第81話 古い足音
広い区画を抜けると、通路は緩やかに下り始めた。
壁も床も相変わらず灰色で、目立った損傷はない。床を走る細い線だけが二本に減り、そのまま暗闇の奥へ続いている。
ガルドは一定の速度を崩さず、曲がり角へ差しかかるたびに俺たちを止めて先を確認した。保存区画を離れてから敵の姿は見ていないが、あれだけの警備個体が地下に残っていると分かった以上、何もいないことを安全の根拠にはできない。
途中、通路の右側に細い開口部があった。ガルドが入口から灯りを向けたものの、奥で右へ折れているらしく、その先までは見通せない。市の技術者が見取り図へ位置だけを書き込み、俺たちは中へ入らず正面の通路を進んだ。
予定していた確認地点までは、もうそれほど遠くない。そう思ったところで先頭のガルドが片手を上げたため、俺も足を止めて後ろへ同じ合図を送る。
「聞こえるか?」
声を抑えて聞かれ、息を殺す。最初は分からなかったが、やがて通路の奥から、硬いものが床へ触れては少し間を置いてまた鳴る、小さな音が届いた。
人間の靴とは違う金属質な足音で、それも一つではない。
「複数いる」
「ああ。近づいてるな」
ガルドが大剣を抜いたのを見て、俺も剣へ手を掛ける。
「後ろを下げる。セレナ、フィアナと技術者を頼む」
「分かったわ」
市の技術者と記録係が後退し、フィアナもその前へ位置を変える。オスカーは巨大な戦斧を構えながら最後尾から上がってきたが、通路幅を見て俺たちの一歩後ろで止まり、両手を前で拘束されたヴァレクはその内側に残った。
足音がさらに近づき、やがて曲がり角の向こうから最初の黒い人型が姿を現した。
「小さい方か」
ガルドが低く言った。
王都で見た小型の黒色人型と同じだ。一体目の後ろから二体、さらに三体が続き、合計六体が通路へ出てくる。前の二体がやや先行していたものの、残る四体も間隔を詰めながらこちらへ向かっていた。
ガルドは数を確認すると後ろを振り返る。
「ヴァレクの拘束を外せ。武器も渡せ」
監視役の兵が一瞬だけためらった。
「よろしいのですか」
「敵が何体いるか分からん。使える前衛を縛ったままにはしねえ。ただし、俺とオスカーの前からは出すな」
ヴァレクは何も言わず両手を差し出し、拘束具を外されると、返された細剣の刃を一度確かめてガルドの斜め後ろへ入った。
「来るぞ」
六体の足運びが変わり、先頭の二体が一気に速度を上げる。一体がガルドへ、もう一体が俺へ向かってきた。
全力で踏み込む必要はない。左脚へ強い負荷を掛けないよう右足を軸に半歩だけ外へずれ、伸びてきた腕を剣で受け流す。外殻そのものを正面から斬らず、王都で何度も見た肩の継ぎ目へ刃を滑り込ませ、薄く風を沿わせて振り抜くと、黒い腕が床へ落ちた。
それでも小型人型は止まらず、残った腕を振ってくる。大きく下がらず上体だけでかわし、空いた首元の隙間へ二撃目を入れると、刃が継ぎ目を抜けたところで身体から力が抜け、そのまま前へ崩れた。
左ではガルドがもっと単純な方法で片づけていた。振り下ろされた腕を大剣の腹で外へ逸らし、相手の体勢が崩れたところへ踏み込むと、返した一撃で肩口から黒い外殻ごと上半身を叩き割る。
先頭の二体が倒れたところへ、後ろの四体が一気に距離を詰めてきた。
「次、四!」
「見えてる!」
ガルドが一体を正面から受け、俺も左から来た個体へ向き直る。その間に残る二体のうち一体が壁際を抜けて後衛へ向かおうとしたが、セレナの投げた符がその足元へ滑り込んだ。
床へ触れた符から淡い線が広がり、小型人型がそこへ踏み込んだ瞬間に光が弾ける。足運びが一瞬だけ乱れたのを見て、セレナが声を上げた。
「今よ」
ヴァレクはすでに動いていた。滑るように間合いへ入り、細剣を首の継ぎ目へ突き込むと、刃を引く動きのまま一歩退く。小型人型が前のめりに倒れる一方、もう一体が横から腕を伸ばしてきたが、ヴァレクは半歩ずれて爪をかわし、脇の継ぎ目へ細剣を差し込んだ。
薄赤い魔力が一瞬だけ刃を走り、黒い腕から力が抜ける。体勢を崩したところへもう一撃を入れると、二体目も床へ沈んだ。
