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第13話 薄雪草(孤高の花)

スキットル=平べったくてポケットに入れられる酒瓶です。本作での酒瓶はほぼこれを指しています。


挿絵(By みてみん)


 あのトラウマの夜から約一ヶ月後。

 夜の舗装された道を、私は歩いていた。

 数年前にガス灯からアーク灯に変わった街灯は、街を隅々まで照らし、人々はその明かりの下で目的地へ向かう。

 劇場や、バー、映画。私が生まれた頃には無かったような娯楽が、今のアメリカでは人々の生活の中心にある。

 誰もが夜出歩いて、何かを楽しんでいた。

 

「……………………」

 

 暖かな潮の風が、鼻腔をくすぐる。

 海と河の交わるところにある街、ストームヘイブン。

 私の生まれた街だ。

 最近は栄えて随分と街並みが変わってきたが、それでもどこに何があるかは、よく把握していた。河を辿れば、今どこにいるか迷うことはない。

 コツコツと、靴音を響かせ、私は歩く。

 ふと振り返って、誰かついてきていないか確認するが、怪しい人影はない。しかしある予感があって、私はポケットから酒瓶を取り出した。

 持ち運び用の、平べったい酒瓶はスキットルと呼ばれている。禁酒法のこの時代に発明された、服の下にも隠しやすいボトルだ。取り出す時に一緒にナイフも飛び出そうになるが、それはしっかりとしまい込む。

 スキットルの蓋をあけ、私は中身を道路にこぼした。

 ボタボタと、お酒が地面に落ちる。

 それで誰かが声を上げた。

 

「ああっ!? 勿体ない!」

 

 どこから現れたのだろう。

 一瞬でルアンが駆け寄り、私の腕をつかんだ。

 凄い力で手首をかたむけ、酒の滴るのを止めてくる。

 

「勿体ないよ! せっかくのお酒なんだから〜」

 

「やっぱり着いてきてたのね、ルアン」

 

 私は呆れた顔で青年を見る。

 まるで、お酒で召喚できる妖精みたいな奴だった。みんなに黙って家を出てきたのだが、こっそり後をつけてきていたのだろう。

 誰かが自分を見ている。何となく、そういう感覚があったのだ。

 ガヴラを受け入れてから、何故だかそういう第六感的な感覚が強くなっている気がする。

 

「し、しまった! 勿体なくてつい」

 

 ルアンは頭をかいた。

 

「どうして着いてきてたの?」

 

「そりゃ……僕は君のボディガードだからね。あの夜以降、どこへ行く時もできるだけ見守っておこうと思ったんだ」

 

 あの夜。

 思い出したくもないトラウマを、あいつに植え付けられた夜。

 

「……だったら、一緒に着いてくればいいのに」

 

「でも、プライベートに踏み込むのも悪いかなーと思って」

 

 ルアンらしい気の使い方だった。

 そしてその気遣いは、正解だ。今日は、あまり着いてきて欲しくなかった。

 私はなんと言うべきか、考える。

 

「あのねルアン。気持ちはありがたいんだけど、こっそりだろうと着いてこられる時点でプライベートに踏み込んでるわよ。それに今日は一人でいたい気分なの」

 

 あえて突き放すような言い方をすると、ルアンはしょんぼりと肩を落とした。

 

「でも、またギャングに襲われたら」

 

「それは気をつけるわ。前みたいに口答えしたりしない。それにもし誰かに何かされそうになったら、ガヴラがあるでしょ。まあ、会うことは無いだろうけどね」

 

「そうかぁ」

 

「そうよ」

 

 私は心の内にある罪悪感を無視して、ルアンを睨んだ。

 

「悪いけど、帰って」

 

 街灯にルアンのあどけない顔が照らされる。

 いい大人なのに、まるで子どもみたいに純粋な顔つきをしている。これで何百人もの命を奪ったことがあるとは、ちょっと想像つかない。

 ルアンは丸い目をパチパチとして、叱られた子どものように、力なく頷いた。

 

「それじゃあ……僕は帰るよ。気をつけて。ちょっとでも危なくなりそうなら、事前にお酒を飲んでおいてね」

 

