第26話 心の光を燃やす銃
——ルアン視点——
殺すと。アレックスは言った。
ルアンはハアハアと息を吐きながら、首をかしげた。
「三年前は助けてくれたのに?」
『それが間違いだったと気づいたよ。ルアン。僕はこの三年間、この国でギャングとして様々な人達と関わってきた。そして考え方を変えたんだ。生きてるのと死んでるのに、大した違いはない。むしろ殺してしまった方が、スッキリすることもある』
巨大な蜘蛛の脚が、振り下ろされる。
しかし、もう先程のように防ぐことはできない。
パワーが違う。
スピードが違う。
もはや小手先の器用さで誤魔化せるような戦力差ではなくなっていた。
ルアンは吹き飛ばされた。
「ぐぐぐっ……ペっ」
口から垂れる血を、拭う。
死の蜘蛛……恐ろしい技だ。
四本のツタを組み合わせて、こんな事が出来るとは。
ヘラヘラしているが、きっと相当な努力をしたのだろう。
ルアンはなんとなく悲しくなって、アレックスを見た。
「——今は殺したい気分って事?」
『前からずっと殺したかった。それに今気づいたんだよ』
蜘蛛の足で、ルアンは殴られる。
頭から血が出た。
もう、防ぎきれない。
脚がくる。体当たりが来る。突風が襲いかかる。
精一杯抗っても、全てを捌くことはできない。
あちこち傷ついた。
どこかの肉が裂け、どこかの骨が折れるような感触があった。
「ゴアッ……」
ルアンは屋根から跳ね飛ばされ、地面へ落下した。
十メートルくらいの高さから、落ちてゆく。
咄嗟に、ガヴラを発動。
ツタで衝撃を殺すが、それでも痛い。
コンクリートの地面に倒れ、ルアンはうめいた。
『まったく、弱いくせに妙にしぶとくて。臆病なくせに、妙にしつこい。自分がヒーローにでもなったつもり? 君のそういう所が、ムカつくんだよ』
ズズン、とアレックスも地面に降り立つ。
まるでゾウが落下してきたかのような衝撃が、周囲に伝わった。
「………………ゴホッゴホッ」
血を、吐く。
『ほらほら、もっと怒ってよ。もっと本気になってよ。このままじゃあ、手紙を取り戻せないよ』
ルアンはクラクラする頭を起こし、アレックスを睨んだ。
視界が血で滲み、ぼやける。
でも——その通りだ。
このままでは、手紙は取り戻せない。
ルアンはヨロヨロと立ち上がった。
まだ、終わってはいない。
「手紙を、返せ。それに、家を焼いた弁償しろ。弁償」
『どっちもNOだよ』
頭の中に、あの時の火事の光景が蘇る。
セオドアは打ちひしがれ、ロレッタは唖然とし、ガートルードは——絶望していた。
あの、酷い夜のことは、忘れることができない。
誰もいなくなった自室のベッドで、ガートルードは泣いていた。
あの夜は、最悪の夜だった。
ルアンの目に、怒りが燃える。
「よくもガートルードを泣かせたな」
——ふと、閃きが走った。
怒りが、ルアンに新たな気づきを与える。
あの全てを焼き尽くす炎が、ルアンに気づきを与える。
行けるだろうか?
