計算違い
ライアン皇帝の皇帝位剥奪と、それに伴うジークフリートの皇帝即位は速やかに行われた。
人々の歓声も、祝賀行事も行われない。
ただただ事務的な手続きでしかなかった。
ジークフリート皇帝は、その日のうちにミゼラブル法王に大精霊召喚による審判を求める書状を送った。
皇帝の緊急書面である。
ミゼラブル法王からは、転移門の使用申請が来た。
法王の元には各国に繋がる、転移門が秘密裏に作られていた。
あくまでも、双方が転移門を開かない限り、使用できない特殊な転移門だ。
そうでなければ危険極まりない。
それでも、全世界に転移できる門を持つのは、法王だけ。
これは法王が、あくまでも中立だからだ。
ルーンフェル王国に本部があっても、けしてルーンフェル王に従っているわけではない。
あくまでも法王は神殿の長であり、民の父であるべきなのだ。
3日後の正午に転移門を開くことで、双方が合意した。
審判は、同日午後4時に、神殿前広場で行われる。
アストラル皇国にある神殿は、民の憩いの場にもなっている。
誰でも入れる、広々とした庭園。
その庭園に囲まれるようにして、神殿前広場がある。
お祭りなどがあるときなどは、屋台が多くあつまり、皇都民が押し寄せても余裕があるほど広大な広場だ。
皇城が、簡素なのとは対照的だが、それは民を大切にしたい初代皇帝の意向によるものが大きい。
皇城は、あくまでも仕事場。
大きな行事は神殿を使えば良い。
初代皇帝はそう言い放ったという。
そういう訳で、ミゼラブル法王の大精霊召喚には、多くの民が訪れる事が予想されたが、十分に対応できると皇帝は考えている。
もちろん騎士団や衛兵などを派遣して、規律を正す必要があるが。
朝食にと皇后に呼び出されたサトリにも、その話は伝わっている。
ノアに会えるのも、あと3日。
サトリは胸が締め付けられるようであった。
朝食会の席には、儚い期待の通りノアが座っていた。
とても優しい顔でサトリを見たから、サトリはノアに飛びついて泣いてしまった。
ノアはそんなことは承知であったのだろう。
なぜなら、その場には誰もいなかったし、朝食会だと言うのに食卓テーブルではなく、ゆったりとしたソファーや寝椅子のある落ち着いた空間だったからだ。
ノアは寝椅子に座り、サトリに膝枕をしてやった。
散々泣いた後だったから、サトリは恥ずかしかった。
きっと目は腫れていて、鼻は真っ赤になっている筈だ。
サトリが両手で顔を覆うと、ノアが朗らかに声を掛けて笑った。
「散々泣いていたのに、今頃恥ずかしがるなんて。
サトリ、君は全く僕を飽きさせないよね」
「笑わないでください。
泣きたくて泣いたわけじゃないわ。どうしても止まらなかったの」
「あぁ、そう言えば、サトリは昔、泣き止み方が分からないと言って泣いていたことがあったね」
「まぁ、そんな大昔の事を覚えているなんて!酷いわ」
「どうして?どんな君も、僕の大切な思い出だ。
一つだって忘れることなんて出来るものか!」
「ごめんね、サトリ。
約束したのに。あの時、もう二度と君を泣かせたりしないと。
ごめんね。
また、君を泣かせてしまった。
僕は傲慢だったね。
絶対に君を守ると誓って、その誓いを果たせると思っていたのに……」
「ノア、ノア。謝らないで!
お願い。謝ったりしないで。
ねぇ、ノア。私、決めたの。もう決めたの。もう泣かない。
だからノア。私を信じて欲しいの」
「困った子だねぇ。サトリは。
そうだったね。僕は、君はまるで勇者みたいだと言ったことがあったっけ。
あの時、君は僕の頬を打った」
「ええ、そうよ。
あの時、ノアは少しだけ意気地なしだったから、私がノアの頬を打ったのだわ」
「女性に打たれたのは。いいや男も含めて、僕を打ったのは君だけだよサトリ」
「そうよ。私は勇者なの。
だからもう決めた。たとえノアだって、私を変えたりできないわ」
「サトリ、君はこの国唯一の聖女なんだよ」
「そうよ、ありがたいことにね。
私は聖女として、大精霊召喚に立ち会うつもりよ」
「ありがとう、サトリ。
でも、無理だよ。大精霊は情に左右されはしない。
情があるかどうかも不明なのだ」
「神殿は君に3日の休暇をくれた。
だから、この3日間、僕らは一緒に過ごせる。
僕は、それだけで十分だよ」
「相変わらずね、ノア。
いつもいつも計算ばかりしている。
何度も、何度もシュミレーションをして、イレギュラーを排除して、そうしてノア。
貴方はいつも勝利してしまう。
でも、でも。奇跡が起きるかも知れないでしょう?
私は最後まで、運命にあがらいたいの」
ノアは黙ってサトリを抱きしめた。
サトリがここまで悲しむとは、思ってもいなかった。
自分の亡きあと、サトリは聖女として、民を癒し、民から崇拝されて生きていくだろう。
そんな風に思った自分が情けない。
サトリの望みは自分だけだったのに。
そうだった。
出会ったあの時から、今まで。
地位も、名誉も、贅沢も。
サトリは歯牙にもかけなかった。
ただ一途にノアを愛し続けた。
馬鹿な女。
人はそう言うだろう。
ノアに守られているだけの女。
そう言うものもいる。
だけど本当は、守られていたのは自分だ。
ずっとずっとそうだったのだ。
なんて愚かだったのだろう。
あぁ、神様。
僕は、この愛しい人を残して行きたくはない。
神様。
僕はどうすれば良いのでしょうか?
ノアは人生で生まれて初めて、計算できないことにぶつかってしまった。
自分の命まで丁寧に計算して利用したというのに。
愛を計算出来なかった。