俺の前では別の個体が腕を振り上げていたが、動きは最初の一体とほとんど変わらない。急加速で先を取らず、少し間合いを外して踏み込ませ、伸びきった腕を流しながら肩の継ぎ目へ剣を入れる。そのまま胴の隙間まで刃を通したところで、横ではガルドの大剣が残る一体を床へ叩き倒した。
正面から来た六体が、すべて動かなくなる。
息を整える間もなく、さっき通り過ぎた右側の開口部から新しい足音が響いた。
「右!」
振り向くと、暗がりから一体が飛び出し、その後ろからさらに三体が続く。四体のうち先頭の三体はほとんど固まったまま、こちらへ向きを変えた。
「オスカー!」
「分かってる」
後ろに控えていた巨体が前へ出る。開口部の前は通路がわずかに広くなっていて、巨大な戦斧を横へ振るだけの幅があった。
三体の小型人型が迫る中、オスカーは風魔法を使わず、腰を落として両手の戦斧を大きく横へ引いた。
次の瞬間、巨大な斧が横薙ぎに振り抜かれた。
刃が一体目の胴へ叩き込まれ、黒い外殻が派手に砕ける。そのまま止まるどころか、一体目を文字どおり真っ二つにしながら二体目へ食い込み、さらにその身体まで断ち切って三体目へ到達した。
三体目の外殻も耐えなかった。
硬いものが立て続けに砕ける音とともに、三体すべてが胴から上下に断たれ、その身体が斧の勢いに巻き込まれたまま横へ吹き飛ぶ。
上半身も下半身もまとめて壁へ叩きつけられ、鈍い衝撃音が通路に響いた。
壁に当たった六つの塊が床へ落ちる。
さすがに一瞬だけ目を奪われた。
その向こうから最後の一体が飛び出し、俺の左側へ回り込もうとする。追って急加速する代わりに一歩だけ後ろへ引き、相手が進路を変えたところへ剣を合わせた。
伸びてきた腕を外へ流し、空いた首元へ刃を入れると、最後の一体も勢いを失って床へ倒れた。
通路に静けさが戻っても、すぐに武器を下ろす者はいなかった。オスカーは戦斧を構えたまま右の開口部を見据え、ガルドと俺も耳を澄ませる。
「追加は?」
「見えん。音も止まった」
「後ろも大丈夫よ」
セレナの声を聞いて、ようやく剣先を下げた。
フィアナがこちらへ来ると、まず俺の左脚へ視線を落とす。
「脚は?」
「大丈夫。走ってないし、強く踏み込んでもない」
「痛くなったらすぐ言ってね」
「ああ」
剣についた黒い汚れを払ってから横を見ると、オスカーが斬った三体が壁際に散らばっていた。
どれも胴のほぼ同じ高さから完全に二つへ断たれている。王都では一般兵にとって十分な脅威だった相手を、三体まとめて真っ二つにしたうえ、そのまま壁まで叩き飛ばしたらしい。
ガルドも同じものを見てから、ゆっくりオスカーへ視線を移した。セレナは言葉を止め、フィアナも壁際の六つの塊と戦斧を交互に見ている。
「……三体、まとめて?」
「固まってたからな」
オスカーは当然のように答え、戦斧についた黒い破片を振り落とした。
ガルドが壁際をもう一度見る。
「三体まとめて真っ二つかよ」
「途中で止めたら危ねえだろ」
「止めろとは言ってねえ」
オスカーは何が問題なのか分からないという顔をしている。俺もそれ以上は聞かなかったが、少なくともあの斧を正面から受ける気にはならない。
その横では、ヴァレクが細剣を鞘へ戻していた。監視役が近づくより先に柄をそちらへ向ける。
「返す」
兵が一瞬戸惑ってから受け取ると、ヴァレクは何も言われないうちに両手を前へ出した。再び拘束具が付けられるのを確認してから、ガルドは倒れた小型人型へ視線を戻す。
「正面から六、横から四。十体か」
「待機区画から来たのかしら」
セレナが一体のそばへしゃがみ、触れない距離から外殻と脚部を調べる。少しして首を振った。
「断定はできないけど、さっき見た個体とは状態が違うわね。傷が多いし、脚にも擦れた跡がある。外殻の隙間にも汚れが入り込んでる」
俺も近くの一体を確認すると、待機区画で停止していたものより明らかに表面がくすみ、何か所かに古い欠けがある。足先も、長く使われた道具のように削れていた。
「施設の中を動き続けてた?」
フィアナが聞く。
