第11話 スタンド・アップ
1ガロン=3.785リットル
それからの日々、私は無駄にした時間を取り戻すように、精力的に活動した。
私とセオドアは、地下室へ降りてゆく。
地下室は私がいないうちに、すっかり様変わりしていた。
「うお……」
私は思わず声を漏らす。
コンクリートの床は打ち直され、排気ダクトが壁に沿ってすっきりと這わせられている。新たに購入した蒸留器は磨かれた銅色で、冷却装置は奥の壁際に静かに鎮座していた。
壁にもたれかかっていたグリースが、たばこの煙を吐く。
「……やっと起きたらしいな」
作業は一週間前には終わっていると聞いている。
わざわざ出向いてくれたらしい。
「ずいぶん待たせたわね」
「完成させた物件の説明ができないのは気持ち悪かったからな。復帰してくれてよかったぜ」
職人特有の感覚だ。
彼は蒸留器を指差しながら、説明を始めた。
「今まで使っていた装置は一ガロン用だろ? 今回の蒸留器は、その50倍は作れる。それにあんたの酒は、作った後に熟成させる必要があるって聞いたからな。こいつも用意したぜ」
グリースが壁の一部をコンコンと叩いた。
壁にしてはやけにスカスカな音が響く。
私が壁に近づいていくと、グリースは壁にかかったフックの様なものを持って上に引き上げた。シャッターが上がるように、壁が上に折りたたまれる。
そこは隠し部屋のようになっていて、お酒が寝かせられるように、棚が取り付けられていた。
「隠し倉庫ね」
「必要だろ?」
セオドアが壁を覗き込んだ。
「壁の強度は大丈夫なのか?」
グリースは意に介さない。
「古い木造建築だからな。見た目はボロいが、フレームがしっかりしてるから大丈夫だ。こういう家は不便だが、その分上から好きに機能を乗っけられる」
祖父が建てた家が褒められた気がして、私はちょっと気をよくした。
グリースは続ける。
「後は換気だ。裏の井戸んとこに抜けるよう、通気口を引き直した。匂いは地面の下に逃げる。これで外には漏れねえ。あと冷却装置な、空冷式で外に置いてる。囲いで目隠し済み。遠くから見たら、ただの物置だ」
庭の様子は地下室からは見えないので、彼の言うことを真に受けるしかない。
だが、恐らく大丈夫だろうという信頼が、この部屋から感じられた。
ただの物置だった地下室が、たった数日で酒造所になっている。
「まるで魔法みたいね。何もかも、ピカピカになってる」
「魔法じゃねぇ、根性と油と煙草の力だ」
グリースは口の端を吊り上げた。
「あと、温度計とアルコール度の測定器も新調しておいた。どうせ本気でやるんだろ? じゃあ、それなりのモンを揃えとかなきゃな」
私は礼を言った。
「……文句のつけようがないわ。ありがとうグリース」
「当たり前だ。俺の仕事に“まあまあ”はない」
グリースは工具箱を閉じると、くるりと背を向けた。
「じゃ、あとは任せた。俺は道具の声は聞けるが、酒の味はわかんねえからな」
彼は手をひらりと振っただけで、階段をのしのしと登っていった。
静かになった地下室に、私と、セオドアが残された。
セオドアが腕を組んで言った。
「……一応、ガートルードがいない間に俺も色々酒を作ろうとやってみた。だが無理だった。思ったより難しいものだな、酒を作るっていうのは」
「経験がいるのよ。加熱するタイミングとかでね」
「あんたも初心者じゃないのか?」
「私は小さい頃からおじいちゃんを手伝ってたもの。初心者って程ではないわよ」
私は頬をかいた。
まだ肝心なところを聞いていない。
「あの、ちなみに改装の金額って――」
「おお負けで1000ドルって所だな」
せ、1000ドル。
私の稼いでる時の年収くらいの金額だ。
もちろんそんな大金持ってない。
セオドアは低い声で笑った。
「俺にとっても安い金額じゃないが、必要経費だ。金が出来た時に返してくれたらいい」
私はホッと息を吐いた。
「ありがとう。ついでに借金も帳消しにしてくれたりする?」
「それは無理だ」
セオドアは冷たく言った。
さすがに無理か。
仲間になったから行けるかと思ったが。
「だが、ヘイブン・クレジットの中では支払いは完了している。金利が面倒だし、部下が取り立てに来ても困るからな。俺が立て替えておいたから、その分もまた返してくれ」
「ありがとう助かるわ。……ちなみに――?」
「――それも1000ドルだ」
つまり2000ドルが、現在セオドアにしている借金というわけだ。
