第17話 失ったもの
フォード車は世界初の大量生産された車です。頑丈で改造しやすいのが特徴でした。
鳥の声と共に太陽の光が、焼け落ちた天井から差し込む。瓦礫と化したグレイディ・スピリッツの建物の中で、私は目を覚ました。
——嘘だ。
目を覚ましてはいない。
なぜなら、一睡もできていないのだから。昨日の騒動が嘘のように、家の周りは静まり返っている。
野次馬は皆、帰って行った。
消防車も今はなく、燃え残った半分ほどの家屋の黒ずんだ柱が、昨日何があったのかを教えてくれる。
燃えてしまった。
全てが。
あるいは、ほとんどが。
一階の雑貨屋部分も、地下の酒造所部分も、あらかた焼けてしまった。建物の基礎となる外壁部分と、二階の一部スペースは焼け残ったが、そんな物、家とは言えないだろう。
何が原因かはわからない。
どうしてこれほど大きな炎が燃え広がったのかも。
消火活動に当たってくれた消防士の話によると、炎は地下から起こったようだという。地下室に置いていた蒸留器が、発火したのだろうか?
わからない。現実を受け入れることが、できなかった。
四人が四人とも、それぞれに反応を示した。
まず、ロレッタが怒った。
ルアンが悲しみ、セオドアが腕を組んで考え込んだ。
そして私が、絶望で泣いた。
祖父が建てて兄と紡いできた思い出の店が、たった一晩で失われてしまった。私の守るべき場所が、もう残っていない。私の戦う理由は、大半が焼け焦げてしまった。
そうなると、もう私は、立ち向かうことができない。
事業に使う蒸留場も、失われてしまった。事実上、密造酒ビジネスはここで終わりだった。
瓦礫と化した自宅で、私は一晩明かした。
ロレッタが実家に泊まるよう誘ってくれたが、私は断った。何をする気にもなれないが、ここから離れたくはなかったのだ。
奇跡的に私の部屋は、半分くらい焼け残っていたので、寝るのに不自由はない。
野ざらしだが。それでもいい。
私はこの場所に残る。
そう言うと、三人はしんみり納得した。
私の落ち込んだ姿を見て、同情してくれたようだった。
「おはよー。ガートルード」
ロレッタが隣の部屋から、こちらを見て言った。
正確には、部屋があったであろう場所から、だが。
壁に空いた穴から、顔を覗かせている。彼女は昨日のパーティ服から作業着に着替え、すすだらけの顔で、床があったと思しき場所に寝転がっていた。
結局、彼女も帰らなかったのだ。
本人は燃えずに済んだ車の様子を見るためだと言い張っているが、多分私を一人にしたくなかったのだろう。整備をしながらも、ちょくちょく私の様子を見に部屋に来てくれていた。
車はススと煙で真っ黒になっていたが、ロレッタは一晩かけて、異常がないか検査していたようだった。
「おはよう……車はどうだった?」
私は無理やり言葉を探した。
ロレッタの深い緑色の目が、眠そうに二、三度瞬いた。
「まーまー、かな。多少影響を受けたパーツもあったけど、ちゃんと磨いて増し締めしたし。動くのには影響ないって感じ」
「そう、ありがとう」
ロレッタは肩を竦めた。
「……男連中はどこ?」
「わからないわ。私も今、起きたばかりだから」
昨日解散して以来、私も知らない。
ロレッタは欠伸をしながら起き上がった。
「じゃあ下に降りよ。もう一眠りしたいけど、これからどうなるのか決まらないと、スッキリ動けないよ。やっぱり」
「…………うん」
何か嫌なことがあっても、ロレッタは立ち直るのが早い。サバサバしていて、クヨクヨ悩まない。
私とは、違う。
今回は失ったものの大きさで言うと、私が一番だが。そもそもの性格が違うのだ。
全く気は晴れていないし、全く落ち着いてはいない。一晩経っても、私は絶望の真っ只中にいる。
それを知ってか知らずか、ロレッタは私の内面には触れてこなかった。
二階の焼け残りから、一階へ降りる。
表面は焼けているが、構造が頑丈なので、階段や柱はそのままだった。明るいところで見る焼け跡は、より私の胸に鮮明な悲しみを抱かせる。