いや、リスクが高い。
でも、自分を突き動かす感情がやれと叫んでいる。
火事の現場で警官が声をかけてきた。
マーカスさんの顔が浮かぶ。
(男子たるものタバコくらい吸えよ)
ポケットには——マッチがあった。
『じゃあ、そろそろサヨナラしようか。永遠にバイバイ。ルアン・ロビンソン』
人知を超えた速度で、アレックスが突っ込んでくる。
ルアンはマッチの火を擦った。
小さな火が灯る。
それを——自分のツタにちょっとつける。
途端に、爆発したように激しい炎がルアンのツタに燃え広がった。
ガヴラに関するルールはいくつかあるが、その中でも根源的な弱点に関するものは、ガヴラ使いの誰もが知るルールである。
アルコールから生まれるこの植物は、その全体が発火物だ。
とてつもなく火に弱い。
たとえ小さなマッチの炎であっても、ガヴラに燃え広がれば致命傷となる。
『な、なんだよ! それ』
アレックスは動揺したような声を出す。
『自分のツタを燃やしてるのか? 馬鹿じゃん。すぐに焼け死ぬよ』
「それはどうかな?」
ルアンはポケットのスキットルを取り出す。
中身はまだ半分以上ある。
これは本来、長く戦い続けるためのものだ。
しかし——それを一気飲みした。
マザーズ・マーシーが爽やかな口触りで、喉に流れ込む。
残り一時間以上戦えるだけのアルコールを、全てここで消費する。
それはお酒に強くなければ不可能な戦法だ。
アルコールの大量摂取。
代わりに得られるのは——圧倒的な再生力。
ルアンは頭から血を流しながら、ヘラヘラと笑った。
「僕は結構お酒強いよ〜。君が焼け死ぬか、僕のツタの再生力が尽きるか……どっちが先かな? 我慢比べと行こうよ」
ルアンの背中から、羽のようにツタが伸びる。
そのツタは二本とも、激しい炎が宿っている。
それはガヴラには、性質的にありえない光景だ。
しかしルアンの無茶によって、彼岸花の強化された再生力によって、その技は成立する。
ツタが焼けたはしから、再生する事で、無理やり形を保っていた。
線香花火のように、炎が弾けては消えた。
やがて二本しかないツタが、それぞれ三又に裂ける。
燃えては生えてを繰り返し、ツタは分裂して、炎の依代となる。
ルアンの背中に、六本の炎の帯が、蜘蛛の足のように広がっていた。
『馬鹿な! 付き合ってられないよ』
アレックスはその場から離れようとブレーキをかけた。
しかし、尋常ならざる力で突っ込んできていたのは、向こうなのだ。
あの巨体では、そう簡単に、止まれないだろう。
だから、ルアンは駆ける。
アレックスに逃げられる前に。
そしてそのまま六本の炎のツタを、相手に叩きつけた。
十字架のように、あるいはバツ印のように、ツタが交差し、敵を打ちすえる。
アレックスは叫ぶ。
炎が上がる。
もう、逃げられない。
全身がよく燃えるアルコールで覆われたデッド・スパイダーは、それだけ炎には致命的な弱さを持つ。
アレックスは地獄のような苦しみ声を上げながら、あまりにも一瞬で火だるまになった。
彼が冷静だったならば、ガヴラを解除するという手もあったかもしれない。
だが、戦いの中でずっとガヴラに頼ってきたアレックスにとって、戦闘中にガヴラを解除する勇気などなかったのだろう。
全身に絡みつくツタが余すことなく燃え上がり、炎上する。蜘蛛の形に、炎が炎上する。
——ドサリとアレックスが地面に倒れた。
それは時間にして、十数秒の出来事だった。
彼を包んでいた蜘蛛の形のツタは失われ、服も髪も焼けている。
「う……うぅ」
アレックスは呻いた。
まだ生きている。
だが、もう虫の息だ。
ルアンはガヴラを解除し、炎のツタを消した。
ガヴラは消すと、塵のように消滅する。
まるで炎が陽炎に滲むようにして、六本のツタは姿を消した。
首筋から花だけを出し、ルアンはポケットに手を入れる。
アレックスを見下ろして言った。
「終わりだね。アレックス君。医者を呼んであげようか」
「ふざけるな……まだ僕は戦えるぞ……こい! 白菊」
しかし、彼のガヴラは答えない。
答えることができない。
アレックスの首元には、焼けて死んだガヴラの残骸だけが、焦げたパンみたいに張り付いていた。
ルアンは言った。