年収二年分か。
なかなか高額だ。
しかし、メイリーの彼氏が提示した値段でお酒が売れれば、そう長く待つことなく払えそうでもあった。
私は感謝しつつも、疑いの目でセオドアを見る。
「セオドアはどうしてそんなにお金持ちなの? 何か犯罪でもしてる?」
「犯罪はこれから密造酒ビジネスで嫌というほど犯すことになるが。現状は違う。俺はまあ――言いにくいが実家が金持ちなんだ。子供の頃から株式を与えられて、それの運用を学ばされていた。その影響で、小さい時から稼いだ金が結構ある」
セオドアの妙に教養のある所や、高飛車な性格の原因が、これでわかった。
いい所のお坊ちゃんなのだ。育ちのいいお坊ちゃんが、無理に悪ぶっているような奴だ。
しかし、だとしたら必然性がない。
「そんなにお金持ちなら、密造酒ビジネスなんてする必要ないんじゃないの? もう、十分恵まれてるでしょ?」
セオドアはあごを触った。
何かを考えるような、何かを思い出すような、仕草である。
「家庭の事情ってやつでね、俺は今勘当されている。だが、俺は父上を倒したい。あの人より金持ちになることで、あの人を否定したい。だから"普通に金がある”程度なら意味がない。もっと世界有数の金持ちにならなくてはならないのさ」
私とはまるで違う世界の話だった。
日々の生活にすら苦労するような私とは違う。もっと高くて、私とは関係ないレベルで、セオドアは戦おうとしているようだった。
それも面白そうだ。
私とセオドアは、二人とも腕組みをして、改装された地下室を見た。
「なれるかしら、金持ちってやつに」
「負けなければな」
「誰に負けなければいいの?」
「ギャング、警察、そして経済……つまり社会そのものだ。俺たちが戦おうとしているのは」
その通りだった。だから私はガヴラに惹かれた。
常識から逸脱した存在なら、全てのしがらみをとっぱらって、どうにかしてくれると思ったから。
「いい種を食べたな。俺が欲しかったくらいだ」
「ガヴラのこと、ルアンから聞いたのね」
「ロレッタも知ってる。仲間なら当然だろ」
セオドアは穏やかな顔で笑った。
「さあ、これから忙しくなるぞ。販路を開拓してくれたんだろう? 後はどんどん作っていくとしよう。当然、休んでいた分何倍もの働きを期待したい所だな」
グリースの作った酒造所の性能は、私の想像以上だった。
お酒は何倍もの効率で精製され、瓶に詰められ、マザーズ・マーシーとしてパッケージングされた。
蒸留器で造られた酒は隠し棚の中で熟成され、完成したら木箱にしまわれていく。
そうした作業の傍ら、私はルアンからガヴラの操り方を学び、訓練して技術を磨いた。
ルアンの技術は戦争という特殊な環境の中で磨かれた、異質なものだ。
その全てを習得するのは難しいが、少しでも操れれば戦うには十分だった。
「戦争が終わったらガヴラは、軍に見放された。戦車や戦闘機の方が戦争に役に立つってバレたからね。……でもここは戦場じゃない。市街地での戦闘なら、戦車や戦闘機はない。銃弾を防げて、攻撃もできるから、便利だよね」
ルアンはポケットに手を入れたまま、二本のツタを伸ばした。
昆虫の触覚のようなシルエットだ。
あるいは二本の足をくねらせるタコのような。
初めて会った時、あのツタが銃弾を防いだのをよく覚えている。
「ガヴラには系統がある。どの系統かによって、できることが違う。例えば、僕の彼岸花は、ツタを操る「ウィップ」っていう系統だ。そして君の薄雪草にも得意なことがあるはず。まずはそれを見つけるんだ」
ルアンの説明を要約するとこうだ。
ガヴラには系統が四つある。花を操る系統。ツタを操る系統。葉を操る系統。根を操る系統。
私の花は、ツタを伸ばすことが出来ないらしかった。ルアンのように、二本のツタで接近戦をする事は出来ない。
だがその代わりに花の生えた茎そのものが、とても太い。ルアンの花はせいぜい指一本くらいの太さですぐ折れてしまいそうだが、私の花は手首くらいの太さでがっしりしていた。
長さも、茎だけで二メートル半まで伸ばせる。
ルアンがツタで攻撃してきた。
私は花そのものを大きく振り回して、ツタを弾いた。
私の花ならそれも可能だ。
リーチが短いが。
拙い動きで防御を繰り返すと、彼はふふっと笑った。
「いいかい? 全ては練習だ。系統によってできることが違うけど、できることのレベルは訓練によって上げられる。例えば僕の花は最初ツタを振り回すしか出来なかった。でも今では二本のツタで靴紐だって結べる」
