セーラ
シーフが幾度かの転移を経てようやくクラウスの居城(人によれば洞窟と言うかもしれないが)にたどり着いた時、シーフは思わずののしり声をあげた。
「何という場所だ。本当にこんな場所に龍が住んでいるのか?
転移先はここで合っている筈だが?
ジークフリートは、本当に女二人も連れてここまで転移したのか? 無謀にも程がある」
「そんな無謀を冒したくなるほど、追い詰められていたとは思わないのかい?それで側近とは、ジークが気の毒だな」
「クラウス様ですか?」
思わず言ってしまったと言うのに、クラウスの声は冷たかった。
「ここまで来ていて、今更そんな質問をするとは。
君は本当にノアの息子なのかい?
本当だとすれば、ノアも気の毒に。
こんなぼんくらに後を託すしかなかったとはね」
シーフはため息をついた。
「今日は、先達に叱られることになっているのかな。
誰もかれも手厳しいことだ」
「なんだ。もう叱られた後か?それでようやくここまで来たのだね」
そう言われてシーフは反論も出来なかった。
確かにダンテ元帥に言われなければ、ここまで来ることもなかっただろうから。
「まぁ良い。君に期待している人も多いからね。来るとよい。案内しよう」
そう言われて洞窟に入ると、確かにそこは居城というに相応しいものだった。
龍が住むに相応しい堅牢な居城。
いくつかの部屋を抜けてシーフはサロンに案内された。
そこでゆったりとお茶を嗜んでいる青色の髪と青い目の女性。
黒龍の番にして神龍の娘、ステラ様だろう。
シーフは深々と頭を下げた。
「ステラ様、お騒がせして申し訳ありません」
深々と礼をするシーフをじっと見つめると、ステラは立ち上がった。
「私はお茶を淹れるのが苦手なの。それでも良ければ淹れてあげるわ。
喉が渇いているでしょう?」
シーフはただ黙って頷くだけだった。
公爵として白星を、皇帝の側近として漆黒の梟の指揮を執る男。
諜報の最前線にいる男が、このたおやかな女性に呑まれてしまったのだ。
そうして出されたお茶は、お世辞にも美味しいとは言えなかった。
茶葉自体は、かなりの上物なのにどうしたらこんなにまずく淹れられるのだろう?
これも一種の才能だろう。
「まずいでしょう?」
むしろそれが自慢みたいにステラは言った。
「お茶を淹れるのが上手いのはルーナだったわ。
あの子はお茶が好きでね。
いつも楽しそうにお茶を淹れていたの」
「何が言いたいのか教えて頂けませんか?」
シーフが少し尖った声で尋ねた。言いたいことが理解できなかったから。
「短気なのね。後悔していると言っているの。
共にアストリア皇国に嫁いだ姉妹だったのに。
貴方が此処まで来ようと決意したのはジークが酒浸りの生活になったからなのでしょう」
「あぁ、そうでした。クラウス様はフィクトス公爵でいらしたのですね」
黒龍はただの龍ではなかった。幼いころから人間界で育ってきたのだ。
だとしたらジークにあの酒精の強い酒を送ったのにも相当の理由があった。
俺はジークが酒に溺れてやっと、プライドを投げ捨てて戦えるようになった。
俺はそこまでジークに信頼されていなかったのだろうか?
ジークが暗君を装う必要に駆られる程に。
「ジークはここでどんな話をしたのでしょう?」
ステラはふぅっと笑った。まるでよくできましたと褒めるように。
「セーラを呼んできますわ。連れ帰るのでしょう?」
まるで当たり前のような顔でステラが言ったので、シーフは何も言えなかった。セーラを連れ帰れば、クラウスもステラも困るだろうと思っていたのに。
待つほどのことなくセーラが現れた。
これは本当に俺の娘だろうか?
シーフは戸惑いを覚えた。
「さぁ、参りましょうか?」
セーラはそう言うとにっこりと笑った。
「セーラ。セーラはお茶を淹れられますか?」
シーフの言葉にセーラはコロコロと笑った。
「ステラ様のお茶を飲んだのですね?まずかったでしょう。
淹れ直して差し上げますわ」
そう言ってセーラはお茶の準備を始めた。
お茶を淹れる間。
それは穏やかな会話の時間でもあった。
ぽこぽことお湯が沸く音。
その静かな音を聞きながらシーフはぽつりと言った。
「どうしてジークは私を信じなかったのですか?」
「信じていたから言わなかったのよ。ジークの傍には間者しかいない。
貴方との会話なんてそれこそ。」
「そこまでですか」
諜報の長としては忸怩たるものがあるが、それは事実なのだろう。
ならば俺は道化になり切ろう。
「これからジークは女に溺れる暗君になるわ。
その女は貴方の娘。そして貴方は宰相の言いなり。
お膳立ては出来ているでしょう?」
さわやかに言い放つ女は、とても自分の娘とは思えない気品を放っていた。
セーラを助け出した時は、シーフを父と知って喜ぶ素朴な娘だった。
フィクトス公爵家で教育を受けた。
聖女として皇后の元で学んだ。
そしてここでステラ様の教えを受けた。
それだけで、ここまでの気品を放つものなのか?