「残念だけど……君のガヴラはもう死んだよ。花が根っこまで焼けちゃったからね。君はもう、戦うことはできない」
アレックスは信じられないといったふうに、自分の首をまさぐった。
ガリガリと何度も首を掻きむしる。
ボロボロと、ガヴラの残骸がこぼれ落ち、それらはチリとなって消えた。
「——嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ! あ、あああ……僕の、僕のガヴラが!」
「恨まないで——とは言えないけど。殺し合いだったからね、互いに覚悟はできてたよね。僕は謝らないよ」
体力の消費のせいだろうか。
全身の怪我のせいだろうか。
ルアンのメンタルは、戦時中へ戻っていた。
人を殺せば殺すほど評価された、狂った時期だ。
あの時自分は、人を殺す兵器として、何百人もの敵と戦った。
その無感情な目が、アレックスを見下ろす。
「僕は、謝らないよ」
「ふざけんな! 誰がお前程度との戦いに命をかけるかよ、泣き虫ルアンめ! お前は格下だ! 僕の遥か下! そんな奴に……そんな奴に、なんで僕が負ける?」
ルアンは可笑しくなった。
子どもが癇癪を起こしているようにしか、見えない。
アレックスの狂気は止まらない。
男は身を起こし、ポケットをまさぐった。
ハラリと、手紙が地面に落ちる。が、それは無視して、アレックスは銃を取り出す。
「死ね!」
その瞬間——ルアンは彼岸花のツタを再使用した。
遠慮の無い本気の一撃で、アレックスの心臓を貫く。
気絶させることもできた。
でも、アレックスという男の性格上、もう和解は無理だろう。
もし生かせば、永遠に付け狙われる。隣街の厄介な連中を引き連れて、襲ってくる。
だからルアンは冷酷な決断を下す。
アレックスの口から血が吹き出した。
彼の茶色い目が、大きく見開かれる。
「——サヨナラだ。アレックス君」
ルアンは言った。
アレックスは膝をついた。
自分がもう死ぬことは、彼自身にもわかったようだった。
だから、最後の力を振り絞るように、言った。
「こ……の、裏切り者め。僕の仲間は、お前を殺す奴は、この世界にまだまだいるぞ。これで、終わりだと思うなよ。これは、始まりに過ぎない。これからも、僕の仲間は、お前と……あの娘を狙い続ける」
「……なら、僕はその人たちを全員殺すよ」
ルアンは目を細めた。
ガートルードに、手は出させない。
そのためなら、今日と同じことを何度でもやろう。
兵器である自分には、それが相応しい。
その言葉を聞いて、アレックスが何を思ったのかは、もうわからない。
彼は既に——息を引き取っていた。
地面に倒れ、もう、動かない。
「……………………」
ルアンは跪いた。
アレックスの虚ろに開いた目を閉じ、そして傍らに落ちていた、ガートルードの手紙を拾い上げる。
終わった。ようやく。
血だらけの姿で、ルアンはふらついた。
流石に酔っ払ってきた。
そして、我に返る。
細まっていた目が見開かれ、いつもの呑気な丸い目へと戻っていく。
——殺してしまった。
お調子者の、戦友を。
ルアンは息を吐いた。
後悔はない。
自分で決めたことだ。
もう既に事切れたアレックスに、ルアンは何かを言おうとした。
謝罪か?
鎮魂か?
いや、こいつには、意趣返しでいい。
「あの炎のムチが僕の新しい必殺技……彼岸花【レッド・スパイダー】。今考えた名前だけど、けっこういいよね?」
まるで友達に話しかけるように、気安く、ルアンは死体に話しかけた。
死体は何も反応しなかった。
ルアンは地面に大の字に倒れた。
「さあ、こっちは片付けたよ。ガートルード……君はどうだい?」
——ガートルード視点——
『……なあ、ガートルード。聞いてくれるか』
全高八メートルの木になったスパイクが、その異様な見た目とは裏腹に静かに言った。
「何よ」
私はその奇っ怪な見た目に気圧され、返事をする。少しあの見た目に慣れる時間が欲しかった。
『イーストサイドの端の方に、フィングル・ボールっていう小さいキャンディショップがある。小せえガキとその母親でやってる店だが……よかったらたまに顔を出してやってくれ』
「何で私がそんな事?」
意味がわからない。
殺し合いなのに、これからの話をしてどうする?
