第25話 出陣、蛇窪ダンジョン
東京都品川区。
そう聞くと、都会的な場所を想像してしまいそうになる。
しかし、実際の現場はかなり物々しい。
「うわあ……出現したばっかのダンジョンって、こんな感じなんだ……」
緋見が周囲を見渡しながら呟く。
周辺を封鎖するフェンスに、慌ただしく行き来する協会職員たち。
周囲の住宅地から浮いたように、ダンジョンへと続くゲートが淡い光の膜を揺らしていた。
「――お待ちしておりました。御影様、七瀬様、緋見様ですね」
詰所の前で、若い職員が俺たちを迎えた。
「根津様より話は聞いております。今回はこちらの『蛇窪ダンジョン』攻略ということで……ライブスフィアはこちらで用意しております」
「ら、らいぶすふぃあ……?」
俺がそのまま復唱すると、七瀬が横で小さくため息をついた。
「先生、知らないんですか?」
「知らん。新しいカクテルか何かか?」
「んなもん協会が用意してるわけないでしょ……ドローンすよ、配信用の」
職員が大きなケースを開ける。
中に収まっていたのは、バスケットボールくらいの大きさの球体だった。
黒い外装の真ん中に、大きなレンズが一つ。
側面には光るラインが走っている。
俺はそれを見下ろして、素直に言った。
「……なんぞこれ」
「だからライブスフィアですって」
七瀬が呆れた顔をする。
「最近のダンジョン配信でよく使われてるやつっす。これ一つで配信できるんすよ」
「これでぇ? ただの玉じゃねえかよ」
「見た目はそうすけど、中身はちゃんと撮影機材っすよ」
緋見がくすっと笑う。
「御影先生、反応が完全に私のお父さんと同じだ……もうおじさんってことですね……」
「おい、あんまおじさんって言うな。傷つくから」
「でもよく自分で言ってるじゃないですか。『俺はおっさんだから~』って」
「自分で言うのと他人から言われるのは違うだろが」
なんて俺たちが軽口を言い合う間に、職員は慣れた手つきでライブスフィアの側面パネルを開いた。
中にいくつかのスイッチやボリュームが並んでいるのが見える。
「詳細設定は既に済ませています。その他の部分……例えば飛行速度や追従の距離感、また公開範囲の設定などは、必要に応じてこちらのパネルから調整してください」
へえ。
最新鋭の機材でも、アナログなとこはアナログなんだな。
「では、一度起動します」
職員が電源を入れると、ライブスフィアが静かな駆動音を立てて浮き上がった。
ふわり、と。
重さを感じさせない動きで、黒い球体が俺の胸の高さまで上がる。
大きなレンズが、こちらをじっと向いた。
「おお……」
「先生、子供みたいな反応してる」
「だ、誰が子供だよ。球が浮いたら普通驚くだろ」
「御影様、少し動いていただけますか」
「あ、すまん。こうか?」
俺が右へ数歩動くと、ライブスフィアも少し遅れてついてくる。
左に動けば左へ。
立ち止まると、一定の距離を保ったまま空中で静止した。
なるほど。
これでダンジョンの中までついてくるってことか。
確かに便利そうではある。
同時に、あまり気持ちのいいものでもない。
この映像を猪熊や根津が見ているのだと思うと、どうにも背中のあたりがむず痒かった。
「機材の方は問題ありませんね、いつでも入場できますよ」
職員が下がる。
俺たちはゲートへ向かった。
入口からはじわりと魔力が漏れ出している。
「おい。これ、ちょっと魔力が――」
「先生、ダメっすよ」
七瀬が遮った。
緋見も、いつもの明るい顔を少しだけ引き締めて頷く。
「ちゃんと分かってますから。A級にしては、かなり濃いですよね」
「二人とも気づいてたか」
「当たり前っす。でも違反になっちゃうんで、先生は黙っといてください」
「っと……しまったな」
七瀬がいたずらっぽく笑う。
俺は思わず苦笑した。
鉄華の時と逆だな。
今度は俺が言われる立場になるとは。
「……じゃ、二人のタイミングで入ってくれ」
七瀬が細剣の柄に手を添え、緋見が大楯の持ち手を握り直す。
俺たち三人と、そしてスフィア一機は、ダンジョンゲートを通過した。
視界が一瞬紫に染まる。
そして、足裏にごつごつした石の感触が伝わってきた。
「うわ、足元滑るな……」
七瀬が呟く。
蛇窪ダンジョンの内部は、地下水路のようになっていた。
どこかから水の滴る音が聞こえるし、空気も湿っていて、ほんのり生臭い。
「名前通りだなー、じめじめしてて嫌な感じ」
「おい、気を抜くなよ。緋見」
「抜いてないっつの、感想言っただけですぅー」
「そういう感想が出る時点で、余裕がある証拠だ」
「余裕ある方がいいじゃん」
「それは確かに……って違う! 納得しかけたぞ今!」
七瀬と緋見は、こんな状況でもいつも通りだなあ。
なんて呑気に思いかけて、俺はすぐに意識を切り替えた。
入場前に抱いたおぼろげな違和感が、はっきり形を持ったからだ。
魔力が濃すぎる。
A級でもかなり上位……という言葉で片づけるには、少し重い。
肌に纏わりつくねっとりした空気は、A級の域を超えている。
「……おい、お前ら――」
――ずるり。
通路の奥から、床を擦るような音が聞こえた。
暗がりの奥で何か大きなものが動いている。
「来るぞ、緋見!」
「分かってるわよ!」
二人は武器を構える。
そして、それは姿を現した。
石像のような魔物だ。
人間に近い胴体。
背中から生えるヒビ割れた翼。
鉤爪のように鋭利な指先。
顔の中央では、赤黒い光を宿した一つ眼が、こちらを見下ろしていた。
「あ、『アビスガーゴイル』だと……!?」
見た瞬間、俺は全てを理解した。
同時に猪熊の下卑た笑みが脳裏をよぎる。
アビスガーゴイルはS級ダンジョンで確認される魔物だ。
ここは、やはりA級ではない。




