第27話 文月のグルメ
本話は『文月 知世』視点で進みます。
昼休み。
文月 知世は、職場から少し離れた定食屋に来ていた。
店内の壁には手書きの短冊メニューが貼られ、じゅわじゅわと炭焼きの音がBGM代わりに流れている。
(そうそう、こういう店ですよ……!)
文月は眼鏡をくいっと直しつつ、目の前の盆を見つめた。
今日の昼食は、縞ホッケ定食。
大きな皿に、こんがり焼かれた縞ホッケ。
脇に添えられた大根おろし。
豆腐とあおさの味噌汁。
一粒一粒が輝く白米。
小鉢のひじき。
そして、きゅうりと白菜の漬物。
(完璧です……これは先生適正『◎』ですね)
文月は心の中で静かに頷いた。
変に洒落た店ではない。
メニューにカタカナが多くない。
ド直球に焼き魚、味噌汁、白米。
御影 仁がふらっと入って、適当に座って適当に注文し、「うんうん、こういのでいいんだよ」と言いそうな店である。
(それじゃあ、早速いただきましょう)
文月は帽子を脱ごうとして、少しためらい、やっぱり脱ぐのをやめた。
今の文月は伊達メガネにベレー帽。
いわゆる変装状態である。
世界ランク27位、文月 知世。
世間的に見れば『超』が付く世界的スターだ。
そのため、こうして外出する時は偽装が必要だった。
もっとも、彼女が昼に外食をするようになったのは、仁と再会してからである。
それまでは毎日弁当を作ってきていた。
だが今は仁と同じ職場で働くようになり、彼好みの店をリサーチする日々だ。
「いただきます」
文月はホッケの皮目に箸を入れる。
――ぱりっ。
軽い音がして、白身がほぐれた。
大根おろしに醤油を少し垂らし、ほぐした身と一緒に口へ運ぶ。
(これは……!)
文月は目を細めた。
しっかりと脂が乗っているけれど、決して重たすぎない。
焼き魚の香ばしさ、大根おろしのさっぱり感、そして粒だった白米が、至高のマリアージュを演出している。
『――悪くねえな』
「っ!」
向かい側に座る、イマジナリー仁がはにかむ。
文月は満足げに頷いて、脳内の『御影先生用おすすめ店リスト』にこの店の名を書き足した。
そして二口目を食べようとした、その時だった。
「はー、やっとメシだ」
少し離れたカウンター席に、中年の男二人が座った。
「俺、唐揚げ定食。ごはん大盛りで」
「じゃあ俺はサバ味噌。味噌汁、豚汁に変更ね」
肉、油、米。
前者は分かりやすい回復志向。
午後の活動を見越した、攻めの選択。
後者は良質なたんぱく質に、ビタミン補給。
疲労を芯から癒やしにくる受けの構え。
(食事にも、人生が現れる……)
などとどうでもいい分析をしていた文月の耳に、聞き逃せない単語が飛び込んできた。
「――で、『蛇窪』どうだったんだよ?」
「あー、めっ……ちゃ大変だったわ。マジで」
ホッケの身をほぐす箸の動きが、ぴたりと止まる。
蛇窪。
それは、仁たち三人が攻略に臨んでいるダンジョンの名だ。
文月は顔を伏せたまま、耳をそちらに向ける。
「そんなにヤバかったのか?」
「まあな。俺は先遣隊だから、極力魔物との戦闘は避けてたんだが……ありゃ間違いなくS級だよ」
――ガタン!
思わず文月は立ち上がる。
そのままカウンターの男二人へ駆け寄った。
「今、何とおっしゃいましたか!?」
「うおっ!? ちょ、何だよアンタ!」
男の一人が驚いて腕を振り、文月のベレー帽が弾かれる。
その瞬間、男たちの目が見開かれた。
「ふ、文月さん……!? 世界ランク27位の、文月 知世さんですか!?」
「何でこんな所に!?」
文月は余計なことは一切言わず、また一歩二人に近寄る。
「貴方、蛇窪ダンジョンの先遣隊に参加されていたと?」
「は、はい。そうです」
「それでS級だと判断されたんですか?」
「ええ。少なくとも、現場は満場一致でしたね」
(どういうこと……!?)
