希望
元帥閣下が部屋を出るのを、待っていたかのように、サトリがノアの元にやって来た。
「最後まで。誠実な方ですね。
ノアが最後に救おうとしたのは、自分だとは思ってもいらっしゃらないでしょうけれど」
「あぁ、先輩は相変わらずだったよ。
ねぇ、サトリ。
いつか教えてやって欲しいな。
僕が敬意をこめて先輩と呼んだのは、あいつだけだと」
「嫌ですよ。ノアの特別は私なのですからね」
「まさかサトリ。
あの筋肉で出来ているような男にすら嫉妬するのかい?」
「嫉妬なのかしらね。
自分がノアにとっての特別だって事にも気がつかないで、最後までノアを煩わせるのが悔しいだけですわ」
「それを嫉妬というのだと思うけれどね」
「そうなの?」
「そうだとも」
「嫌だわ。ダンテったら元帥様になっても軍神と呼ばれていても、学生時代とちっとも変っていないのね」
「確かに、大精霊による裁きは、理から外れるとされているけれどもね。
地獄なんてものがあるかもわからないのに。
第一だよ、必ずしも転生するというものでもないだろうに。
輪廻の輪から外されて困ると思うのかな?
どうしてあのようにこだわるのだろうね。
死んだ後の事なんて誰も知らないのにさ」
「昔、大精霊が降臨した時の事が、いかにも恐ろしいように伝わっていますからね。
ダンテ先輩は、貴方が大好きですから。
だから真剣に馬鹿げたことでも、やろうとしたのよ」
「それで困るのは、こっちだぜ。
せっかくのシナリオが破綻してしまう。
あいつの好きにさせたら、明日は大混乱だ。
フィクトス公爵家どころか、クリスト辺境伯家まで、取り潰しになる。
皇帝の権威は失墜し、あいつらの希望通り、貴族会議の合議制になるだろう」
「どうして分からないのだろう。
この国の基盤が、皇帝の魔力で支えられていることが。
最近では、龍すらペットか何かだと思っているふしがある。
どうしてこうなってしまったのだろうね」
「どのような物事にも終わりはありますわ。
もしも存続を望まないなら、滅びる事を経験するしかないのでは?」
彼らが望んだ事ですもの」
「いいだろう。
アストラル皇国が崩壊したとしても、それが世界の終わりではない。
だけど、民の多くは流民となってしまう。
国に守られない民が、どれほど悲惨か知らない訳ではないだろう?」
「それでも、ですわ。
永遠に続くものはないのです。
生まれ、繫栄し、やがて衰え、消滅する。
それが理というものでしょう?」
「サトリ。君は普段はとてもおっとりとしているから、実際に腹を括ると僕よりもずっと果断になることを誰も知らない。
僕は君を敵に回したくはないよ。
君は、いともあっさりと人を見捨てて顧みないからね」
「あら、私くらい優しくて情の深い者は珍しいと思っていますのに」
「もちろんさ。それが普段のきみだけれどね。
でもまぁ仕方がない。
奴らは、とうとう君を怒らせることに成功してしまったようだな」
「私の一番大切なものを奪うのですもの。
見捨てても許されると思いますわ。
逆に聞きたいぐらいだわ。
これだけの事をしておいて、今まで通り暮らせるとどうして思えるのかしら?」
その言葉を聞いてノアの顔は曇った。
「聖女殿。実際はどうなのだろう。
皇帝の魔力が失われ、新皇帝には皇后は不在。
君が手を貸さず、もしも万が一皇后さままで見捨てた場合。
我が国の魔力は、どれだけ不足する?」
「4割は失われます。
これは皇后陛下が、お残りになると仮定した場合。
皇后陛下が民を見捨てるとは、思いません。
まして息子が皇帝になるのですから」
「4割か。きついな。
できれば異世界からの転生者を確保したいところだが。
こればかりは、人の力の及ぶところではないしなぁ。
後は青龍頼みになるだろう」
「そうですね。神龍様が息子を貸して下されば、何とか……。
あと、20年持ちこたえれば……」
「何度も、何度も伝えているのだがなぁ。
皇帝の魔力は、国の基盤に注いでいるのだと」
「人は自分の信じたいものだけを信じるのです。
ジークが気の毒です。
魔力不足で国が荒れているのに、どうせ皆は皇帝の力不足だと言い立てるでしょう」
ノアはいつだって最悪に備えている。
だからきっともう対策は打っている筈なのだ。
サトリはそれを知っている。夫婦なのだから。
「ねぇ、ノア。
こんな不毛な話は止めませんか?
みんな今頃は、夫婦で別れを惜しんでいると、思っているのですよ。
だと言うのに、ノアときたら、自分が亡きあとの皇国の事ばかり考えている」
「ごめんよ。悪かったね。
概ね僕の見立ても君と同じだった。
手は打ってあるから、20年は十分持つはずさ。
これで後顧の憂いもない。
どうだい?
厨房にも人はいないだろうし、一緒に料理でも作らないか?」
ノアは話を打ち切るように、サトリを誘った。
サトリは少し考えている。
いきなり料理を作ろうなどと言い出すとは、思ってもいなかったから。