ルアンはいい先生だった。
忍耐強く、褒めるのがうまい。
感覚的でわかりにくい部分もあったが、こちらの考えていることを上手く汲み取って微調整してくれるので、理解できないことはなかった。
私は今まで喧嘩もしたことがなかった。
でもガヴラの練習をしていくうちに、荒っぽいギャングにも立ち向かえる確かな感覚を掴んで行った。クレーンのようなパワーを持った三本目の腕を、目にも止まらぬ早さで動かせるようなものだ。これなら私でも、なんとかなると思えた。
ガヴラを学び、自信がついてきた。
私はもう守られるだけの女じゃない。
酒場にお酒を運ぶのには、ロレッタの修理してくれた車を使った。
十年物のオンボロ車で、祖父が使っていた物だが、劣化が激しく動かなくなっていた。
それをロレッタがジャンクパーツで改造し、動くかつ荷物も載せられる改造車へと仕立てあげてくれたのだ。
「ほら、見て。このボタンを押すと、荷台が切り離せる。もし警察に追いつかれそうな時は、荷物だけ切り離して、しらばっくれよう」
ロレッタは自分の考えた改造案を相談もせずにどんどん搭載し、車を魔改造してゆく。
だが、結局運転するのは彼女なので、私としても文句はなかった。
闇夜をトラック型のフォード車が走る。
荷台にはカモフラージュで、じゃがいもや人参などの野菜が積まれている。しかしその下には木箱に入れられたマザーズ・マーシーが大量に隠されていた。
車が訪れるのは、この街でも一際栄えた区域の一つだ。
バー「モント・メリー」。メイリーの彼氏が経営している会員制のバーで、サッカー場くらい大きいホールに、ジャズにのって若者が踊り狂っていた。
「お待ちしてましたよ。ミス・グレイディ」
メイリーの彼氏は丁寧な態度で、マザーズ・マーシーを受け取った。
24ダース。とりあえず作れた、ありったけである。
「ようやく、このお酒がうちのバーに並びます」
彼氏は満足そうだ。
若い客が興味深げに集まってくる。
「新商品かい?」
「ええ、是非お試しください。最高の夜を保証しますよ」
かなり高額なその酒を、この店に来るような客はいとも簡単に注文する。
そして絶賛した。半端な賞賛ではない。大絶賛だった。
「女でも飲みやすいくらいまろやかな口当たり。それでいてガツンと酔っぱらえる。最高の酒だ!」
わーわーと騒ぎ始めた人混みから離れて、私はメイリーの彼氏にヒソヒソ話しかけた。
「ついでにこの野菜も買い取ってくれない? カモフラージュ用に持ってきたんだけど」
「よろこんで」
雑貨屋としての仕事も出来てよかった。
実は警察や税務署の目をかいくぐるために、こうした販売の実績が大切だったりする。酒を売ってるのを黙っているのはいい。だが、何も売っていないにもかかわらずお金だけあれば、言い逃れができない。表立って活動するためには雑貨屋としての稼ぎも必要なのだ。
「じゃあ、私帰るわ」
「お待ちください。ミス・グレイディ。お代を受け取ってください」
そういえばまだ受け取っていなかった。
彼氏は分厚い札束を素早く数え、紙袋に入れて私に渡した。
「人のいない所で確認してください。少々色をつけておきました」
グレイディ・スピリッツに帰って確認すると、その金額は――大したものだった。
100ドル紙幣を触ったのは初めてである。
私たちは予想より高い売上に驚き、おののき、怪しみながらも利益を有難くうけとった。
くれると言っているのだ。
貰わない理由もない。
ここで具体的な話になった。
お金をいくら稼いだか。そして、それをどのように分配するのか、だ。
今の時代の1ドルは、ちょっと遊んで朝食と昼食が食べられるくらいの価値だ。
儲かっている時の雑貨屋の月収が80ドル。
貧乏な今は、ギリギリ20ドルって所だった。
初回納品で600ドル近い売上になった。
正直、私は目を疑った。今のうちの店では一年かかっても届かない金額が、たった一回の取引で動いたのだ。経費や借金返済分を差し引き、残りをどう分けるかで私とセオドアは頭を悩ませた。
「四等分は感心しないな」
セオドアは青い目が、札束を一瞥した。
「ガートルード。あんたがリーダーだ。あんたにしか酒は作れないし、この店もあんたのもの。そもそも自分が初めた事業だろう? 社長はもっと多く利益を得るものだ」
「あら、随分お優しいのね」
皮肉を言ってみるが、セオドアは微動だにしない。
