第13話 薄雪草(孤高の花)
スキットル=平べったくてポケットに入れられる酒瓶です。本作での酒瓶はほぼこれを指しています。
あのトラウマの夜から約一ヶ月後。
夜の舗装された道を、私は歩いていた。
数年前にガス灯からアーク灯に変わった街灯は、街を隅々まで照らし、人々はその明かりの下で目的地へ向かう。
劇場や、バー、映画。私が生まれた頃には無かったような娯楽が、今のアメリカでは人々の生活の中心にある。
誰もが夜出歩いて、何かを楽しんでいた。
「……………………」
暖かな潮の風が、鼻腔をくすぐる。
海と河の交わるところにある街、ストームヘイブン。
私の生まれた街だ。
最近は栄えて随分と街並みが変わってきたが、それでもどこに何があるかは、よく把握していた。河を辿れば、今どこにいるか迷うことはない。
コツコツと、靴音を響かせ、私は歩く。
ふと振り返って、誰かついてきていないか確認するが、怪しい人影はない。しかしある予感があって、私はポケットから酒瓶を取り出した。
持ち運び用の、平べったい酒瓶はスキットルと呼ばれている。禁酒法のこの時代に発明された、服の下にも隠しやすいボトルだ。取り出す時に一緒にナイフも飛び出そうになるが、それはしっかりとしまい込む。
スキットルの蓋をあけ、私は中身を道路にこぼした。
ボタボタと、お酒が地面に落ちる。
それで誰かが声を上げた。
「ああっ!? 勿体ない!」
どこから現れたのだろう。
一瞬でルアンが駆け寄り、私の腕をつかんだ。
凄い力で手首をかたむけ、酒の滴るのを止めてくる。
「勿体ないよ! せっかくのお酒なんだから〜」
「やっぱり着いてきてたのね、ルアン」
私は呆れた顔で青年を見る。
まるで、お酒で召喚できる妖精みたいな奴だった。みんなに黙って家を出てきたのだが、こっそり後をつけてきていたのだろう。
誰かが自分を見ている。何となく、そういう感覚があったのだ。
ガヴラを受け入れてから、何故だかそういう第六感的な感覚が強くなっている気がする。
「し、しまった! 勿体なくてつい」
ルアンは頭をかいた。
「どうして着いてきてたの?」
「そりゃ……僕は君のボディガードだからね。あの夜以降、どこへ行く時もできるだけ見守っておこうと思ったんだ」
あの夜。
思い出したくもないトラウマを、あいつに植え付けられた夜。
「……だったら、一緒に着いてくればいいのに」
「でも、プライベートに踏み込むのも悪いかなーと思って」
ルアンらしい気の使い方だった。
そしてその気遣いは、正解だ。今日は、あまり着いてきて欲しくなかった。
私はなんと言うべきか、考える。
「あのねルアン。気持ちはありがたいんだけど、こっそりだろうと着いてこられる時点でプライベートに踏み込んでるわよ。それに今日は一人でいたい気分なの」
あえて突き放すような言い方をすると、ルアンはしょんぼりと肩を落とした。
「でも、またギャングに襲われたら」
「それは気をつけるわ。前みたいに口答えしたりしない。それにもし誰かに何かされそうになったら、ガヴラがあるでしょ。まあ、会うことは無いだろうけどね」
「そうかぁ」
「そうよ」
私は心の内にある罪悪感を無視して、ルアンを睨んだ。
「悪いけど、帰って」
街灯にルアンのあどけない顔が照らされる。
いい大人なのに、まるで子どもみたいに純粋な顔つきをしている。これで何百人もの命を奪ったことがあるとは、ちょっと想像つかない。
ルアンは丸い目をパチパチとして、叱られた子どものように、力なく頷いた。
「それじゃあ……僕は帰るよ。気をつけて。ちょっとでも危なくなりそうなら、事前にお酒を飲んでおいてね」
「わかってるわ。……おやすみ、ルアン」
そしてごめんね、ルアン。
心の中で謝罪しながら、私は青年が通りの向こうまで歩いていくのをじっと見張っていた。彼はこちらをチラチラ振り返りながらも、足を止めることはなく、やがて雑踏の中へと紛れ込んで姿を消した。
それを見届けてから、私はグッと気持ちを入れる。
今日は一人でなければ。
今からやることを、誰かに見られたくない。
バー「ロッテンマイヤー」。
