第18話 いざ、S級昇格試験へ
「アニキィ……んむんむ、むぐむぐ……」
馬乗りのまま頬ずりしてくる鷹峰 鉄華。
その脳天に、俺は手刀を落とした。
「いい加減にしろ!」
「あてっ!?」
びしっという音とともに、鉄華はようやく俺の上で動きを止める。
「ほら降りろ、鉄華」
「す、すんませんっす……」
しおしおとした声で謝り、鉄華は上から退く。
俺は床に手をついて起き上がった。
「あー、重かった……」
ふうと息を吐き、少し離れた所で立ち尽くす鉄華を見る。
さっきまでロビー中の職員を凍らせていた世界ランカーは、今や叱られた子供のように頭を押さえていた。
鋭い顔つきに、超が付く高身長に、鍛え抜かれた肉体。
ぱっと見の印象は『血に飢えた猛獣』だが、こうしてしゅんとしていると、図体がデカいだけの犬っころに見えるな。
「き、君たちは……知り合い……なの、かね……?」
引きつった顔で尋ねてくる猪熊。
どう答えたもんか、と迷っていると、鉄華が一歩前に出た。
「アニキはアタシの恩人であり、追いかけ続けてる目標だ」
そんな大それたもんじゃねーって。
文月といい、朝比奈といい、鉄華といい。
最近の若いもんは、どうしてこうも義理堅いかねえ。
猪熊と根津はさっとこちらに背を向け、ひそひそ密談を始めた。
「ど、どうしましょう。あの女も忖度しそうな雰囲気が……」
「ぐぬぅ……! まさか鷹峰も奴の手駒とは……!」
丸聞こえである。
てか、何だよ手駒って。
悪役か俺は。
「――オイ」
鉄華の低い声が飛んだ。
猪熊と根津が、びくっと振り返る。
オレンジの長髪が、腰のあたりでゆらりと揺れた。
「テメェら、アタシが忖度するっつったか……?」
「き、聞こえてっ……!? いや、もちろん君のことは信じているが……」
猪熊が脂汗を浮かべながら後ずさる。
鉄華はさらに距離を詰めた。
190センチを越す長身が、副会長殿を上から見下ろす。
「テメェらなぁ……!!」
「ひいぃっ!?」
鉄華、怒ってんなあ。
まあアイツの性格からして当然か?
不正を働くのではと疑われたんだから――
「――アニキを舐めんじゃねえぞコラァ!」
あれれ。
鉄華さん?
怒りの方向が思ってたとのと違うよ?
「アニキは世界最強だァ! アタシ程度の忖度が必要になると思ってんのかコラァ!!」
「ひぇぇえっ! お、思っとらん! 一ミリも思っとらん!!」
猪熊は顎肉をたぷたぷ揺らしながら、高速で首を振った。
隣の根津も、がりがりの首がもげそうな勢いで頷いている。
「じゃあ、アタシが監査役で文句ねーな?」
「な、ない! まったくない!」
「当然でございます! 鷹峰様ほど監査役にふさわしい方はおりません!」
お偉方の掌返しが早すぎる。
鉄華はそれを確認すると、くるっとこちらへ振り返った。
「ということで、アタシがS級昇格試験の監査役っす! よろしくお願いするっす!」
ぺかーっと笑った。
笑うと意外と幼い顔になる。
鋭い目元が少し緩み、口元から白い八重歯が覗く。
さっきまでの威圧感はどこへやら。
「お前……ほぼ脅しじゃねーか……」
とツッコんではみるものの、俺が言えた義理ではない。
上層部全員を影で縛って職に就いた男が何を言っているのだ、という話である。
「細かいことはいいんすよ! ささっ、早速行っちゃいましょっか!」
鉄華が俺の背中をぐいぐい押してくる。
「ちょ、待てって! 俺、別の依頼から帰ってきたばっかなんだけど!」
「奇遇っすね、アタシもっすよ!」
「じゃあ猶更お互い休もうって!」
「いやあ、S級になったらそんなことばっかっすから! 今のうちに慣れときましょー!」
「なりたくなくなる情報出してくんな!」
相変わらず圧が強い。
鉄華はにっこにこの笑顔だが、腕にこもった力が普通ではない。
本気で抵抗すれば押し返せるかもしれないが、ロビーで世界ランク12位と相撲をするのも憚られる。
何とか穏便に鉄華を止めようと、俺は猪熊の方を見た。
「昇格試験の話、今したばっかだよな!? まだ準備整ってないよな!? 少し時間いるよな!?」