「わかってるわ。……おやすみ、ルアン」

 

 そしてごめんね、ルアン。

 心の中で謝罪しながら、私は青年が通りの向こうまで歩いていくのをじっと見張っていた。彼はこちらをチラチラ振り返りながらも、足を止めることはなく、やがて雑踏の中へと紛れ込んで姿を消した。

 それを見届けてから、私はグッと気持ちを入れる。

 今日は一人でなければ。

 今からやることを、誰かに見られたくない。


 バー「ロッテンマイヤー」。

 街外れにある静かなバーである。バー自体は健全な違法酒場だが、周囲にはいかがわしい店や、賭博場などが集まっている。

 悪巧みと気分転換をするには、最高の立地だろう。男がたまり場にするのも納得だ。

 私は髪を束ね、帽子を深々と被った。

 今日のために新しく買った、薄手の黒いコートに身を包んでいる。ちょっと暑いが、これで私が誰か、パッと見ではわからないはずだ。

 その状態で店の外に待つ。目的の男が、出てくるのを今か今かと待ち受ける。

 探偵の調査によって、今日もここにいることはわかっていた。

 何もせずに待っていてはいかにも怪しいので、誰かを待っている振りをして、時計を確認する演技をした。

 しかし歓楽街に女が一人でいるのを見ると、話しかけてくる男は後を絶たない。

 

「お姉さんお暇ですか? よかったら一緒に飲みに行きませんか」

 

「おうおう、ねーちゃん。俺たちに付き合えよ」

 

「ごめんなさい。待っている人がいるの」

 

 酔っ払いの無遠慮なアプローチを何度か受けて、私は辟易した。

 こうなることならロレッタを連れてきた方がよかったか? でも、女二人になったところで、男二人にアプローチされるだけかもしれない。

 それから小一時間ほど粘ったが、忍耐力が無くなってきた。いい加減知らないやつに話しかけられるのは、うんざりだった。

 めんどくさい……もう、帰ろうか。

 ――その時である。

 あの男がバーから出てきた。

 革ジャンに、ブーツ。脂ぎった顔。口ひげ。

 見慣れた姿である。

 何度も頭に思い描いた、憎き姿である。

 スパイクが、夜の街に颯爽と現れた。

 



 恐怖で呼吸が荒くなる。

 あの夜――

 あのいつまで続くとも知れぬ、最悪の夜。

 鋭く冷たい、金属の釘が私を貫いた。

 顎には彼の太い指が添えられ、ガッシリと角度を固定される。

 男は笑っていた。

 そして興奮していた。

 何度も、何度も大釘が私の喉に突き入れられた。

 手加減ができずおもちゃを壊してしまう子どものように、スパイクの手つきは荒々しい。

 

「最高だ。最高だぞ、ガートルード」

 

 男は涙を流す私の顔を抑えながら、ささやいた。

 

「お前のその穢れてない感じが、とてもいい。もっと無茶苦茶にしてやりたくなるぜ」

 

 ――むしろどうして犯されなかったのか、私にはさっぱりわからない。


 私は拳を握りしめた。

 あれから何度もあの夜をフラッシュバックした。

 恐怖と嫌悪で発狂し、自分が自分でなくなるほど我を失った。

 その辛さは、今も克服できてはいない。

 しかし感情は、変化していた。

 兄の思い出を聞いて、自分の守りたいものを思い出して、辛さの種類が変わっていた。

 恐怖から怒りへ。

 嫌悪から憎しみへ。

 逃げ出したい気持ちから――殺したい気持ちへ。

 そうする事でしか、心が保てなかった。

 何かを憎んでいる時、私は私らしくいられる。

 怒りは私の原動力だ。

 