スパイクはくっくっと笑った。
木の葉がフサフサと揺れる。
『確かに——何言ってんだろうな俺ァ。お前には何の関係もないってのによ』
奇妙な事を言う男だ。
フィングル・ボール?
「それより、何よその格好。木になるガヴラなんて、聞いたことないわ」
『俺の本気だ。さあ、やるぞガートルード。まずはこれを見てくれ』
スパイクの表面に、大きな棘のようなものが発生する。
それは鋭く尖り、幾何学的な模様を描いている。
大釘だった。
その切っ先が私を向いている。
でも、私とスパイクの距離は十メートルくらい離れている。
全然届かなそうだ。
私は大釘をじっと見た。
あれは私にとって恐怖と嫌悪の象徴だ。
しかし金属ではなく木で再現されると、なんだかまるで別の武器に見える。
——その時、私のガヴラが何となく嫌な予感を感じた。
銃弾から身を守る訓練によってわかってきたが、ガヴラの感知機能は人間のものより遥かに優れている。
それに身を委ねることで、ガヴラ使いは第六感的なカンの良さを発揮することがある。
私は咄嗟に、屋根の上を転がった。
突風が吹き荒れた。
スパイクの生成した大釘が、凄まじい勢いで発射されたのである。
遠距離攻撃だった。
私はルアンの言葉を思い出す。
——君の系統はガヴラ唯一の遠距離攻撃を持つ。
ルアンの嘘つき!
私は自分の花をスパイクに向け、種弾を放った。
当然、攻撃は木の表面で弾かれる。
それはいいのだが、これ相手のリソース削れているのだろうか?
人間の時は酒に酔うとか酒が切れるとか、色々勝利条件があったが、完全なる木にそういった概念が通用するかわからない。
「大きい割には大して速くないわね」
私は強がりを言った。
するとスパイクは笑う。
「じゃあ、これならどうだ?」
スパイクの表面から、大釘が何本も生成される。
一本、二本……合計七本だ。
流石にやばい。
私は飛んだ。
生半可な跳躍ではかわせない。
もっと大胆に、屋根の上から飛び降りた。
スパイクは木の状態で、身動きができないらしい。
射撃の威力は薄雪草でも防ぎきれないほど強力だが、射線から離れてしまえば、どうって事なかった。
そのままでは地面に落下してしまうので、空中で私は薄雪草を伸ばす。
しっかりたすきがけにして、屋根のヘリを掴む。
降りる勢いをそのままに、私は茎に力を込め、遠心力で屋根に戻った。
風圧と遠心力で閉じそうになる目を見開き、屋根高く跳躍する。
「このっ——」
空中に飛び上がった私は、そのままの勢いで、スパイクに落下し、花で殴りつけた。
まあ、あんまり意味はないだろう。
しかし、殴られたスパイクは変な声を出し、それから奇妙な行動に出る。
私を無視して。
戦いを忘れて。
何か——夢中になって、話し始めたのである。
『アア……姉さん。姉さあああん。なんで死んじゃったんだよおおお』
私はギョッとした。
何だ急に?
「スパイク! 私はこっちよ」
声をかけてみるが、反応はない。
それどころか、もっと夢中で語りを続ける。
『ああ……父さん。好きだったよ。酔っ払ってない時は優しかったし、木材所の余った木片でおもちゃを作ってくれたりし。優しい時は「パーシーお前は俺の宝物だよ」なんて言ってくれたものだしね』
パーシー?
スパイクの、本名だろうか。
粗暴な見た目に反して、妙に優しげな名前だが……それがどうした?
