通夜
フィクトス公爵家では、黙々と通夜の準備が行われていた。
長年フィクトス公爵家に仕えてきた執事長が、その指揮を執っている。
現在のフィクトス公爵であるシーフは、ジークフリート皇帝の側近として、皇城に泊まり込んでいて、爵位を受け取って以来一度たりとも帰っては来ない。
執事長が誠実でなければ、悪事を働く者が出ても不思議ではなかった。
執事長は公爵の不在に馴れきっていたから、つつがなく公爵邸を切り盛りしていた。
しかし通夜の準備は越権行為と言われても仕方がない。
大精霊の裁可については、人を幾人か神殿に行かせたから、しばらくしたらどうなったか分かるだろう。
通常ならば遺体も無いだろうし、犯罪者の葬儀を貴族の館で行うことも禁忌なのだ。
だから粛々と、しかし他家にバレないように秘密裏に進めている。
幸いなことに、新たに商人を入れたりして商品を購入しなくても、ほとんどの物は在庫で賄える。
公爵家の格に相応しく準備を整えたい。
誰も弔問に来ることもない通夜だと言うのに、形式と格にこだわって準備をしていたのだ。
そのうちに、ざわざわと騒ぐ声や、何かしら運んでいるらしい物音がする。
執事長は眉を顰めた。公爵家らしくない騒ぎだ。
ノア公爵とサトリ公爵夫人の棺を持ち帰ったと聞いて執事長は、その場に崩れ落ちた。
ぽたぽたと涙が伝うのを、報告した者も泣き笑いの表情で見ている。
「ようございました。ようございました。旦那様はお許しを得られたのです。
皇室からは後日神殿に棺を安置するから、それまで預けるとのお沙汰でございました」
執事長は、それを聞くと何度も頷いていたが、やがてはっとしたように立ち上がった。
「こうしてはいられない。すぐにシーフ公爵がお戻りになるだろう。皆、支度を急ぐのだ」
使用人たちは忙しく立ち働いた。
さっきまでの陰鬱な空気は一掃されている。
主様は罪人ではないのだ。ならば堂々と通夜を行おう。
フィクトス公爵と公爵夫人の葬儀だ。
格の違いを見せつけてやろうではないか!
執事長は館の事務官たちに、通夜の招待状を皇都に滞在する全貴族家に送るように言った。
執事長は公爵邸内の仕切り役。外部との折衝は事務官や秘書官の役割。
越権行為も甚だしい依頼だが、事務官たちは張り切ってそれを受け入れた。
現在ほぼすべての貴族が、皇都に滞在している。
その全ての滞在先を調べて、招待状を出すなど、僅かな時間で出来る事ではなかった。
しかも招待状を出したところで、ノア公爵亡きあと落ち目の公爵家にわざわざ弔問に来るとも思えない。
貴族と言うものは時勢を読む。
そうしなければ家を存続させ続けることなど出来はしない。
それを百も承知。しかも一介の執事長の要請に応える。
事務官もうっぷんが溜まっていたのだ。
貴族家の居場所など、ノアの諜報機関である白星たちが暇を持て余しているはずだから、彼らを使えばよいだけのこと。
この際だから招待状は一律同じ文面を転記するなら、魔法で十分。
皇都に来ている貴族家の把握など、とっくに済んでいる。
主さまの誇りを汚させはしない。
白星たちは勇んで皇都を駆け抜けた。
主さまが戻る前に、全貴族家に通夜の招待状を送りつけてやろうじゃないか!