 スパイクを見つけると、私はすぐに身を隠した。

 まだこの場所で見つかるわけにはいかないからだ。

 情報通り、スパイクはかなり酔っていた。"仕事”を終えた後、あの男はここで酒を飲み、夜遅くまで過ごす。

 だが情報と違う部分もあった。今日は一人ではなかったのだ。ゾロゾロと、スパイクの周りを、同じような革ジャンの男たちが歩いている。

 その人相の悪さや、通行人を押しのけるようにして歩く態度の大きさから、男たちもスパイクの仲間「バード・レッグ」であることがわかった。

 バード・レッグは、二年前からこの街を牛耳っているが、そのメンバーを私はよく知らない。彼らはエリアごとに担当を決め、みかじめ料は同じ団員が回収に来るからだ。

 私の家の辺りはスパイクの担当だった。別の男たちもどこかで見た事あるだろうが、名前も知らなければ、顔も覚えていなかった。

 

「参った……結構多いじゃない」

 

 思わず私はつぶやいた。

 スパイク一人を狙うつもりだったから、仲間連れだと話が変わってくる。

 男たちは一塊りになって、大声で笑いながら歩いている。その陣形が一人を中心にしている事に、私は気づいた。

 三十代くらいの、背の高い男だ。

 口ひげを生やし、くっきりとした眉毛をしている。

 何となく、気品のある顔立ちだ。

 男が何か発言するたび、周りの男たちが笑う。

 取り巻きが男を見る尊敬した眼差しで、私はあの男が恐らくバード・レッグのリーダーだとわかった。

 私はコートの襟を立てて、少し離れた所から奴らを尾行する。

 

「いや、美味かった。スパイク、流石お前のお気に入りの店だな」

 

 リーダーらしき男が言った。

 

「そんな事無いぜ。今日は鶏肉が硬かった。いつもはもっと上手く焼くのに、あの店主の野郎。後で気合い入れてやる」

 

 スパイクが低い声で答える。

 それにリーダーが何かを言って、男たちはガハハハと笑った。

 私は男たちとの距離を気づかいながら歩いた。

 見たところ八人いる。つまり、監視の目玉は16個ある。そんなにあれば、いくら酔っ払っていても、近づき過ぎるのは危険だ。

 しかし――どうしよう。

 尾行しながら私は迷う。

 人が多い。流石にあの人数相手に襲撃を仕掛けるのは、愚かな事だ。いくらガヴラでも、あの人数を一度に倒す術はない。そして、私はまだルアンのように銃弾を防ぐ技術を、習得していなかった。

 今日は止めておくか。はたまた、スパイクが離れて、個人行動を取るまで尾行を続けるか……。

 悩んでいると、男たちは人通りの少ない方へどんどん歩いていく。このままでは雑踏に隠れることも出来なくなる。

 どうしよう。

 その時リーダーの発言が聞こえてきた。

 

「そういえばスパイク。その大釘いつまで持ち歩いてるんだ?」

 

 大釘、だと。

 私は少し男たちに近づいて、会話を聞こうとする。

 

「なんだい、持ち歩いたらいけないってのかい? リーダー」

 

「そろそろ洗ったらどうだ? 血がついてるし、なんか汚いぞそれ」

 

 スパイクの声のトーンが上がる。

 

「ガハハハ、何言ってるんだリーダー。これはな、俺が出会った中で最高の女の心を貫いてやった。その証なんだぜ。洗えねえよ」

 

「いや、しかしお前、最近どこでもそれ持ち歩いているじゃないか。なんだかストーカーみたいで気持ち悪いぞ」

 

「純愛って言ってくれや。これは俺なりの愛のカタチなんだ」

 

「そんなにいい女なら、連れ去って押し倒してしまえばいいのに」

 

「あいつは自分から勝手に、家族との思い出の牢獄に閉じこもってる。あそこにいる限りは逃げ出せないさ。それに――おい、リーダー。人が悪いぜ。俺が"そういうの"が出来ない身体だってのは知ってるくせによ」

 

「悪かった! 悪かったよスパイク」


 …………。

 ……これ以上、会話を聞くつもりにもならなかった。

 気持ち悪い男に、更なる気持ち悪い部分が見つかったが、それはもうどうでもいい。

 どうでもいいはずだ。

 私は冷静さを失っていた。

 それは自分でもわかっていた。

 冷静さを失った私はしばしば無鉄砲で、あとから考えれば後悔するような軽率な行動をとることがある。

 もう、やる。

 今、ここで。

 私はポケットからスキットルを取り出した。

 ごくりと酒を口に含み、再びしまう。

 一口で五分くらい。

 それが今の私の、ガヴラ持久力だった。

 男たちは人通りの少ない夜道を歩き、恐らく彼らの事務所に向かっていく。そこに近づくほどに人は少なくなり、尾行している私の姿は目立つ事となる。

 私は伊達メガネをかけた。

 用意していた覆面をつけ、誰かわからないように顔を隠す。

 そして小さい声で呼んだ。

 

