第26話 S級ダイバーの片鱗
本話は『七瀬 涼真』視点で進みます。
アビスガーゴイル。
自分たちの前に立ちはだかった石像のような魔物を見て、七瀬は汗をかいた。
(コイツはS級ダンジョンに出る魔物のはず……!)
何でA級ダンジョンにいるんだ。
そう内心で思ってから、すぐに納得する。
ああ、そういうことか……と。
「おい、緋見」
「うん、分かってる」
ちらりと横に視線を向ける。
緋見は、大楯を構えたままアビスガーゴイルを見据えていた。
どうやら彼女も、ここがS級ダンジョンだと理解したらしい。
「――下がれ、お前ら」
仁の声が湿った通路に響く。
今まで聞いたことのない程、低い声だった。
(せ、先生キレてる……S級の魔物よりよっぽど怖えって……)
仁は腰の剣を抜き、七瀬と緋見の前に立った。
「俺がやる」
「「――嫌です」」
七瀬と緋見の声が、綺麗に重なった。
仁は目を見開く。
「な……お前ら、アレS級だぞ?」
「見ればわかるすよ、オレだって」
七瀬は、アビスガーゴイルから目を離さずに答えた。
仁が言いたいことは、全て自覚している。
相手が格上だということも。
判断を一つ間違えれば、その時点で終わることも。
「それでも、下がるわけにはいかないっす。……御影先生を、クビになんてさせない」
七瀬がそう言うと、隣の緋見も後押しするように頷いた。
「何馬鹿なこと言ってんだ、そんな場合じゃないだろ」
「そんな場合ですよ。アタシたちが攻略に失敗すれば、御影先生は指南役を解任される……それが猪熊副会長との取り決めでしょ?」
緋見が引き下がらずに返す。
「それはそうだが、そもそもこの試験はA級ダンジョンでやるはずだったんだ。そこを指摘すれば、後でどうにだって――」
「ならないっすよ。『登録上はA級ダンジョンだから失敗は失敗だ』って、副会長は言うでしょうね。……そんなこと、先生だって分かってるくせに」
「っ……」
仁は押し黙る。
彼は全てを理解したうえで、わざと気づかないフリをしていたのだ。
七瀬と緋見が、素直に引き下がってくれる可能性にかけて。
自分の進退がかかっているというのに、教え子の安全を第一に考える。
その芯は必ずブレない。
だからこそ憧れるし、失いたくないのだと、七瀬は思う。
「オレたち、まだ御影先生に教わりたいことが山ほどるあるっす」
「御影先生の教え子たち全員、先生に残ってほしいと思ってますよ」
緋見の言葉に、七瀬は細剣を握り直した。
この試験は、自分たち二人だけのものではない。
訓練場で背中を押してくれた仲間たち。
仁の指導を受けて、少しずつ変わり始めているダイバー全員。
その期待を背負って、自分たちはここへ来た。
「……だからって、命を張るような話じゃねえだろ」
「もちろん、死ぬつもりなんて毛頭ないっす」
七瀬は軽い調子で返事をした。
「できる所までやらせてくださいよ。で、先生が危ないって感じたら、その時は止めてください」
「アタシも、何もせず尻尾を巻いて逃げるのは嫌ですから」
仁は苦い表情をして、また黙った。
本心は明白だ。
今すぐ七瀬と緋見を下がらせたいのだろう。
それでも、七瀬は引き下がらない。
仁と出会い、二十回もの敗北を経験し、伸びきった鼻っ柱を叩き折られ、成長させてくれた。
だが、まだだ。
まだ、教わり足りない。
七瀬は、もっと強くなりたい。
「……分かった」
仁は小さくため息をついた。
「ただし、いざと言う時は無理やり割って入るからな」
七瀬と緋見は同時に頷き、アビスガーゴイルに一歩近づいた。
「緋見、守りは頼む」
「任された。アンタは確実に仕留めてよね」
「分かってる。必ず倒す」
二人の間に、いつものような言い争いは無い。
気に入らないとか、どっちが上だとか、この場ではどうでもよかった。
目の前にいるのはS級の怪物。
一つのズレが死に直結する相手だ。
「――ガグルルル……」
アビスガーゴイルが低く唸った。
背中の大きな翼が広がり、羽音――というよりは、石同士をこすり合わせるような不快な音が響いた。
直後、巨体が飛翔する。
「速い……!」
緋見はすかさず盾を掲げる。
石像のような見た目に反して、アビスガーゴイルの動きは軽やかだ。
天井近くまで飛び上がり、真上から鉤爪を振り下ろす。
「――っ!」
鋭く尖った爪の先端が盾に触れる、その寸前。
緋見は盾の角度を斜めに逸らした。
攻撃の軌道が横へ流れる。
衝撃は石畳へ逃げた。
床が砕け、緋見の足が沈む。
「よく耐えた!」
七瀬は既に動いていた。
緋見が必ず初撃を受けきると、そう信じて。
アビスガーゴイルの死角から踏み込んで、細剣を突きたてる。
刃が岩石の皮膚に当たり、火花が散った。
「くそっ……攻撃が通らない……!」
七瀬は反射的に二撃目を放とうとした。
ところで、踏みとどまる。
『――単調な攻撃をするな。どんな時も冷静に、相手を見続けろ』
脳内で、仁の声が聞こえた気がしたからだ。
七瀬は即座に横へ飛びのく。
次の瞬間、アビスガーゴイルの顔がぐりんと回転した。
「――ガアッ!!」
赤黒い一つ目が光り、口元から圧縮された魔力弾が射出される。
魔力弾は先ほどまで七瀬のいた位置を通り、ダンジョンの岩壁を粉砕する。
(危ねぇ……! 欲張ってたら即死じゃんか……!)
