第29話 落ちこぼれ・前編
2016年、某月。
ある日を境に、世界各地でダンジョンが出現し始めた。
街中に、山奥に、海上に。
何の前触れもなく現れる禍々しい石造りの門。
その向こうには、地球上のどこでもない、謎の空間が広がっていた。
内部を徘徊する異形の怪物――魔物。
ダンジョンとともに世界へもたらされた未知のエネルギー――魔力。
そして人類の一部には、その魔力を体内で生成できる者と、それを使って既存の物理法則では説明できない現象――魔法を操れる者が現れた。
既存の兵器は魔物にことごとく通用しない。
そのため国は、魔力を生成できる人間を集めた。
そうして結成されたダンジョン攻略部隊。
当時15歳の俺は、その一期生だった。
世界を救う、なんて大それた使命感があったわけじゃない。
ただ、魔力を持っていて、影を操るっていう地味な魔法が一応使えて。
それに何より、実家が色々と事情ありだったから。
だから、攻略部隊に参加した。
それだけだったんだ。
「――ハァ……ハァ……くそぉ……!」
俺は訓練場の隅で、両膝を地面についていた。
全身が重い。
肺が焼けるように痛い。
もう少しの力も残っていない。
魔力を流し、身体能力を向上させる。
それが魔物と戦うための第一歩だったのだが、俺は三分も維持できなかった。
一部を強化しようとすれば、別の個所の強化が途切れる。
全身へ均等に意識を向ければ、一か所当たりの出力がカスになる。
無理やり魔力を使えばすぐにガス欠。
そんなダメダメな俺の横を、他の隊員たちが次々と駆け抜けていく。
「御影、体調悪いのか?」
「ゼェ、ハァ……す、すみませ……少し、苦しくて……」
タッタッとその場で駆け足を続けながら、少し年上の同僚が声をかけてきた。
彼は額から汗を流しているが、表情にはまだまだ余裕が見える。
訓練開始から三十分も全力疾走を続けているのに、だ。
「あんまり無理すんなよ、まだ子供なんだから」
アンタもそんなに歳変わんないでしょ。
そう言いたい気持ちをぐっとこらえ、俺は問いかける。
「そ、それ、どうやって維持してるんですか……?」
「それ?」
「その、魔力をずっと、身体に流すのって……」
彼はぽかんとした。
本気で分からない、そんな表情だ。
「……普通に流し続けてるだけだけど」
「え、いやその、だから……途中で途切れたり、ガス欠になったり」
「あー。まあ考え事してると、たまにあるか……? くらいかな」
「か、考え事……」
そんな余裕ねえって。
だが、彼も馬鹿にしている様子はない。
彼や他の隊員にとって、身体強化は息を吸うのと同じようなことらしかった。
「ま、そのうちできるようになるさ」
そう言い残し、彼はまた走っていった。
追いかける気には到底なれないような速度で。
そして他の隊員たちも、ビュンビュンと風を切って俺の横を駆け抜けていく。
「ば、化け物ばっかりだ……」
そう呟いて、俺は地面に頭をこすりつけた。
そんな風に、初歩の段階で俺が躓いている間にも、同僚たちは次々と訓練課程を進めていた。
一度見た動きはその場で再現する。
初めて扱う武器を、何年も使ってきたように操る。
俺が数十センチ影を動かすだけで頭痛を起こす、その横で。
連中は当然のように炎を出し、雷を操り、大地を割っていた。
「よし、今日から実戦形式の対人訓練に移るぞ!」
「た、隊長……待ってください、俺まだろくに魔法を使えなくて……」
「御影、残念だが待てない。こうしている間にも、世界では命が失われているんだ」
ゲート暴走、という。
出現から三ヵ月ほど経ったダンジョンからは、魔物が這い出すようになる。
自衛隊でも軍隊でも止められない。
隊長は冷たい人ではなかったが、『自分たちが戦力にならなければ、代わりに民間人が死ぬ』という状況が、隊長を厳しくさせていた。
「遅れた分は、どうにか自分で埋めてくれ」
「……はい」
俺は歯を食いしばって、寝る間も惜しんで訓練についていった。
初めてダンジョンに突入した日、俺は一体の魔物を倒すのに何分もかかった。
犬に似た四足歩行の魔物――ハウンドドッグと名付けられた種族だ。
「うおおおおおおっ! 影操術ッ!」
地面に落ちた俺の影が、細い縄のように持ちあがり、魔物の前足へ絡みついた。
が、次の瞬間、あっさりと引きちぎられる。
「うおっ!?」
跳びかかってきたハウンドドッグを、床を転がって避けた。
だがその拍子に爪が肩を掠め、装備が裂ける。
「――ガウバウ!!」
「く……や、やめろ……!」
即座に切り返し、追撃をしてくるハウンドドッグ。
俺は尻もちをついたまま、敵の牙と爪を必死に躱し続けた。
「止まれってんだよ!!」
もう一度影を伸ばす。
今度は一本でなく、何本も重ねる。
魔力消費もその分激しくなるが、死んでしまっては元も子もない。
「く、おおお……っ!」
「ガルッ……!?」
前後の両脚へ絡めた影の縄を、全力で引く。
ハウンドドッグの動きが一瞬だけ鈍り、隙ができた。
「うわああああああっ!!」
叫びながら短剣を首へ突き刺す。
しかしあまり入っていかない。
魔法を使っていた分、腕力の強化が浅かった。
「グルアッ……!」
ハウンドドッグは暴れ、俺を振り落とそうとする。
俺は必死にしがみつきながら、何度も何度も短剣を突き立てた。
「死ねっ……死ねっ……!」
肉を裂く感触。
骨に当たる硬い手応え。
もう何十度目かも分からない攻撃の末、ようやく魔物は力なく倒れた。
「はっ……はあっ……か、勝った……!」
俺は死体の横へへたり込んだ。
手がしびれている。
魔力もほぼ残っていない。
使っていないはずの筋肉まで、やたらじんじん痛む。
無我夢中で手にした情けない勝利だが、俺は人生で初めての一勝を、手にし――
――ドガァン!!