黒焦げになった木のカウンターを、指で触る。
ガサガサとした感触と共に、黒い灰がこびり付いた。
カウンターの上に乗っていた私たちの蓄音機は、もう跡形しか残っていない。木でできた細かな部分は焼け、金属のターンテーブルなどが真っ黒の状態で焼け残っていた。レコードは全てダメになっている。熱でドロドロにとけ、黒い塊になっていた。
私は破壊された売り場を見た。
兄と私の幻影が、崩れた売り場の間を笑いながら走り回り、そして消えていった。
祖母が商品を陳列し、祖父がお客さんに商品を手渡している光景が、光の影のように煌めいた。
一瞬で我に返ると、そこは焼けた棚と崩れた石膏の瓦礫にまみれた、汚い火事跡である。
守るべき売り場は、もう失われている。
「おはよう。ガートルード」
地下室に続くドアは、半分ほど瓦礫で埋まっていて、狭くなっている。
その隙間から、小柄な青年がひょっこりと顔を出した。
「おはよう……」
ルアンはすすに汚れた顔で、物憂げにこちらを見た。
「なんて言っていいか……全くわからないよ。残念、なんて言葉じゃ、表現できない」
「あ、こらルアン。そんな直接言うなんて。もうしばらく触れないでおいてあげないと!」
ロレッタが慌てて言うが、余計な気遣いだ。
「いいわよ、ロレッタ。どの道話し合う為に降りてきたんでしょ。変な気は使わないで」
「いやぁ……あんた、そんなこと言うけど、酷い顔だよ? クマはすごいし。どーせ、寝てないんでしょ」
「いいから」
私の顔を見て、ロレッタは黙った。
「ルアン……地下室で何してたの?」
「火災の原因を探してたんだ」
ワイシャツから埃をはらいながら、ルアンは地下室から上がってくる。
「どれだけの物が無事だったか、調べたかったし。何が燃えてこんな事になったのか、気になったからね」
私は無理に声を出した。
「蒸留器は無事?」
ルアンは首を振った。
「冷却器は?」
「潰れてるよ」
「お酒は?」
「出荷前の分は全滅だ。……でも、隠し棚の分は無事だったよ。独特な構造だからね。火が侵入しなかったんだろうね」
隠し棚の中身は、販売在庫全体の十パーセント程度である。
私は俯いた。
ダメだ……空元気もすぐに無くなる。元気になれる要素がない。
どうして、こんな事に。
そう思わずにはいられなかった。
「それで——それで、火災の原因はわかったの?」
「それについては、俺からも言いたい事がある」
店の入口から、セオドアが入ってきた。
壁は半分崩れていて、ドアも燃え尽きている。入口というより、ただの穴だったが。
セオドアは髪が乱れ、疲れたような顔をしている。
スーツの上を脱いだワイシャツ姿で、腕は捲し上げられて、動きやすい格好になっていた。
いつも持ち歩いている杖も、今日は持っていなかった。
セオドアは私たちの近くまで歩み寄り、奇跡的に焼け残った、お気に入りのスティックリーの椅子に腰掛けた。
「フーッ。一晩中、聞き込みだ。……警官やチンピラやご婦人方からな。目撃情報やら、街の情勢の確認やら……。正直休みたい気持ちが強いんだが、こういうイレギュラーな時は時間勝負だ。もし犯人がいた場合、早くしないと逃げられる」
——犯人?
「自然発火じゃ、ないの?」
セオドアは私を見て、目を細めた。
「どうも、俺たちは恨みを買いすぎたらしいぞ」
ルアンも頷く。
「やっぱりそうだよね。火事は地下室から起こってるんだけど、火の広がり方がおかしい。まるで、何か"液体を伝ったみたいに”燃えてるよ。ガソリンとか、石油みたいな」
自然発火では——ない。
私の家を焼き、私の大切な場所を奪った犯人が、この世に存在している、だと?
じわじわと何かが、湧き上がってくる。
「ハァッ? 無茶苦茶、悪い奴じゃん。誰がそんな事?」
ロレッタは気を落ち着けるように、スパナをヒュンヒュン回し始めた。
そうだ。
誰が、そんな事?