「――よく躱した! バッチリだよ!」
緋見が言葉を投げかける。
少し怖気付きそうになっていた七瀬の心を、その声が落ち着かせた。
(落ち着いて考えろ……! どうすればいい。こんな時、御影先生なら――!)
思い返して、七瀬の脳に電撃が走る。
真正面から殴っても、ダメージは与えられない。
ならば。
「緋見! もう一回やらせてくれ!」
「オッケー! ……岩頭、こっち向け!」
緋見は手に持った短槍でアビスガーゴイルの皮膚を削る。
アビスガーゴイルは再び振り向いて、緋見を視界に捉えた。
直後、巨大な脚での前蹴りが緋見を襲う。
「どっ――」
緋見は槍を捨て、両手で盾を構える。
「――せい!」
直撃の瞬間、真上へ盾を跳ね上げた。
アビスガーゴイルの片足が上がり、上体をふらつかせる。
「七瀬!」
「おう!」
七瀬は壁を蹴って跳躍する。
(先生なら、弱点を狙うハズ……!)
アビスガーゴイルは石像の身体をしている。
だが、動いている以上、関節というものがあるはずだ。
緋見のパリィで体勢を崩したアビスガーゴイル。
その首の付け根に、石の皮膚の隙間が見えた。
「――そこだっ!」
勢いそのまま、細剣の先端をそこへ突き入れる。
すると、プシュウと赤黒い煙が漏れ出した。
だが、まだ浅い。
アビスガーゴイルは必死でもがき、七瀬を振り落とそうとする。
「落ちるな! 七瀬!」
「分かってるっつの……!」
七瀬はありったけの力と、ありったけの魔力を手に込める。
緋見が作った一瞬を、無駄にしない。
仁に叩き込まれた日々を、無駄にしない。
応援してくれた仲間の声を、無駄にしない。
「――う、おおおおおおおおおっ!」
細剣が、首の付け根を深く貫いた。
その途端、アビスガーゴイルの身体に亀裂が走る。
「ガ、グル……!」
巨体が一度、大きく痙攣した。
翼が壁を叩き、鉤爪が空を掻く。
やがて、その身体はがくりと力を失った。
七瀬は剣を引き抜き、数歩下がる。
呼吸が荒い。
頬が熱い。
力を込めすぎて手が痛い。
緋見も大盾を支えにして、荒く息を吐いている。
盾を持つ腕が震えているのが見えた。
「……生きてるか」
七瀬が聞く。
緋見は顔を上げ、いつものように笑った。
「二回くらい死んだ」
「……奇遇だな、オレもだ」
軽く笑みを返す七瀬の前に、仁がやってきた。
「……本当によくやった。上出来だ、お前たち」
「っ……!」
七瀬は一瞬、息を止めた。
たった一言。
それだけなのに、胸の奥が熱くなる。
だが同時に、浮かれている場合ではないと、必死に自分で冷や水をかける。
(倒したのは一体だけだ。この先には同じか、それ以上の魔物が出る)
七瀬は、地に伏したアビスガーゴイルを見下ろした。
さすがS級ダンジョン。
魔物一体の重さが、A級とは比べものにならない。
速く、硬く、重い。
一手間違えれば、その瞬間に終わる。
緋見の力が少し足りなくても、七瀬の判断が一瞬遅れても、死んでいた。
まるで薄氷の上を歩くような感覚。
だが……。
(――勝てない強さじゃないぞ)
緋見と息を合わせれば。
仁に教わった通り、見て、考えて、焦らず、役割を守れば。
一手のミスも許されない。
けれど、ミスさえしなければ前に進める。
七瀬は細剣を握り直した。
証明しろ。
これまでの指南は間違っていないと。
訓練場で応援してくれた仲間たちの期待に応えろ。
(エリートなんだろ……七瀬 涼真!)
心の中で自分を鼓舞する。
震える指先を握り潰し、七瀬は前を向いた。
「――上等だよ、S級ダンジョン」