街外れにある静かなバーである。バー自体は健全な違法酒場だが、周囲にはいかがわしい店や、賭博場などが集まっている。
悪巧みと気分転換をするには、最高の立地だろう。男がたまり場にするのも納得だ。
私は髪を束ね、帽子を深々と被った。
今日のために新しく買った、薄手の黒いコートに身を包んでいる。ちょっと暑いが、これで私が誰か、パッと見ではわからないはずだ。
その状態で店の外に待つ。目的の男が、出てくるのを今か今かと待ち受ける。
探偵の調査によって、今日もここにいることはわかっていた。
何もせずに待っていてはいかにも怪しいので、誰かを待っている振りをして、時計を確認する演技をした。
しかし歓楽街に女が一人でいるのを見ると、話しかけてくる男は後を絶たない。
「お姉さんお暇ですか? よかったら一緒に飲みに行きませんか」
「おうおう、ねーちゃん。俺たちに付き合えよ」
「ごめんなさい。待っている人がいるの」
酔っ払いの無遠慮なアプローチを何度か受けて、私は辟易した。
こうなることならロレッタを連れてきた方がよかったか? でも、女二人になったところで、男二人にアプローチされるだけかもしれない。
それから小一時間ほど粘ったが、忍耐力が無くなってきた。いい加減知らないやつに話しかけられるのは、うんざりだった。
めんどくさい……もう、帰ろうか。
――その時である。
あの男がバーから出てきた。
革ジャンに、ブーツ。脂ぎった顔。口ひげ。
見慣れた姿である。
何度も頭に思い描いた、憎き姿である。
スパイクが、夜の街に颯爽と現れた。
恐怖で呼吸が荒くなる。
あの夜――
あのいつまで続くとも知れぬ、最悪の夜。
鋭く冷たい、金属の釘が私を貫いた。
顎には彼の太い指が添えられ、ガッシリと角度を固定される。
男は笑っていた。
そして興奮していた。
何度も、何度も大釘が私の喉に突き入れられた。
手加減ができずおもちゃを壊してしまう子どものように、スパイクの手つきは荒々しい。
「最高だ。最高だぞ、ガートルード」
男は涙を流す私の顔を抑えながら、ささやいた。
「お前のその穢れてない感じが、とてもいい。もっと無茶苦茶にしてやりたくなるぜ」
――むしろどうして犯されなかったのか、私にはさっぱりわからない。
私は拳を握りしめた。
あれから何度もあの夜をフラッシュバックした。
恐怖と嫌悪で発狂し、自分が自分でなくなるほど我を失った。
その辛さは、今も克服できてはいない。
しかし感情は、変化していた。
兄の思い出を聞いて、自分の守りたいものを思い出して、辛さの種類が変わっていた。
恐怖から怒りへ。
嫌悪から憎しみへ。
逃げ出したい気持ちから――殺したい気持ちへ。
そうする事でしか、心が保てなかった。
何かを憎んでいる時、私は私らしくいられる。
怒りは私の原動力だ。
スパイクを見つけると、私はすぐに身を隠した。
まだこの場所で見つかるわけにはいかないからだ。
情報通り、スパイクはかなり酔っていた。"仕事”を終えた後、あの男はここで酒を飲み、夜遅くまで過ごす。
だが情報と違う部分もあった。今日は一人ではなかったのだ。ゾロゾロと、スパイクの周りを、同じような革ジャンの男たちが歩いている。
その人相の悪さや、通行人を押しのけるようにして歩く態度の大きさから、男たちもスパイクの仲間「バード・レッグ」であることがわかった。
バード・レッグは、二年前からこの街を牛耳っているが、そのメンバーを私はよく知らない。彼らはエリアごとに担当を決め、みかじめ料は同じ団員が回収に来るからだ。
私の家の辺りはスパイクの担当だった。別の男たちもどこかで見た事あるだろうが、名前も知らなければ、顔も覚えていなかった。
「参った……結構多いじゃない」
思わず私はつぶやいた。
スパイク一人を狙うつもりだったから、仲間連れだと話が変わってくる。
男たちは一塊りになって、大声で笑いながら歩いている。その陣形が一人を中心にしている事に、私は気づいた。
三十代くらいの、背の高い男だ。
口ひげを生やし、くっきりとした眉毛をしている。
何となく、気品のある顔立ちだ。
男が何か発言するたび、周りの男たちが笑う。