「――薄雪草(エーデルワイス)」

 

 ドクンドクンと、血液が脈打ち、花が呼び覚まされた。

 バキバキバキ。

 それは時間にして十秒程。

 薄雪草(エーデルワイス)は白い花弁を展開し、十分なサイズまで成長した。

 ルアンは一瞬で呼び出すが、今の私はこのくらいかかる。

 でも問題ない。

 戦いが始まる前から展開しておけば、呼び出す速度など関係ない。

 私は薄雪草(エーデルワイス)に脳内で指示を送った。

 それは自分の三本目の腕を動かすような、何とも言えない感覚だ。

 原始的な感性によるコントロールであり、その感覚を分かりやすく人に伝えることはできないと思う。

 その感覚の中で、私は薄雪草(エーデルワイス)を操った。

 やる事は単純だ。

 対象を、撃ち殺す。

 花は星のような花弁を大きく開き、私の肩の上辺りでピタリと動きを止める。

 ソワソワ動いたりはしない。

 私のガヴラはぐっと狙いを定めて、対象を撃ち抜くことができる。

 私は頭の中でトリガーを引いた。

 ――ファイア。

 パヒュン!

 空気を切り裂く音が鳴った。

 薄雪草(エーデルワイス)が反動で少し後退し、私もその衝撃を感じる。

 銃を撃った事がない私にとって、その衝撃が人を撃つ感覚だった。


挿絵(By みてみん)


「ぐわぁっ」

 

 取り巻きの男が一人、足を抑えながら地面に転がる。

 男のズボンは破け、太ももから血が流れていた。

 

「襲撃だ! 警戒!」

 

 一般人なら動揺するような場面だが、流石ギャングといったところで、他のメンバーはすぐに姿勢を低くして辺りを警戒した。

 懐から銃を取り出し、襲撃に備える。

 その整然とした動きは、ギャングというより軍隊のようだった。

 だが、もう遅い。

 既に種弾は放たれている。

 ギャングの数は、スパイクを入れて八人。

 合計八発の種弾が、男たちの腹や背中や足に着弾した。

 思ったより簡単だ。

 あれだけの人間を一度に戦闘不能にする事など、いくらガヴラでもできない。――と思ったが、よく考えたら私のガヴラなら可能だ。

 恐れるな。自分を信じろ。

 他の通行人が私の花を見て悲鳴をあげるが、それは無視した。


 ――ファイア。――ファイア。――ファイア。――ファイア。――ファイア。

 苦悶を上げる男たちに、私はさらに種弾をお見舞いした。

 薄雪草(エーデルワイス)は花弁を砲塔のようにして、まるで弾丸のように種を発射することが出来るのだ。

 その速度は弾丸より遅いとは思うが、質量があり、リロードが要らなかった。

 連続して撃てば種を生成する時間が必要になるが、銃の装填より遥かに早い。

 狙いは適当だ。

 しかし花は私の一部なので、銃で撃つのとは比べ物にならない精度で、対象に撃ち込めた。

 銃は撃ったことがないので、本当は私に射撃の才能があるだけかもしれないが、それは分からない。

 全員に満遍なく種弾を撃ち込むと、皆呻き声を上げながら動かなくなった。

 特に動き回る「足」と、銃を打つ「手」を中心に傷つけたので、這いずることもない。

 そうなってから、私はスパイクに近づいて行った。

 

「うごぉぉぉ」

 

 スパイクは苦悶の表情で、手を抑えている。肩からも血を流し、革ジャンを汚していた。

 私は無言で、ガヴラの銃口を向ける。

 

「……なんだテメェは。俺たちに何の恨みがある。どこの回し者だ」

 