「あ、ああ。そういえば、現地の職員に連絡をせねば――」
「アン……?」
鉄華がぎろりと猪熊を睨む。
「アタシを呼びつけておいて、まだ準備ができてねえって……?」
「そ、そそそ、そんなわけなかろう! 準備は一から十まで余すところなく丸っとオールオッケーだ!」
おい。
「ふふん! ですって、アニキ! 行きましょ?」
「だからお前脅すなって……!」
どうにかコイツを止めないと。
俺は最後の希望を見た。
「ふ、文月! お前も何とか――」
「鷹峰、じゃなくて鉄華? え、名前呼び? 鷹峰さんも先生の弟子なのは知ってましたけど、そんな親しいとは聞いてません。ずるい。ずるいずるいずるい。私も知世って呼ばれたい。あ、お金? お金を渡せば呼んでいただけますか? いくらからですか? 先生の呼び捨て権って相場がありますか? 〇〇億までなら出せますが足りませんかね他に何を差し出せばいいんでしょうか」
駄目だ。
聞いちゃいねえ。
文月は再び闇黒モードに入っていた。
「文月とはちょっと話したかったけど……ま、忙しいみたいっすね!」
「忙しいっていうか壊れてるんだが。アレ放置しとくのまずくないか?」
「アタシらにできることは何もねっす! さ、いざ昇格試験へ!」
「待て、引っ張るな! 自分で歩くから!」
結局、俺は鉄華にずるずると連れていかれる羽目になった。
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東京都、世田谷区。
S級指定・等々力ダンジョン。
そこが、俺の昇格試験の会場となった。
ダンジョン前の施設で最低限の手続きを済ませ、俺と鉄華は入場する。
その瞬間、ぶわっと空気が変わった。
前に潜った鑪ダンジョンは、植物の気配が濃い場所だった。
洞窟の中に根や蔦が入り込んでいて、まさに自然の洞窟と言っていい。
一方、等々力ダンジョンは広い石造りの回廊だ。
壁には古い神殿のように、無骨な石材が積まれている。
床には、長年踏み削られたようなデコボコした石畳が続いていた。
「アニキと二人でダンジョンとか、久しぶりっすね!」
鉄華はるんるんで、長いオレンジ髪を揺らしながら俺の斜め前を行く。
完全にお散歩中のわんこだな。
しばらく回廊を進んだところで、空気が微かに揺れた。
曲がり角の向こうから、石を擦るような音が響く。
「アニキ! 前方から――あっ」
鉄華が声を上げかけ、慌てて両手で口を塞いだ。
俺は横目で見る。
「気を付けろよ……お前が支援したら失格なんだろ?」
「そ、そうだったっす」
鉄華はしおしおと肩を落とした。
オレンジの長髪まで、心なしか垂れたように見える。
俺は思わずふっと笑った。
「まあ、そこで黙って見てろ」
通路の奥から姿を現したのは、『アビスリザード』だった。
全長は三メートル近い。
黒紫の鱗に覆われた巨体。
床を這うたび、石畳に爪痕が刻まれる。
裂けた口からは、毒々しい紫紺の息が漏れていた。
「フシュルル……!」
アビスリザードが床を蹴ったと同時、俺は抜剣した。
石畳が砕け、黒紫の影が低く滑るように迫ってくる。
俺は半歩だけ前に出て、すれ違いざまに剣を振った。
――ごとっ。
身体から分離したアビスリザードの首が、床に転がる。
俺は剣についた血を軽く払って、鞘に戻した。
「ふう……終わりだな」
ふと鉄華を見ると、彼女は口をきゅっとすぼめたまま、ぱちぱちぱちと必死に拍手していた。
「いや、今は喋っていいだろ」
「はっ! そ、そうか……!」
「お前、相変わらず不器用だなあ」
「へへ……アニキに迷惑かけられないっすから」
鉄華は少し照れたように笑った。
俺は苦笑しながら回廊の奥を見る。
石造りの通路の向こうから、さらに強い魔物の気配が漂っている。
「……さて」
剣の柄に手をかけ、俺は歩き出す。
「ちゃんと見てろよ、監査役」
鉄華がぱっと顔を上げた。
「もちろんっす、アニキ!」
その声は明るい。
世界ランク12位の大型犬は、にっと笑って俺の後ろをついてきた。




