料理
ノアがサトリを料理に誘う。
そんなことは。結婚して初めての出来事だ。
サトリは少し嬉しくなっていた。
「面白そうですけれど、学院のキャンプでのあなたのお料理ときたら……」
「君こそ、それは大昔の話さ。
少しは上達したはずなのだ。 試してごらん。
それより、サトリの料理だって……」
「言いましたね。それは禁句だったのに。
いいわ。覚悟なさい。
ちゃんと食べられるものを作りますから」
「待って、サトリ。僕に任せて!
僕が料理担当で、君は食べる係だ。
目標が、食べられるかどうか?なんて恐ろしすぎる」
「ダメよ。二人で作るの。
食べられなかったら、料理人の心づくしの料理があるわ。
行きますよ」
「はい、マイレディ。仰せのままに」
ノアは大仰な礼をしたから、サトリに軽く打たれた。
きゃぁきゃあ言いながら、厨房に入ると、そこには先客がいた。
「皇帝陛下、皇后陛下。
こんなところで、いったい何をなさっているのですか?」
「あら、ノアらしくない質問ね。
厨房でするのは、料理に決まっているでしょう?」
「いや、でも。
確かにフィクトス家の女子の教養課程に、料理はなかったと思います。
公女が料理をしたという報告を、受けたことも無い」
「まぁ。ノアはそう思っていたのね。
私が、何も出来ない箱入り娘だと。
アストラル学院では、一通りのことは教わるのよ。
身分に関係なく」
「おやおや。こんなノアの顔は初めて見たな。
ノアも知らない事があるようだね。
私の妻は料理こそ出来ないが、菓子作りは、なかなか上手いぞ」
「皇帝陛下、一度もそんな話は、なさらなかったではありませんか!
それに皇后陛下の手作りの菓子など。頂いたこともない」
「馬鹿を申せ。私でもめったに食べられない貴重品だ。
誰にも、下げ渡した事なぞ無いぞ。
うむ、でもまぁ本日は特別だ。
皇后陛下の手作り菓子を、下賜してやろう」
そう言って皇帝陛下はにやりと笑った。
我ながら上手いジョークだと思っていそうな顔だ。
そういう親父ギャグは受けないのに。
「ありがたく頂戴いたします」
「本当はね、貴方たちにも贈ろうと思って、バスケットに詰めてあるの。
今から料理するなら、後で食べて。
私たちは、部屋でゆっくりいただくから。
お先にね」
そう言って、皇帝陛下と皇后陛下は、菓子の入っているらしい、バスケットを持って厨房を出て行った。
ぽかんとして見送ったノアは、残されたバスケットを見て言った。
「なぁ、さっきの皇后陛下の持っていたバスケット、この倍くらい無かったか?」
「まぁ、ノアはいやしんぼね。
そんなにお菓子が欲しいの?」
「そうじゃないけど、あんなに大きさが違うなんてさ。
確かに俺たちには娘がいないから、傍系から引き取った養女だが、名目の上では私達も親だろう?」
「皇帝陛下の仕業よ。
よっぽど皇后陛下の手作り菓子を、ひとり占めしたいのだわ。
それに、あなたは忙しくて、ずっと皇城の自分の宮に籠っていて、会ってもいなかったでしょう。
私も皇城に仕事を持っていて外宮の泊まることも多かったけれど、子供達は寂しがっていたのですよ」
「すまなかった。父親としても夫としても失格だな」
「そんな事はありません。
あなたの想いは伝わっていますわ。
父親の背中を見ながら、あの子たちは、育ったのですから」
「なんだか作る気が失せましたね。
料理人の心づくしと、皇后陛下の手作り菓子を頂きましょう」
「あぁ、そうしよう。なんだか毒気が抜かれてしまったよ」
そうして自分たちの部屋に戻ったノア達は、もっと驚いた。
バスケットの中には短いメッセージカードが挟んであった。
そこには、こう書かれていた。
「お父様、お母様。ありがとうございました。
愛しています。
娘ベルベットより感謝を込めて」
そしてバスケットの中は、お世辞にも上手とは言えないクッキーが詰まっていた。
そっと取り上げると、人の顔らしきものが描いてある。
「サトリ。これは?」
「ええ、ええ。貴方のお顔よ。不格好だけれどね」
「ほら、こちらにはお前の顔も。
文字入りもあるな。
パパと書いたものと、ママと書いたもの」
「ノア。よかったですねぇ。
ちゃんと通じていたのですよ」
「何のことだ?」
「人々が噂しているのを知っていますか?
アーサー王が亡くなってから、ノア公爵の魔力が半減した。
もう老いたのだと」
「それは知っているさ。
転移にすら他人の魔力を借りるぐらいだからな」
「それではこれは知らないでしょう?
シーフが、あなたから皇国に必要な魔力量40%に相当する魔力が込められた魔石を20個、貴方から預かったと白状したことは!」
「なんだって!シーフは誰にも言わないと誓ったのに」
「許してやってね。
これだけの大粛清をしたら、皇国の魔力が足りなくなるのに、ジークフリートもシーフも心配していないようだったから。
貴方ってば、アーサー王が亡くなってからずっと、ご自分の魔力を貯めていらしたのね。
万が一に備えて」
「アーサーは、若くして亡くなったからな。
世の中、何がおこるか分からないと思い知ったんだ。
それにしてもどうして皆は、君の頭が足りないなどと思い込むのだろう。
反応がゆっくりしているだけで、じっくりと考える力があると言うのに」
「打てば響くような返しはできませんから。
ゆっくりと考えないといけないのです」
「そうしてじっくりと考えた挙句、勝機があると踏んだのだな。
私の軍師殿は?」
「ふふふ。ノアも同じ考えでしょう?」
「さぁ。どうだろうか?
おや? このパイの中から何か出て来たぞ」
「見せて下さい。
招待状ですわ。
『明日の朝食を、ご一緒しましょう。
父上・母上へ。ライアンより』
ほら、見て下さい」
「まぁ、ノア。貴方、泣いているの?」
「お前は、よく泣かないでいられるな?」
「あら、約束した筈ですわ。
もう決して泣かないと」
「あぁ。降参だ。
お前には勝てる気がしないよ」
サトリはにっこりと笑って、そっとノアの腕に潜り込んだ。
そして実に満足気にノアの胸に顔をうずめた。