 驚くべきことに、こんな状況でもスパイクは虚勢をはる。

 

「言っとくが、俺たちの仲間がすぐに騒ぎを聞きつけてこちらに向かってくるぜ。警察も俺たちの味方だ。捕まればお前は死刑になる」

 

 捕まるつもりはない。

 証拠も残らない。

 ガヴラは芽に戻ると、それ以外の部分はチリになって消えてしまうからだ。

 それは種弾も同様である。

 既に発射された種弾は跡形もなく無くなり、撃ち抜かれた男たちの傷跡だけが、襲撃のあったことを伝えている。

 薄雪草(エーデルワイス)の先端が大きく開き、より強力な種をうちだすための形状に変化する。

 

「おいおい、ガヴラかそりゃ? 戦争の亡霊め」

 

 他の男が叫ぶ。

 うるさいのでそいつの頭に向けて、種を発射した。

 鈍い音を立てて、男は動かなくなった。

 スパイクが吠える。

 

「殺してやるぜ。ガヴラだと? そんなもんにビビると思ってんのか」

 

 私は躊躇なく、奴の顔面に薄雪草(エーデルワイス)を叩き込んだ。

 柱頭などの硬い部分で、二メートル半の茎を加速して、ぶん殴る。花パンチだ。

 スパイクは鼻血を出す。

 しかし死んでは――いない。

 しぶといヤツめ。

 

「ぶべっ! べっ! や、やめ……」

 

 ――ファイア。――ファイア。――ファイア。

 幾度となく、種弾を撃ち込み、衝撃が連続して私の首にも伝わった。

 だが、スパイクは死なない。

 苦しんではいるが、命に別状はないらしい。

 

「……くっ」

 

 苛立ちの声が漏れる。

 私はここで、思ったより種弾の威力が高くない事に気づき始めていた。

 練習では、ガラス瓶を割ったり、壁にめり込ませたりした。

 しかし、人を撃ったのは今回が初めてだ。

 軟球を投げつけるくらいの威力だろうか?

 スパイク以外の男たちは倒れ伏して意識を失ったが、血を流したのは極わずかで、殆どは痣を残すばかりだった。

 

「ヒューッ、ヒューッ」

 

 スパイクは荒い息を吐く。

 鼻は折れ、歯もいくつか失われている。酷い見た目だ、でも殺すには全然足りない。

 私も息が上がっていた。

 徐々に焦りの気持ちが大きくなる。

 早く死んでくれないと、誰かが警察に知らせてしまう。

 それにガヴラのタイムリミットもある。

 今、何分経った?

 

「や、止めてくれ。ガートルード」

 

 スパイクが息も絶え絶えに言った。

 私はギクッとしたが、表面上はそれを悟られないようにする。

 どうしてわかった? 顔を隠してるのに。

 

「今わかったぜ。愛する女の息遣いだ。わかるに決まってんだろ。ガートルード、止めてくれ。俺たち友達だろ?」

 

「……………………」

 

 友達? そんなわけない。

 憎き敵だ。

 

「あんなに素敵な夜を過ごしたじゃねぇか……ほら、見てくれ。これ、ずっと持ち歩いてるんだぜ。あの夜の思い出の釘だ」

 

 スパイクは、私を襲った時の大釘を、取り出して見せびらかした。

 それを見て、私はさらに頭に血が上る。

 

「何が素敵なのよ」

 

 思わず答えてしまった。

 周りの男たちは気絶しているようだし、構わないだろう。

 何故か、スパイクだけ意識があるが、こいつは殺すつもりだから、正体がバレても問題ない。

 

「怒ってるのか」

 

「憎んでるわよ」

 

「愛してるぜ」

 

「あれが、愛してる相手にすること?」

 

「俺は女が抱けねぇ体なんだ。だから壊すことでしか近づけねえ」

 

「意味がわからないわ」

 

「だろうな。だから俺は女にはどうしても踏み込めねぇ……「選べ」なんて言って、いつまでも本気で取りに行けねぇんだ」

 

 それも意味がわからない。

 私はエーデルワイスに殺意を込めた。

 もう、終わらせる。

 ――ファイア。

 しかし放たれた種弾は、これまでで一番遅く、威力が低かった。

 コツン。

 種は男の肩に当たったが、ピンポン玉みたいに跳ね返って、空中でチリになった。

 

「どうしてお前がガヴラを持ってるのか、今は聞かねぇ。だが、もう止めてくれねえか。俺も悪かった。もうあんな事しねえからよ」

 

 どうして――どうして殺せないの?

