第8話 丘の獣
9/22 全体的に推敲し文章をアップデートしました。(内容は変更なし)
村へ戻ると、ローデンはベルナールへ状況を報告し、救助に必要な人員を組み直した。
ユリウスと治癒術師二人、トーマを含む神殿兵数名、それに掘削用の道具を連れて丘へ戻る。ベルナールは荷馬車や世話役とともに村へ残り、双方の連絡を受け持つことになった。
避難所の入口は、近くで見るほど厄介だった。
斜面から流れ込んだ土砂には大きな岩や折れた木の根まで混じり、互いに支え合うように入口を塞いでいる。手前から適当に取り除けば、残った土まで一緒に崩れかねない。
「まず斜面を確認します。亀裂や崩れそうな場所がないか見てください。まだ土砂には触れないでください」
ローデンの指示で神殿兵が左右へ分かれ、ミラも少し離れた位置から斜面全体を見る。
ガルドは入口の隙間へ顔を寄せた。
「奥まで詰まってるわけじゃねえな。空気は通ってる」
俺も覗き込むと、細い隙間の奥から僅かに冷たい空気が流れてきた。
ローデンがそこへ声を張る。
「聞こえますか!」
「聞こえる!」
今度ははっきり返事があった。
「中には何人いますか!」
「ほとんど全員だ! 百人より多い!」
「怪我人は?」
「いる! 今朝の崩れで何人か怪我した!」
「水と食料は残っていますか!」
「食い物はある! 水が少ない!」
百人を超える人間が閉じ込められ、負傷者までいる。
ローデンは作業中に入口へ近づかないよう伝えてから、救助の手順を決めた。
「まず水を通せる穴を作ります。その後で、人が安全に出られる幅まで広げましょう」
ミラの確認では、右側に新しい亀裂があり、そこは触らない方がよさそうだった。
ユリウスが比較的安定している左側へ杖を向ける。
「この辺なら、奥まで全部詰まってはいません。土だけ少し緩めます」
「お願いします。一気には動かさないでください」
「分かりました」
ユリウスの魔法で表面の土を少しずつ緩め、神殿兵が掻き出す。ガルドは大きな石だけを動かし、俺は絡んだ枝や根を切っていった。
「こういう使い方もできるんですね」
「この状況で吹き飛ばしたら、入口ごと埋まるからな」
「火力担当の印象が強かったので」
「俺だって毎回燃やしてるわけじゃないぞ」
しばらくすると、腕一本ほどが通る穴ができた。
水袋に縄を結び、奥へ押し込む。
「届いたぞ!」
向こう側から声が上がった。
これで、救出まで多少時間がかかっても水は渡せる。
あとは崩れないことを優先しながら、少しずつ入口を広げていった。
◇
昼を過ぎた頃には、横向きなら一人が通れる程度の隙間ができていた。
フィアナも作業を手伝おうとしたが、ローデンが止める。
「フィアナ様は治療に備えてください。中には怪我人がいます」
「でも、今も人手が必要でしょう」
「そのための人員はいます。治療が必要になった時に、治癒術師が疲れていては困ります」
フィアナはまだ何か言いたそうだったが、入口を見て頷いた。
「……分かりました」
「フィアナさん、作業してる人に水を回してもらえますか?」
「やります」
「お願いします」
水袋を抱えてすぐ動き始めたので、何もせず待つよりはその方が本人にも合っているのだろう。
もう少し入口を広げたところで、ガルドが隙間を覗き込んだ。
「俺が中を見るか」
「ガルドさん、その肩だと厳しくないですか?」
「……俺もそう思った」
「俺が行きます。中の状態だけ見て戻ります」
ローデンは入口を確かめてから頷いた。
「分かりました。腰に縄をつけてください。少しでも崩れる気配があれば戻ってください」
「了解です」
長剣を預け、短剣だけを残す。
腰へ縄を結び、身体を横にして隙間へ入った。
