第31話 怒髪天を衝く
蛇窪ダンジョンから戻ったその日の夕方。
俺と七瀬、緋見の三人は、副会長執務室へと呼び出されていた。
「……映像は、最初から最後まで見せてもらった」
猪熊が満足そうに太い腕を組んで言う。
映像とは、ライブスフィアが撮影していたものだろう。
「君たちは、実に立派に戦った。たった二人だけで最奥まで到達し、ボス相手にあそこまで健闘するとはな。……少々驚かされたよ」
「あ、ありがとうございます……!」
七瀬と緋見がわずかに顔を上げる。
やめとけやめとけ、期待なんかすんな。
どうせ本心じゃねえよ。
どっちかっつーと、「これマジで勝っちゃうんじゃね……?」ってドキドキしてたくらいだろ。きっと。
「君たち二人を、将来有望なダイバーだと認めよう」
「それじゃあ……!」
「――だが、失格は失格だ」
ほれみろ。
ぴしっと七瀬の表情が固まり、緋見も悔しそうに眉を寄せた。
「ち、違うんです! 蛇窪に出てきた魔物は、S級ダンジョンに出るものばかりでした!」
「それがどうした?」
「どうしたって……だから、実際はS級だと――」
「公式登録上A級だ。本当はとか、実際はとか、そんなものはない」
「そんな……」
猪熊は隣に立つ根津に、視線で合図を送った。
「以上、我々の見解は『指南の成果無し』だ。おい、根津」
「はい。こちらに解任に必要な書類を用意しております。私としても誠に残念ではございますが、決まりは決まり。御影様には、こちらへサインをしていただき――」
「待ってください!」
今度は七瀬が声を上げた。
「指南の成果が無いだなんて、そんなこと言わないでください! オレは先生から色んな事を教わったんす! だから、だから……!」
「くどい。結果が全てだ。多少の成長はあったかもしれんが、求められた成果には到達しなかった。それで話は終わりだ」
猪熊はくるりと椅子を回し、こちらに背を向ける。
が、途中で「いや」と呟き、そのまま一回転して戻ってきた。
再びこちらに向けられた顔には、歪んだ笑みが浮かんでいた。
「そこまで解任を止めてほしいのなら、一つだけ方法があるぞ」
「……な、何すか」
七瀬が尋ねると、猪熊は机の前の床を指さした。
「――土下座したまえ」
誰も言葉を発することができなかった。
少しだけ沈黙が流れ、やがて七瀬が口を開く。
「何を……言ってんすか」
「聞こえなかったかね? 七瀬君と緋見君、二人揃って私に土下座をするんだ」
「そんな……そんなのって……」
緋見の声が震える。
「『先生を解任しないでください』と、床に額を擦りつけろ。誠意が伝われば……そうだな、再考してやらんこともなくはない」
「おお……さすが副会長。ご寛大でございますなあ」
「そうだろう?」
根津が口元を隠しながら、くつくつと笑った。
七瀬と緋見は動けない。当然だ。
命を懸けて戦ってきた二人に、コイツは今、何を言った?
もう、我慢の限界だ。
「どうした? 『先生』を守る最後のチャンスだぞ?」
「そうでございますよ、お二人とも。しょうもないプライドなどお捨てになって、土下座をするのです」
「ほれ、土ー下ー座だ」
「土ー下ー座、でございます」
「「どぉーげぇー」」
――バスン!!