取り巻きが男を見る尊敬した眼差しで、私はあの男が恐らくバード・レッグのリーダーだとわかった。
私はコートの襟を立てて、少し離れた所から奴らを尾行する。
「いや、美味かった。スパイク、流石お前のお気に入りの店だな」
リーダーらしき男が言った。
「そんな事無いぜ。今日は鶏肉が硬かった。いつもはもっと上手く焼くのに、あの店主の野郎。後で気合い入れてやる」
スパイクが低い声で答える。
それにリーダーが何かを言って、男たちはガハハハと笑った。
私は男たちとの距離を気づかいながら歩いた。
見たところ八人いる。つまり、監視の目玉は16個ある。そんなにあれば、いくら酔っ払っていても、近づき過ぎるのは危険だ。
しかし――どうしよう。
尾行しながら私は迷う。
人が多い。流石にあの人数相手に襲撃を仕掛けるのは、愚かな事だ。いくらガヴラでも、あの人数を一度に倒す術はない。そして、私はまだルアンのように銃弾を防ぐ技術を、習得していなかった。
今日は止めておくか。はたまた、スパイクが離れて、個人行動を取るまで尾行を続けるか……。
悩んでいると、男たちは人通りの少ない方へどんどん歩いていく。このままでは雑踏に隠れることも出来なくなる。
どうしよう。
その時リーダーの発言が聞こえてきた。
「そういえばスパイク。その大釘いつまで持ち歩いてるんだ?」
大釘、だと。
私は少し男たちに近づいて、会話を聞こうとする。
「なんだい、持ち歩いたらいけないってのかい? リーダー」
「そろそろ洗ったらどうだ? 血がついてるし、なんか汚いぞそれ」
スパイクの声のトーンが上がる。
「ガハハハ、何言ってるんだリーダー。これはな、俺が出会った中で最高の女の心を貫いてやった。その証なんだぜ。洗えねえよ」
「いや、しかしお前、最近どこでもそれ持ち歩いているじゃないか。なんだかストーカーみたいで気持ち悪いぞ」
「純愛って言ってくれや。これは俺なりの愛のカタチなんだ」
「そんなにいい女なら、連れ去って押し倒してしまえばいいのに」
「あいつは自分から勝手に、家族との思い出の牢獄に閉じこもってる。あそこにいる限りは逃げ出せないさ。それに――おい、リーダー。人が悪いぜ。俺が"そういうの"が出来ない身体だってのは知ってるくせによ」
「悪かった! 悪かったよスパイク」
…………。
……これ以上、会話を聞くつもりにもならなかった。
気持ち悪い男に、更なる気持ち悪い部分が見つかったが、それはもうどうでもいい。
どうでもいいはずだ。
私は冷静さを失っていた。
それは自分でもわかっていた。
冷静さを失った私はしばしば無鉄砲で、あとから考えれば後悔するような軽率な行動をとることがある。
もう、やる。
今、ここで。
私はポケットからスキットルを取り出した。
ごくりと酒を口に含み、再びしまう。
一口で五分くらい。
それが今の私の、ガヴラ持久力だった。
男たちは人通りの少ない夜道を歩き、恐らく彼らの事務所に向かっていく。そこに近づくほどに人は少なくなり、尾行している私の姿は目立つ事となる。
私は伊達メガネをかけた。
用意していた覆面をつけ、誰かわからないように顔を隠す。
そして小さい声で呼んだ。
「――薄雪草」
ドクンドクンと、血液が脈打ち、花が呼び覚まされた。
バキバキバキ。
それは時間にして十秒程。
薄雪草は白い花弁を展開し、十分なサイズまで成長した。
ルアンは一瞬で呼び出すが、今の私はこのくらいかかる。
でも問題ない。
戦いが始まる前から展開しておけば、呼び出す速度など関係ない。
私は薄雪草に脳内で指示を送った。
それは自分の三本目の腕を動かすような、何とも言えない感覚だ。
原始的な感性によるコントロールであり、その感覚を分かりやすく人に伝えることはできないと思う。
その感覚の中で、私は薄雪草を操った。
やる事は単純だ。
対象を、撃ち殺す。
花は星のような花弁を大きく開き、私の肩の上辺りでピタリと動きを止める。
ソワソワ動いたりはしない。
私のガヴラはぐっと狙いを定めて、対象を撃ち抜くことができる。
私は頭の中でトリガーを引いた。
――ファイア。
パヒュン!
