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第80話 外へ続く線

保存区画を離れてからも、しばらく誰も背後への警戒を解かなかった。


 先頭のガルドは何度か足を止めて音を確かめ、最後尾のオスカーも一定の間隔で後ろを振り返っている。保存槽にも警備個体にも変化はなく、俺たちが来た通路から聞こえるのは、装備が擦れる音と靴底が床を踏む音だけだった。


 それでも、あそこに何が残っているのかを知ってしまった後では、同じ静けさでも意味が違って感じる。


「あとどれくらいだ?」


 ガルドが振り返らずに聞いた。


 記録係が手元の板を確認する。


「当初決めた確認地点までなら、今の速度で十分ほどです。戻りを含めても規定時間には余裕があります」


「分かった。そこまでは予定どおり見る」


 そのまま主通路を進む。


 保存区画の辺りから床を走っていた細い線は数を増し、途中から互いに合流し始めた。一本ずつ壁際へ消えていたものが、今は何本も束ねられるように中央へ寄り、俺たちの進行方向へ伸びている。


 市の技術者が歩きながら足元を見ていた。


「さっきの区画だけに繋がっているものではなさそうですね」


「分かるのか?」


「少なくとも、途中で枝分かれしています。右側の線は保存区画へ入っていましたが、こちらはそのまま通過している」


 技術者が指した先では、数本の溝が俺たちの足元を抜け、さらに奥へ続いていた。


「水も流れていませんし、何のためのものかはまだ分かりません。ただ、複数の区画を同じ仕組みで繋いでいるようには見えます」


 セレナが床を見下ろす。


「施設の中で何かをやり取りしていた可能性はあるわね。物なのか、情報なのか、それ以外なのかまでは分からないけど」


「文字があれば少しは助かるんだけどな」


「読めても仕組みまで分かるわけじゃないでしょう」


「それはそうだ」


 俺が答えると、セレナはそれ以上何も言わず、床を走る線へ視線を戻した。


 やがて、通路の先が暗闇の中で大きく広がった。


 ガルドが片手を上げると全員が足を止め、工兵がランタンを高く掲げる。


 主通路はそのまま正面へ続いていたが、途中に広い接続空間があり、そこから左右にも同じくらいの幅を持つ通路が伸びている。どちらも持ち込んだ灯りでは先が見えず、正面の通路も少し進めば暗闇へ沈んでいた。


