第16話 火事
禁酒法は当時変な法律だと思われていました。なので警察も賄賂に寛容でした。
——スパイク視点——
「いつも思うんだけど、どうしてガヴラはお酒を飲んだら操れるんだろうね。お酒を飲まなければただのデキモノみたいなのに、どんな形であれアルコールを口にすると、急に人を超えた力を発揮する。——さて」
宙吊りにしたスパイクに、アレックスは語る。
「バード・レッグの幹部を一人一人呼び出して確認するつもりだったけど、一発目でガヴラ使いの正体を知るあなたに会えるとは。……手間が省けたよ」
アジトは港の倉庫にある。
時刻は夜。
明かりがついていないと何も見えない、閉鎖された空間だ。
だが暗闇で目が慣れて、スパイクはおぼろげにアレックスの姿が見え始めていた。
小柄で、茶色い髪と茶色い目をした男だ。
どことなく飄々とした態度で、逆さまにぶら下がったスパイクを観察している。
男は首から菊のような花を咲かせ、そこから大きなツタを伸ばしていた。
——ガヴラ使いだ。
スパイクは言った。
「殺せ……殺してくれ」
罪悪感で、おかしくなりそうだった。
ならず者として非道を尽くしてきたスパイクではあるが、心が無いわけではない。血なまぐさい経験によって心は荒んだが、だからこそ、人を愛する気持ちに敏感でもある。
そんなスパイクにとって一番大切なのは、バードとその家族に対する愛情だった。暖かく優しい関係を、自分のせいで破壊してしまった。
その後悔は底知れない。
アレックスはスパイクの発言に、困ったような声を出す。
「もー……そういうのはいいよ。僕が悪いことしてるみたいじゃない。それより、ガヴラ使いの正体を教えてくれないかい? 粛清するにしろ、仲間にするにしろ、正体がわからないとね」
スパイクは呻いた。
リーダーの仇だ。こんな奴に話すつもりは無い。
本当はストームヘイブンの裏社会では、赤髪の女と男が不思議な花を用いて戦う事は噂になっている。
だが、この街に来たばかりのこの男はそれを知らないようだった。
教えてやる気もない。
「言わねえ。言うわけねえ」
「ふーん、残念だよ。まあ、バードさんが死んじゃったから、こうなる事は分かってたけど。……いいよいいよ。わざわざ話さなくても。素直になれるお薬があるからね」
暗闇の中で、アレックスはポケットから何かを取り出した。
それが何かは、スパイクにはわからない。
丸い、クルミのような何かだ。
「なんだ……そりゃ」
「「チープ・シード」だ。オリジナルとは危険性も安定性もまるで違う"劣化品”だけど——うまくすれば、ガヴラ能力を手に入れられる」
スパイクは息を飲んだ。
そんなスパイクを見て、アレックスは小さく笑う。
「残念ながら、そんなにいいものじゃないよ。選定に耐えられる人は少ない。大抵の人は死んでしまうし——もし生き延びられても、長くは生きられない。これは短い期間戦うための片道切符……あるいは、副作用を利用した"尋問用”に使われるんだ」
「尋問用?」
突如、アレックスはスパイクの顔を掴んだ。
植物のツタのようなものがスパイクの身体を固定し、口を開けさせようとする。
「ほら〜口開けてよ。閉じてないで。尋問が嫌なら、ガヴラ使いの正体を教えておくれ」
スパイクは口を引きむすんだ。
何をする気かわからないが、口は絶対に開かせない。誰かに口を触られるなど、不快極まりない。
しかし、鳩尾に凄まじい衝撃があり、スパイクの肺から空気が突き上がった。
アレックスがスパイクの腹を殴りつけたのだ。
堪えきれず、息を吐く。
「——ごはっ……!」
その瞬間、口内に太い何かが侵入してくる。
瑞々しく脈打つ、植物性の感覚だ。
植物のツタが、まるで大釘のように、スパイクの口から喉までを一直線に貫いた。
口は最大まで押し広げられ、唇は切れる。喉は限界以上に開き、激痛が走る。とても苦しい。
だが、それ以上に、酷く辛い気持ちが湧き上がってきた。口の中は、人体の内にあり、それは内蔵と言ってもいい。どんな殴り合いでも、口の中まで殴られることはない。
基本的に触られるものとして想定されていない口の中は、傷つけられることに関して、酷く敏感なのだ。
