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第28話 蛇窪ダンジョン・ボス戦

前半は『七瀬(ななせ) 涼真(りょうま)』視点で進みます。

後半は『御影(みかげ) (じん)』視点に戻ります。

「――そろそろ、ボス戦だな」


 蛇窪(へびくぼ)ダンジョン奥深く、巨大な石門の前で仁がそう言った。

 門の奥から漏れ出る魔力は、ここまでの魔物とは比べ物にならない。

 七瀬は頷きながら、喉の奥が急速に乾いていくのを感じていた。


 ここまで来た。

 S級ダンジョンを、仁の手を借りず緋見と二人で。

 それでもまだ終わってはいない。

 むしろ、ここからがダンジョン攻略の本番とも言える。


「行くのか?」


 仁の問いに、これまでの戦いを振り返る。


 アビスガーゴイルに、レイスマンティコア。

 その他にも、A級ダンジョンではまず出会わないような強力な魔物を、緋見と二人で突破してきた。

 幸いにも致命傷は無いが、無傷というわけでもない。

 魔力の消耗も決して少なくない。


 それは隣に立つ緋見も同じだ。

 七瀬と緋見は互いに顔を見合わせて、同時に直感した。

 まだやれる、と。


「「当たり前です」」

「……だよな」


 仁はふっと笑い、頷いた。

 七瀬は前を向く。


「緋見」

「うん」

「最後だ」

「だね」

「ぶっかますぞ」

「任せなさい」


 いつものような軽快なやり取り。

 だが、その声にふざけた響きは無い。

 二人は石門を押し開け、中に入った。


 そこは例に漏れず広い空間で、天井は高く、壁面には鱗のような凹凸が走っている。

 床には薄く水が張り、足を踏み出すたびに波紋が広がった。


 ――ザパン!


「来るぞ!」


 七瀬が叫ぶ。

 広間の中央、水面が盛り上がった。

 水が滝のように流れ、ぬるりと白い鱗が現れる。

 

 それは、三本の首を持つ、巨大な白い蛇だった。

 それぞれの口元からは紫がかった霧が漏れている。

 三対の瞳が、別々の位置から七瀬たちを見下ろした。


(強いな……間違いなく、ここまでの魔物の比じゃない)


 七瀬は細剣を構えなおした。

 「無理だ」と警鐘を鳴らす臆病な自身の心を、必死に黙らせる。

 怖気づいてしまえば、その瞬間に体は停止する。

 勝ち筋を見いだせなくなる。


(御影先生に教わったことを思い出せ……!)


 相手を見ろ。

 自分を見ろ。

 味方を見ろ。

 どんな時も冷静に、今できる最善を選べ。


「緋見!」

「分かってる!」


 七瀬が叫ぶと同時、緋見が前に飛び出した。

 短槍を腰に刺したまま、両手で大楯を構える。

 七瀬はその斜め後ろについた。


「――ヒュオオッ!」


 ボスの三つの首が同時に動く。

 一つが緋見へ、一つが七瀬へとそれぞれ向かう。

 そして残った一つは紫の霧を吐き、床を這わせた。


「くっ!」


 緋見は盾でボスの攻撃を受けた。

 七瀬にそんな防御力はない。

 水に足を取られながら床を転がり、ボスの噛みつきを回避する。


「危ねっ……!」


 転がった先に紫の煙が迫る。

 先ほど、残る一つの頭が吐き出したものだ。

 何の効力を持つ煙なのかは不明だが、十中八九毒だろう。

 七瀬は強く床を蹴って飛び退()き、煙から距離を取った。

 着地と同時に靴底が水を弾く。


(そうだ……今まで通りってわけにはいかない……!)


 これまでは緋見が敵の注意を引き付け、その隙に七瀬が攻撃する、という作戦を取ってきた。

 緋見の防御力、七瀬の攻撃力。

 互いの長所だけを相手に押し付けるような戦い方だ。


 だが、目の前のボスは頭が三つある。

 視界も三倍、手数も三倍だ。

 緋見が防げるのはせいぜい一発だけ。

 残り二発を何とか自力で躱す必要がある。


「七瀬!」


 緋見の声が飛ぶ。

 七瀬は視線を向けた。


「アタシが二つ持つ!」

「な……」


 緋見は三つある首のうち、二つを同時に相手取ると言っているのだ。

 一撃堪える事ですら精一杯だろうに。


「無茶だ!」

「無茶しなきゃ勝てないでしょ!」


 それもまた事実だった。

 相手は三、こちらは二。

 文字通り頭数が足りない。

 このまま耐え忍ぶだけの戦いを続けるのは分が悪い。

 どこかで勝負に出る必要がある。


「身体強化を限界まで回す!」

「限界までって……魔力がもたないだろ!」

「少しは持つよ!」

「少しってどれくらいだ!」

「わかんない!」

「はぁ……!?」


 ダイバーは魔力を糧に身体能力を向上させ、魔物と戦う。

 緋見はそれを、魔力を使い切る勢いで行うつもりらしい。


「だから、その間に一本落として!」

「っ……」


 七瀬は息を呑んだ。

 緋見が二つの首を引き受ける。

 その間に自分が残る一つを仕留める。

 