「功労者が得しないシステムそのものに、文句を言っているんだ。誰もが平等なら、誰も努力をしなくなる。それにこれ以上仲間を増やす時はどうする? 五等分、六等分と割っていくのか? 元々いたメンバーのことを考えると、仲間を増やしにくくなるだろう。人が増えない構造の会社に、将来性はない」
冷たく言われるのは悔しいが、セオドアの意見にも一理あった。
悩む私をよそに、ロレッタとルアンは興味無さそうな顔をしている。
「あたしは車さえ運転させてくれるなら、何でもいいけどね」
ロレッタは頭の後ろで腕を組んだ。
実家暮らしで、趣味の車いじりは経費で出来る、となると奴にしてみれば文句ないのだ。
「僕はお酒だけくれれば、それでハッピーだよ。元々現物支給って話だったじゃないか」
ルアンはいい感じに酔っ払って、ヘラヘラしている。
そりゃ元々浮浪者だったので、それから考えたら衣食住揃っている今の環境に文句があるはずもないだろう。
私は腕を組み、指をトントンと動かした。
これからもっと設備を拡張して、もっと人が増えるかもしれない。そうなる前の今の段階で、利益配分はきっちり決めておかなくては。
「俺はメンバーとしての分前プラス、売り上げの何パーセントかを貰う。それに、借金もあるだろう? その辺をうまく考えた方がいい」
セオドアは、英才教育を受けた借金取りなだけあって、数字のセンスは大したものだった。
だが、私も物心ついた時からずっと、この店の会計係を担ってきた。負ける訳にはいかない。
私とセオドアの議論が白熱するなか、ルアンとロレッタは「決まったら教えて〜」と言って二人で酒盛りを始めてしまった。
夜は深まってゆく。
――結局、経費を除いた500ドルのうち200ドルは、毎月の借金返済や設備積立金へ回すこととなった。
残り300ドルを、リーダーである私が多めに、他の三人が均等の配分で受け取ることとなる。
ただし、
「俺は出資者だからな。労働分配とは別に、売上から数パーセントのリターンを取るのが妥当だろう」
との事で、セオドアにはさらに追加で利益を得ることとなった。その分を調整する。
結果。
私が毎月110ドル。
セオドアが90ドル。
ルアンが50ドル。
ロレッタが50ドル。
となった。
「あれ? 思ったほど稼げてない?」
私は帳簿と格闘しながら、首をかしげる。
セオドアはサンドイッチをかじりながら、帳簿を覗き込んだ。
「最初の計算がどんぶり勘定過ぎただけだ。プール金を考えたら、実際はこんなものだろう。なに、これはまだ始まったばかりだ。これから生産効率が上がれば一ヶ月に何回も売れるようになるし、販路も広がっていくさ」
確かにそうだ。
私は帳簿を閉じた。
「そうね。それに潰れるかどうかって時のことを考えたら、これでも十分過ぎるわね」
これが当面の、利益配分になる。
「終わった? よっしゃ〜セオドア〜。あんたも飲みなよ〜」
酔って顔を赤くしたロレッタが、セオドアの首に肩を回した。羽交い締めにされ、セオドアは苦しむ。
「おいおいおい。ロレッタ……随分と酔っ払ってるな。それになんて力だ――引き剥がせない!? お前本当に女か?」
「そりゃ〜あんな鉄の塊を毎日運んだり弄ったりしてるんだから、力もつくでしょ〜」
車の整備士であるロレッタの力は強い。
セオドアの端正な顔が歪んだ。
「やめろ、酒臭い。俺は酔っ払いに絡まれるのが一番嫌いなんだ」
ルアンがニヤニヤしながら、セオドアに近づく。
「ほらほら〜せっかくお金が入ってハッピーなんだから、乾杯しようよ」
「お前……この前の事忘れたのか?」
セオドアは助けを求めるように私を見るが、無視した。お金の話で、言い負かされそうになった仕返しだ。
「ほら、ガートルードも!」
ルアンは私にもお酒のグラスを渡す。
私はニヤッと笑って、それを受け取った。
これからどうなるかは、わかっている。
金髪をかきあげ、セオドアは諦めたようにグラスを受け取った。
「全く……どうなっても知らないからな」
まるでイタズラを見守るようなむず痒い雰囲気が、場を満たす。私は胸の奥に何かを感じていた。この前とは雲泥の差だ。
お金がないことではない。
お金がないことも不幸せだったが、それ以上に、私は孤独だった。
兄が死に、母が入院し、広い家に私一人。辛いことを共有する仲間も、相談する相手もいなかった。ロレッタは友人だが、用がないのに会いに来る奴でもない。
だが、今はどうだ?
