第4話 その酒の名は
ニュージャージー州は東が海、西側が大陸です。
陽の光が窓から差し込み、鳥のさえずりが耳に届く。
ベッドの上で目を開けて、私は時計を確認した。
時刻は午前9時。少し眠りすぎたようだ。
窓を開け、外の空気を吸う。
朝の冷たい空気が日光で温められつつある、この時間特有のぬるい空気が、私の目を覚ました。
窓の外には、この街の独特な風景が広がっている。潮の香りのする大きな河と、その向こう岸にうっすらと見えるビル群。世界のあちら側には近代的な大都市が存在している。
一方で河のこちら側には、発展しつつあるものの、未だに昔の建築様式を色濃く残す、港の田舎町が私たちの生活を支えていた。
私は大きく伸びをした。
いつも見ている街並みが、いつもより輝いて見えるような気分だ。
いい事があった次の日は、なんでもよく見えるものだ。
悲願が叶った翌朝は特に。
「ん?」
浮つく気持ちを抱きながら、私は何となく庭を見下ろした。
我が家は木造の二階建てで、店の正面は表通りに面している。
今私が見ているのは路地裏に面した裏側の方で、そちらには柵に囲まれた小さな庭があるのだ。トイレ小屋と、車庫があるだけの、小さなスペースだ。
――そこに、ルアン・ロビンソンがすやすやと眠っていた。
何で? 私は驚いて、身を乗り出した。
地下室で寝ていいって言ったのに、何故か青年は外で寝ている。浮浪者時のボロボロマントを地面に敷き、枕代わりに酒瓶が利用されていた。
私はあわてて窓を閉めて、一階に降りる。
裏口の窓を開けて庭に出ると、足早にルアンに歩み寄って、肩を激しくゆすった。
「ルアン! 起きてちょうだい」
ルアンは赤ん坊のように弛緩した顔で眠っていたが、私がゆらすと眠そうに目をあける。
「どうしたの? ガートルード」
「どうしたじゃないわよ。あんた、なんでこんな所で寝てるの?」
「いやぁ、せっかくだから地下室で寝ようとしたんだけど、浮浪者として外で寝すぎてね。どうも夜空の下でないと、快眠できないらしい」
薄目で、ルアンはにっこり笑った。
私は頭を抱えた。
「庭で寝るのはやめてちょうだい。他の家から丸見えじゃない。あらぬ疑いをかけられるわ。グレイディさんのとこに浮浪者が住み着いてる! ってね」
「間違いでは無くない?」
「だから問題なのよ」
「えー」
今は目立ちたくない。
なにせ、これからするのは犯罪行為なのだから。
何かやむを得ない理由があれば別だが。
あ、そういえば――
「ルアン。あんたのガヴラって、花よね? 日光浴とか必要なの?」
ルアンは完全に目を開けた。
茶色い丸い目で私を見てくる。
「要らないよ」
「花なのに? 水は?」
「要らないよ」
「花なのに?」
「まあね……ほら」
ルアンは首元をはだけて、私に見せた。
改めて考えると、ルアンの操る花が首元からどのように生えているのか、私は知らない。
興味が出て覗き込むと、ルアンの首の後ろの根元……ちょうど頚椎の辺りに、親指の爪くらいの大きさの「芽」が生えていた。芽はくすんだ緑色で、一見するとイボか何かにも見える。
「こんな感じで、普段は休眠状態なんだ」
ルアンはちょんちょんと、自分の首元の芽を触った。
「お酒を飲まなければ、ずっと眠ってて、花としての機能は何も無いんだよ」
「ふーん。これはこの芽の部分だけで存在してるの?」
「根っこは身体に広がっているよ。どこまで侵食してるかはわからないけど」
気持ち悪いことをルアンは言った。
私も好奇心が出て、その芽に手を伸ばして触ってみる。
松ぼっくりや栗のような、乾燥した硬さがあった。引っ張ると、簡単には抜けないようで、ルアンの肌が盛り上がる。
そこでルアンは慌てた声を上げた。
「ちょ、ちょ、ちょっと! 止めておくれガートルード。抜いたらマズイんだ。とんでもないことになる」
「あ、ごめんなさい。つい気になって」
私は急いで手を離したが、ルアンは飛び上がって、肌を隠してしまった。
ぶるぶる震えながら、私の方を睨む。
彼がこんな反応をするのは意外だったので、私は目を丸くした。
「僕も言ってなかったけど、本当に気をつけてね。ガヴラの花を抜くのは、本当にヤバいんだ」
「どうなるの?」
「死ぬ」
「死ぬ!?」