 理屈は分かるし、こうするしか手はない事も分かる。

 だが、緋見にかかる負担が尋常ではない。

 魔力を限界まで身体強化に回せば、瞬間的にはボスに引けを取らない出力を得られるかもしれない。

 だが、長くは持たない。

 

 そして、その限られた時間の中で、自分が一体仕留め切ることができるのか。

 ギャンブル要素が多すぎる。

 諸刃の剣どころではない。


「七瀬!」


 再び名を呼ばれ、緋見の目を見る。

 決意は固い。


「……分かった!」


 七瀬は細剣を握り直した。


「オレが落とすまで絶対に持たせろよ!」

「アタシが倒れる前にやっつけてよね!」


 互いに言い合って、二人は少し距離を取る。

 

「さあ……いっちょやりますか!」


 緋見の全身から魔力が迸った。

 魔力を筋肉に、骨に、神経に流し込み、身体能力を引き上げる。

 固有の魔法を持たない多くのダイバーにとって、基礎であり、もっとも重要な技術だ。


「ばっちこい!」

「ヒュオッ!」


 ボスの首の一つが緋見へ噛みつく。


「はぁっ!」


 緋見は盾を正面から叩きつけた。

 防御こそ最大の攻撃――盾撃(シールドバッシュ)だ。


 巨大な蛇の頭が横へ弾かれる。

 直後、別の首が緋見へ襲い掛かった。

 その首へ緋見が短槍を突き込む。

 

「ヒュッ……!」


 深くはない。

 だが、鱗を削られた首が、ぎょろりと緋見を見る。


「いいよ、どっちともアタシに来て!」


 緋見が叫ぶ。

 ダメージを喰らった二つの首は、緋見へ注意を向けた。

 

 残る一つの首。

 それが七瀬の相手だった。


「ソッコーで仕留めてやるよ!」


 七瀬は魔力を全身に流した。

 足へ、腹へ、肺へ、腕へ、指先へ熱が巡る。

 

「ヒュオオオオッ!」


 蛇の頭が迫る。

 七瀬は真正面からぶつからない。

 攻撃の軌道を見て、半歩ズレる。


 ガスッ!


 白い牙が七瀬の肩を掠めた。

 肉が裂け、血が吹き出る。

 だが、無視する。

 ギリギリを狙った代償だ。


 七瀬は首の下へ潜り込んだ。

 鱗の隙間に細剣を突き刺す。

 そこから紫色の血が飛び散って、蛇の首は大きく跳ねた。


(ここで止まるな……仕留め切れ!)


 離れた瞬間、七瀬はもう一度深く踏み込んでいた。

 壁際の濡れた石を蹴り、踏み込みの角度を変える。

 

「落ちろ!」


 細剣が、同じ傷口を穿った。

 今度はもっと深いところまで剣を突き立てる。


「ヒュオオオオオオオオッ……」


 ボスの首は大きく痙攣し、そのまま水面へ落ちた。

 白い鱗が灰色に変わり、力を失っていく。


「ハァ、ハァ、ハァ……まずは一本!」


 肩から血が流れているし、足も重い。

 だが、止まるわけにはいかない。


「緋見!」


 七瀬が振り向くと、緋見はまだ二つの首相手に持ちこたえていた。

 

 盾で一方を弾き、槍でもう一方を突き返す。

 毒霧が来たら位置を少し移動する。

 しっかり立ち回れているように見えるが、動きは明らかに鈍っていた。


 七瀬は慌てて走った。

 緋見が引き付けている今しかない。

 

 ボスの首が、緋見をかみ砕こうと口を開いた。

 七瀬はその横から飛び込む。

 狙うのは首の付け根。

 意識が緋見へ向いているその隙に、七瀬は弾丸になったようなつもりで、そこへ全身をねじ込んだ。


「二本目ぇぇぇっ!」


 ずぶりと剣尖が鱗に食い込む。 

 だがまだ足りない。

 七瀬は両手で柄を握り、さらに魔力を叩き込んだ。


「うおおおおっ……!」


 白い鱗がぱきんと割れ、紫の血が噴き出す。

 そして、二本目の首が崩れ落ちた。


 残りは一つ。

 これで二対一だ。

 勝てる。


 七瀬がそう思った、次の瞬間だった。


「あ……っ」


 緋見の身体から魔力の気配がふっと抜けた。

 限界まで回していた身体強化が切れたのだ。

 最後の首はその隙を逃さず、横殴りに緋見を打った。

 盾ごと、緋見の身体が吹き飛ばされる。


「緋見ーっ!!」


 七瀬は叫び、全力で駆けた。

 横からはボスの巨大な顎が緋見に迫っている。


(間に合えっ……! ボスの追撃よりも早く、緋見を救うんだ……!)


