第94話 戻される石
施設を閉じると決めた翌朝、ラウネの鍛冶場には早くから火が入っていた。
俺とリーネが前を通った時には、職人が太い鉄の楔を一本ずつ調べ、その隣では男たちが木製の横梁を荷車へ積んでいる。倉庫からも縄や工具が次々と運び出され、集落の中央には施設へ向かう人の流れができていた。
「こんな人数で行くのは久しぶり」
荷車を避けながら、リーネが言う。
「調査の時より多いな」
「今日は中を見る人より、石を運ぶ人の方が多いからね」
古い石板や梁の大半は封鎖点の近くに残されているが、何年も使っていなかった資材には割れや腐りもある。交換する分はラウネから持っていかなければならない。
列の先頭では、グレンが何人かの戦士と見張りの配置を確認していた。
左腕は服の下で固定されている。長柄斧は持っておらず、腰に短い剣を一本差しているだけだった。
「グレンも行くのか?」
声をかけると、こちらを向く。
「入口まではな」
「フィアナに何て言われた」
「歩くなとは言われてない」
「斧を振るなとは言われたでしょ」
背後からフィアナの声が飛んできた。
振り返ると、治療道具の入った鞄を肩に掛けている。その横には、治療所で何度か見かけた女性もいた。
グレンが面倒そうに息を吐く。
「持ってないだろ」
「持ってないだけで褒めてもらえると思ってる?」
「思ってない」
「ならいいけど」
フィアナは固定した左腕へ手を添え、指先を動かさせてから傷の周りを軽く押した。
「痛い?」
「そこはな」
「昨日よりは?」
「ましだ」
「じゃあ歩くのはいいよ。でも重いものは持たないで」
「分かってる」
グレンは右手だけで持っていた荷物を近くの戦士へ渡した。素直に言うことを聞いているあたり、傷の具合は本人にも分かっているらしい。
「私は途中まで一緒に行くよ。石を動かすなら怪我する人も出るだろうし」
「施設には入らないよな」
「入らない。ヴァルドにも言われてる」
俺たちはそのまま施設へ向かう列に加わった。
荷車が使えるのは山道の途中までだった。
道が狭くなる場所で資材を降ろし、石工や戦士たちが梁や工具を分けて担ぐ。俺も一本持とうとしたところで、横からリーネに止められた。
「そっちじゃない」
「何かあるのか?」
「あの石」
指された先には、荷台から半分ほどはみ出した厚い石板がある。
「土魔法使えるんでしょ。持ち上げなくていいから、運ぶところの足元を固めてほしい」
「そっちか」
「力仕事なら人がいるから」
前を歩く石工に通る場所を聞きながら、ぬかるんだ斜面や石の浮いた箇所だけ土を締めていく。道そのものを造り替える必要はない。靴が沈まず、重い石を担いだまま足を取られなければ十分だった。
「便利だね、それ」
後ろを歩くリーネが言う。
「剣より役に立ってる気がするな」
「今日は間違いなくそう」
施設の見張り場へ着く頃には、日がかなり高くなっていた。
入口には昨日より多くの戦士が立っている。施設側だけでなく、山道を見張る者も増えていた。
グレンは到着すると、見張りの交代と、何か出てきた場合にどこまで下がるかを一人ずつ確認し始めた。
俺とリーネは先に封鎖点へ向かった。
岩盤が左右から張り出した狭い場所には、すでに石工たちが集まっている。
以前は壁際へ寄せられていた石材が一枚ずつ中央へ運び出され、太い横梁も床に並べられていた。職人が槌で表面を叩き、割れや腐りを確かめている。
オルザは少し離れた場所で古い記録を開いていた。
「遅いぞ」
俺たちを見るなり言ったが、すぐに紙へ目を戻した。
記録には封鎖点の形と、石や梁を入れる位置が残されているようだった。オルザは紙と岩壁を何度も見比べながら、石工へ指示を出している。
「この二枚は使わん。角が欠けすぎている。そっちの梁も中央が痩せているから交換だ」
「新しいのを持ってくるか?」
「同じ太さならな。楔の位置は変えるなよ。後で抜けなくなる」
欠けた石を外させ、傷んだ梁も交換させる。職人に聞かれるたび記録を開き、寸法や楔の位置まで確かめていた。
