朝食会
いよいよこの日がやって来た。
サトリは、自分が思っているよりずっと落ち着いていることに気がついた。
ノアもここに来てから随分顔色が良くなり、心なしか若返ってさえいる。
それはそうなのだ。
魔力がふんだんにあると、身体を自然に保護するから、ノアの様に見るからに年を取って見えることは無いのが普通だ。
ノアは、毎日枯渇寸前まで、魔力を魔石に注入していたから、どうしても身体も老化する。
此処に来てからは、潤沢な魔力がノアの身体を、ゆっくりと回復させている。
サトリは薄く笑った。
ノアが元気に姿を現せば、きっとノアを殺したいと切望していた奴らは、悔しがるだろう。
そう考えるだけで、ざまぁみろという気分になってしまうのだ。
「もういいわ。だって私、聖女を辞めるから」
聖女というものは、元々任命するようなものでも、就職するようなものではない。
聖女と言う言葉は、ただの魔法特性を指すだけの言葉だ。
そうだとするとサトリの発言は、そもそも成立しないのだが……。
サトリは部屋に自分の衣装とノアの衣装を並べて、コーディネートにいそしんでいる。
「楽しんでいるところを申し訳ないのだけれどね。
そろそろ朝食会に向かわないと、遅れてしまうよ」
「ノア。もうそんな時間。
ごめんなさいね。つい夢中になってしまって」
ノアは部屋中に散らばっている、衣装をチラリと見た。
侍女がいないと、こんな惨状になるのだ。
侍女というのも、たいへんな仕事だと感心している。
「ノア。今日こそは、私の選んだ衣装を着てもらいますからね」
「仰せのままに。マイレデイ」
ノアはうやうやしくサトリをエスコートする。
この3日、ノアはひたすら低姿勢を貫いている。
サトリの事は、愛している。
けれど、どういう訳か、ノアは作戦をたて罠を仕込んでいる方が、奥様の機嫌を取るよりよほど簡単だと思ってしまう。
つまりノアは既に平穏な生活に飽き飽きしていたのだ。
今日は、どうなることか?
結論は既に決まっている。
ノアはいつだって、先に落としどころを決めてから仕事に取り掛かる。
念のために、いくつものルートを作ることを忘れない。
けれど、結論はいつだってノアの決めたところに落ち着く。
今日のノアの楽しみは、大精霊を、実際にこの目でみることが出来ることだ。
大昔、ノアが最初に作戦参謀として指揮をとったあの日。
大精霊を見ることは、かなわなかった。
大精霊は、確かに目前にいた。
しかし、ノアの目には、まばゆい光しか見えなかった。
立っていられただけマシな方だ。
ほとんどは地面にへばりつき、目をあげることすら出来なかったから。
しかし法王は悠然と大精霊と相対し、あまつさえ会話までしていた。
だからノアは今回の邂逅を、楽しみにしている。
鍛錬もしてきた。
あれから既に50年だ。
さて、おれは大精霊と、どのように相まみえることになるのだろうか?
ノアは自分を過小評価しないが。過大評価もしない。
分からないものは、無理して予想をたてない。
分からないものは、分からないとしておいて置く。
今日は、それを知ることが出来る日だ。
ノアはそれがとても楽しみだった。
「やぁ、やっと来たか。遅かったな」
立って出迎えてくれたのは、現皇帝ジークフリートだ。
傍らでシーフもにこやかにノア夫妻を迎えている。
「今日は忙しいでしょう。
こんなところに来ている時間があるのですか?」
ノアが思わず苦言を漏らすと、前皇帝ライアンが、それを止めた。
「ノア、今日、我等はただの年よりだ。
息子たちが用意した送別の宴。
黙って受けてやってくれ。父上」
「そうですよ。お祖父さま。お祖母さま。
僕は、お二人の孫娘と結婚する。
結婚式には、来ていただけないのですから、こうして祖父上、祖母上と呼ぶ機会もない。
最後に一度ぐらい、家族として食事をさせて下さい」
「そうだぞ。ノア。
お前にとって、ベルベットは娘だ。
けれどお前は、常に家臣としての則を越えようとしなかった。
しかたがないとはいえ、寂しかったのだぞ」
既にサトリはこうなることを知っていたようだ。
軍師といえども、情報を完全に遮断されれば、こんなもんだ。
ノアは苦笑すると笑った。
皇帝陛下が、息子と孫とは、随分剛毅な宴になりそうだな。
「さぁ、お席へ」
ベルベットが、ノアの手をとり、ライアンがサトリをエスコートした。
ゆったりとした丸テーブル。
「このテーブルは!」
「そうだ。リゼ皇后ご愛用のテーブルだ。
アーサー皇帝が、よくこのテーブルで作戦会議をしたものだと、懐かしんでいた」
「ええ、そうです。
覚えているか?サトリ」
「勿論よ。ほら、ノアが私にプロポーズしてくれたせいで、作戦が台無しになったあの夜。
私が、アーサー王の作戦会議に初めて参加が許されたのが、あの夜だった。
リゼが自慢していたわ。
円卓には上座も下座もない。
皆が、好きに意見を述べられるって」
「ああ、そうだ。
懐かしいなぁ。サトリ。
リゼはそうしたいと思ったら、遠慮なく異空間のこの机の前に、我らを引き込んだものだ」
サトリもニコニコと笑い出した。
目がキラキラしている。まるであの時のように。
ジークとシーフは、そっと顔を見合わせた。
こんなに喜んで貰えるとは!
苦労して探し出して良かった。
見ると父上も母上も涙をこらえて、ノア夫妻を見ている。
これ程の忠臣を、生贄にしなければ守れない皇位。
悔しくてたまらない。
「父上。母上。さぁ食べましょう」
家族の宴。
ノアは、どんな事があっても君臣の別は、守りきった。
だからこそ、こうしてこのような厚遇を受けられたのだ。
ノアはそっとシーフを見た。
息子が馴れてしまうことはないか?
探るようなノアの目の意味を、シーフは正しく受け取った。
シーフは素早く立ち上がりジークフリートに誓約を唱えた。
「我、および我がフィクトス公爵家は未来永劫、アストラル皇帝陛下に忠誠を誓います。
これが破られるとき、我が魂は砕けフィクトス公爵家は滅ぶでしょう」
いつの間に用意したのか、青い光がフィクトス公爵家に連なる面々の身体を青く染めた。
そして青い光が、身体にしみ込んでいく。
生命をかけた誓約。
ノアが笑った。
大声で実に朗らかに。
僅かの綻びも許さず、必死に守りぬいた約束を、ノアの息子が受け継いでくれた。
「すまない。疑ったわけではなかったのだ」
「いいえ、厚遇に馴れてしまわないかと、父上は不安になるだろうと思ったのですが、どうしてもこの宴を開きたいと、ライアン皇帝もジークフリート皇帝も切望されたのです。
それで、この魔法を準備いたしました。
父上にお心残りがあっては、なりませんから」
ノアは何度も頷いた。
息子の言葉を、両陛下のお心を、噛みしめているかのように。