『父さん……毎晩、毎晩、毎晩、毎晩、僕を殴ったよね。憎かったんだね。僕を産んだせいで母さんが死んだから。でも、行きつけのバーで誰かと口論になり、殴られてあっさり死んだよね。打ちどころが悪かったんだろうか』
壊れたラジオのように、スパイクは話し続ける。
『だから、僕には姉さんしか居なかったんだ! ああ……姉さん。燃えるような赤い髪と、灰色の目。あなたのことを僕は忘れることが出来ないよ! 大好きだったんだ! どうして死んじゃったの!?』
「ねえ、スパイク! 戦う気あるの?」
『うう……あるよ。でも、俺は……ああ、もうぐちゃぐちゃなんだよ。ガートルード。どうしてこうなったんだ。生まれた時から人殺しなんだ』
「あんた、酔っ払ってるの?」
『ご、めんなぁガートルード。俺は取り返しのつかないことを、お前に、してしまった。何度も、何度も、一人で頑張ってるお前の邪魔をして……』
スパイクは泣きながら、大釘を発射してきた。
意味が、わからない。
私は花を振り回し、大釘を弾き飛ばした。
スパイクの人生に興味はない。
奴がどんな一生を歩もうとも、私には関係ない。
私にとってスパイクは悪党で、私から金と尊厳を奪う敵でしかないのだ。
……しかし、この感覚は、何だろう?
『姉さんが死んだのは、夏の蒸し暑い夜だった。強盗がうちに来て、姉さんを犯した。僕は抵抗したけど、その時股間をハンマーで潰された』
私はいつの間にか、戦いながらも、スパイクの言葉に耳を貸していた。
あいつの声音が切実だったからだ。
それに、少し興味が湧いてきた。
スパイクが私に執着する理由が、なんとなく分かりかけてきた。
スパイクはかつて言った。
俺は女を愛せる身体じゃない。
その意味もやっとわかった。
『そこからの俺は人を傷つけて生きてきた。俺の人生が台無しにされたように、他の奴らも無茶苦茶にしてやりたかった……。ガキみてえな、ただの八つ当たりさ』
スパイクは沈黙した。
壊れた時計のように、動かないし、喋らない。
死んだのか?
まさか。死んだらガヴラはチリになって消えるはずだ。ルアンがそう言っていた。
「スパイク?」
私は呼びかけた。
反応はない。
本当に死んだのか? それなら話は早いが。
ともかく——今の状態は気持ち悪い。
私は嫌いな相手は正々堂々と嫌いたい。
憎むべき相手はスッキリ倒したい。
それなのに、あんな可哀想な過去を聞かされたら、復讐してもモヤモヤするではないか。
私は声を上げた。
反応を見るために、別の呼び名を使う。
「パーシー!」
『ん……んおっ?』
木が、蠢いた。
『お……俺の名を呼んだか? ガートルード』
「ええ」
『何故、俺の本名を知っている?』
「あんた、自分で言ってたじゃない」
私は呆れた。
本当に何なのだ? こいつは。
酒の飲みすぎで、頭がおかしくなっているようだ。
その時、である。
『ギャアアアアアアアアアア!!!!』
地の底から響くようなおどろおどろしい声で、スパイクは絶叫した。
木を介して拡大されたような絶叫で、その音波は空気をふるわせ、私の髪をビリビリと揺らした。
薄雪草が警鐘を鳴らす。
私は意識を、銃弾を止める感覚に合わせた。
スパイクの木から、大釘が発射される。
当たればひとたまりもない破壊力の釘が、私をつけ狙う。
それをまた屋根の縁にぶら下がりながら、私はかわした。
『お、俺をパーシーと呼ぶな! 俺は大釘だ。バード・フィングルの部下にして、拷問担当! 敵国の捕虜を、尋問する!』
「もう戦争は終わったのよ。まだ、現実に帰ってきてないようね」
先ほど効果があったので、もう一度近づいて、「花パンチ」を繰り出してみる。
だが激高した今の状態では、大したダメージにもならないらしかった。
『アアアア!』
スパイクは叫び、枝を伸ばした。
バキバキと、屋根の上に枝が広がってゆく。
百メートル級の屋根が、一本の木に侵食されてゆく。
その枝も自由に動かせるとなると、やがて逃げ場が無くなりそうだ。
私はイラついた。
流石にしつこい。
燃費の悪い能力ではなかったのか。
一体いつになったら、ガス欠になるのだ。
スパイクの声音が、またもや幻想を彷徨った。
『アレックスさん! や、辞めてくれ。俺が悪かった。言う……言うから。俺たちバード・レッグを襲ったガヴラ使いっていうのは——ガートルード・グレイディ。楓通りにあるグレイディ・スピリッツって店の女だ』
スパイクはまだ夢を見ているようだった。
その言葉を聞くに、やはりスパイクが私の家をバラしたらしい。
だが——思ったよりも、追い詰められている。
私への復讐心から、意気揚々とバラしたのではない。
痛めつけられ、やむにやまれず、言ってしまった。……そんな感じだ。
『すまねえリーダー。俺がガートルードを愛してるって言ったばかりに、あんたは殺された。殺された。殺された』
屋根に逃げ場が無くなれば、ここから飛び降りるしかない。
あるいは枝を破壊するか、だが。
スパイクのボディは妙に頑丈で、私のガヴラでは手も足も出ない。
それがおかしかった。
何故、同じガヴラでここまで違う?