「ひぃいっ!?」
俺の弾いた影の弾丸が、猪熊の顔の数センチ横を通り抜けた。
椅子の背もたれに指先程の穴が開く。
悲鳴を上げた猪熊の額から、ぶわっと一気に汗が出た。
「み、御影 仁……!?」
猪熊は震える声で俺を呼ぶ。
俺は、ゆっくりと奴に近づいた。
「俺をクビにしたいなら好きにしろ」
「あ、いや、その……!」
「無能だと言おうが、役立たずだと蔑もうが、勝手にすればいい」
「そ、そんなことは……」
「だがな」
影を槍のように尖らせ、猪熊の顔に突きつける。
「――コイツらを馬鹿にするのだけは許さん……!!」
「う、うひぃ……!!」
猪熊の顔から血の気が引いていく。
隣の根津も、へなへなとその場にへたり込んだ。
「格上のS級ダンジョンで、コイツらは命を張ったんだ。それが何故かお前に分かるか?」
猪熊は目玉を影の先端に向けたまま、小さく首を横に振る。
「仲間のためだ。仲間に想いを託されたから、俺なんかを指南役に残すために、S級ダンジョンのボス相手に限界まで戦った。傷だらけになって、それでも諦めなかった!」
「――……!? ――!!」
影が伸び、猪熊の鼻先に数ミリ食い込む。
赤い血が一滴、流れ落ちた。
「お前みたいな薄汚れた下種が、嘲笑っていい人間じゃねえんだよ!」
執務室に、深い沈黙が落ちる。
猪熊は何かを言う事も、身動きを取る事もできず、ただ震えていた。
けれどすぐに歯を食いしばり、キッとこちらを睨みつけてきた。
「こ、これは明確な脅迫行為だァ!!」
「……急にうるせえな」
猪熊はまるで恐怖を隠すかのように、声を無理やり張り上げる。
俺はそこで魔法を解き、猪熊から少し離れた。
「やはり貴様に指導者の資格などない! 御影 仁、貴様は即刻指南役から――」
「待ってください!」
「文月……?」
執務室の扉が勢いよく開かれる。
声の主は文月だった。
息を切らし、飛び込んでくる。
「もう少しだけ待ってくださいませんか!」
「何だまた貴様か!? もう結論は出た!」
「あと少し、少しだけでいいんです!」
「何を待つ必要があるというのだ!」
「今、こちらへ向かっているんです!」
「向かっているゥ……!? いったい、誰がだ!?」
「そ、それは……」
言葉を詰まらせる文月に、猪熊は鼻を鳴らした。
「時間稼ぎか、くだらんな。何者が来ようが結果は変わらん! 仕切り直しだ!」
猪熊が机を叩き、バンと大きな音が鳴る。
「御影 仁、貴様を本日付で、指南役から解に――」
――ゴウッ!
「な、何だ……!?」
その時、執務室に強烈な魔力の揺らぎが発生した。
魔力感知に慣れていない猪熊ですら、狼狽えてしまう程の魔力だ。
俺は、その魔力の発生源に視線を向けた。
執務室の一角。
何もないように見える空間。
そこに不自然に魔力が収束している。
俺はその現象に覚えがあった。
「これは……」
何もないはずの空間が、ぐにゃりと震えた。
水面へ水滴が落ちた時のように、景色へ波紋が広がる。
空間を揺らす波は徐々に大きくなり、やがて、中央にぽっかりと空洞を作った。
「な、何も無い所に、穴が……!?」
七瀬が驚いて尻もちをつく。
空間にできた暗闇の穴は、人一人が通れるほどの大きさになる。
そして、その穴から――
和服姿の少女が、ぴょこんと飛び出した。
小柄な身体に、陶器みたいな白い肌。
腰下まで伸びた艶やかな黒髪と、少し眠たげな銀の瞳。
小袖にカラフルな羽織を重ねたその姿は、高級な人形のようだった。
「――ゆ、夕凪……!」
俺は思わず声を上げた。
隣で文月の顔がぱっと明るくなる。
「良かった……! 間に合ったんですね、ありがとうござ――」
しかし、夕凪は文月を見なかった。
穴から飛び出すと、一直線にこちらへとてとて走ってくる。
そのまま、俺の腹へぼすんと抱き着いた。
「見っけ……ぱぱ」
「誰がパパだ!」
「 」
俺は慌てて訂正するが、時すでに遅し。
文月からゴッと漆黒のオーラが噴き上がる。
だが夕凪はそんな事もお構いなしで、俺の腰へ腕を回して、つぶらな瞳で見上げてきた。
「久しぶり、ぱぱ」
「だからパパじゃねえって……!」
そんな珍妙な再会を果たしている間に、猪熊は椅子から立ち上がる。
「な、なぜ貴様がここにいるのだ!?」
震える太い指で夕凪を指す。
「――世界ランク7位・『朧 夕凪』ぃぃぃ!」
夕凪は猪熊を一瞥し、「うるさいな」とでも言いたげに顔をしかめた後、再び俺の腹へぐりぐりと埋めてきた。
相変わらず、興味ない事はどうでもいいって感じだな。
だがしかし、本当になぜここへ来たのか……と考えていると、穴の向こうから落ち着いた男の声が聞こえてきた。
「僕が頼んだんだ」
「っ!?」
猪熊の身体がびくりと跳ねる。
穴の向こうから一人の男が歩いてきた。
白髪交じりの髪に、細身の身体をした男だ。
穏やかな顔をした男とは逆に、猪熊と根津の顔色は悪くなる。
「か、会長……!?」
猪熊が声を裏返らせた。
というと、日本ダンジョン協会の会長だろうか。
多忙で世界を飛び回っていると文月から聞いていたが、そんな男がなぜここへ。
男は穴を出ると、夕凪と同じように俺の前まで歩いてくる。
俺は夕凪を腹にぶら下げたまま、彼を見た。
うーん。
どこかで見たような気がする。
だが、思い出せない。
彼は俺の前で足を止め、そして深々と頭を下げた。
「――ご無沙汰しております。御影 仁さん」
「「……は?」」
俺の声と猪熊の声が、綺麗に重なった。