皇都の屋根という屋根、小道という小道に白星の影があった。
この夜、警備に当たった者こそ災難だった。
夜の闇を縫うようにして、ある館では執務室の机に。
ある館では 晩餐の席に。
忽然と公爵家からの招待状が届いたのだ。
館の奥深くに招待状が届いたのは、必ずノアを死に追いやった貴族達であったから、彼らは死んでまでもノアの亡霊に悩まされて歯噛みをした。
そうして警備に当たり散らしたのだった。
普通の貴族家は呼び鈴が押され、執事が応対に出ると、扉の前に招待状があるという平穏な方法が使われたのだが。
だからシーフがようやく公爵邸に帰って来た時には、準備は滞りなく終了しており、なんと丁寧な弔問の手紙が弔意を表す品々と共に続々と届き始めていた。
貴族たちも、何もフィクトス公爵と敵対したい訳ではない。
だがこの時勢。のこのことフィクトス公爵家に弔問に駆け付ければ、反皇帝派の貴族からどのような報復を受けるか分からない。
苦肉の策で選んだ、弔意の品々である。
シーフは片頬をかすかに歪めて、それらの品々を見た。
この中には、ノアによって救われた人々も多いだろうに。
シーフとて彼らを責める気持ちは毛頭ない。
ただ、どうしても皮肉な笑みがこぼれてしまうだけの事。
しかし、たいしたものだとシーフは思う。
自分が帰ってから、ようやく準備を始めることが出来ると思っていたのに。
館の者たちが率先して、父上の葬儀の準備を進めてくれた。
ありがたい者たちだ。
彼らこそが我がフィクトス公爵家の宝だとシーフはしみじみと思った。
シーフが帰宅して、館の者たちの顔が輝いた。
やはり主がいてこその公爵邸だ。
そう思って弾んでいるのはこの館そのものかもしれない。
館が喜んでいたと言えば、きっと鼻で笑われてしまうだろうが。
シーフがこの館の主となったのは、ほんの少し前だ。
だというのに、館の者たちは、顔を輝かせてシーフの帰還を喜んでくれた。
シーフは己がもうこの館の主であることを、初めて痛感した。
彼らは余程シーフを待ちかねていたのだろう。
シーフの姿を認めると、僅かに顔を綻ばせ、あるいは僅かに足取りを軽くするのだ。
シーフはノアとサトリの棺の前に来た。
そしてそっと、ノアの顔を眺める。安らかな顔。
こんなに安らいだ父上を見たことがあっただろうか?
父上はいつも、気を張っていらしたのだ。笑顔を浮かべている時でさえも。
そしてサトリの棺を覗く。
「母上、まさか母上がご自分の棺まで準備なさっていらしたとは」
そう呟くと、心なしかサトリの顔が勝ち誇って見えるから不思議だ。
「母上らしい」シーフは苦笑した。
そこに低位貴族たちがちらほらと弔問にやって来た。
まさか弔問客が来るとは思わないシーフは驚いた。
今宵は館の者たちだけで、静かな通夜になると思っていたのに。
そうなるとシーフは喪主としての礼を持って人々の接待に当たらなければならない。
この人々は今や勢いのある貴族会議に目を付けられることを承知でやって来た。
派閥として守る責任も生じるのだ。
シーフが影に目配せをすると、影たちは次々に消えていく。
ここに来た者たちの素性。そして背景を探っているのだ。
必ずスパイとして使われている者もいるはずだから。
「父上、もう少しお待ちください。今宵は忙しくなりそうだ」
そっと棺に声を落とすと、シーフは公爵の顔で、人々の前に立っていた。
弔問者の中にはシーフも事情を知る者がいた。
さる高位貴族の不正行為に加担しなかったことで、疎まれ、兵糧攻めに会って、爵位を返上に来た子爵だった。
ノアは彼の高潔さをよしとして、かの家を支援したことで、子爵家は没落を回避した。
そのような者は多かった。
特にノアは面子よりも民の生活を考えて、爵位や領地を返還しようとする者を大切にした。
領地運営が苦手な者には優秀な秘書官に教育をさせたし、貧しい領地には、新しい事業を提案した。
そうして細かく面倒を見てやっていたのだ。
夜半。
すっかり人々の波も途絶えたころ、そっと忍ぶように館の人々がやってくる。
そしてシーフに礼をすると、ぽつりぽつりとノア公爵との思い出や、サトリ公爵夫人との逸話を語る。
どれもシーフが聞いたことのない、父上や母上の優しさが溢れた逸話ばかりだ。
子供の病気を助けてもらった事。
粗相で落ち込んでいるときに、逆に日頃の努力を褒められたこと。
幼いころに剣の相手をしてもらったこと。
どれもこれもあまりにもささやかではあったが、当人たちにとっては宝物の思い出なのだろう。
とっておきの秘密をそっと打ち明けるような密やかな話が、ぽつり、ぽつりとこの安息の間に降り積もる。
ぽつり、ぽつり。
シーフの瞳には、この安息の間が、温かな衣で幾重にもくるまれていくのが見えた。
その衣がシーフの身体と心を包み、温めてくれる。
あたたかいなぁ。
シーフは父上と母上が死んでから、今、ようやく涙を流した。
温かい衣が、宮廷で冷え切ったシーフの心を温めてくれたのだ。
明日からは、またフィクトス公爵として立ちます。 ジーク皇帝の傍らで。
ですから、父上、母上。今だけはシーフは父上と母上の子供です。
この一夜がシーフの行く手を照らす灯りとなったのだった。