 先に到達したのは七瀬だった。

 倒れ込む緋見の身体を抱え、横へ跳ぼうとする。


「――っ!?」


 そこで、足が滑った。

 ほんの一瞬、たったそれだけの遅れ。

 だがそれが致命的だった。

 

 白い牙が二人へ迫る。


(回避が間に合わない。せめて緋見だけでも――)


 万事休す。

 そう思った瞬間――ばしゃん、と音がした。

 

 七瀬の目の前で、最後の首が落ちたのだ。

 白い蛇頭が水しぶきを上げ、歪み一つない切り口から血が噴き出す。


 その横に、仁が立っていた。

 剣を手にぶら下げたまま、静かに七瀬の方を見ている。

 そして、いつもの軽い調子で言った。


「……よく頑張ったな」




------




「緋見ーっ!!」


 七瀬の叫びが響いた。

 俺は、その瞬間にはもう魔力を練っていた。


 いつでも入れるように。

 二人の限界が来たら、即座に割って入れるように。

 正直、もっと早く止めるべきだったのかもしれない。


 だが、あいつらは最後まで足掻こうとしていた。


 緋見が二つの首を抱えた時も。

 七瀬が一本目を落とした時も。

 二本目に食らいついた時も。


 俺は、手を出したい衝動を何度も押し殺した。


 もう少しで勝てる。

 あと少しで倒せる。

 そう思わせるだけの戦いを、あいつらはしていた。


 だが、緋見の身体強化が切れた時、限界だと感じた。


「ふっ――!」


 俺は地面を蹴った。

 視界の端でライブスフィアがついてくる。

 黒い球体が、ちょうど俺の動線上へ入りかけていた。


 邪魔だ。

 避けている暇はない。

 肩で押しのけるようにぶつかる。

 ライブスフィアが横へ弾かれる。


 俺はそのまま前へ出た。

 走りながら腰の剣に手をかける。

 残った首が七瀬と緋見へ噛みつく、その寸前。


 ――横から一閃。


 俺の剣が、白い鱗を裂いた。

 床に浅く張った水へ、首がばしゃんと落下する。

 七瀬が緋見を抱えたまま、呆然とこちらを見ていた。


「……よく頑張ったな」


 心から、そう思った。

 こいつらは、本当に凄かった。

 S級と比べても遜色ない力を発揮した。


 俺は剣を収め、二人のそばへ歩く。


「大丈夫か。七瀬、緋見」


 七瀬はハッとした様子で腕の中の緋見を見る。


「オレは大丈夫すけど、緋見が……」

「あ、アタシも……だいじょぶだよ……」


 緋見は極めて軽度な魔力枯渇だったらしい。

 例えるなら、一日ぶっ通しで訓練した後みたいな感じ。

 へろへろだしフラフラだけど、命に関わるようなダメージは無い。


「よ、良かった……!」

「わっ!? ちょ、ちょっと、急に……!」


 七瀬が緋見を抱えたまま、ぎゅうっと抱きしめた。

 緋見は顔を赤くしつつ、腕の中でもがく。

 うんうん、青春だね。


「二人とも、マジで凄かったぞ」


 俺は少しだけ大げさに、拍手をしながら言った。


「でも、勝てなかったっす」

「うん……ダメだったね」


 七瀬は緋見をそっと下ろし、濡れた石床に座り込む。

 褒めたつもりだったが、二人の顔は晴れなかった。


「あと、少しだったのに……」

「俺たちだけじゃ、倒せなかった」


 七瀬の声が震える。


「試験、失格っすよね……」


 俺は黙って二人を見た。


「先生、クビになるんすよね。俺たちが、倒しきれなかったから」

「ごめんなさい……先生、あんなに一生懸命教えてくれたのに」


 緋見が俯く。


「アタシたち、結局S級の人たちみたいな天才にはなれないんですね……」

「どれだけ教わっても、最後の最後で届かない。先生を守りたかったのに……!」


 俺は、ふっと笑った。

 二人が顔を上げる。


「御影先生……?」

「お前らは才能あるよ」


 俺は言った。

 これは慰めや気休めじゃない。


「少なくとも、俺は本気でそう思ってる」

「でも、俺たちは……」

「それに」


 俺は七瀬の言葉を遮った。


「もし仮に、お前らが凡才なら――」


 言いながら、近くにあった崩れた岩へ腰を下ろす。

 濡れていたが、どうでもよかった。


「俺は落ちこぼれだ」


 七瀬と緋見が、ぽかんとこちらを見た。


「先生が……落ちこぼれ……?」

「嘘でしょ……?」

「嘘ついてどうすんだよ」


 苦笑しながら、俺は視線を落とした。

 水滴の音がする。

 その静けさの中で、少しだけ昔のことを思い出す。


 ダンジョンが現れたばかりの頃。

 何も分からず、人が死に続けていた頃。

 俺が、こいつらよりもずっと弱かった頃。


「……少し、昔話をしてやるよ」


 二人は黙って俺を見ていた。

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