「……まあ、死ぬは大袈裟だけど。宿主への負担が大きすぎるんだ。とてつもない嘔吐感、熱、頭痛、ホルモンバランスの変化、などなど。ガヴラが宿主から引き離されると、免疫反応が起こって……」
「ええっ!?」
そんなに大変なことになるとは思わなかった。
私はしょんぼりして、頭を下げる。
「ごめんなさい。そんな恐ろしい事になるとは……もう二度としないわ」
ルアンは頷いた。
そして気を取り直したように、言った。
「――で、ガートルード。話は戻るけど、ガヴラに日光浴がいるかどうかが、なんの関係があるんだい?」
「日光浴がいるなら庭で寝るのも仕方ないのかなって。でも、日光浴がいらないなら、庭で寝るのはやめて欲しいの。余計な注目は浴びたくないもの」
私の気持ちを理解してくれたのか、ルアンは諦めたように頷く。
「わかったよ……新生活に慣れるよう努力するね」
それなら良かった。
努力する意思さえあれば、すぐに適応できるだろう。
一安心して、私は自分がまだ寝間着姿な事に気づいた。
着替えなければ。ついでに、朝食も準備しよう。
「朝ごはん食べるわよね? パンはジャムとバターどっちがいい?」
ルアンの顔が子どものように輝いた。
昨日、思わぬところから祖父のレシピの再現に成功し、私は浮かれていた。
そう、それは昨日のことだった。
ホールデンが帰り、ルアンに連れられて戻った地下室で、私はかつての失敗作を確認していった。
ボトルを一つ一つ開けていく。失敗作の中でも、最初の方に作った物からお酒の匂いが立ちこめる。
「おそらく、君は既に成功していたんだ。ただ、飲みやすくなる為には、作ってから何日か寝かせないといけなかったんだね」
ルアンが説明してくれる。
「僕も瓶を開けるまで気づかなかったよ。まだ開けてない瓶が何本もあるから、どこまで完成してるか楽しみだね。全部開けてみようか」
つまり、私は間違っていなかったのだ。
私は祖父のレシピを、祖父の古い日記から予測し、古い記憶から再現しようとした。
それはかつて祖父が生きていた時、うちの店で一番人気だった酒である。祖父が病気で急死して、そのレシピは継承する前に失われてしまっていた。
でもあの味を、匂いを、色味を、私は今でもハッキリと覚えている。
世界で一番好きなお酒で、誇りを持ってお客さんにお出しできる最高の逸品だ。祖父の祖国で、祖父の先祖が代々継承してきたお酒らしい。
もう無理かと思った。
グレイディ家のポティーンは、あの優しい祖父と共に永遠に失われてしまったものかと、諦めそうにもなっていた。
でも、禁酒法で経営が傾き、ギャングのみかじめ料が家計を圧迫した今だからこそ、かつて私が一番好きだったお酒を蘇らせて、それを突破口にしたかったのだ。
私は震える手で、瓶を開ける。
匂い……合格。複雑ではあるが、大別するとミント系の香り。
色味……合格。鮮やかなオレンジ色。
そして、その瓶を口に含んで、私は味を確かめた。
――合格だ。
その懐かしい味は、私にかつて祖父が生きていた頃の日々を思い出させる。
大柄な体格の祖父が、私を膝の上に乗せ、この酒を飲みながら、色んな話をしてくれた。暖かな暖炉の前で、祖父と祖母と兄と母が集まって、皆で語り合った日々のことだ。
あの時は皆がいた。
今は私と母だけだ。
でも私のやってきたことは無駄じゃなかった。
無駄じゃ、なかった、のだ。
「え? うわっ、ガートルード泣いてるのかい? は、ハンカチどこだっけ!」
「熟成に時間がかかるって事は、いっぱい作らないといけないってことよね」
朝食後、私とルアンは地下室で今後の段取りについて話し合っていた。
私がこれまで失敗したと思っていた酒は、瓶詰めして一応保管してある。
その数は12ダースといった所で、少なくは無いが密造酒ビジネスを始めるには心もとない数だった。
「一回でどのくらいかかるんだい?」
ルアンが大鍋をペタペタ触りながら尋ねた。
「五時間ってとこね。ちなみに、それだけかけてできるのは一ガロンくらいだわ」
「そうかぁ。それを熟成させる必要もあるしね。二十四時間作り続けるくらいじゃないと、今の設備では追いつかないね」
私はかつて祖父の使っていた蒸留器を眺めた。
祖父が生きていた頃も、大量には作っていなかった。
希少で高額だった。ごく限られた量を、常連の人だけが買って飲んでいたのだ。
このお酒は、根本的に大量生産には向かないのか?