セオドアは指で目頭を抑えた。
困っているような、疲れたような顔である。
「俺たちのよく知る相手だ」
「ハッキリ言いなさいよ」
私はイライラと言った。
セオドアは突然目を開き、青い瞳で私をじっと見る。
そこで私は初めて気づいた。
今日のセオドア、何だか怒っている。
セオドアは吐き捨てるように言った。
「——バード・レッグの連中さ!」
それはここ数年、私がずっと悩まされている、ギャング組織の名前だった。
目撃情報。
ツテによる情報。
そうしたセオドアの情報収集によると、昨晩この辺りの通りに、ガラの悪い男の集団が居たらしい。
革ジャンにブーツ。
指定がある訳では無いが、それはバード・レッグのメンバーの多くが好んでする、トレードマークのような格好だった。
奴らの主要メンバーは、私が病院送りにした。
でも、死んでいるわけではない。
怪我が治れば、また活動を再開する。
「バード・レッグと言えば、最近は大人しかったんだがな。幹部の何人かが何故か入院してたらしいが。ほとんど退院したらしい。——何か関係あるのかな?」
セオドアの声は冷たい。
「"俺は”何も知らない。聞かされていない。だが、ひょっとしてガートルード。あんたなら、何か心当たりがあるんじゃないか?」
ルアンが息を飲むのが聞こえた。
あの夜のことを、私は誰にも話していない。
人を殺そうとして、殺せなかった話だ。
警察に知らされたら捕まるし、自慢する話でもないと思っていたからだ。
成り行きでルアンにはバレてしまったが、誰にも言わないで欲しいとお願いしていた。
復讐のために八人を病院送りにした。
そしてそれで話が解決していた、と思っていたのだ。
——なぜ、そんな風に思ったのだろう。
——何で、楽観視していたのだろう。
あの夜スパイクは、私に愛を語った。そして情けない姿を晒したが、奴を倒した事で私は溜飲を下げていた。互いに言いたいことを言い、やられた事をやり返しただけだと、思っていた。
あれは、奴と私の戦いだったのだ。
あの夜私は、覆面で正体を隠して男たちを倒した。
スパイクには私の正体がバレたが、その時のスパイクは私に個人的な執着を見せていた。
何か文句があれば、スパイク本人が私に直接言いに来る。
私は何故か、そう信じていたのだった。
なんて——甘いのだろう。
私は自分の目が、挙動不審にブレるのを感じた。
セオドアの顔を真っ直ぐ見られない。
「……ごめんなさい。言ってなかったけど、バード・レッグの幹部を病院送りにしたのは、私」
「ふうん。それで、奴らはまんまと一命をとりとめ、そして元気になったら意気揚々と、復讐にきたわけだ。アジトがどこにあるか、知っているから」
セオドアの顔からは、いつしか当たり前になった気安い優しさのようなものが消えている。
まるで初めて会った時のように、借金取りとして関わっていた時のように、感情の無い事務的な声で私に話しかける。
「復讐するのはいい。あんたがあの夜どれだけボロボロになったかを、俺は知っている。また立ち向かう心を手に入れるのに、復讐は必要な事だったのだろう」
ルアンは「セオドア君! あの——」と何か言いかけたが、セオドアはそれを手で制した。
「だが……それを俺たちに一言の相談もなく実行し、終わってからも何も共有しなかった。——これは許せない。どれだけのリスクがあり、どのように対策ができたか。……予め知っていれば、全然違った。ギャングが悪いのは当然だ。だが、あんたは仲間に相談する機会を自分で捨てた」
セオドアはおもむろに椅子から立ち上がり、私を見下ろした。
「店が燃やされたのは、ガートルード——あんたのせいだ」
ロレッタが色めき立つ。
「セオドア! そんな言い方は無いでしょ。ガートルードの大切な思い出の詰まった家なんだよ。失ってコイツがどれだけ傷ついているか……あんたにわかるわけ?」
セオドアはキョロキョロと辺りを見回し、テーブルに置きっぱなしだった自分の帽子を取り上げた。
それをクルクルと弄びながら、言う。
「俺だって傷ついてる。こう見えてな。これでも俺は、このグレイディ・スピリッツでの集まりを結構気に入っていたんだぞ。歳の近いお前らと悪巧みをするのは、何だか大学のサークル活動みたいで面白かった。友達になれるかと……そう思っていた」
ロレッタは目を見開き、やがてうなだれた。
彼女の顔から、潮汐のように怒りが引いていく。
「それは——あたしもそうだよ」
しかしセオドアの声は冷たい。
