私の名前で証言する
議会へ提出した請願は、三日後に受理された。
ただし、公開審査の日取りが決まるまでには、いくつもの手続きが必要だった。水利局から資料の真正性を問う照会が届き、記録器の製造元を明らかにせよという通知も来た。さらに、申立人であるリゼットの身分と雇用歴について、細かな報告を求められた。
それらの書面を読んでいるうちに、彼女の指は冷たくなった。
「職人の証言は補足資料として扱う」
水利局から届いた回答の一文を、リゼットは何度も見つめた。
「主要な証言者は、監督官資格を有する者に限る……ですって」
ミラが紙を取り上げ、眉をひそめた。
「つまり、あなたを最初から証言台に立たせる気がないのね」
「技術の説明だけなら、記録器の設計図でもできると思われているのでしょう」
リゼットはそう言ったが、自分の声がひどく遠く聞こえた。
その夜、工房には珍しく静けさがあった。グレンは作業台に向かっていたものの、金槌を振る回数が少ない。ノアは帳簿を開いたまま、一行も書き写していない。ミラも窓辺に立ち、暗い通りを見下ろしていた。
水利局の回答だけではなかった。
帰り道、見知らぬ男に呼び止められた。丁寧な身なりをしていたが、目は笑っていなかった。
「職人さん、余計なことを話すと、工房の営業許可に差し支えるかもしれませんよ」
脅しだと分かっていても、胸の奥に残った。
営業許可を失えば、仲間たちの暮らしまで巻き込む。工房を閉めることになれば、グレンもミラもノアも、エドガーも行き場をなくす。自分ひとりの勇気で済む話ではなかった。
翌朝、リゼットはユリウスを訪ねた。
彼は水路管理局の古い倉庫を借り、証拠の整理を続けていた。銀板、帳簿、振動記録、各地の測定結果。それぞれを番号で分類し、議会へ提出する順番を決めている。
「私は、証言台に立たないほうがいいのかもしれません」
リゼットが言うと、ユリウスの手が止まった。
「そう思った理由を聞いても?」
「私が立てば、あなたではなく工房が狙われる。仲間たちも巻き込まれる。技術の説明なら、あなたができます。私は設計者として書面を出せば……」
「それは、あなたの意思ですか」
「みんなを守るためです」
「質問に答えていません」
責める声ではなかった。だからこそ、リゼットは目をそらせなかった。
ユリウスは整理途中の書類を脇へ寄せた。
「私は以前、現場の人間に任せることを恐れました。失敗すれば責任を負うのは自分だと思っていたからです。その結果、現場の声を聞かず、制度の数字だけを信じた」
「その話は、もう……」
「聞いてください。あなたが黙ることを、私が安全のために望んではいけない。あなたの意思を、私の判断で決めることになるからです」
リゼットの喉が詰まった。
守られることは、時に声を奪われることと同じだった。ユリウスはそれを知っているから、彼女の前に答えを置かなかった。
「怖いのです」
「はい」
「証言して、言葉を曲げられたり、嘘つきと呼ばれたりするのが怖い。私の発明まで、身分の低い女の妄想だと笑われるのも」
「それでも、あなたが決めるべきです」
ユリウスは静かに言った。
「立つなら隣にいます。立たないなら、その選択も守ります。私はあなたの代わりに戦うためではなく、あなたと同じ場所で戦うためにここにいる」
倉庫の高窓から、薄い光が差し込んでいた。その光の中で、銀板の傷が細く輝いている。
リゼットはそれを見つめた。
消された雨音。奪われた設計図。名前を書き換えられた発明。どれも、誰かが「あなたの言葉には価値がない」と決めたことで、存在を隠された。
ならば今度は、自分で決めなければならない。
工房へ戻ると、仲間たちは何も尋ねずに彼女を見た。リゼットは作業台の前に立ち、ゆっくり息を吸った。
「私は、証言台に立ちます」
グレンが目を細めた。
「本当にいいのか」
「怖い。でも、私が作った記録器が何を聞き取ったのか、私自身の言葉で話したい」
ミラが小さくうなずいた。
「それでこそ、記録を作った人の責任ね」
「責任というより……」
リゼットは銀板を手に取った。
「私の名前で、私の見たことを話したいのです」
ノアが証言用の書類を机へ広げた。エドガーは筆記具を整え、グレンは記録器の内部をもう一度点検し始めた。
誰も彼女の背中を押さなかった。誰も代わりに立とうとはしなかった。ただ、それぞれの場所で、彼女が自分の足で立つための準備を始めた。
午後、議会から通知が届いた。
公開審査は七日後。証言者として、リゼットの出席が認められた。
紙を読み終えた彼女は、窓を開けた。雨は降っていなかったが、遠くの水路から澄んだ流れの音が聞こえた。
「聞こえる?」
リゼットが尋ねると、ミラが隣に立った。
「ええ。消されていない音は、案外遠くまで届くものね」
リゼットはうなずいた。
七日後、彼女は自分の名前で証言する。誰かに与えられた肩書きではなく、職人として積み上げた手と耳と記憶を携えて。
そして、記録から消された雨音を、もう一度この王都の中心へ響かせるのだ。