「その可能性はあるわ。ただ、いつから動いているのかまでは分からない」
セレナはそう答えて立ち上がり、右側の開口部へ目を向けた。
「少なくとも、地下に残っている警備個体が全部あの区画で待機しているわけではなさそうね」
「こいつらが出てきた先だけ確認する。奥へ続いてるなら追わん」
ガルドを先頭に開口部を覗くと、短い通路の先に小さな部屋があった。
警備個体の待機場所ではなく、壁の一面には黒い板状の設備が並び、床には壊れた部品らしきものが散らばっている。奥の横長の表示面だけには弱い白文字が残っていた。
「管理用の場所かしら」
セレナが入口から内部を見渡すと、市の技術者も周囲を確認してから首を傾げた。
「少なくとも、居住区画には見えません」
俺は表示へ近づき、欠けた文字を読めるところから追っていく。
EVENT LOG
その下には何行もの記録が並んでいるものの、大半は途中で消えていた。その中で、まだ形を保っている文字列の一つが目に留まる。
NETWORK RECOVERY
「……ネットワーク・リカバリー」
「さっきの表示と同じ言葉?」
「ネットワークは同じ。後ろは復旧とか回復って意味だ」
セレナへ答えながらさらに下を追うと、別の二行も読み取れた。
MULTIPLE NODE FAILURE
RECONNECTION ATTEMPT
「複数の中継点で故障が起きて、そのあと再接続を試した……そんな感じだと思う」
「いつの記録?」
「分からない。日付らしいものはあるけど、俺が知ってる形式じゃない」
読める文字の横には意味の分からない数字列が並んでいる。言葉が分かっても、古代の暦や記録方式まで理解できるわけではなかった。
拘束されたまま表示を見ていたヴァレクが口を開く。
「北方に似た記録がある」
「複数の施設が動いたってやつ?」
「ああ。約百八十年前、離れた場所にある封鎖遺構が短い期間に続けて開いた。北では、一か所を閉じた後に別の遺構で異常が起きた記録も残っている」
セレナがヴァレクへ顔を向けた。
「この復旧記録と同じ出来事だと思う?」
「分からん。だが、別々の施設が同じ時期に動いたという記録とは矛盾しない」
ヴァレクがそれ以上断定しなかったので、セレナも追及せず表示へ視線を戻した。
俺も続きを追い、欠けた行がいくつか続いた先で別の文字を見つける。
SUBJECT AUTHORIZATION
少し離れた場所には、
OPERATOR LINK
とあった。
「……二種類ある」
「何が?」
フィアナが俺の横から表示を覗き込む。
「一つは対象の認証。もう一つは……操作する側との接続、だと思う」
「同じ人じゃないの?」
「分からない。ただ、表示は分けて書いてある」
セレナも少し近づき、二つの文字列を見比べた。
「二人いたという意味?」
「そこまでは言えない。一人に別々の処理をしてる可能性もある」
答えながら、約百八十年前の聖女エレノアと、その傍らにいたという古代文字を読む同行者の記録が頭に浮かんだ。
フィアナは施設に反応し、俺は文字を読める。
重なる部分は増えていたが、それだけで当時と同じものだと考えるにはまだ材料が足りない。
「フィアナ、何か感じる?」
彼女は目を閉じてしばらく待ち、自分の感覚を確かめてから首を振った。
「ううん。ここは何もないよ」
「ならいい」
ガルドは表示から通路へ視線を戻した。
「記録だけ取る。長居はしないぞ」
記録係が残っている文字をそのまま書き写し、俺も読める部分を一つずつ伝えていく。その途中、表示の下端に近いところに、ほかより薄い文字が残っていることに気づいた。
ランタンを寄せる。
NORTHERN RELAY
その後ろにも何か続いているが、そこから先は欠けていた。
「北方……」
声に出すと、ヴァレクが顔を上げる。
「何だ?」
「北方中継点、と書いてある」
俺はもう一度、その文字を確認した。
中継点で見つけた北へ伸びる一本の線と、古い記録の中に残っていた北方中継点という名前。二つが同じ場所を示しているとはまだ言えないが、地下で拾う手掛かりは少しずつ同じ方角へ繋がり始めていた。