スパイクは自尊心が破壊される感覚を、まざまざと味わっていた。
自分が今まで多くの敵対者に対してやってきた拷問が、自分がされるとこれ程辛いものだとは。
——ガートルードも、さぞ辛かったろう。
スパイクは苦しみから涙を流した。
そこへ、アレックスは追い打ちをかける。
喉までを一直線に貫いていたツタを引き抜き、空いた空間に、クルミのような何かを突っ込んできたのだ。
喉が、クルミで詰まる。
息が、できない。
「今からあなたは走馬灯を見るだろう。これまでの人生を追体験し、楽しいことも辛いことも、全部いっぺんに思い出して、再体験する。全く別人になる人もいるよ。トリップ状態ってやつだ。その間に、僕は色々と質問させてもらうとするよ」
アレックスの声が、聞こえる。
「——もしかしたらあなたは"選定”を耐え抜き、ガヴラを手にするかな? そうなっても命は長くないけど……何年かは生きられるかも。そうなればいいね」
アレックスの声が、聞こえる。
「バードさんは無理だった。でも、もしあなたが乗り越えられたら、それは嬉しい誤算だ。出来たら頑張って。僕はあなたの味方だ。応援してるからね!」
スパイクの世界が、暗転してゆく。
意識を失い、現実を手放してゆく。
そんなスパイクの顔をじっと見ながら、アレックスはどっちでも良さそうな顔をして、手を振っていた。
——ガートルード視点——
灼熱の炎が、夜の楓通りを赤く照らしていた。
黒い煙が立ちこめる。
樫の木で出来た頑丈な扉が、乾燥した焚き火のようにパチパチという音を立てる。
窓ガラスが熱で膨張し、パリンと割れた。
中で何かが連続して爆ぜる音が鳴る。
そして、青く透明に近い炎が上がった。
熱い。とてつもなく、熱い。
まるで家全体が巨大な暖炉になったかのように、熱気を、煙を、周囲に撒き散らす。
私は呆然と、家が焼けるのを眺めていた。
どうすることも出来なかった。
火事はもう明らかに、初期消火の域を超えている。
どうしようも、なかった。
どうしようも……。
祖父の店が、焼ける。祖母の椅子が燃える。
兄の部屋も、地下室も、母の部屋も。
密造酒も、ダメになる。
視界が揺れた。頭がクラクラした。
ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……。
息がつまり、心臓の音がバクバクとうるさい。
——嫌だ。
嫌だ。嫌だ。嫌だ。
私はガヴラを呼び出した。
お酒はすでに、今晩飲んでいる。
名前だけ呼べば、体内のアルコールを吸収して、すぐに薄雪草は出てきてくれた。
何ができるかは、わからない。
でも、ガヴラなら、どうにか……この現実に風穴を開けてくれるかもしれない。
私は燃え上がる家に突っ込もうとした。
「ガートルード! ダメだよ!」
ルアンの腕が、後ろから私を捕まえた。
私の脇を抱えて、動きを止める。
とても抵抗できない力だった。
ああ、邪魔よ。ルアン。
「離して! 行かせて! ウチが……ウチが燃えちゃう!」
「ダメだよ! ガヴラは火に弱いんだ! 一瞬で消し炭になるよ!」
ルアンは、痛切な声で言った。
残酷な、宣告だった。
私の力では、どうすることもできない。
ガヴラの力でも、どうすることもできない。
ただ、思い出の場所が燃えるのを、見ていることしかできない。
私はうめいた。
肩が震える。
もう、ダメだ。
我慢できない。
私は少女のように、ワアワアと泣き声をあげた。
消防車のモーター音が近づいてくる。
ロレッタとセオドアが追いついてくる。
でも……そんなことは今はどうでもよかった。
全てが台無しになった絶望から、私は叫んだ。
何が戦える女だ。
私は……無力だった。
——スパイク視点——
ここ数年、よく訪れていた店が、よく燃えていた。
地下に酒を貯蔵しているせいで、その燃え方には、しばしば爆発のようなものが混じる。
天を衝くほど大きな火柱が上がる。
それをスパイクは、少し離れた建物の屋根の上で、観察していた。
頬からは汗がたれる。知らず握りこまれた拳は、ぶるぶるとふるえていた。
「ワオ、よく燃えてるねえ。何とも景気のいい事だ!」
隣の男が、呑気な声を出す。
男はポケットに手を入れ、首から伸ばしたツタで椅子のようなものを形作って、それに座っていた。
