ジークフリート皇帝は、寝室にセーラを呼んだ。
侍女たちは、訳知り顔で支度を整えていく。
やがて新しく侍女長になった女が、静々と寝化粧を施されたセーラを伴って現れた。
まるで、自分が女主人のようだなと、ジークは苦笑する。
「ご苦労。人払いを。翌朝まで、誰も入るな」
そうした皇帝の厳命に、侍女長は訳知り顔で頷いた。
「畏まりました。明朝、呼ばれるまで誰もこの寝室には近づけません。
ご安心下さい」
そう言って下がっていった。
事実、影の気配がぷっつりと消えた。
それでもジークはセーラを膝にのせて、如何にも愛撫するようにその手をセーラの顔に伸ばす。
「どうだ?完全に気配は消えたか?」そっとセーラの耳元で囁いた。
セーラは己の浄化の力を薄くのばしていく。
潜む者がいれば、必ず浄化が発動するはずだ。
浄化を探知代わりに使うなど考えたことも無かったが、今は亡きベルベット皇后から教わった方法だった。
「大丈夫です。誰も潜んではいませんわ」
ジークフリートはほっとしたように、セーラを傍らの椅子に誘った。
そこには、寝酒や夜食が用意されていたからだ。
「疲れたろう、少し食べながら話そう」
セーラは頷いて、しばらくは恋人らしい会話が続く。
「辺境伯が、少しずつ兵力を皇都に集めています。
漆黒の影は、辺境伯の横領の証拠を固めました。
シーフが、『始祖の宝剣』を、辺境伯に与える事に成功しています。」
「証拠としては完璧だな。『始祖の剣』は皇帝の証だ。
それを持っていれば皇位を望んだと言われても抗弁出来まい。
国家反逆罪に問えるな」
「ただ、シーフも辺境伯も貴族会議の解体は難しいと言っています。
始祖が皇帝の独断専横を防ぐために作った組織ですので」
「だが、その貴族会議は、皇国を蝕んでいるのだ」
「はい。ですが一網打尽にしてしまえば、災厄の十五年で失われた、貴族の血統が更に少なくなります。貴族制度が崩壊しかねません。
皇家の維持のためには、貴族制度も必要ですから大ナタは振るえないと申しております」
悔しそうに懊悩するジークフリートを、セーラは優しく宥めた。
「お気持ちはよく分かります。
お父様もお母様も、貴族会議に苦しめられ、最後には殺されてしまいました。
復讐なさりたいのですよね?」
「あぁ、当然だろう。両親をむざむざ殺されて、仇も打てない。
それなら、私は皇位など捨てても構わない。
力ずくで奴らに思い知らせてやる」
「ええ、皇帝陛下。
このアストラル皇国を守る膨大な魔力を使えば、陛下の望みは簡単に叶います。
けれども代々の皇帝陛下はそんなことはなさらなかった。
それはどうしてでございますか?」
「それを私に言わせるのか?
民を守るためだ。虐げられた民を守る。
それが、代々の皇帝の唯一の望みだからだ!」
そう言いながら、ジークフリートは、なお歯噛みをしている。
「だが、民はどうだ?
皇帝や皇后が死んで、あのようなお祭り騒ぎだ。
国の父、国の母が亡くなったというのに……。
民達は自分の親、兄弟、我が子を失っても、あのように騒ぐのだろうか?