空気を切り裂く音が鳴った。
薄雪草が反動で少し後退し、私もその衝撃を感じる。
銃を撃った事がない私にとって、その衝撃が人を撃つ感覚だった。
「ぐわぁっ」
取り巻きの男が一人、足を抑えながら地面に転がる。
男のズボンは破け、太ももから血が流れていた。
「襲撃だ! 警戒!」
一般人なら動揺するような場面だが、流石ギャングといったところで、他のメンバーはすぐに姿勢を低くして辺りを警戒した。
懐から銃を取り出し、襲撃に備える。
その整然とした動きは、ギャングというより軍隊のようだった。
だが、もう遅い。
既に種弾は放たれている。
ギャングの数は、スパイクを入れて八人。
合計八発の種弾が、男たちの腹や背中や足に着弾した。
思ったより簡単だ。
あれだけの人間を一度に戦闘不能にする事など、いくらガヴラでもできない。――と思ったが、よく考えたら私のガヴラなら可能だ。
恐れるな。自分を信じろ。
他の通行人が私の花を見て悲鳴をあげるが、それは無視した。
――ファイア。――ファイア。――ファイア。――ファイア。――ファイア。
苦悶を上げる男たちに、私はさらに種弾をお見舞いした。
薄雪草は花弁を砲塔のようにして、まるで弾丸のように種を発射することが出来るのだ。
その速度は弾丸より遅いとは思うが、質量があり、リロードが要らなかった。
連続して撃てば種を生成する時間が必要になるが、銃の装填より遥かに早い。
狙いは適当だ。
しかし花は私の一部なので、銃で撃つのとは比べ物にならない精度で、対象に撃ち込めた。
銃は撃ったことがないので、本当は私に射撃の才能があるだけかもしれないが、それは分からない。
全員に満遍なく種弾を撃ち込むと、皆呻き声を上げながら動かなくなった。
特に動き回る「足」と、銃を打つ「手」を中心に傷つけたので、這いずることもない。
そうなってから、私はスパイクに近づいて行った。
「うごぉぉぉ」
スパイクは苦悶の表情で、手を抑えている。肩からも血を流し、革ジャンを汚していた。
私は無言で、ガヴラの銃口を向ける。
「……なんだテメェは。俺たちに何の恨みがある。どこの回し者だ」
驚くべきことに、こんな状況でもスパイクは虚勢をはる。
「言っとくが、俺たちの仲間がすぐに騒ぎを聞きつけてこちらに向かってくるぜ。警察も俺たちの味方だ。捕まればお前は死刑になる」
捕まるつもりはない。
証拠も残らない。
ガヴラは芽に戻ると、それ以外の部分はチリになって消えてしまうからだ。
それは種弾も同様である。
既に発射された種弾は跡形もなく無くなり、撃ち抜かれた男たちの傷跡だけが、襲撃のあったことを伝えている。
薄雪草の先端が大きく開き、より強力な種をうちだすための形状に変化する。
「おいおい、ガヴラかそりゃ? 戦争の亡霊め」
他の男が叫ぶ。
うるさいのでそいつの頭に向けて、種を発射した。
鈍い音を立てて、男は動かなくなった。
スパイクが吠える。
「殺してやるぜ。ガヴラだと? そんなもんにビビると思ってんのか」
私は躊躇なく、奴の顔面に薄雪草を叩き込んだ。
柱頭などの硬い部分で、二メートル半の茎を加速して、ぶん殴る。花パンチだ。
スパイクは鼻血を出す。
しかし死んでは――いない。
しぶといヤツめ。
「ぶべっ! べっ! や、やめ……」
――ファイア。――ファイア。――ファイア。
幾度となく、種弾を撃ち込み、衝撃が連続して私の首にも伝わった。
だが、スパイクは死なない。
苦しんではいるが、命に別状はないらしい。
「……くっ」
苛立ちの声が漏れる。
私はここで、思ったより種弾の威力が高くない事に気づき始めていた。
練習では、ガラス瓶を割ったり、壁にめり込ませたりした。
しかし、人を撃ったのは今回が初めてだ。
軟球を投げつけるくらいの威力だろうか?
スパイク以外の男たちは倒れ伏して意識を失ったが、血を流したのは極わずかで、殆どは痣を残すばかりだった。
「ヒューッ、ヒューッ」
スパイクは荒い息を吐く。
鼻は折れ、歯もいくつか失われている。酷い見た目だ、でも殺すには全然足りない。
私も息が上がっていた。
徐々に焦りの気持ちが大きくなる。
早く死んでくれないと、誰かが警察に知らせてしまう。
それにガヴラのタイムリミットもある。
今、何分経った?
