第9話 ぼく、本を読む? 読んでない?
夜に見たゆめのことが、
朝になっても、胸の奥にちょっとだけ残っていた。
白いところ。
ひかり。
ぴ、ぴ……って音。
だれかの声。
(……でも、もう……ほとんど忘れた……
ぼく……何を見てたんだっけ……)
ぼくはおとちゃの手をつかんだ。
あったかくて、ゆめの残りがふっと消えていく。
「おとちゃ、ギルドいく?」
「おう、今日も行くか!」
ぼくはうなずいて、いつも通りギルドへ向かった。
——このあと、自分でもよく分からない“すごいもの”を見ることになるなんて、
ぼくが二歳になったころ。
ギルドの朝は、鉄の熱と火花の匂いでむんむんしていた。
「……人間の子ってのは、ほんと成長が早ぇな……」
おとちゃん——バルカンが大きなあくびをしながら、
ぼくの頭をあったかい手でわしゃわしゃ撫でる。
ぼくはというと、隅の木のベンチにちょこんと座って、
膝に開いた本を見ていた。
バルカンは目を細めて笑う。
「お、レン。本読んでんのか。えらいぞ〜。絵本か?」
ぼくはページをめくりながら、こくんとうなずいた。
……でも、この本、絵本じゃない。
ページには金属の棒が並んでて、
熱したときの色や、叩いたときの音の違いが描かれている。
タイトルにはこうあった。
『こどものための 金属基礎学 入門編』
バルカンは気づいてないけど、これは絵本じゃなくて“技術書”だ。
火花を打つ鉄の音を聞きながら、ぼくはページの図を指さした。
「……こっち、かたい。
こっち……あつい。
ここ……ながれてない」
バルカンはのんきにうなずいていたけれど、
ふと表紙を見た瞬間、固まった。
「……ん?……んん!?
レン、それ……絵本じゃねぇぇぇぇぇ!!!?」
ギルドに響く絶叫。
ギルド員A:
「え? 絵が多いから絵本だと思ってましたね」
ギルド員B:
「いや普通二歳児が技術書読む? 読まねぇよな!?」
バルカンはうろたえながら、ぼくの横に座りこむ。
「レン……お前……これ分かってんのか……?」
ぼくは図をトントン指さして答えた。
「こっち、ひかってる……
こっちは、どろどろ……
ここ、いたい」
金属の“魔力の流れ”が、光の線みたいに見える。
流れやすいものはぴかぴかで、
詰まってるところは黒く濁って見える。
それをただ“そのまま”言った。
バルカンの顔がぐにゃっと歪んだ。
「ひ、光ってる!? 詰まってる!?
二歳児のセリフじゃねぇぇ!!」
ギルド員C:
「親方、深呼吸!ほら、吸って!吐いて!!」
ギルド員D:
「これ天才とかじゃなくて、なんか別のやつだぞ……!」
そのとき、塔の奥から静かな足音がした。
フローリアだ。
銀の髪を揺らし、ぼくらに近づいてくる。
「……なに、この騒ぎは」
バルカンはすがるように手を伸ばした。
「フローリア!! 助けろ!! レンがおかしい!!」
「“おかしい”は失礼よ。ただの事実よ」
さらりと言ってのけてから、
フローリアはぼくの前にしゃがみこんだ。
「レン。今、何を見ていたの?」
ぼくは本を開いて見せる。
「ここ、ひかる。
こっち……ながれてる。
ここ、つまってる……」
フローリアの目がすっと狭まった。
「……なるほどね」
「な、なるほどじゃねぇんだよ!?
説明してくれ!!」
フローリアはページをめくりながら、静かに言った。
「この子、本を“読んでいる”んじゃないわ」
「じゃあ何してんだよ!!?」
「“見ている”の。
図と、金属の魔力の流れを。
線が線につながって、意味になっている」
バルカン:
「意味ってなんだよ!!? 二歳だぞ!?!」
フローリアはぼくに別のページを示す。
「レン。この金属は、熱い? 冷たい?」
ぼくはしばらく考えてから答える。
「こっち、あつい。
こっち、つめたい。
こっち、ぴかぴか」
フローリアはわずかに息をのんだ。
「……図の性質と完全に一致してる。
“理解”じゃない。
これは……思い出してるのよ」
ぼくはその言葉にドキッとした。
(……うん。なんか……これ……
夢で見たこと、あるような……?)
白い部屋。
光る板、並ぶ数字。
紅い服。
忙しない音。
でも……掴んだ瞬間、ほどけて消える。
思い出したいのに、思い出せない。
ぼくは小さく呟いた。
「……ゆめ……かも」
フローリアは優しくうなずいた。
「夢でいいのよ。それで十分」
バルカンは頭を抱えて呻いた。
「……俺には分からねぇ……
ただ……レンがすげぇってことだけは分かる……」
◆
それから数年間、
ぼくの“変なところ”はどんどん増えていった。
二歳の終わり。
金属を軽く叩く音を聞き分け、
「これは……かるい。
これは……ちがう……」
すでにギルドの若手より耳が良かった。
三歳になる頃には、
壊れた魔道具の内部を指差して、
「ここ……いたい」
と言ったら、その部分だけ魔力回路が焦げていた。
四歳になると、
フローリアの講義で未習の内容まで勝手に答え、
若手職人たちが泣いた。
五歳では、
新しい作業場の図面を見て一言。
「ここ、ぐらぐらするよ?」
実際その部分は弱く、
ぼくの言葉で事故が防がれた。
「……レン坊、神童じゃん……」
「いや人間の五歳児なんだよな……?」
ギルドの空気は、いつも笑いと驚きでいっぱいだった。
◆
でも。
笑うばかりじゃなかった。
夜、炉の残り火が赤く揺れる頃。
おとちゃんはひとり、酒のカップを傾けながら言った。
「……人間の子って早ぇな……
つい昨日まで赤ん坊だったのによ……
気づけば、もう俺の届かねぇとこまで行きそうでよ……」
ぼくはごろんと寝転んでいたのをやめて、
よじよじとバルカンの膝の上に乗った。
「おとちゃ。
だいすき。
ずっといっしょ」
バルカンは、しばらく目を閉じて震えていた。
「……ああ。
ずっと一緒だ、レン……」
その横に、フローリアが静かに現れる。
「——その“いっしょ”を守りたいなら、動かなきゃだめよ」
バルカンが顔を上げる。
「……また難しい話しか?」
「いいえ。単純明快」
フローリアはぼくの頭に手を置く。
「レンには、知識が必要。
世界がこの子に気づく前に、
こちら側が準備をするべきよ」
「“世界”だぁ?」
バルカンは眉をひそめる。
「そんな大げさな……」
「大げさじゃないわ」
フローリアの声は静かで鋭かった。
「魔力を読んで、構造を見て、弱点を指摘して……
この子は、“理不尽を許さない力”を持つ。
それは……戦争でも政治でも、誰かが利用したがる才能よ」
バルカンはぼくを抱きしめ、歯を食いしばった。
「……だからってよ……
レンは、ただの子どもだぞ……?」
「だからこそ、守るのよ」
フローリアはやわらかく微笑んだ。
「——歩きなさい、レン。
知りたがりなあなたは、きっと止まれないから」
ぼくはよく分からないまま、
光る魔力の線を追いかけた。
大人には見えない“未来の道”みたいなその線を。
こうして、
ぼくの幼い日々は静かに終わり、
次の成長が始まろうとしていた。