 私はさらに焦っていた。そして、何となくスパイクを殺せない理由について、理解し始めていた。

 私がエーデルワイスに、うまく指示を出せていない。

 強すぎる殺意に、心のどこかで怯えているのだ。

 部下の男たちへの攻撃は、殺すつもりはないので、遠慮なく出来た。

 しかしスパイクに対しては、様々な感情が大きくなり過ぎて、逆に足枷になっていた。

 つまり、私は心のどこかでは、まだ殺す覚悟が出来ていない。それなのに思いっきり強い種弾を撃とうとするものだから、無意識にリミッターをかけてしまっているのだ。

 殺す!

 殺せない!

 殺す!

 殺したくない!

 それは私に残る"カタギでありたい”という、隠された欲望だった。

 なんて事だ。散々覚悟したと思っていたのに、私はまだ普通に生きたいと思っているのか。

 人殺しになど、なりたくないのか。

 私は、ふるえた。

 ――それが、失敗だった。

 その隙を見計らって、スパイクは渾身の力で立ち上がって、私に飛びかかったのだった。

 血まみれになりながらも、命に別状はない。

 そんな男が、必死の形相で私を押さえつけてくる。

 一瞬で攻守が入れ替わり、私は地面に押し倒される。

 

「――ったく、このクソ女。どうしてくれようか」

 

 私を羽交い締めにしたスパイクは、二度三度、私の頬を殴りつけた。

 鈍い痛みに、意識が飛びかける。

 マジで痛い。

 ガヴラで、反撃、しなければ。

 だが、動揺と私の覚悟のなさが、最悪の結果を招いた。

 タイムリミットだ。

 エーデルワイスが身震いし、肩の力が抜けるみたいに、急激に萎れ始めた。

 追加のお酒を飲まなければ、チリになって消えてしまうだろう。

 

「愛してるのは本当だぜ、ガートルード。だが、今回は俺の勝ちだな」

 

 スパイクがホッとしたように言う。

 私は力が抜けて、ガヴラが解除されてしまう。

 ザァァァ……と花が塵になり、空中へ霧散する。

 後には頼りなく小さな"芽”だけが残った。

 私は、諦めた。

 ガヴラで勝負する事を。

 ――でも、復讐は終わってない。

 私は全力で抵抗した。

 スパイクと激しく揉み合いになる。

 そしてその揉みあいの中で、用意していた物が有効的に働いた。

 ブシュッ。

 

「うん?」

 

 スパイクは間の抜けた声を上げた。

 自分の腹を見下ろし、そこに突き刺さるナイフを見て、目を見開く。

 

「な、な、何してんだ! お前ぇー!」

 

「はーっ、はーっ、……っははっ! 何も、ガヴラだけが武器じゃないでしょ」

 

 人を刺したのはこれが初めてだ。

 たまたま刺せただけだが。

 なんだ、人を刺すってこんなものなのか。

 スパイクは乗りかかった私の上から、横に転がった。

 地面に倒れ、血を流しながら、苦悶の表情で呻く。

 やった。やってやった。

 私の自尊心の復讐を果たした。

 だが、この時の私は、戦争経験者を舐めていた。

 ナイフを刺されてまで動けるとは、思わなかったのだ。

 ——スパイクは苦しみながらも、必死の形相で懐から銃を取り出した。

 恐るべき男だ。

 一瞬の隙が、一瞬の後悔を産む。

 私はまだまだ未熟者だ。

 死の弾丸が私に向かって発砲された時、私は自分の弱さを恥じた。

 "彼”がいなければ、そこで私の人生は終わっていただろう。

 誰か?