「やっぱり設備が足りないよ。もっと大きい機械を用意しないといけないんじゃない?」
ルアンは何も考えて無さそうな顔で言った。
私はため息で応じる。
「あのね、食うのもやっとなのにどうやって設備を新しくするお金を用意するわけ?」
「それもそうか」
ルアンは頭をかいた。
そしてなにかに気づいたように、上を見上げる。
「あ、誰か来たよ」
チーンと、呼び鈴が鳴った。
お客さんだろうか?
……いや、最近はもうお客さん以外の方が多い。またギャングや借金取りかも。
私は一階に上がろうとしたが、不安な気持ちが湧いてきて、ルアンを振り返った。
「……僕もついて行ってあげようか?」
私の表情を見て、ルアンは優しい笑みを浮かべる。
私は見透かされたのが恥ずかしくて、強めに言った。
「当たり前でしょ! 着いてきなさい。ボディガード」
果たして、カウンターにいたのは借金取りだった。
金髪にスーツ姿の美男子。セオドア・ホールデンが、杖を手にしてゆったりと立っている。
昨日の今日でまた来るとは。
「よう。昨日ぶりだな、ミス・グレイディ。そしてミスター・ロビンソン」
感情の読み取れない声で、ホールデンは挨拶した。
「やあ、どうもどうも。ホールデンさん。一悶着あった次の日にまた会うとは思わなかったよ」
ルアンは素直に言った。
ホールデンは肩をすくめて、反応する。
「俺は動くと決めたらすぐに動く。怠け者みたいに何日も時間を無駄にしたりはしないさ」
「何の用?」
私は警戒しながら言った。
まだお金は稼げていない。金利分だけでも払え、と言われたらどうしよう。
ホールデンは帽子を脱いで、スティックリーの高級椅子に腰を下ろした。まだうちが豊かだった時代に、祖父が買い集めた質のいい椅子である。
「心配するな。今日は集金に来たんじゃない。というより、そもそもヘイブン・クレジットの社員として来ているわけじゃない。今日は俺個人が用があって、この店に来た」
用?
「それって一体……」
「昨日していた話があるだろう。アレについて詳しく聞きたい」
ホールデンの言っているのは、密造酒ビジネスの話に違いない。昨日も何となく気になっている雰囲気だった。粗暴な部下たちがいなければ、暴力事件にも発展せず丸く収まっていただろう。
「昨日も言ったでしょう。お酒は作った。あとは売るだけよ」
昨日の時点では"完成した”というのは嘘だった。
しかし今は、自信を持ってそう言える。ホールデンに何か聞かれても、動揺したりはしない。
しかし、ホールデンは鼻で笑う。
「嘘だな」
「嘘?」
それは聞き捨てならない。祖父のお酒を復活させたのは、間違いないのだから。
ホールデンは反論しようとした私を遮った。
「嘘というか、不完全だろう。言っておくが、ミス・グレイディ。あんたの店の金の流れはこちらで完全に把握している。どのくらい稼ぎ、どのくらいの返済が可能で――そしてどのくらい設備投資に充てられるかもな」
ヒューッ、とルアンが感心して口笛を吹いた。
「どうしてわかるんだい?」
「借金をする時、俺たちはその個人も勤め先も全て調べる。そして返済能力があると思われる相手にのみ、金を貸す。ミス・グレイディの場合、母親が入院してるな。そうした予想外の事もあって、回収できなさそうだが。……少なくとも、金の動きはわかっている」
痛い話だ。
借金取りには経済状況が丸裸なのか。
ホールデンからすれば、私がどの程度酒の製造にお金をかけられるかも、丸わかりなわけだ。
「つまり俺が言いたいのは、酒を作れたとして、それを稼げるほど大量に生産できる設備がない。ってことだ。あんたらには」
ルアンは気まずそうに私を見てきた。
その顔はやめて欲しい。表情で白状してしまっている。