「アレン」
呼ばれて近づく。
「入口側の表示をもう一度見てくれ」
「中には入らないぞ」
「昨日閉じた隔壁よりずっと手前だ。そこから先へ行く必要はない」
施設本体の入口近くにある表示板まで移動した。
薄く光る文字は昨日から変わっていなかった。
『EXTERNAL ACCESS : LIMITED』
その下にもいくつか項目が並んでいる。
「『外部接続、制限中』。その下は……『区画状態、部分隔離』」
「昨日と同じか」
「ああ」
「閉じた隔壁の状態は出ていないのか?」
「ここにはない」
オルザが表示を見上げる。
「別の表示に切り替えられないか」
「やり方を知らない」
「この辺りに操作する場所は?」
「それも分からない。読めるのは今出ている文字だけだ」
オルザは表示板の周囲を見回したあと、持っていた紙へ視線を落とした。
「……分かった。今の表示だけ写しておく」
内容を書き終えると、すぐ封鎖点へ戻っていった。
午前中いっぱいかけて、使える石材と交換するものが分けられた。
昼前にはラウネから追加の梁も届き、石工たちが古いものと寸法を合わせ始める。第二の封鎖を完全に戻すのは明日以降になるようだが、壁際の石が中央へ動くたび、通路は少しずつ狭くなっていった。
「昔は、ここ全部塞がってたんだ」
隣で見ていたリーネが言う。
「覚えてるのか?」
「小さい頃はね。入口の方ももっと埋まってた。調査を始めるって決まってから、少しずつ開けたの」
「その時も手伝った?」
「私はまだ子供だったよ」
「正真正銘の?」
口にしてから、余計だったと思った。
リーネがこちらを見る。
「まだ言う?」
「悪かった」
「本当にね」
眉を上げながらも、口元は少し笑っていた。
そこへフィアナが来た。
「何の話?」
「アレンがまた私の年齢の話してる」
「また?」
「違う。今のは流れで――」
「二十歳なんだから、もう覚えてあげなよ」
「覚えてるから言ったんだ」
「それ、もっと駄目じゃない?」
反論しかけたところで、少し離れた場所からフィアナを呼ぶ声が飛んだ。
石を移していた男が指を挟んだらしい。
「行ってくるね」
フィアナはすぐにそちらへ向かった。
しばらくすると、男は指に布を巻かれて戻ってきた。重い石からは外されたらしく、今度は工具を運んでいる。その間にもフィアナは別の作業者に呼ばれ、今度はひねったらしい手首を診ていた。
昼食を挟み、午後は入口坑道へ移った。
第三の封鎖に使う場所は、施設本体よりさらに外側にある。
山腹へ開いた入口から少し入った岩盤の狭まりで、古い支柱を組み直し、石と土で通路を塞ぐ。最後には狭窄部の一部も崩して埋める。
そこまで終われば、掘り返さない限り人は通れない。
石工の一人が岩壁を槌で叩き、返ってくる音を聞いた。
「こっちはそのまま使える。右の支柱は替えた方がいいな」
「記録では三本だ」
オルザが答える。
「外した時に一本割れている。新しいものを二本用意して、古い二本と合わせろ」
「四本にするのか?」
「右側の岩が少し落ちている。三本より四本の方がいい」
職人は岩壁をもう一度確かめ、頷いた。
ヴァルドが来たのは、その少し後だった。
何人かと話しながら作業場所を見て回り、最後にオルザの前で足を止める。
「何日だ」
「第二封鎖だけなら、明日には形になる」
「入口は?」
「早くて三日。最後に岩を落とすところまでやるなら、雨が降ればもう一日かかる」
「分かった。人は増やす」
ヴァルドが離れようとすると、オルザが呼び止めた。
「待て」
ヴァルドが振り返る。
「入口まで、本当に塞ぐのか」
「昨日決めた」
「第二封鎖を戻せば、黒い獣が出てもすぐには抜けてこられん。ここまで埋める必要はない」
「それも昨日聞いた」
「今日は実際に石を戻している。明日にはあそこも閉じるんだぞ」
「だから人を増やしている」
「そういう話をしてるんじゃない」
オルザの声が強くなった。
「今まで動かなかった設備が動いている。百八十年前の記録と同じことまで起きた。アレンが表示を読める今なら、残っている記録と照らし合わせながら調べられる」