文月は口元に手を当て、数歩後退する。
理解が追いつかない。
蛇窪ダンジョンはA級のはずだ。
だからこそ、仁の指南の成果見せの場として選ばれたのだ。
それが『実はS級だ』となると、話が変わってくる。
猪熊 権蔵。
あの男が、何かをしたのだ。
「ありがとうございました!」
文月は男たちに礼を言い、ポケットから財布を取り出す。
金額を数える間もなく、レジのトレイに代金を置いた。
「残してしまってすみません、急用ができたので失礼します!」
「え、ちょっとお客さん! 多いよ!」
「お釣りは要りません! ごちそう様でした!」
店主の声を背に、文月は定食屋を飛び出した。
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文月は東京支部へ戻ると、そのまま副会長執務室へ向かった。
ノックもせずに扉を押し開ける。
「文月様!? いったい何用で――ふぎゃっ」
中にいた根津を押しのけ、奥の席へ一直線に駆ける。
猪熊は脂ぎった顔を文月に向け、一瞬だけ驚いたような表情を見せる。
だがすぐに分厚い唇を、憎々しそうにゆがめた。
「何かね、文月君。随分と礼儀を欠いた入室だな」
「分かっているはずですよ。蛇窪ダンジョンの件です」
「蛇窪の……? はて、何の事かな」
猪熊はわざとらしく首を傾げた。
「あそこは現場判定ではS級だった、という情報を耳にしました。それがなぜA級として登録されているんですか?」
文月の視界の端で、根津の肩がびくりと震えた。
一方、眼前の猪熊は全く動じない。
「……知らんな。私の所へ上がってきた時点では、A級だったぞ」
「そんなはずがありません! 現場の方に直接聞いたんですから!」
「と言われても困る。私は何も知らんからな」
「なら申請書の履歴を確認させてください! 始めからそうだったのか、途中で書き変わっているのかが分かるはずです!」
猪熊はため息をつきながら、首を横に振る。
「残念だが、新規発生ダンジョンの登録申請書は極秘データだ。君の権限では閲覧不可能だよ」
「なら、猪熊副会長の権限で表示してください」
「ハッ。なぜ私が、君の思い込みに付き合わねばならんのだ」
「っ……」
猪熊は少し腰を上げ、椅子に深く座り直した。
その顔には、隠しきれない愉悦が浮かんでいる。
文月は木のテーブルに、力強く手をついた。
「では今すぐ御影先生の試験を取りやめてください! 成果を認める条件は、A級ダンジョンの攻略だったはずです!」
「正式登録はA級だ。今後どうなるかは知らん。もしかしたら君の思い込みがたまたま当たって、後日S級ダンジョンとして再登録される可能性もある。……だが、蛇窪ダンジョンは、現時点ではA級なのだよ」
猪熊は文月の提案を即座に蹴った。
「まあ、何かトラブルがあったとしても、それを乗り越えるのがダイバーの仕事ではないのかね?」
「本気で言ってるんですか……!? 今回攻略に参加した若手二名はA級ですよ!? 死んでも良いと思っておいでですか!」
「まさか! ただ、ダンジョンとは常に想定外の連続だ。運も実力のうち……という言葉もあるだろう?」
鼻で笑う猪熊を見て、文月の堪忍袋の緒が切れた。
次の瞬間、文月は猪熊の胸倉を掴んでいた。
「く……ぷ……ぷっ……!」
猪熊の腰がふわりと浮き、口が圧迫されて空気が漏れる。
ゆうに百キロを超す猪熊を、小柄な少女が持ち上げた。
「どこまで腐ってるんですか、貴方は……!」
猪熊の顔が引きつる。
「文月様、それ以上は――」
「黙ってください」
「ひっ」
根津が情けない声を漏らした。
猪熊は額に汗を浮かべつつ、必死に目を逸らす。
その視線の先には、壁掛けの大型モニタがあった。
「こんなことを……している場合……かね……!?」
「そ、そうでございますよ文月様! さあご覧ください、彼らは今も攻略中ですよ!」
根津に言われ、文月はモニタを見た。
そこには、ダンジョン内部の映像が映し出されていた。
ライブスフィアからの配信だろう。
画面の手前には仁の背中が大きく映っている。
そしてその奥では、七瀬と緋見が必死に魔物と戦っていた。
動きが激しくすぐに認識できなかったが、相手は巨大な獣型の魔物だ。
獅子に似た体躯に、鎧のような外殻。
顔の半分は骨の仮面に覆われ、そこから覗く目が赤い光を放っている。
――レイスマンティコア。
S級ダンジョンで確認される魔物だ。
「なぜ戦っているんですか……!?」
この異常事態に七瀬も緋見も、ましてや仁が気づかぬわけがない。
それなのに二人だけで戦闘を行い、仁は黙って見守っている。
「実は現場に行ってみると、本当にA級だったとか……でございますかな」
「そんなわけがないでしょう!」
文月は即答した。
そして、理解する。
そんなわけがない。
三人は、分かったうえで戦う道を選んだのだ。
仁を指南役として残すために。
「ぐ、ぐえぇ……文月君、く、首が……!」
知らず知らず、文月の手には力が込められていた。
そして、ぱっとその手を放す。
猪熊が椅子に深く沈み込み、咳き込んだ。
一方、モニタの中では戦いが終わろうとしていた。
緋見がレイスマンティコアの注意を引きながら、七瀬が上から背中を突き刺す。
次の瞬間、その巨体が崩れ落ちた。
「……倒した」
文月が呟く。
二人は既に、S級に片足を突っ込んでいる。
という仁の言葉を思い起こしていた。
画面の中の三人は集まって、何かを話している。
ライブスフィアの映像がそこへ寄る。
微かに会話の内容を拾った。
『――そろそろ、ボス戦だな』
仁がそう言い、二人がこくりと頷く。
(皆さん、最後まで戦うおつもりなんですね……!)
ならば、自分もここで黙って見ているだけではいられない。
文月は踵を返した。
「なっ、どこへ行くのかね文月君!」
猪熊の声が背後から飛ぶが、文月は答えない。
再び根津を押しのけ、執務室を出る。
通路を駆ける。
役員たちが驚いて道を開ける。
文月はその間を抜け、エレベーターへ飛び込んだ。
扉が閉まると同時、文月はスマホを取り出した。
開くのは連絡先。
一人の名前を選択し、迷わず発信ボタンを押す。
呼び出し音が一度、二度、三度……。
繋がらない。
「お願いします……出てください、『朧』さん……!」
四度目の呼び出し音が鳴ったその時、通話がつながった。
『なに』
相変わらずの無感情な声音。
だが今は、そのいつも通りの反応が、文月のはやる心を少し落ち着かせた。
「朧さん、ご協力いただきたいことが――」
――ドッガアアン!!
「っ……!?」
小さく平坦な声の向こうから、爆音が鳴り響いた。
魔物のものと思しき咆哮と、何かが砕ける音。
文月は思わず言葉を詰まらせた。
「お、朧さん、今どこに……?」
『ぼすと、たたかってる』
「えっ」
『ようけんは、てみじかに』
文月は、スマホを握ったまま固まった。