まるで祭りの様に。
誰も心底皇帝を悼む者などいなかったではないか!」
あぁ、それが言いたかったのか。
セーラは納得した。
ジークフリートが心底苦しんでいる理由が、ようやく理解できた。
皇帝の死も、皇后の死も、貴族たちの裏切りさえ、ジークフリートを絶望させはしなかった。
ただ、民に裏切られたとの想いが、ジークフリートの懊悩の根幹なのだ。
「ジーク。今宵は誰も来ません。
姿変えの魔法を使って、少し散歩でも致しましょう。
私の姿も変えて下さいね」
そう言われてジークは自らとセーラを、如何にも凡庸な町人の姿に変貌させた。
そうしてセーラが言うままに、神殿前広場にやって来た。
此処はもう、観光名所だ。
皇帝や皇后、公爵とその妻は、ただの見世物になり果てた。
そんなところに何をしに来たのだろうか。
セーラは何をするでもなく、神殿の前をそぞろ歩いた。
「少し喉が渇きましたね。あの茶店で、お茶でもいかがですか?」
「セーラ。お前が望むなら」
ジークフリートは投げやりに言った。
店内では、ほとんどの者が、噂話をしている筈だ。
だが、ジークは茶店に入ると、思っていたのとは違う雰囲気に驚いた。
みんながしんみりとしている。涙まで流しているのだ。
「皇后陛下がね。慰問に来て下さったときの事が忘れられないの。
子供がはしゃいで衛兵にとがめられた時、子供を庇ってくださって。
元気なお子は国の宝だと……」
その後は言葉にならずに号泣している。
何という事だろう。誰もかれもが、自分のもつささやかな皇家との逸話を持ち出しては、陛下を偲んでいるのだ。
ジークが黙っていると、セーラがジークをあの神殿の中に連れていった。
見たくない。父上が、母上が、民の慰み者になっている姿など。
そう思っていたのに、中では大勢の民が、棺の前に額づいて祈りを捧げているのだ。
既に夜も更けて、寒気が室内を凍えさせているのに。
黙って佇んでいると、民の誰も櫃の中を覗こうとはしない。
見たくはないのか?奇跡の証拠なのに。
ジークフリートは思わず尋ねてしまった。
丁度、祈りを捧げ終わって、帰ろうとするみすぼらしい年寄りに。
「どうして誰も棺を覗かないのですか?」
そう聞かれて、その老人は衝撃を受けたようだ。
思わず大声を出しそうになって、慌てて自分を抑え込んだように見える。
「お前さんは、きっと他国から来られたのでしょう。
この国の民なら、そんな事を思う筈はないですから」
「あそこにいらっしゃるのは、この国と、民を守り続けてきてくださった方々なのですよ。
どうして、それを上から覗き込むことが出来ましょうか」
「皆貧しくて、昼間は必死に働くしかない。
だから夜になってここで、感謝の祈りを捧げているのです」
「貧しくても、苦しくても、あの方々が我らを照らして下さっていたのだから。
今も皇帝陛下が、我らを守ってくださっています」
もしも、あなたが我が国の民ならば、どうしてこの国で民が安穏に暮らせるのかを尋ね歩いて御覧なさい。
皆、同じことを言うでしょうから」
ジークフリートは己を恥じた。
彼は静かに深く老人に頭を下げた。
「お教えに感謝申し上げます」
そうすると老人はにっこりと笑った。
そうして黙って帰って行ったのだ。
ジークはそのまま、己の寝室に転移した。
「セーラ、俺は間違っていたのだな」
「いいえ、貴方は民の一面を、全部だと思ってしまっただけですわ」
「それじゃぁ、僕が見たのも真実だと言うのか?」
「ええ、真実など、見る人の数だけありますからね。
何をどのように見ようとも、それはその人にとっての真実なのです」
「だったら、本当の事は、どうやって知ればいいのだ」
「事実は、いつも一つだけですよ。
民が無き皇帝に祈りを捧げていた。これは事実ですね」
「民が、皇帝の死を知って興奮していた。これも事実です
そしてそれを見る人によって真実が出来上がります」
「僕は、民を恩知らずのならず者だと思った」
「それなら、それがジークにとっての真実なのでしょう。
だから苦しんでいらっしゃるのですから」
「ああ、そうだ。
だけれども、僕の民は誠実で、足ることを知り、感謝の心を持つ。
だから、僕は民を守りたい。これが僕の真実だ」
「実際には、悪心を持つものも多いかもしれませんよ」
「あぁ、それも事実なのだろうね。
けれど僕はひとりの老人に諭された。これは事実だよね。
だから、これを僕の真実にして、僕は皇帝として生きるつもりだ」
ジークフリートの心が晴れ晴れとしているのを見て、セーラはほっとした。
浄化を使えば、ジークの心は晴れたかも知れない。
けれども、懊悩の根幹を知らなければ、ジークは幾度も悩むことになっただろう。
ジークはそっとセーラを抱き寄せた。
そしてその耳に囁いた。
「賢夫人に申し上げます。僕たちは愛の証拠を残す必要があります」
セーラが真っ赤になって逃げようとしたので、ジークは抱きしめた。
「ごめんね。愛しています、ずっと会いたかったんだ」
「私も。ジーク」
翌朝、愛の証を見た侍女が、それを宰相に報告したのは言うまでもないことだった。




