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雨音を記す工房令嬢は、無口な水路伯爵と明日の街をつくる  作者: 銀細工ナギ


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15/20

詐欺師と呼ばれた職人

 公開審査の三日前、水利局から一枚の通達が届いた。


 リゼット・アルノーを、王都の雨量記録を不正に改ざんし、存在しない発明を用いて金銭を得ようとした詐欺師として告発する。


 工房の作業台に置かれた紙を、誰もすぐには手に取れなかった。


 最初に口を開いたのはノアだった。


「……詐欺師だって?」


 彼の声が低く震えた。


 ミラは通達を奪い取ると、最後まで読み、紙を机に叩きつけた。


「自分たちが記録を消しておいて、よくこんなことを書けるわね」


「書けるから、役人を続けていられるのよ」


 リゼットは椅子に座ったまま、通達を見つめていた。


 胸の奥が冷たかった。怒りはある。悔しさもある。それなのに、言葉にしようとすると、喉の奥に固い塊がつかえて声が出なかった。


 これまでにも、発明を横取りされた。身分が低いからと、名前を記録から消された。けれど今回は違う。奪われるのは発明だけではない。職人として積み重ねてきた信用そのものだった。


「あなたは何もしていない」


 ユリウスが言った。


「分かっています」


「分かっているなら――」


「でも、分かっているだけでは、誰も信じてくれません」


 リゼットは立ち上がった。


「水利局は、私が利益を得るために記録を作ったと言うでしょう。私たちの装置は新しく、権利関係も複雑です。証拠を見せても、都合よく解釈されるかもしれない」


「だからこそ、私が――」


「ユリウス」


 リゼットは彼をまっすぐ見た。


「あなたが伯爵家の人だから、私が無実になるのでは困ります」


 ユリウスは口を閉じた。


「あなたが証言してくれることは嬉しい。でも、あなたの身分だけに頼ったら、また同じことになる。今度は私が、誰かの後ろに隠れた職人だと言われる」


 ミラが静かにうなずいた。


「それで、どうするの?」


「公開実験をします」


 リゼットは作業台の上に置かれた簡易記録器を見た。


「水利局は、私の装置が正確ではないと言っています。なら、誰でも見られる場所で、誰でも触れられる形で確かめる。町の職人たちが作った装置を並べて、同じ雨を同じ時刻に記録するの」


「雨が降らなかったら?」


 ノアが尋ねた。


「そのときは、雨音以外の証拠を使う」


 リゼットは壁に貼られた記録紙を振り返った。


「水路の振動、分水門の動き、貯水槽の水位。雨が降らなくても、水は動く。動かされた水は、必ずどこかに痕跡を残す」


 その日から、工房は実験場に変わった。


 パン屋の屋根に取りつける記録器、染物屋の水槽に沈める振動針、南門の水門に固定する小型の測定盤。ミラは装置の部品を仕分け、ノアは町の職人たちを回って設置場所を確認した。


 リゼットは一つひとつの装置を分解し、記録の時刻がずれないよう調整した。


 公開実験の会場は、中央広場に決まった。審査官や水利局の役人だけでなく、町の人々も立ち会える場所だ。


「これだけの装置を、本当に三日で?」


 ユリウスが尋ねると、リゼットは針の先を磨きながら答えた。


「三日しかないから、できるのです」


「眠っていませんね」


「あなたもでしょう」


「私は水路図を確認していただけです」


「私だって針を磨いているだけです」


 二人は顔を見合わせた。


 いつもなら、そこでどちらかが休めと言う。だが今夜は、どちらも言わなかった。互いに自分の意思でここにいると知っていたからだ。


 翌日、町に新たな噂が流れた。


 リゼットは壊れた装置を隠すため、偽の記録を配っている。ユリウスに取り入って、水利局から金を奪おうとしている。身分違いの恋を利用した、悪知恵の働く女だ。


 工房の前を通る人々の視線が変わった。


 以前、修理を頼みに来ていた老人が、扉の前で足を止めたものの、何も言わずに去っていった。


 リゼットはその背中を見送った。


「嫌われるのは、慣れているつもりでした」


 小さくこぼすと、ユリウスが隣に立った。


「あなたを知ろうとしない人の言葉まで、背負う必要はありません」


「でも、噂を信じる人が増えたら、実験を見に来てもらえない」


「なら、見てもらいましょう。あなたの仕事を」


 彼は工房の扉を開け、通りに向かって言った。


「公開実験では、誰でも装置を調べられます。記録紙に触れ、時刻を確認し、疑問があればその場で質問してください。リゼットは隠しません」


 声は大きくなかった。それでも、通りの端まで届いた。


 立ち止まっていた少年が、恐る恐る手を挙げる。


「本当に、僕でも見ていいの?」


「もちろん」


 リゼットは答えた。


「作った人だけが正しいと言うなら、それは記録ではなく、ただの主張です」


 少年は工房に入り、簡易記録器をじっと眺めた。


 その夜、リゼットは公開実験の案内板を書いた。


 雨音、水路の振動、水位の変化。すべてを同じ時刻に記録します。


 誰でも参加できます。


 最後に、自分の名前を書いた。


 リゼット・アルノー。


 その下に、ミラが大きくこう付け加えた。


 詐欺師かどうかは、記録を見てから決めてください。


 ノアが吹き出し、ユリウスも珍しく笑った。


 リゼットは案内板を広場へ運んだ。


 空は薄い雲に覆われていた。雨の気配はない。けれど水路の底では、遠い場所から伝わるかすかな振動が続いている。


 公開実験の日まで、あと二日。


 水利局は、彼女を詐欺師と呼んだ。


 ならばリゼットは、職人として答えるしかない。


 名誉ではなく、手で作ったものを。


 怒りではなく、誰にでも確かめられる記録を。


 彼女は広場の中央に測定器を置き、その針が動くのを見届けた。振動は、確かに刻まれている。


 見えない水の流れが、まだ真実を語り続けていた。

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