外から見る以上に狭く、途中からは腹這いになった。石や根へ装備を引っ掛けないよう身体を捻りながら進んでいく。
「アレンさん、大丈夫ですか!」
外からフィアナの声が届く。
「大丈夫です!」
数歩分ほど這ったところで、急に前が広がった。
◇
避難所の中は、想像していたより広かった。
石造りの空間が斜面の奥へ細長く続き、壁際には棚や木箱、樽が並んでいる。中央には大勢の村人が集まり、奥の仕切りの向こうからは家畜の鳴き声も聞こえた。
俺が穴から抜けた途端、何十人もの視線が集まる。
「外から来たのか?」
近くにいた老人が立ち上がった。
「ルミエルから来た巡礼団です。今、入口を広げています」
周囲の張り詰めた空気が少し緩んだ。
「外へ出られるのか?」
「もう少しかかります。でも水は送れます。怪我をした人はどこですか?」
老人に案内され、奥へ向かう。
負傷者は七人。そのうち二人は自力で歩かせない方がよさそうだった。
一人は脚が大きく腫れ、もう一人の女性は頭を打ったらしく、毛布の上で意識を失ったままだった。
「入口が崩れた時ですか?」
「そうだ。今朝、地面が揺れた直後にな」
「村を出たのは昨日ですよね?」
「ああ」
「何があって避難したんです?」
老人の答えは短かった。
「井戸がおかしくなった」
やはり水だった。
「二、三日前から妙にぬるくなってな。昨日には濁り始めて、牛まで飲みたがらなくなった」
「それで全員ここへ?」
「昔から決まってるんだ。井戸の水がおかしくなったら、家畜を連れて礼拝所へ逃げろって」
「理由は?」
「知らんよ。子供の頃からそう教えられてきただけだ。ここ自体は山火事や魔物の時にも使う」
水の異常だけのために作られた場所ではない。
それでも、井戸に異常が出た時の避難まで昔から決められていたことは気になった。
「もう少しで入口を広げます。動ける人は外へ出る準備をしてください。怪我人は治癒術師に見てもらってから運びます」
老人が頷くのを確認し、俺は外へ戻った。
◇
「どうでした?」
穴から出ると、フィアナがすぐ近くまで来た。
「全員生きています。怪我人が七人。二人は歩かせない方がいいです。一人は脚をかなり痛めていて、もう一人は頭を打って意識が戻ってません」
「中へ入れますか?」
「一人なら。ただ、まだ狭いです」
「なら私が――」
「もう少し広げてからにしてください」
ローデンが入口を見たまま答えた。
「途中で崩れれば、治療できる人まで閉じ込められます。安全を確認してからお願いします」
「……分かりました」
俺は井戸について聞いた話も伝える。
「数日前から水がぬるくなって、昨日は濁りも出たそうです。家畜まで飲まなくなった。それで、昔からの決まりに従って避難したと」
「井戸の異常があれば、ここへ?」
「そう教えられてきたそうです。理由までは知らないと」
ローデンが頷く。
「その話は村へ戻ってからベルナール殿にも報告しましょう。今は救助を続けます」
「はい」
フィアナは古い礼拝堂と石段を見上げた。
「ここ、本当に夢と同じです。石段も、建物も……中に大勢の人がいるところまで」
本人にも、それをどう受け止めればいいのか分からないのだろう。
「まず皆さんを外へ出しましょう」
「……はい」
そこへ、周囲を警戒していたミラが早足で戻ってきた。
「ローデンさん、少しいいですか」
「何かありましたか?」
「足跡を見つけました。村人のものじゃありません」
ガルドが立ち上がる。
「どこだ?」
「あっち」
俺も続く。
「フィアナさんは、ここで怪我人が出てきた時の準備をお願いします」
「分かりました」
◇
足跡は、礼拝堂から百歩ほど離れた林の縁に残っていた。