「誰を入れる」
「最初から奥へ行く必要はない。手前の表示を見て、何か変われば戻ればいい」
「昨日も戻るつもりで入った」
オルザが口を閉じる。
「グレンの腕を見ただろう。黒い獣だけじゃない。あの浮いているものまで、今まで歩いていた場所へ出てきた」
「だから次は対策をして――」
「何を用意する」
ヴァルドが遮った。
「あの光を防げるものはあるのか。勝手に開く隔壁を外から閉じられるのか。奥に黒い獣が何体いるか分かるのか」
オルザは答えなかった。
「調べなければ、いつまでも分からん」
「昨日まで歩けた場所から、グレンが腕を焼かれて戻った」
ヴァルドはオルザの手元にある記録へ目をやった。
「次も同じ傷で済むとは限らん」
「四十年だぞ」
オルザの声が低くなる。
「四十年以上、ここを見てきた。動かなかったものも、読めなかった表示も、一つずつ記録してきた」
「ああ」
「今、その設備が動いている。しかも古代文字を読める者までここにいる。こんな時がまた来ると思うか」
「思わん」
「なら――」
「それでも人は入れん」
ヴァルドはすぐに返した。
「残っている記録は全部調べろ。入口から見える表示を見るのも止めん」
施設の奥へ目を向ける。
「だが、昨日閉じた隔壁の向こうへ誰かを行かせる許可は出さない」
オルザは記録を握ったまま黙っていた。
ヴァルドはそのまま石工たちのところへ行き、明日必要な人数と、ラウネから追加で運ぶ石材の話を始めた。
俺も離れようとしたところで、オルザに呼び止められた。
「アレン」
「何だ」
「君もヴァルドと同じなのか」
「何が」
「入口を埋めてしまっていいと思っているのか」
「俺だって調べたい。王都からここへ飛ばされた仕組みも、フィアナに反応する理由も、黒い獣が何なのかも分かってない」
「なら、なぜ止める」
「昨日のままだからだ」
オルザが眉を寄せる。
「隔壁が勝手に開く理由は分からない。あの光をどう避けるかも決めてない。奥に何体いるかも分からない。俺が文字を読めても、扉を止められるわけじゃない」
「それでも、文字を読める者がいるだけで違う」
「それはそうだ。だから入口から見える表示も、残ってる記録も調べればいい」
「だが、入口を塞げば奥へは入れなくなる」
「もう一度入るなら、昨日より準備してからだ。今のまままた隔壁が開けば、次はグレンの腕だけで済まないかもしれない」
オルザはしばらく俺を見ていた。
「君なら、もう少し私に近いと思っていた」
「たぶん近いよ。俺も知りたい」
坑道の奥へ目を向ける。
「でも、昨日は閉じた隔壁が勝手に開いて、見たことのないやつまで出てきた。何も変わってないのに、今日また奥へ入るのは危ない」
「閉じれば、その機会自体がなくなる」
「ここはハルヴァの施設だ」
オルザを見る。
「俺が外から来て、もう少し開けておけとは言えない。ヴァルドが閉じると決めたなら、俺は止めない」
オルザは何も返さなかった。
やがて手にしていた記録を閉じ、封鎖点の方へ戻っていった。
午後の作業が終わる頃には、朝まで壁際に積まれていた石板が通路の半分近くを塞いでいた。
まだ人一人なら余裕を持って通れるが、数年前に調査のため外された石が、今は一枚ずつ元の位置へ戻されている。
帰り道では、オルザが俺たちより少し前を歩いていた。リーネも何度かその背中を見たものの、声はかけなかった。
ラウネへ着くと、フィアナはそのまま治療所へ向かった。グレンの腕をもう一度診るらしい。
俺は使った工具を倉庫へ戻すのを手伝い、外へ出た。
その時、北側の見張り場から一人の男が急ぎ足で下りてくるのが見えた。
男は俺たちの横を通り、ヴァルドの家へ向かいかけたが、近くにいたグレンを見つけて足を止める。
「グレン」
「どうした」
「北の道から客だ」
「何人だ」
「六人。武装してる。戦うつもりはないと言ってる」
「どこの連中だ」
「カシュラ盟だ。ヴァルドに話があるらしい」
少し前を歩いていたオルザが、そこで足を止めた。