「だが、ガートルードは自分の秘密を優先して、俺たちに襲撃のことを言わなかった。ギャングに正体がバレたことも、正体がバレたギャングが生きていることも、言わなかった。もし俺に相談してくれていれば、新たな拠点を用意することも出来た。そこに設備を移すことも出来た。わざわざ火をつけられて、ガートルードの思い出を失う必要もなかった」
セオドアは私の方を見る。
私は——その顔を見ることができない。
「この数ヶ月、俺は結構楽しかった。でも、ガートルード……あんたにとっては、俺はそういう相手じゃなかったんだな。秘密を相談して、悩みを言ってくれる仲間じゃなかったんだな」
「そんな事ないわ。あなたは、大切な仲間よ」
私は言う。
しかし言葉の、何と空虚な事だろう。
その場しのぎの言い訳にしか聞こえない。
セオドアが仲間意識を抱いてくれていたのは、嬉しい。
でも、私は彼の気持ちを踏みにじり、店を終わらせてしまったのだ。
そんな私の言葉など、当然彼には届かない。
「——悪いが、俺はここで降りる」
セオドアは帽子を被った。
「店が燃やされたのは、いい契機だ。俺とあんたは合わない。それが証明されたんだからな」
「待ってよ! セオドア君! ガートルードだけの責任じゃない。僕が悪かったんだ。僕も知ってたけど、言えなかったんだ」
ルアンが声をあげる。
しかしセオドアは振り向かない。
「……ルアン。やはり知っていたんだな」
「ごめんよ」
「だからこそ、俺はお前にも怒っているよ」
ルアンは固まった。
「ごめんよ。君の事は信頼してた。でも、ガートルードの気持ちを大切にしたかったんだ。こうなるだなんて全く思わなくて」
「だとしたら、それは甘すぎる。俺たちは法の外を行く。そう決めたにしては、余りにも甘かった……」
セオドアは最後にぐるりと、私たちを見渡した。
「じゃあ世話になった。俺はグレイディ・スピリッツを抜ける。解散するか、逃げ出すかは、残ったあんたらで決めてくれ。まあ、色々いい思いはさせてもらったからな。ミス・グレイディ。あんたの借金の残り分は、帳消しにしといてやるよ」
そうして、セオドア・ホールデンは、私たちの前から姿を消した。
あの冷静で皮肉屋で、お酒に弱い金髪の青年は、もう私たちの仲間では、ない。
後に残された私たちは、強力なブレインを失って、途方にくれていた。
焼け残った自室で、私は自己嫌悪に陥っていた。
セオドアの言い分は正しい。
私は彼の信頼を裏切り、そして店をこんな風にしてしまった。
被害者ヅラしていたが、原因は私だったのだ。
私はいつもこうだった。頑固で強情で、人の話を聞くことができない。後から考えれば正しいと思えることも、その時の感情で間違えてしまう。
ガヴラを手にしたところで、心は何も変わらない。
最近仲間ができて、成功した気になって、調子に乗っていた。私の本質は、わがままで自己中心的な女のままだ。
私は兄のことを考えた。
こんなわがままな妹と、兄さんはよく仲良くしてくれていたものだ。
兄の言葉は、私の心によく染みた。
彼は、とても私に言い聞かせるのが上手かった。
また、兄の説教を聞きたいものだ。
その時の私は、兄の言葉を強く求めていた。兄の考えや、兄の言葉に、少しでいいから触れたかった。
それは戦争で兄を失ったばかりの頃には感じなかった、新たな心の動きだった。
兄の言葉を踏み台にして、未来に歩き出す勇気が欲しかった。
そんなもの、形では残っていないが。
——いや、一つあった。
私は、兄がくれた手紙のことを思い出した。
戦場で兄がしたため、戦後遺品として軍から渡された手紙である。
三年前は動揺して、ほとんどまともに読めていない。
一度目を通したはずだが、何を書いていたのか、全く思い出せない。
あの手紙が、もう一度読みたい。
私は燃え残った部屋を探した。
この部屋は、火事の影響をほとんど受けていない。
テーブルの上を探した。
「あれ?」
椅子の下を探した。
ベッドの下を探し、本棚を探し、タンスの中を探した。
どこにも、手紙がない。
兄の遺品は無くならないように、カバンごとテーブルの上に置いていたのに。
それが無くなっている。
私は気づいた。
勘違いだろうか?
いや、間違いない。
「手紙が——盗まれている」
バード・レッグは私の店に火を放っただけではなく、店から大切なものを奪っていったようだった。
フォード車は一般的に乗用車タイプがありましたが、トラックタイプも多かったです。