「や、止めてくれ。ガートルード」
スパイクが息も絶え絶えに言った。
私はギクッとしたが、表面上はそれを悟られないようにする。
どうしてわかった? 顔を隠してるのに。
「今わかったぜ。愛する女の息遣いだ。わかるに決まってんだろ。ガートルード、止めてくれ。俺たち友達だろ?」
「……………………」
友達? そんなわけない。
憎き敵だ。
「あんなに素敵な夜を過ごしたじゃねぇか……ほら、見てくれ。これ、ずっと持ち歩いてるんだぜ。あの夜の思い出の釘だ」
スパイクは、私を襲った時の大釘を、取り出して見せびらかした。
それを見て、私はさらに頭に血が上る。
「何が素敵なのよ」
思わず答えてしまった。
周りの男たちは気絶しているようだし、構わないだろう。
何故か、スパイクだけ意識があるが、こいつは殺すつもりだから、正体がバレても問題ない。
「怒ってるのか」
「憎んでるわよ」
「愛してるぜ」
「あれが、愛してる相手にすること?」
「俺は女が抱けねぇ体なんだ。だから壊すことでしか近づけねえ」
「意味がわからないわ」
「だろうな。だから俺は女にはどうしても踏み込めねぇ……「選べ」なんて言って、いつまでも本気で取りに行けねぇんだ」
それも意味がわからない。
私はエーデルワイスに殺意を込めた。
もう、終わらせる。
――ファイア。
しかし放たれた種弾は、これまでで一番遅く、威力が低かった。
コツン。
種は男の肩に当たったが、ピンポン玉みたいに跳ね返って、空中でチリになった。
「どうしてお前がガヴラを持ってるのか、今は聞かねぇ。だが、もう止めてくれねえか。俺も悪かった。もうあんな事しねえからよ」
どうして――どうして殺せないの?
私はさらに焦っていた。そして、何となくスパイクを殺せない理由について、理解し始めていた。
私がエーデルワイスに、うまく指示を出せていない。
強すぎる殺意に、心のどこかで怯えているのだ。
部下の男たちへの攻撃は、殺すつもりはないので、遠慮なく出来た。
しかしスパイクに対しては、様々な感情が大きくなり過ぎて、逆に足枷になっていた。
つまり、私は心のどこかでは、まだ殺す覚悟が出来ていない。それなのに思いっきり強い種弾を撃とうとするものだから、無意識にリミッターをかけてしまっているのだ。
殺す!
殺せない!
殺す!
殺したくない!
それは私に残る"カタギでありたい”という、隠された欲望だった。
なんて事だ。散々覚悟したと思っていたのに、私はまだ普通に生きたいと思っているのか。
人殺しになど、なりたくないのか。
私は、ふるえた。
――それが、失敗だった。
その隙を見計らって、スパイクは渾身の力で立ち上がって、私に飛びかかったのだった。
血まみれになりながらも、命に別状はない。
そんな男が、必死の形相で私を押さえつけてくる。
一瞬で攻守が入れ替わり、私は地面に押し倒される。
「――ったく、このクソ女。どうしてくれようか」
私を羽交い締めにしたスパイクは、二度三度、私の頬を殴りつけた。
鈍い痛みに、意識が飛びかける。
マジで痛い。
ガヴラで、反撃、しなければ。
だが、動揺と私の覚悟のなさが、最悪の結果を招いた。
タイムリミットだ。
エーデルワイスが身震いし、肩の力が抜けるみたいに、急激に萎れ始めた。
追加のお酒を飲まなければ、チリになって消えてしまうだろう。
「愛してるのは本当だぜ、ガートルード。だが、今回は俺の勝ちだな」
スパイクがホッとしたように言う。
私は力が抜けて、ガヴラが解除されてしまう。
ザァァァ……と花が塵になり、空中へ霧散する。
後には頼りなく小さな"芽”だけが残った。
私は、諦めた。
ガヴラで勝負する事を。
――でも、復讐は終わってない。
私は全力で抵抗した。
スパイクと激しく揉み合いになる。
そしてその揉みあいの中で、用意していた物が有効的に働いた。
ブシュッ。
「うん?」
スパイクは間の抜けた声を上げた。
自分の腹を見下ろし、そこに突き刺さるナイフを見て、目を見開く。
「な、な、何してんだ! お前ぇー!」
「はーっ、はーっ、……っははっ! 何も、ガヴラだけが武器じゃないでしょ」
人を刺したのはこれが初めてだ。
たまたま刺せただけだが。
なんだ、人を刺すってこんなものなのか。
スパイクは乗りかかった私の上から、横に転がった。
地面に倒れ、血を流しながら、苦悶の表情で呻く。
やった。やってやった。
私の自尊心の復讐を果たした。
だが、この時の私は、戦争経験者を舐めていた。
ナイフを刺されてまで動けるとは、思わなかったのだ。
——スパイクは苦しみながらも、必死の形相で懐から銃を取り出した。
恐るべき男だ。
一瞬の隙が、一瞬の後悔を産む。
私はまだまだ未熟者だ。
死の弾丸が私に向かって発砲された時、私は自分の弱さを恥じた。
"彼”がいなければ、そこで私の人生は終わっていただろう。
誰か?