ルアンは前に説明してくれた。
ガヴラの能力は人によって違う。
でも、トータルするとそこまで優劣はない、と。
本当だろうか?
今のところ、私よりも明らかにスパイクの方が強力なガヴラを用いている。
まるで、命を燃やし尽くしているみたいに。
——あるいは、まだ先があるのかもしれない。
私はふと、思い立った。
まだ、私はガヴラの力を十分に引き出せていないのかもしれない。
もっともっと、強力な弾を発射することが、本来は出来るのではないか?
ルアンが言った。
私の「バレット」は感情で威力が増減すると。
今の私は本当にそれができているか?
百パーセントの怒りを、種弾に込められているか?
私は無駄に種弾を発射するのをやめて、意識を集中させた。
私の感情の源泉は——怒りだ。
答え合わせをするまでもなく、そうだろう。
だから、もっと憎まなくては。
スパイクを憎まなくては。
私はスパイクを睨んだ。
スパイクは発狂し、嗚咽を漏らしている。
生まれた時から不幸だった、小さな子ども。
母をなくし、父に虐待され、姉を失った。
自分自身の肉体まで、再生不能な程に傷ついた。
そんな子どもを、私は憎まなければならない。
私は手のひらをスパイクに向け、花から種弾を射出した。
しかしその威力は、これまでと大差ない。
種弾はスパイクの木に当たり、そして弾かれてしまう。
やはり、ダメだ。
こんな事では、ルアンの求める基準を満たせていない。
私は焦っていた。
スパイクの狂ったような態度も、焦りに拍車をかけていた。
スパイクはうわ言のように、思ったことを言う。
それは最近の過去であったり、もっとはるか昔の過去であったりしたが、いずれにせよ未来や現在ではなかった。
『ああ、ガートルードの家が燃える。俺のせいだ。姉さんの家が燃える。僕のせいだ。死にたい。死にたい。どうして、まだ生きているんだろ? 苦しいよ』
「スパイク。あんた戦う気あるの?」
スパイクの反応は、無い。
だが、枝は際限なく伸びていく。
しょうがない。
一旦、作戦会議だ。
私は屋根から飛び降りた。
激闘の屋根から、十メートル下へ。
アジトの倉庫の入口へ、薄雪草で壁をつかみながら着地する。
落下する時のキュンとする感覚が襲い来るが、その感覚は嫌いじゃなかった。
「ガートルード! 大丈夫?」
コンクリートの上に着地し、埃をはたいていると、ロレッタが駆け寄ってくる。
「屋根ですごい音してたけど、まだ戦いは続いてる感じ?」
「終わってないわ。でも、相手も動けないから、膠着してるの」
「ルアンは?」
「別れて戦っているわ」
私は言いながらアジトの中を確認した。
ギャング連中の拘束は終了しており、セオドアがそれを壁に綺麗に並べているところだった。
「おお、ガートルード。終わったか?」
「終わってない。力を貸して欲しいの」
青年の顔を見て、この前の喧嘩を思い出す。
ここは、成長した私を見せなければ。
もう一人で突っ走る私ではない。
足りないことは仲間の力を借りればいいのだ。
セオドアはライフルを構えた。
「やるか?」
「違う違う。知恵を貸してほしいの。凄い硬い敵がいて——」
私は敵のガードを突破出来ないこと、ルアンのいう気合いで威力が上がる理論を、二人に伝えた。
「あいつの硬い木を突き破るために、私の種弾の威力を上げないといけないの。でも、私、どう怒ればいいかわからなくなっちゃって」
セオドアは腕を組んだ。
