歌声 2
「部活さ、辞めたんだって?」
放課後の帰り道、公園のベンチに座りながら支倉真魚は言った。彼女が声を掛けたその相手は、同じベンチに座っている幼馴染、猿渡新。彼は頬杖を突きながら、つまらなそうに遠くを眺めている。
「関係ないだろ、お前には」
彼女の方へ目を向けることすらせず吐き捨てるような言い様は、不貞腐れるという言葉そのもの。そんな彼の右足首は、強張って小さく震えている。
隣に座る真魚の視界の端に、それはどうしても映ってしまうもの。彼女は精一杯気にしないふりをしながら、今までふたりが話していたような軽い調子で話を続けることにした。
「名前だけでも残しとけば良かったのに」
その呟きは、果たして彼に語り掛けたのか、それともただの独り言だったのか。だけどその声色は、ほんの少しだけ震えて聞こえた。
それが彼にどれくらい伝わっているのかはわからない。しかし新はぐったりと深く俯いて、精一杯こらえる様な低い声でぽつりと漏らした。
「意味ないだろ、もう走れないってのに」
そう言って重たい溜息が漏れたきり、項垂れたままの彼の頭は上がらない。もうすっかり、顔を上げることすらも疲れてしまったように。
そんな新の様子を隣で見ていた真魚の両手は、膝の上でぎゅっと強く握られている。強張っていた身体から力を抜くように、それとも逆に腹を決めるためにだろうか。隣に座る彼には気付かれないようにひとつ小さな深呼吸をして、意を決したように彼女は口を開いた。
「私さ、歌い手になろうと思ってて」
「はぁ?」
ずっと俯いていた新から、そこそこ大きな声が出た。今そういう雰囲気ではなかったということもそうだが、それ以上に信じられない理由が彼にはあったからだ。
「お前が歌い手? 俺より下手なのに?」
彼女の宣言があまりに衝撃的だったのだろう。思わず顔を上げてしまった新はそう言いながら、声音の端々には堪え切れなかった分の笑いが漏れ出してしまっている。
その反応は真魚にとってもある程度予想はしていたものではあった。とはいえど、それでもいざ面と向かって言われれば、やはり気分としては微妙なもの。彼女はなんとも言えない表情を胸の内に隠して、咳払いをひとつ。
そして半分くらいは当て付けのような無理矢理さで彼女は言い捨てる。
「じゃ、ミックスとか動画は任せたから」
「はぁ?!」
新はさっきよりも本気で驚いて、真魚の方へと勢いよく振り返った。自分には関係ないと笑っていた話が急に自分事になったのだから、当然と言えば当然。いやいやと零しながら視線を逸らそうとする彼に釘を刺すように彼女は追い打ちを掛ける。「部活辞めたんでしょ。じゃあ暇じゃん」
自分でそう言いながら、彼女は新から顔を逸らさずにはいられなかった。だって真魚自身、その言葉が彼を傷つけるとわかっていたから。
彼女の隣で、新はもう一度深く項垂れる。苦しそうに吐き出された溜息と、音こそ聞こえないが確かな歯噛みがそれを証している。
ぎゅっと両手を強く握って、真魚は目を瞑った。
そしてぐったりと重たそうに、新は吐き出す。
「……あー、もう。しょうがねえな」
彼の言い方は心の底から面倒そうで、それに迷惑だときっぱり言い捨てるのとそう変わらない。
「言っとくけど、俺そういうの本当にやったことないからな! 出来に文句言うなよ!」
「私だってレッスンとかなんもしてないから! 条件は同じじゃん!」
「全然違うっての! 主犯格なんだよお前は!」
そして、気付けばふたりは向かい合って互いにぎゃーぎゃーと言い合いを始める。
やがて大袈裟なくらいのあからさまな溜息を思い切り吐いて、新はベンチから立ち上がる。そして差し出した手を真魚に掴ませて、彼女を立ち上がらせると、言いにくそうに頭を掻きながらぽつりと呟いた。
「ありがとう」
それは聞こえるかどうかの、本当に小さな声だった。だが彼女には確かに届いたのだろう。その証拠のように真魚はニヤリと笑みを浮かべて、新の顔を覗き込んだ。
「ん-、今なんか言ったねぇ?」
「うーわ、ウザ」
「ウザって言った? 今ウザって言った?」
真魚は大袈裟にショックを受けたように手で口を覆いながら、もう片方の手で新に指をさす。それを無視して彼は公園を立ち去ろうとして、彼女は周りをうろちょろしながら着いて行って。その姿は、まるで少し前までの重たい空気などすっかり忘れてしまったかのよう。
その光景は、きっとふたりを知る者ならば、誰もがいつも通りと評するだろう。そしてそれは本人たちにとっても同じこと。
そんな、懐かしい夢を見ていた。
目を覚ました新の前には、心配そうに彼を見詰める真魚がいた。
彼は壁にもたれたまま、今にも泣きだしそうな彼女をなだめるようにその頬を軽く撫でる。その視界の端に見えるのものは、やはり、もはや見慣れた代り映えのない路地裏。
彼が思い出せる最も新しい記憶はラーに追われたことと、そして。ただ、彼の意識は朦朧としていて、あまり詳しいことは覚えていない。
「おはよ」
そして彼の視界の外から掛けられた声は、深幸のものだ。声のする方へと振り向いて見れば、ラーを足止めをするために怪物へと姿を変えたはずの彼女は、初めて見た時と同じ人の姿で彼に手を振っている。「良かった、元気そうだ」
ね、と。そう言いながら彼女は視線を真魚へと投げて、真魚は少し潤んだ瞳で頷いた。
「鹿角さんも、無事だったんですね」
「なんとかね。大したケガもないし」
彼の視線の先で深幸は、少しばかりぎこちない笑みを作った。ラーとの戦いからそう時間が経っていないのだ。致命傷や深く残る傷はなくとも、そう簡単に傷が癒えたりはしない。
「あの。さっきは、俺たちを逃がしてくれてありがとうございます」
そう言いながら新はゆっくりと身体を起こす。しかしその身体には不思議と痛みも疲れもなく、いっそ不気味にすら思えるほど。彼の右の足首も、今は痺れているような様子はない。「気にしないで、大したケガもしてないし。でも」
その言葉と同時、さっきまではあっけらかんとしていた深幸の表情は、少し悲しむようなそれへと変わった。その理由は、新にもひとつ心当たりがある。
「さっき、何かに変わってたことですか」
「そうだね。私も、君も」
怪物に変わったその時だろうか、新はひとつの確信を持っていた。今の自分は、あのテスカトリポカやラーと同質なものである、と。直前に鹿角がディアナへと姿を変える光景を直視していたからこそ、より深い納得に繋がったのだろう。
だが、あるいは、そうでなくても。
「でもさ、私も詳しいことはよく知らないの。だからまぁ、あんまり気にしないで」
そう明るく言い放って、彼女は難しい話を切り上げる。
新にとって、この路地裏に迷い込んでからはわからないことばかりだった。怪物のことも泣き女のことも、言ってしまえば、今目の前にいる鹿角深幸のことすらも。ただ、今は他に優先すべきことがある。
「それよりも。その子、なんか言いたがってるみたいだからさ。聞いてあげてよ」
深幸はそう言うと、気を遣ったのだろうか、路地裏の影に姿を消した。
彼の目の前では真魚が、メモ帳を手に真っ直ぐ新を見詰めている。
次回 書きあがり次第更新
作中の怪人デザインの設定画などってあった方がいいのでしょうか、よろしければご意見お願いいたします。