もちろん私の頼れるボディガードである。
「彼岸花」
声が聞こえたような気がした。
目にも留まらぬ速さで、私の視界をツタが覆う。
ツタはタコの足のようにグネグネ動き、その繊細な動きで銃弾を防いでくれた。
カチカチと、スパイクの拳銃が、弾切れで空回りする音が鳴った。
「もう! やっぱり危険な事だったじゃないか!」
プリプリ怒りながら、ルアンが駆け寄ってきた。
首からは、赤い花が咲いている。
彼は地面に座り込んだ私を助け起こし、周囲の状況を確認する。
私は安堵のため息をついた。
「……ごめんなさい。人を殺すところなんて見られたくなくて」
それも今思えば、迷っていることの裏返しだったのかもしれない。
みんなに伝えてから行動すれば、後には引けず、本当にやるしかなくなる。
「念の為ついてきてよかったよ。全く……復讐するならするで、言ってくれないと。君の技術はまだまだだよ。補習が必要だ」
「あの、ルアン。助けて貰って悪いんだけど、まだスパイクが襲ってくるわ」
「いや、痛みで気絶したよ。だから敵は全滅してる」
ルアンが指をさした。
スパイクは口から泡をふき、白目を向いていた。
銃撃に最後の力を振り絞ったようだった。
そうか。
終わったのか。
「気絶してる、だけなのね」
「まあ、通行人が話してたけど、そのうち医者が来るらしいから。命は助かるんじゃないかな」
「そう、殺せてないのね」
「殺すとなると、今やるしかないけど……そこまでやるつもり?」
「そうね……」
私は殴られて痛む頬を抑えた。
ムカつく男だった。結局何を言ってるのか、最後まで理解できなかった。
でも、まさか私へ執着していたとは。
愛などと嘯くスパイクは実に滑稽だった。
ボコボコにして、ボロボロの顔も見られた。
鼻血まみれで涙を流す姿は、痛快だった。
もう、恐怖は残っていない。
殺せなかったのは私の覚悟のなさの問題で、スパイクに負けたわけではない。
今はそう思える。
だから――
「もういいわ。ナイフぶっ刺してスッキリした。トラウマは払拭できたから、それで良しとしましょう」
それが全てだった。
立ち上がる元気を手に入れた。
それで十分だ。
ルアンは安心したように頷いた。
「良かった。じゃあ、すぐに逃げよう。警察が来るよ」
私は頷き、ルアンと走ってその場を後にする。
「――ガートルード」
走って逃げている時、ルアンがふと言った。
「何?」
「初戦で八人を相手にするのは無茶だよ。僕だって初めての時は、相手は二人だった」
「あら、そうなの? 随分少ないのね」
「うん。だから……君はけっこう才能があるかもしれない」
「ふふっ、そうかしら?」
「あ、でもこれで図に乗って好戦的にはならないでね! やっぱり君には安全な人生を送って欲しいよ」
そんな注釈をつけられたら、喜んでいいのか悪いのかわからない。
だが、ここ数週間の努力が認められたような気がして、私はにっこり笑った。
こうして、私の初めての戦いは幕を閉じた。
これまでの人生で、比喩的な意味で「戦う」という言葉を使ったことはあるが、実際に肉体を使って戦ったのはこれが初めてである。
十分に訓練して、戦える力を持った状態で敵に挑む。しかしそれでも相手は必死に抵抗するので、思ったようにはいかない。そんな相手と命をかけた攻防で、一瞬の隙を突き合う。それはとても痛く、とても恐ろしく、そして――意外と楽しいものだった。
自分でも驚くべきことに、謎の高揚感があった。
死への恐怖ももちろんあったが、それ以上に、それを乗り越えた喜びが大きい。
……まずい。
私、殺しの才能がある。
戦うことに、ハマっちゃうかもしれない。
当時(1921)の映画は音声の無いサイレント映画のみです。20年代後半に音声がつきます。