「その感情で威力が上がるというのが、よく分からない。感情とはなんだ? 何でもいいのか? ポジティブでも、ネガティブでも。強弱はどこで判断する?」
ロレッタは「あ〜」と合点がいったような顔をした。
「あれじゃない? 気合いなんでしょ。だったら想いの大きさでしかないでしょ。ガートルード、あんたの中にある今一番強い想いは何?」
「それが分からないの。あいつは、憎むべき相手だったし、今もそう。だけど、私は知ってしまったわ。あいつの身の上を。気持ち悪いやつだと思っていたけど、亡くなったお姉さんの幻影を私に重ねていたのよ」
「そりゃあ変な奴だね。死者はもう死んでる。生きてる人とはカンケーないのに」
ロレッタならばそう言うだろう。
でも、私にはスパイクの気持ちが理解できた。
辛くて仕方ない時、私も兄の幻影を作り出して自分を慰めたのだから。
セオドアがもっともらしく言った。
「ガートルード……あんたのその感情は"怒り”ではない。あんた自身も戸惑っているんだろう? だから上手く出力できないんだ」
「じゃあどうすればいいのよ。私は頑固者で怒りやすい。怒りが——私の原動力よ。怒れないと、殺せない。倒せないわ」
セオドアとロレッタは顔を見合せた。
そして、何故か笑う。
「ガートルード。あんたの原動力は、怒りじゃないよぉ〜」
「そうだ。一見するとあんたは頑固で気難しい。だが、その内面は、いつだって大切なものを守るために働いている。抗うために抱く怒りは、理不尽への抵抗反応に過ぎない」
私は二人の事を見た。
ここにはいない、ルアンの事を思った。
——そうか。
何か腑に落ちた。
私の原動力は怒りではなかったのか。
相手を憎み、殺すと決めることが私という人間の核だと思っていた。
でも、そうじゃない。
そうじゃないのだ。
私は二人を見た。
そしてはにかむように笑いかけた。
私は無理に誰かを憎まなくてもいい。
思ったことを、素直に吐き出せばいいのだ。
「ありがとう二人とも。大好きよ」
早速思ったことを言ってみた。
「何? 急に、気持ち悪い」
「寒気がしたな。似合わないことは、無理に言わない方がいい」
酷い言われようだった。
屋根の上へと上がっていく。
再び戦うために。
負けないために。
薄雪草の茎を建物に引っ掛け、屋根の上へ身体を持ち上げていく。
……幻影の兄が言った。
「ガートルード。君はもう、僕なしでもやって行けるね」
「久しぶりに出てきたわね。兄さん」
振り向かずに、私は答えた。
何故出てきたのか、わかっていたからだ。
「最近、君は僕を思い出すことが随分減ったね。仲間が増えてから彼らのことを思う時間が、どんどん増えていった」
「ごめんなさい」
「いいんだ。僕は嬉しいよ。君が幸せで。自分の居場所を見つけることができて」
兄は穏やかな声で言う。
振り向くまでもないが、きっと微笑をたたえていることだろう。
私は兄につぶやく。
「私は、お金が欲しかった。でも、お金持ちになりたかったんじゃない。誰かと一緒にいる普通が欲しかったんだわ」
「じゃあどの道、密造酒は正解だったわけだね」
兄は笑った。
私は唇を噛む。
「……サヨナラは言わないわ」
「うん」
でも、これで終わりだった。
もう、さようならだった。
兄を失って、ずっと時間が止まっていた。
しかしルアンを仲間にして、セオドアを仲間にして、ロレッタを仲間にして、止まった時間が動き出した。