「三方向か」


 オスカーが後ろから言った。


 市の技術者が前へ出ようとすると、ガルドが手で止める。


「ここから見ろ」


「はい」


 技術者は入口から左右を見比べ、記録係が持っていた簡単な見取り図を受け取った。紙の上に線を足していくうちに、その手が止まる。


「どうした?」


「市が把握している旧水路の配置と合いません。この深さにある通路として記録されているものがないんです」


「後から埋まったとかじゃねえのか?」


「可能性はあります。ただ、それにしても規模が大きすぎます。左右の通路はどちらも先が見えませんし、この分岐自体も図面にはありません」


 それだけで、この先がどこまで続いているのかまでは分からない。


 俺は三方向の通路を見比べてから、正面へ続く通路の脇に横長の設備が埋め込まれていることに気づいた。周囲は暗いままだが、黒い面の一部にだけ弱い白文字が残っている。


「ガルド。あそこに表示がある」


「ここから読めるか?」


「もう少し近づけば」


 ガルドが左右を確認してから頷いた。


「俺とアレンだけ前へ。ほかはここで待て。オスカー、後ろ頼む」


「任せろ」


 正面の設備まで進み、壁に触れないよう距離を取ってランタンを向ける。


 LOCAL RELAY NODE


 その下には、


 CONNECTION STATUS


 と続いていた。


「……ローカル・リレイ・ノード」


 口に出してから、意味を探る。


「分かるか?」


「言葉だけなら」


 もう一度、表示を見る。


「局所中継点……いや、この周辺を繋ぐ中継点、みたいな意味だと思う」


「中継?」


「たぶん。ただ、何を中継してるのかは書いてない」


 ガルドが三方向へ伸びる通路を見た。


「人や物じゃなくても使う言葉なのか?」


「使う。前の……俺が知ってる言葉なら、離れた場所同士を繋ぐ途中の場所にも使う」


 前の人生なら、通信や輸送でも似た言葉を使うことはある。だが、ここで同じ意味だと決めつける根拠にはならなかった。


「セレナを呼ぶ」


 ガルドが後ろへ合図し、セレナと市の技術者だけが前へ来た。


「中継点?」


 表示の意味を伝えると、セレナは文字ではなく設備全体を見た。


「この分岐と一緒にあるなら、少なくとも単なる区画名ではなさそうね」


「俺もそう思う。でも、何を繋いでるのかは分からない」


「ええ。今はそこまででいいわ」


 セレナが壁面へ視線を移す。


「その下は?」


 文字列のさらに下に、細い線が何本も表示されていた。


 最初は傷かと思ったが、白い点の一つから細い線が規則的に伸び、その先で別の点へ繋がっている。偶然ついた傷には見えなかった。


 中央付近に少し大きな点が一つあり、そこから五本の線が伸びていた。三本は途中で途切れ、一本はすぐ近くの別の点へ繋がっている。最後の一本だけが、表示の端まで長く続いている。