もっとも私もおそらく、同じような表情をしているのだが。……ポーカーフェイスは苦手だ。
「でも……いくつかは作れた。最初に今ある分を売って、稼げたお金で設備を増築するわ」
「それは無駄な遠回りだ」
「あの……ホールデンさん。あなた一体何が言いたいの? 遠回りだろうが、設備が貧弱だろうが、そんなことあなたには関係ないでしょう? あなたは借金さえ回収できたらいいのだから」
「俺が出資しよう」
店内にホールデンの声が響いた。
ルアンは口を開けて驚く。
私も同じような顔で驚いていた。
ホールデンはキザな笑みを浮かべながら、コツコツと杖で自分の手を叩く。
「言っただろう。今日は個人の用で来た、と。これは俺の個人的な提案だ。俺が金を出す。それで設備を拡張し、たんまり稼いでくれ。俺はその中から何パーセントかを貰う」
「どうして、そんな事を?」
「俺はビジネスマンだからな。儲かりそうな話には弱いのさ。密造酒ビジネスには、将来性を感じている」
ホールデンの提案は、正直有難い事だった。
今まさに足りないと感じていた設備拡張を、ホールデンが個人的に手伝ってくれるとは、ラッキーすぎる。
しかし、どうして私たちと? 他にも密造酒を作ろうとする人は、いくらでもいるだろうに。
「あなたが私を選ぶ理由がわからないわ。成功すると決まったわけじゃないのに」
「まあ、正直俺が力を貸そうと思ったのは、ミス・グレイディ。あんたのせいじゃない。どっちかと言えば、ロビンソン。あんたの能力に興味があるからだ」
「僕ゥ〜?」
ルアンがボケっと返事した。
ホールデンはルアンの方を見て、片眉を上げる。
「あんたの花の能力。"ガヴラ”だな? 噂で聞いたことはあった。しかし見たのは初めてだ」
「うん。そうだよ。お酒で操れる植物さ」
「戦争で別部隊にそんな能力者を集めたチームがある、と聞いたことがあった。そいつらの活躍で、俺の部隊は命を救われたと」
ルアンははっとしたように、顔をしかめた。
それまでの呑気な雰囲気が無くなり、青年の顔が青くなる。
私は思い出した。
ルアンはシェルショックを患っている。戦争に関して、並ならぬトラウマを抱えている。そのせいでアルコール中毒になり、浮浪者になった。
戦争の話をするのは、辛いはずだ。
私は話をさえぎろうとした。
「あ、あの——」
しかし、次の瞬間、ルアンはハッキリと尋ねた。
「……ムーズ・アルゴンヌ?」
ルアンの顔には、悲壮感や苦しみのようなものは浮かんでいない。ただ、穏やかな顔で、ホールデンを見ている。
ホールデンは頷く。その顔からキザな所が引っ込み、どこか深刻な表情をしていた。
ホールデンの目に、優しさのような物が浮かんでいるのに私は気づく。
その優しさは、ルアンに向かっていた。
「あそこで……あの地獄で、あんたが戦ってくれたんだな」
「…………うん」
驚いたことに、ルアンは泣きそうな顔でホールデンに近づいて行った。
「そうか、あの戦場に君もいたんだね。よく無事だった。よく生きていてくれたね」
「互いにな。俺も、あんたが生きてくれて嬉しい」
ルアンはホールデンに抱きついた。
ホールデンも嫌がらない。むしろ嫌味な顔を脱ぎ捨て、しっかりと抱き締め返している。
男同士で熱いハグをされて、私は困惑した。
戦争に行ってないので、彼らがどんな思い出を共有し、何に感動しているのかさっぱりわからない。
新聞で、大変恐ろしい戦場だったというのは見たが。
主導権を握るべく、私は口を開いた。
「あーうん。よかったね、二人とも。再会? って程じゃないけど、因縁があったのね」
ホールデンはルアンから離れると、えへんと咳払いをした。