グレイディ・スピリッツの店内で、暖かなランプの光に照らされ、四人笑い合っている。
酒を酌み交わし、マザーズ・マーシーを飲んだセオドアは、顔を真っ赤にしてひっくり返った。
普段の不遜な態度はどこへやら「ちょ……マジ無理」と言って床に転がる。
そんな姿をみて、みんなで笑う。
彼は酒にとても弱い。それもマザーズ・マーシーとは特に相性が悪いようで、直ぐに酔っ払ってしまった。
初めて三人で乾杯した時もそうだった。
セオドア本人も自分があまりにマザーズ・マーシーに酔いやすい事に驚き、それ以降は口にしていなかったのだ。
「本当に嫌なら嫌っていいなよ? セオドア君」
「いや、期待されるとつい、な……ヒック」
セオドア本人も笑っていた。
楽しい時間だった。
私は心の下に潜む闇を無視して、笑った。
パン、パン……。
こうして私たちは、何度もお酒を造り、それを店に卸した。そうすると徐々に人気が出て、他のギャングの影響が少ない酒屋がつぎつぎと名乗りを上げ、販路が拡張されていく。
一ヶ月ほどで、六つの卸先と契約した。
私たちは確実に豊かになり、成功の道を歩んで行った。
ある日、私は家計簿をつけながら、顔をほころばせた。
病院からの請求書の金額を確認し、家計簿と照らし合わせる。毎月60ドルの入院費が、今月は遅れることも、どこに借金をすることもなく、満額払える。
母の医療費は、これで大丈夫だ。
「ガートルード。どいてどいて〜」
ルアンとセオドアが、二人で箱型の荷物を抱えて、店内に入ってくる。
それをカウンターにどさりと置いて、二人は息をついた。ルアンは服をバタバタと上下させて扇ぎ、セオドアはワイシャツの袖をたくし上げる。
私はその箱を見て、立ち上がった。アサガオ型のラッパがついた、正方形の木箱だ。中心に円盤状のパーツがあり、その近くに可動式のアームが取りつけられている。アームの先には、針がくっついていた。
「来たのね、蓄音機!」
「ああ、駅に配送してあった。グレイディ・スピリッツの新たな資金源だな」
セオドアはハンカチで額の汗を拭った。
「しかし、意外と重いものだな」
「通販っていうのは便利だね。列車が届くところなら、アメリカのどこにでも商品を届けてくれるなんて」
ルアンは袖で汗を拭きながら、蓄音機を見た。
「蓄音機なんて、身近で見たのは初めてだよ。故郷では祭りの時に村長さんが動かしてたけど」
「私も初めてよ。ここから音楽が鳴るなんて不思議よね」
「俺の実家にはあったが、結構いいものだぞ。音楽隊を呼ばなくても気軽に音楽が楽しめるからな。もっとも四、五分に一回はゼンマイを巻かないといけないんだけどな」
「今は持っている家庭も多いのよね?」
「それは保証する。借金のカタに回収することも多いからな。かなり普及してるのは、間違いない」
前にセオドアから言われた説教が気になっていた。
スカスカの棚をどうにかしろ。禁酒法で酒が売れないとはいえ、企業努力を怠るな。
彼の言い分は腹が立つが、正論でもあった。
だから余裕ができた今、新たな商品に手を出すことにする。
蓄音機で流す「レコード」を、雑貨屋の商品に加えるのだ。
「車、停めてきたよ」
ロレッタが、裏口から現れた。両手には箱を抱えており、その中には大量のレコードが入っている。
ロレッタの運転で、三人に駅まで取りに行ってもらっていたのだ。
「みんな、運んでくれてありがとう」
私はレコードを受け取り、カウンターに置いた。
新品の蓄音機と、大量のレコードが並び、何だか急に雑貨屋としての格が上がったような気がする。
私たち四人は、満足げにそれらを眺めた。
「これでいつでも音楽が聞けるし、かつ商品として売れる。いい事だね。何か……ちょっと流してみない?」
ルアンがレコードを一つ取り上げた。スリーブを開けると、中には茶髪のスレンダーな女性の写真が映った楽譜も付属している。こういう女性が好みなのだろうか?