いつまでも「今」死んだ兄のことを悲しんでいたはずなのに、いつしかそれは過去の思い出へと変わっていった。
先程もう少し素直に生きようと思えた。
私は、私が思っているほど、嫌な奴じゃ無かったのだ。
それに気づけた。
みんなのおかげで。
だから、兄とはお別れなのだった。
私は涙をこらえて、永遠に兄の幻影に別れを告げる。
「ありがとう。お兄ちゃん」
屋根に上がる。
屋根中に張り巡らされた枝の中心に、その木は生えている。
私は男を見た。
男は私を見なかった。
だが、それでもいい。
「——パーシー」
私が話しかけると、男は呻き声を上げて、釘を放ってきた。
なんの信念も籠っていない、弱い一撃だ。
私はそれを薄雪草の花弁で簡単に払い除けた。
そして続ける。
「——私はあんたを愛してはいない。でも、もう怒ってもないわ。あんたにも"色々”あった。その理由を知ることができたから」
男は釘を放つ。
私はそれを払う。
衝撃など、もはや毛ほども感じない。
「あんたはずっと、傷ついていた。そして、壊れていたのね。自分じゃどうにもならなくて、人には冷たく当たることしかできなくて」
男は呻く。
釘は——飛んでこなかった。
「今の私には、あんたの願いがわかるわ。だからそれを叶えてあげようと思うの」
男は黙った。
もう、呻かなかった。
バキバキと、ベキベキと、木が動く。
まるで両手を広げるように、枝が左右にパックリと別れ、屋上に道が示された。
男までの一本道だ。
それを私は歩く。
男に歩み寄る。
——薄雪草の花が咲き誇る。
男に心から向き合う。
怒りではない。
愛でもない。
でも可哀想な子供の辛い過去と、そこから歪んで成長した男の物語を知ってしまった。
知ってしまった以上、私は怒ることはできない。
だから——この男を終わらせてやりたいと思った。
薄雪草の花弁が回転する。
これまでになく、力強く回転する。
まるで空気中の何かを吸い取るように、花は大きく広がってゆく。
花弁からは今や、眩くばかりの強い光が溢れ出ていた。
白く光り輝く、美しい力の本流だ。
——特別な技には、名前をつけるといいよ。
ルアンの言葉を思い出す。
——名前はね、物事の本質を引き出しやすくするんだ。やってやるぞ! と、その覚悟が、名前が、技を力に変える。
私は自分の花を、チラリと見た。
花はこれまで見たことないほど大きく広がり、強く白い光を放っている。
その白さは、新雪のような輝きだ。
だから、そういう名前にしよう。
薄雪草を構えて、私は歩く。
男に歩み寄る。
パーシーは私を見上げた。
木の顔が、私を見る。その口がパクパク動く。
私は笑って首を振った。
思えば、奴に笑いかけたのはこれが初めてかもしれない。
私の笑顔を見て、パーシーは泣きそうな……あるいは笑いだしそうな、複雑な顔をした。
——その額に、薄雪草の銃口を向ける。
私は呟いた。
「薄雪草【スノウ・ホワイト】」
光が放たれた。
全てを破壊する一撃が、至近距離で弾ける。
種弾を発射するのでは、ない。
私の感情エネルギーをチャージして放つ、光の柱だ。
邪魔な枝を吹き飛ばし、木を砕き、男を絶命させるのに十分なエネルギーが、ガヴラから発射される。
その威力はあまりにも強すぎて、屋根ごと吹き飛ばし、私の世界を真っ白に変えた。
最後に、屋根から落下しながら、私はパーシーの最期の言葉を思い返していた。
——ありがとう
彼は確かに、そう言ったのだ。
まったく、めんどくさい奴だった。