湿った土へ、深く割れた大きな蹄跡が沈んでいる。
ガルドがしゃがみ込み、形を確かめた。
「装甲猪だな」
俺も何度か相手にしたことがある。
肩から背中にかけて硬い外皮を持ち、正面から斬っても刃が通りにくい。突進をまともに受ければ、盾ごと人間を吹き飛ばすだけの力もある。
ミラが少し離れた場所を指した。
「もう一頭いる」
そこには同じ形の、僅かに小さい跡が残っていた。
「二頭か」
「少なくとも。どっちも今日の跡だと思う」
村人が避難したのは昨日だから、この二頭に追われて村を捨てたわけではない。
「まだ近くにいると思います?」
「分からない。でも、こっちも人が増えてるし、気づかれる可能性はある」
ミラは林の奥を見る。
「探しに行くより、ここを守った方がいいと思う」
「俺も同じだ」
ガルドが立ち上がる。
ローデンもすぐに方針を決めた。
「救助は続けます。ガルド殿とミラ殿は林側の警戒を。アレン殿とユリウス殿は作業を続け、接近があれば戦闘へ移ってください。神殿兵は村人の防護を優先します」
「分かりました」
わざわざ森へ入って二頭を探す理由はない。
近づいてこなければ、それでよかった。
◇
その後、入口は人が普通に出入りできるところまで広がった。
治癒術師が先に中へ入り、状態を確認してからフィアナも続く。
歩ける者は子供や老人から順に外へ誘導し、神殿兵が人数を数えながら礼拝堂の反対側へ移していった。重傷者二人は中で固定してから慎重に運び出す。
意識のない女性が外へ出ると、フィアナはすぐ治癒術師たちと状態を確認した。
「呼吸は?」
「浅いですが安定しています」
「分かりました。こちらを見ます。呼吸の確認を続けてください」
淡い光が頭部の傷を包む。
フィアナは一人で全部を抱え込まず、二人の治癒術師と役割を分けたまま治療を続けた。
最後に家畜も外へ出し、確認できた村人は百十人を少し超えた。
死者はいなかった。
日が西へ傾き始めていたため、重傷者を含む全員をすぐ村へ戻すのは難しい。ローデンが移動できる者と残す者を分けようとしたところで、林側を見ていたガルドとミラが戻ってきた。
「見つけました?」
「姿までは見てねえ」
ガルドは大剣を手にしたままだった。
「ただ、近いぞ」
ミラも弓を構えている。
「北側で音がした。同じ辺りを回ってる。こっちに気づいてるかもしれない」
その直後、森の奥から鳥が一斉に飛び立った。
木々の間で枝が大きく揺れ、低い唸り声が響く。
「来るぞ!」
ガルドの声が飛んだ。
ローデンが村人たちへ向き直る。
「全員、礼拝堂の反対側へ移動してください! 神殿兵は前へ。治癒術師とフィアナ様は負傷者のそばに残ってください!」
村人が動き、神殿兵が林との間へ並ぶ。
俺も剣を抜いた。
木々を押し分けて現れたのは、黒褐色の巨体だった。
猪に似た頭部を低く構え、肩から背へかけて岩のような外皮が盛り上がっている。太い前脚が地面を踏むたび、湿った土が深く沈んだ。
その後ろから、もう一頭が出てくる。
一頭目より僅かに小さいが、こちらも十分な成体だった。
「俺がでかい方を止める」
ガルドが大剣を構えた。
「アレン、もう一頭を見られるか?」
「分かりました」
「抜かれそうならすぐ言え。後ろに人が多すぎる」
「はい」
ユリウスが俺の少し後ろへ出て、杖を構える。
「ユリウスさん、俺を抜けそうなら止めてください」
「了解。足元を潰す」
ミラも射線を取るため横へ動いた。
装甲猪の硬い場所も、突進の癖も知っている。
問題は倒せるかではない。
後ろへ通さないことだ。
小さい方が前脚で土を掻き、頭を低くする。
俺は正面から僅かに位置をずらし、剣を構えた。
「来ます」
二頭が同時に地面を蹴った。