セオドアはあごを触りながら、他のレコードを確認する。
「どうせならもっと格式ある曲を流そう。これなんかどうだ? ベートーヴェンの……」
「おーおー、流石ご立派な趣味だね。でも盛り上がらないよ。流行りのジャズにしようよ」
三人が各々のレコードを無理やり蓄音機にはめ込もうとするので、私は悲鳴を上げた。
「ちょ、ちょっとやめて! 50ドルもしたのよ!?」
どの曲を流すかでセオドアとロレッタが譲らなかったので、二人はコイントスで勝敗を決める。ルアンは曲が流れればなんでもいいようで、争いには参加しなかった。
「わーい、あたしの勝ちィ」
「……順番を決めただけだからな。後で俺のも流させてもらうぞ」
悔しそうなセオドアを尻目に、ロレッタはレコードをターンテーブルに乗せる。
私は蓄音機にとりつけられたクランクをグリグリと回した。カチカチ……と、内部の機構が働くのがわかる。
円盤が回る。
曲が、流れ始める。
トランペットや、ドラム、バンジョーなど、様々な楽器の音が蓄音機から飛び出した。私は目を丸くした。教会で聞くような、聖歌やオペラとは根本的に違う。なんて、速いテンポなのだろう。それに、これ間違えてないか? 各楽器が、バラバラに違う旋律を演奏しているような——。
セオドアは腕を組んで、不思議そうにロレッタを見た。
ロレッタは首を傾け、白い歯を見せた。手のひらを前に出し、「まあ聞いてなって……」というポーズをする。
ルアンはポカンと口を開けていたが、やがて曲が進むと膝を打ち、感心したような顔をする。
私も気づいた。
アップテンポが止まらない。間違いじゃない。こういう曲なのだ。各楽器が、それぞれ同時に、違う旋律を弾いている。
身体が……勝手にリズムにノリ始める。
これが、ジャズ?
「いぇーい」
ロレッタがハスキーな声を出しながら、腰を振り始めた。肩も揺らし、ダンスダンスダンス。
それを見たルアンも、「なるほど……そうやるのか」という顔で、頭を前後に振り始める。ダンスというより、高速で謝罪をしているような動作だったが、本人は楽しそうだ。
セオドアは少しテレがあるのか踊らなかったが、その指はトントンと、音楽にあわせて動いていた。
私もロレッタの真似をして少し踊ったが、恥ずかしさと不慣れさで、かなりぎこちなかった。
大きな音の曲だった。
店内はまるで、モント・メリーのような弾けた空気でいっぱいだった。
結局、私達はその曲が終わってもまたクランクを回し、同じレコードを回した。汗をかき、疲れて動けなくなるまで、何度も。何度も。
こうした調子で、色々な事が少しずつ改善されていった。
家のランプを新しくし、雑貨屋の商品を充実させ、車の部品はより良いものへ置きかわっていく。
三食しっかり食べられるし、遊びに行ったり本を買ったりするお金もある。
だが、この成功は期限付きのものだ。邪魔が入れば、これ程上手くは行かないだろう。だから私は浮かれられない。お金を使うことを考えられない。
”それ"をするまで、成功したとは言えない。
お金が増えても。
販路が大きくなっても。
夜になると喉が痛む。
あの日のことを思い出す。
大釘が押し込まれた感触を。
だから、私はその機会をずっと窺っていた。
――そんなある日の事である。
雇った探偵から、連絡があった。
1920年代の1ドルは、日本円にして大体2500円です。