「地図……か?」


 ガルドが言う。


「そう見えるけど」


 俺には断定できなかった。


 セレナもすぐには答えず、しばらく線の配置を見ている。


「市内の地下図と比べられる?」


 技術者が記録係を呼び、持ってきた図面を床へ広げた。


 俺たちは表示に触れないよう少し離れ、市の図面と壁面を交互に見る。


 最初に首を振ったのは技術者だった。


「合いません」


「何が?」


「形です。王都の主要な水路とも、旧市街の道路とも一致しない。それに、この中央の点を現在地だと仮定すると……」


 技術者は図面の一点を指し、そこから指を動かした。


「この線の長さは、王都の地下だけでは収まりません」


「縮尺が違う可能性は?」


 セレナが聞く。


「あります。ですが、それならなおさら、これは今いる施設内部の見取り図ではない可能性が高くなります」


 技術者は壁面の長い線を見る。


「少なくとも、今まで歩いてきた距離を基準にすると、こんな長さにはなりません」


 俺も改めて表示を見ると、長く伸びた線の脇に小さな文字があった。


 NETWORK LINK


「……ネットワーク」


「意味は?」


 セレナに聞かれ、少し考える。


「俺の知ってる意味なら、複数のものを繋いだ仕組みだ」


「施設同士を?」


「可能性はある。でも、まだ分からない」


 点が何を示すのかも、線が何を繋いでいるのかも分からない。


 ただ、市の図面とは合わず、その広がりも王都地下の見取り図としては説明しにくかった。


「ヴァレクにも見せた方がいいわね」


 セレナが言った。


 ガルドは少し考えてから頷く。


「呼べ。ただし、ほかは動かすな」


 ヴァレクが来るまでの間も、表示に変化はなかった。


 やって来たヴァレクは俺の訳を聞き、壁面の線を長く見つめる。


「北の記録に似たものがある」


「何が似てる?」


 ガルドが聞いた。


「離れた遺構を線で結んだ図だ。意味は分かっていなかった」


 ヴァレクが中央の点を視線だけで示す。


「古い記録では、点ごとに別の施設名らしき記述が添えられていたものもある」


「場所は?」


「北方内だけとは限らん。記録そのものが欠けている」


 セレナが壁面から目を離さない。


「同じものだと決めるには早いわね」


「ああ」


 ヴァレクは短く答えた。


「だから見に来た」


 それ以上、彼は何も付け加えなかった。


 俺は表示の端へ伸びる一本の線を見る。


 ほかの線は途中で灰色に沈み、先の点もほとんど消えている。それに対して、その一本だけは弱いながらも最後まで形を残していた。


 脇に小さな表示がある。


 CONNECTION : DEGRADED


「これだけ状態表示が違う」


 俺が言うと、セレナが近づいた。


「どう違うの?」


「接続……劣化。完全に切れてるとは書いてない」


 別の線の脇には文字そのものがほとんど残っていない。比較できるものは少なかったが、少なくともこの一本だけが何らかの状態を示している。


「どっちへ伸びてる?」


 ガルドが技術者へ聞いた。


「この図が実際の方角に対応しているとは限りません」


「分かってる。仮にだ」


 技術者は通路の向きと図面、それから壁面の線を何度も見比べた。


「正面を、今まで進んできた方向と合わせて考えるなら……北寄りです」


 ヴァレクが無言で表示を見る。


 俺も同じ線へ目を戻した。


 目の前の表示は、今まで歩いてきた王都地下だけでは説明できない。複数の点と、それを結ぶ線。中継という言葉。そして、市の図面には収まりそうにない接続先。


「少なくとも」


 セレナが静かに言った。


「ここだけで完結している施設ではない可能性は、かなり高くなったわね」


 誰も否定しなかった。


 ガルドは表示をもう一度確認したあと、左右の通路へ目を向ける。


「左右には入らん。正面だけ、予定してた地点まで見る。ここから先でまた分岐が増えるか、何か反応が出たらそこで終わりだ」


「それがいいわ」


 セレナも頷いた。


「ここだけでも持ち帰る情報は十分あるもの」


 記録係が壁面の表示と線図を写し取り、市の技術者は三方向の通路幅と位置関係を図面へ加えていく。その作業が終わるのを待って、俺たちは正面の通路へ入った。


 そこからしばらくは、また同じ灰色の壁が続いた。


 床を走る細い線も残っていたが、先ほどまでのように数が増えることはない。ガルドは速度を上げず、曲がり角もない通路を慎重に進んでいく。


 数十歩ほど進んだところで、通路が不意に広がった。


 左右に一回りずつ張り出した、長方形の空間だった。


 保存区画のような槽も、警備個体を収める窪みもない。正面にはそのまま通路が続いているため、一見すれば途中に広い部屋が挟まっているだけにも見える。


 ただ、床だけが少し違っていた。


 部屋の中央を占めるように大きな長方形の継ぎ目が走り、その周囲をさらに細い線が囲んでいる。左右の壁にも、向かい合わせになる位置へ縦長の窪みが一つずつ設けられていた。


 ガルドが入口で止まる。


「何か分かるか?」


 市の技術者が後ろから覗き込んだ。


「いえ。床の継ぎ目は明らかに人工的ですが、開くのか、何かが動くのかも分かりません。左右の壁も同じ形ですね」


 セレナも入口から内部を見る。


「表示は?」


 壁際を確認したが、読める文字は見当たらなかった。黒い面らしきものは一か所あったものの、完全に消えていて何も表示されていない。


「読めるものはない」


「フィアナは?」


 ガルドに聞かれ、フィアナがしばらく部屋を見つめた。


「何も感じないよ。頭も痛くない」


 ガルドはすぐには入らず、床と左右の壁、それから向こう側へ続く通路を順に確認する。


「全員まとめて入るな。まず俺とアレンで向こうまで見る」


「分かった」


 床の継ぎ目には触れないよう注意しながら、ガルドと並んで部屋へ入る。


 中央まで来ても何も起こらなかった。


 左右の壁も、足元の床も変わらない。向こう側の通路まで抜けて振り返ると、ガルドが後続へ手を上げた。


「来ていい。ただし間を空けろ」


 工兵と市の技術者、記録係が順に渡り、セレナとフィアナも続く。ヴァレクがその後ろを通り、最後にオスカーが部屋へ入った。


「何の部屋なんだ、ここ」


 オスカーが左右を見ながら言う。


「分からないわ。今は用途を決めつけない方がいいでしょうね」


「何もねえなら、その方がありがたいけどな」


 オスカーが向こう側へ抜けても、床にも壁にも変化はなかった。


 記録係が空間の大きさと床の継ぎ目だけを書き留め、市の技術者も見取り図に追加する。調べるために触れる理由はなく、俺たちは長く留まらなかった。


 ガルドが全員の通過を確認してから先頭へ戻る。


「行くぞ。残りは予定地点までだ」


 俺たちは再び隊列を整え、そのまま正面の暗い通路へ進んだ。


 背後の広い部屋には、最後まで何の反応もなかった。

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