 もちろん私の頼れるボディガードである。


 

「彼岸花《レッド・スパイダー・リリー》」


 

 声が聞こえたような気がした。

 目にも留まらぬ速さで、私の視界をツタが覆う。

 ツタはタコの足のようにグネグネ動き、その繊細な動きで銃弾を防いでくれた。

 カチカチと、スパイクの拳銃が、弾切れで空回りする音が鳴った。


挿絵(By みてみん)


「もう! やっぱり危険な事だったじゃないか!」

 

 プリプリ怒りながら、ルアンが駆け寄ってきた。

 首からは、赤い花が咲いている。

 彼は地面に座り込んだ私を助け起こし、周囲の状況を確認する。

 私は安堵のため息をついた。

 

「……ごめんなさい。人を殺すところなんて見られたくなくて」

 

 それも今思えば、迷っていることの裏返しだったのかもしれない。

 みんなに伝えてから行動すれば、後には引けず、本当にやるしかなくなる。

 

「念の為ついてきてよかったよ。全く……復讐するならするで、言ってくれないと。君の技術はまだまだだよ。補習が必要だ」

 

「あの、ルアン。助けて貰って悪いんだけど、まだスパイクが襲ってくるわ」

 

「いや、痛みで気絶したよ。だから敵は全滅してる」

 

 ルアンが指をさした。

 スパイクは口から泡をふき、白目を向いていた。

 銃撃に最後の力を振り絞ったようだった。

 そうか。

 終わったのか。

 

「気絶してる、だけなのね」

 

「まあ、通行人が話してたけど、そのうち医者が来るらしいから。命は助かるんじゃないかな」

 

「そう、殺せてないのね」

 

「殺すとなると、今やるしかないけど……そこまでやるつもり?」

 

「そうね……」

 

 私は殴られて痛む頬を抑えた。

 ムカつく男だった。結局何を言ってるのか、最後まで理解できなかった。

 でも、まさか私へ執着していたとは。

 愛などと嘯くスパイクは実に滑稽だった。

 ボコボコにして、ボロボロの顔も見られた。

 鼻血まみれで涙を流す姿は、痛快だった。

 もう、恐怖は残っていない。

 殺せなかったのは私の覚悟のなさの問題で、スパイクに負けたわけではない。

 今はそう思える。

 だから――

 

「もういいわ。ナイフぶっ刺してスッキリした。トラウマは払拭できたから、それで良しとしましょう」

 

 それが全てだった。

 立ち上がる元気を手に入れた。

 それで十分だ。

 ルアンは安心したように頷いた。

 

「良かった。じゃあ、すぐに逃げよう。警察が来るよ」

 

 私は頷き、ルアンと走ってその場を後にする。


 

「――ガートルード」

 

 走って逃げている時、ルアンがふと言った。

 

「何?」

 

「初戦で八人を相手にするのは無茶だよ。僕だって初めての時は、相手は二人だった」

 

「あら、そうなの? 随分少ないのね」


「うん。だから……君はけっこう才能があるかもしれない」

 

「ふふっ、そうかしら?」

 

「あ、でもこれで図に乗って好戦的にはならないでね! やっぱり君には安全な人生を送って欲しいよ」

 

 そんな注釈をつけられたら、喜んでいいのか悪いのかわからない。

 だが、ここ数週間の努力が認められたような気がして、私はにっこり笑った。

 こうして、私の初めての戦いは幕を閉じた。

 これまでの人生で、比喩的な意味で「戦う」という言葉を使ったことはあるが、実際に肉体を使って戦ったのはこれが初めてである。

 十分に訓練して、戦える力を持った状態で敵に挑む。しかしそれでも相手は必死に抵抗するので、思ったようにはいかない。そんな相手と命をかけた攻防で、一瞬の隙を突き合う。それはとても痛く、とても恐ろしく、そして――意外と楽しいものだった。

 自分でも驚くべきことに、謎の高揚感があった。

 死への恐怖ももちろんあったが、それ以上に、それを乗り越えた喜びが大きい。

 ……まずい。

 私、殺しの才能がある。

 戦うことに、ハマっちゃうかもしれない。

 

 

当時(1921)の映画は音声の無いサイレント映画のみです。20年代後半に音声がつきます。

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