「うひぃっ!?」
背後で爆音が轟いた。
慌てて振り返る。
すると業火が通路を走り、押し寄せていた魔物たちをまとめて飲み込んでいた。
また、その少し奥では、異様に巨大化した腕の隊員が、一撃振るうごとにばったばったと魔物たちを薙ぎ倒していく。
「おーいこっち片付いたぞ!」
「こっちも終わりだ! 先へ進めるか!?」
同僚たちは何でも無いような顔をしていた。
俺はさっき倒した一体と、向こう側に転がる無数の死体を交互に見て、恥ずかしさと情けなさで胸がいっぱいになった。
「……勝てる気がしねえ」
魔物にではない。
仲間たちに、だ。
初めての攻略を終え、拠点へ帰還した俺は、壁際に座り込んでいた。
「悔しいな……どうしてこうも違うんだ」
俺が一体倒す間に、仲間たちは何十体もまとめて倒す。
このままでは、いつか置いていかれてしまうかも――いや、とっくに置いていかれてるか。
そんな事を考えながら深いため息をついた、その時。
「うわあっ!?」
少し離れた所で、間の抜けた声がした。
見ると、若い男が荷箱をひっくり返していた。
着ている隊服からして、恐らく攻略部隊ではなく、その身の回りのサポートを行う補給係だろう。
年齢は俺と同じくらいか、少し下に見える。
「またお前か! いったい何度やらかせば気が済むんだ!」
近くにいた年配の男――若い彼の上司だろうか――が、雷を落とした。
「す、すみませんっ! すぐ片づけます!」
「チッ……そうだ、今朝言った備蓄の数量確認はもう終わったんだろうな?」
「え、あっ……!」
「してないのか!?」
「い、今しますぅっ!」
男は慌ててどこかへ走り去ろうとし、「いや片付けるのが先か」と方向転換してしゃがみ込み、自分がぶち撒けた荷の中身に蹴躓いて、その場にすっころんだ。
「……あーあ、何やってんだよ」
俺は思わず呟いた。
見ているだけで要領の悪さが伝わってくる。
まあ、自分も言えた立場ではないが。
「この馬鹿野郎が! とっとと動きやがれ! それ終わったら夕食の準備が待ってるからな!」
「は、はいっ!」
年配の上司はどこかへ去っていく。
男は羞恥で顔を赤くしながら、荷物を拾い集め始めた。
俺はその姿をしばらく眺めていたが、近くに瓶が転がってきていたのに気づき、それを拾い上げた。
男に近寄って、その瓶を差し出す。
「ホラ、落ちてたぞ」
「あ……ありがとうございま――あてっ!?」
男は勢いよく頭を下げ、ごつんと木箱にぶつける。
どこまでドジなんだ。
「お前も大変だな」
俺がそう言うと、彼は困ったように笑った。
「はは……向いてないですよね、僕」
「……辞めたいとか、思わないのか?」
「うーん。でも、誰かがやらないといけない事なので」
彼はそう言って、周囲を見回す。
つられて俺も視線を向けると、騒がしい拠点が映った。
「前線で命をかけて戦ってきた人たちに、必要な物を渡せない方が嫌なんです」
「……そうか」
「あっ、いけない。色々仕事が溜まってて……あの、瓶ありがとうございました! あなたも攻略部隊の方ですよね? 頑張ってください、応援してますから!」
彼は真っすぐな眼で俺を見て、そして木箱を抱えて駆けて行った。
途中で別の箱に足をぶつけ、痛そうに飛び跳ねながら。
「……向いてないけど、誰かがやらないといけないこと。か」
俺はその後姿を見ながら、ため息をついた。
アイツがまだ走っているのなら、俺も、もう少しは喰らいついてみよう。
そんな風に思えた。