足を組みながら、花火を見物するようなことを言う。
スパイクは、かすれた声を出した。
「何も……燃やすことは無かったんじゃねえか」
アレックスは首を傾げる。
「うん? それは、同情かな。スパイクさん。君はまだそのガヴラ使いっていうのを愛しているのかい? そこまでボロボロにされたっていうのに」
「そんな事、あんたには関係ねぇよ」
乱暴な口調で話しながらも、スパイクは奥歯がガタガタとふるえそうになるのを、必死に押しとどめていた。
数日前にこの男からされた"拷問”が、未だに尾を引いている。心の底から、敵わないと実感させられた相手だ。
関係は全く対等ではない。
例え、ガヴラに目覚めたとしても。
アレックスはアッハッハ、と笑った。
「なんだよースパイクさん。そんなに拗ねないでよ。僕は君のことを結構評価してるんだよ。バードさんでも無理だった「チープ・シード」への適合を果たしたからね。意外と貴重なんだ。安い種でもいける人間っていうのは」
スパイクはアレックスを睨みつけた。
この男のせいで、リーダーは死んだ。そういう意味では、紛れもなく仇である。
だが……スパイクは俯いた。
上手く恨むことが、できない。
アレックスに対する憎しみよりはるかに、己への嫌悪感が勝るからだ。
自分が調子にのらなければ……ガートルードに手を出さなければ、リーダーは死ななかった。
「バードさんの遺志を君が継ぐんだ。スパイクさん。君がバード・レッグのリーダーになり、戦争で傷ついた仲間たちの居場所を守ってあげるんだ。そのために、僕は力を貸すよ」
アレックスは優しく言った。
恐怖と、自責と、この優しさ。
それでもう、スパイクは逆らうことができない。
いとも簡単に、アレックスの言いなりに動く部下となる。
最初はバード・レッグを解散させようとしていた奴だ。気持ちが変わってくれたのは僥倖だろう。
スパイクはぼんやりと、グレイディ・スピリッツを観察した。
眼下には、地面に崩れ落ちるガートルードがいる。
そしてそれを支えるように跪く、若い男がいた。
——そうか。
スパイクは理解した。
ガートルードはもう、兄の代わりに頼れる人を見つけたのだ。
俺など、ではなく。
「やっぱり、燃やす意味がわからねえ。傘下に加えるように、話し合うべきだったんじゃねえか?」
スパイクはつぶやく。
——しかし、アレックスは答えない。
おい、無視かよ。
スパイクはアレックスの方を向いて——そして、青年の顔に浮かんだ、狂気的な笑い顔を見て、背筋を凍らせた。
アレックスは目を見開き、歯をむきだし、ゾッとするような悦びを抱いている。
アレックスの口が、人の名前に動いた。
「ルアン・ロビンソン……!」
スパイクは足の力が抜けた。
得体のしれない男の、初めて見せた感情に、気圧されていた。
それは傍から見ていてもハッキリとわかる"執着”だった。
「お……おい」
「……ん? ああ、ごめんよ。古い友人の姿を見かけたからね。何の話だっけ?」
「だ、だから。家を燃やす必要は無かったんじゃないかって」
「え? いやいやいや」
アレックスは笑って、ツタの椅子から立ち上がった。
小柄な男だ。
スパイクの横に立つと、子どものようだ。
だが、その威圧感は、子どもとは比べ物にならないほど、恐ろしい。
アレックスはスパイクを見上げた。
「何言ってるのさ? これで完璧だよ。もう、我々の間には、どちらかが死ぬまで戦う憎しみしかない。本気で立ち向かって欲しいんだ。本気で怒ってもらわないと」
スパイクは後ずさる。
何かを意見する勇気は——もう無かった。
アレックスは屋根の上から身を乗り出すようにして、遠くの男を観察していた。
それは無くしていたおもちゃを見つけた子どものような。あるいは古い恋人に再会できたかのような、嬉しそうな表情だった。
「秩序も大切だけど、人生はもっと刺激がないとね。僕はハッピーに生きるよ。そのためには、たくさんのおもちゃが必要なんだよ」
スパイクは唾を飲み込んだ。
恐ろしい事に、男のいうことは、スパイクにも少し理解できるものだった。
港は運搬に都合がいいので、ギャングのアジトになる事が多かったです。