「まあ、そういう事だ。俺だって理性だけで動いているわけじゃない。手を組むなら、信頼できる相手とがいい。——法を犯すなら尚の事な」
「法を犯すって……あなたはお金を出すだけだから大丈夫よ」
「いや、違う。俺が言う協力っていうのは、出資だけの話じゃない。実際に作るのを手伝うし、身を守る手も貸す。仲間にして欲しいんだ」
意外な提案だった。
この男とは、借金をしてから一年以上の仲だ。優秀だが、損得でしか物事を判断しない冷たい人間だ、とずっと思っていた。
言い訳は聞き入れず、容赦なく債務者を追い詰めていくタイプだ。私に対してもずっと冷たい目をして、心を開かなかった。
そんな男が、実はルアンと同じ戦争帰りで、胸に熱いものを秘めているとは。
だが、私はこの男が苦手だ。説教臭いし、口うるさい。一緒に働くのはストレスにならないだろうか。
「ねえねえ、ガートルード。この人いい人だよ! 一緒にやろうよ」
完全に籠絡されたルアンは、キラキラした目でこっちを見てくる。
困った。ルアンにそう言われては、断りにくい。
しかし――
私は息を吸った。
「ねえ、ホールデンさん。私はあなたが嫌いだわ」
ホールデンは眉を上げた。
「知っている」
「あなたの偉そうなところ。キザなところ。すぐ説教してきて話が長くなるところが嫌い」
「……そこまで嫌われているのは知らなかった」
少し傷ついた顔で、ホールデンはアゴを触る。
「でもあなたがとても有能なのは、話していてわかる。そして、今知ったけど、意外と熱い所があるのね」
「……まあな」
「つまり、私たちは知り合って一年以上経つけど、まだまだ変化の余地がある。借金取りと債務者、という関係の中ではあなたの事が嫌いだけど……仲間になったら、わからない。今すぐ好きにはなれないけど、試してみる価値はあると思うわ」
ホールデンはニヤリと笑った。
「リーダーはあんたでいいよ、ミス・グレイディ。後から入って、偉そうにするつもりは無い」
私はホールデンに手を伸ばした。
「仲間になるなら、ガートルードでいいわ」
彼も手を握り返す。
握手が交わされる。
「フッ……わかったガートルード」
「よろしくね、セオドア」
こうしてセオドア・ホールデンが仲間になった。
細かい条件はこれから決めていくが、実権を握られないよう、気合を入れて行こう。
店の繁栄のためには、この男が必要なのだ。
「ところで、ガートルード。あんたの扱う酒を俺にも飲ませてくれないか? まだどれ程の商品価値があるか、わからないからな」
「おお、そうだよね。ほら、セオドア君。ちょうど瓶でここに持ってきてるんだ。飲んでみてよ。……いいよね? ガートルード」
ルアンが懐から酒瓶を取り出し、私の方に確認をとった。
私は頷き、あっと思いつく。
「ちょっと待って。どうせなら乾杯しましょ」
カウンターの内にしまってあるグラスを三つ取り出し、それぞれにお酒をついだ。
三人ともグラスを持ち、乾杯の準備をする。
「フフッ、よからぬ集まりの結成だな」
「人が増えて楽しくなってきたね〜」
「まだ成功してないから、油断はできないけどね」
私は鮮やかなオレンジのグラスを掲げ、乾杯の音頭を取ろうとした。
……しかし、何と言えばいいかわからない。
迷っていると、ホールデンが思い出したように言った。
「ところで、このお酒はなんという名前なんだ?」
私は暖炉の前で祖父の教えてくれたその名前を思い出す。そういえば、復活してから一度もその名前を呼んでいない。
私は笑顔を浮かべた。
これを乾杯の挨拶にしよう。
「マザーズ・マーシー。それがこのお酒の名前よ」
ムーズ・アルゴンヌ攻勢 = 第一次世界大戦末期にフランスであった、無茶苦茶人の死んだ戦いです。