フィクトス公爵家の血のなせる技だろうか。
シーフは眩しそうな目をして娘を見つめた。
将来の皇后陛下を。
シーフはセーラを連れて、公爵邸にとんぼ返りした。
ゼイゼイと荒い息を吐いたシーフは、二度とこんな真似をしたくないと思ったが、セーラは転移酔いでぐったりとした、青い顔をしたまま言った。
「これぐらいで丁度いいのよ。
ここまで弱っていれば、宰相も良い手駒と考えるでしょう?
さぁ、宰相閣下に謁見を賜りましょう」
青ざめた顔を皮肉に歪めてセーラは言った。
そうしてシーフは、宰相の所に赴いた。
「ほう、その娘をジークフリート皇帝が御所望だと言うのか?」
「はい、閣下。私の娘ではございますが、子爵家で厳しく育てられております。
頭はそれほどではございませんが、素直なだけが取り柄で、しかもこの弱々しさが皇帝陛下の庇護心をくすぐるようでして。
とても皇家に嫁げるような娘ではないので、皇帝陛下から隠していたのですが。
もしかしたら宰相閣下のお役に立つのではないかと連れて参りました。
どうぞ、御随意にお使い下さい」
宰相の瞳がギラリと光った。
ついとセーラの傍に近づくと、その小さな顎を掴み上げた。
セーラは真っ青な顔をして、ブルブルと震えるばかりで抵抗の素振りさえ見せなかった。
ただその瞳の冷徹さは隠しきれていなかったが、宰相は気がつかなかった。
成る程と宰相は思った。
軟弱で庇護欲をそそる娘。
しかもこれでもフィクトス公爵家の娘なのだ。
いずれ皇后は、宰相家から立てるつもりだが、それまでこの娘をあてがうのも悪くはない。
この娘なら、側室でも愛妾でも文句すら言わないだろう。
皇帝を意のままに操れるようになるまで、もう少しだ。
「良い娘ではないか。シーフ卿。
早速皇帝陛下に献上しよう。
誰か、この娘を磨き上げて、少しは見られるようにしろ。
顔が真っ青だ」
侍女長が進み出て阿るように言った。
「宰相閣下の威風に怯えているだけですわ。さぁ、姫様。こちらへ。大人しくしていれば怖いことなどございませんよ」
セーラが素直に部屋を出ていくと、シーフは見えない尻尾を振った。
「宰相閣下。私はお役に立ちましたでしょうか?
閣下が派遣して下さる方に相談もしないで勝手なことをして、お怒りではございませんか?」
「いやいやシーフ卿。
貴公はよくやっている。卿に与える側近だが。
奴は忙しくてなぁ。なかなか都合はつかないのだ。
困りごとなら、いつでも来ると良い。
相談に乗るから、何とか自分でやってくれ。
なに、卿は優秀だ。よろしく頼むよ」
「ですが宰相閣下。もしも私が間違えたりしたら」
その不安そうな様子に宰相は益々側近が惜しくなった。
仕事の出来る奴は貴重だ。
ましてフィクトス公爵家に潜入させようとした男は切れ者であった。
それほどの逸材を使うのは勿体ない。
何かあればシーフは自分から報告に来るだろう。
フィクトス公爵家はノアが万全に警備していたから、後継者がこれほどの軟弱者だとは知らなかったのだ。
いや長男はなかなかの傑物だった。
そう言えば、こいつは吟遊詩人を気取って遊び歩いていたのだったな。
大方、あのセーラとか言う娘も、遊び相手との子だろう。
いまさら出自を探る気も無いが。
聖女だという触れ込みも、公式に力を使ったのは一度きり。
それもノアの妻サトリと一緒だった。
あの娘の力ではないかもしれぬ。
どうせノアのブラフだったのだろう。
あれでもノアにとっては孫娘だったのだしな。
宰相はそう考えていた。
そしていかにも忠臣気取りで、飾り立てたセーラを伴って皇帝に謁見すれば、皇帝の目はセーラに釘付けになり、早速手元に引き寄せてしまった。
ジークとセーラは一瞬の目配せで、作戦が順調に進んでいることを確認した。
その様子に宰相は、勝利を確信していた。




