第75話 使者
翌朝、俺たちは王城から迎えに来た馬車で神殿を出た。
王城へ向かう道では、瓦礫を積んだ荷車と復旧資材を運ぶ馬車が何度も行き交った。まだ通れない区画も残っているらしく、迎えの馬車は途中で二度ほど道を変えながら高台へ上っていく。
セレスから王都へ着いた翌日に初めて呼ばれて以来、地下の異常や神託の報告でも何度か足を運んだ。最初の時ほど身構えなくなったとはいえ、王城の外壁が近づいてくると、今でも少し肩に力が入る。
馬車を降りた時、左脚にはまだ僅かな硬さが残っていたが、歩く分にはもうほとんど気にならない。フィアナたちと並んで門をくぐり、呼び出し状を確認した近衛の案内で城内へ進んだ。
詰所で武器を預けている途中、ガルドの大剣が置かれた武器架のさらに奥に、見覚えのない戦斧があった。
長い柄の先についた刃は分厚く、飾りらしいものはほとんどない。ガルドの大剣でさえ普通の剣とは呼びにくいのに、その横へ並ぶとまだ細く見えた。
「オスカーのだ」
ガルドが俺の視線に気づいて言った。
「やっぱりか」
「あんなもん使う奴は、そう何人もいねえ」
数日前、王都冒険者ギルドへ『断岳』オスカー・ベルンが帰還したという連絡が届いている。クラウディアと並んで王国内に二人しかいない黒鋼級の一人で、名前だけなら王城へ初めて来た時から知っていた。
本人を見るのは今日が初めてだった。
近衛に案内された会議室には、すでに半数ほどが集まっていた。
長机の片側には軍と市の担当者、反対側には神殿と冒険者ギルドの関係者が座っている。セレスでの一件を聴取された時にも窓口になったマティアスは、今日も何人かの担当者と書類を確認していた。神殿の話でも軍の話でも、この人に確認すれば次に誰と話せばいいのかがすぐ決まる。
少し離れたところでは、ディートリヒが近衛と短く言葉を交わしていた。王城を守る近衛騎士団長で、事件の日も最後までここを離れなかった人だ。
クラウディアは窓に近い席にいた。
俺たちに気づくと片手を上げたものの、立とうとはしない。歩けるところまでは戻っているが、身体の向きを変える動きにはまだ慎重さが残っていた。
その向かいに座っていた男が、ガルドを見るなり笑った。
「おう。死に損なったな」
「お前に言われたくねえよ」
ガルドが間を置かず返す。
男が椅子から立ち上がると、詰所で見た戦斧の持ち主が誰なのかはすぐ分かった。
ガルドも十分に大柄だが、並んでもほとんど見劣りしない。灰褐色の短い髪には白いものが混じり、日に焼けた顔や首には古い傷がいくつも残っていた。肩から腕にかけての厚みまで見ると、あの戦斧がようやく人間の使う武器に見えてくる。
「脚は?」
「問題ねえ。肩はまだ少し残ってる」
「なら動けるな」
「お前の基準で決めるな」
オスカーが声を上げて笑った。
「お前もだいぶ戻ったじゃねえか」
今度はクラウディアへ向く。
「見た目だけ。剣はまだ止められてる」
「暇そうだな」
「王都がこんな時に西で古龍なんて出るからでしょ」
「俺に言うな。竜に言え」
「言えるならそうする」
クラウディアも笑ってから、俺たちへ視線を向けた。
「アレンたちは、オスカーと会うの初めてだったよね」
「はい」
オスカーがこちらへ向き直る。
「アレン・クロイツだな」
「はい」
「オスカー・ベルンだ。よろしくな」
差し出された手を握ると、指も掌も大きかった。力を試すような真似はせず、一度握るとすぐ離す。
「昨日、白金に上がったんだって?」
「そうです」
「二十で白金か。面倒なのが増えるぞ」
「ガルドにも似たようなこと言われました」
「だろうな」
「お前ほど面倒な仕事ばっか拾う奴もいねえだろ」
ガルドが横から言う。
「俺は拾ってねえ。でかいのが出ると呼ばれるだけだ」
「それを拾ってるって言うんだよ」
オスカーは気にした様子もなく笑い、フィアナとセレナが名乗ると、それぞれに自分の名を返した。
ほどなく奥の扉が開いた。
今日は儀礼のための席ではないので、レオポルトが入室しても立つ必要はないと、案内の近衛からあらかじめ伝えられている。誰も席を離れず、話していた者だけが口を閉じて入口へ顔を向けた。
レオポルトの後ろにはヴォルフラムが続いていた。
最初に王城へ来た際、北方で増えている部隊と物資の動きを説明した軍務卿だ。ディートリヒが王城と近衛を預かるのに対し、ヴォルフラムは王国軍全体をどう動かすかを見る立場にいる。
レオポルトも形式を気にする様子はなく、そのまま上座へ座った。
机の上には二種類の図面が用意されている。一つは王国北部からさらに北へ続く広域図、もう一つは王都と、その地下を示したものだった。
「始めよう」
レオポルトがヴォルフラムを見る。
「まず北方から頼む」
「承知しました」
ヴォルフラムは広域図を自分の前へ寄せ、三箇所へ小さな札を置いた。
「数日前にお伝えした状況から、さらに動きが増えています。こちらへの大規模な南下は確認されていませんが、北方内部で武装集団同士の衝突が複数発生しました」
最初に話を聞いた時は、兵と物資の移動が増え、小規模な接触も起き始めているという段階だった。それが一時的なものではなかったらしい。
「同じ場所で続いているのですか?」
フィアナが地図を見ながら尋ねる。
「いいえ。確認できているだけでも離れた三地域です。旗印も一致していませんし、所属を示さない集団もあります。同じ勢力が各地で動いているのか、複数の勢力が別々に衝突しているのかも、まだ判断できません」
「物資の流れは?」
セレナが聞いた。
「北へ運ばれる食料と武器、馬は増えています。一方で、南へ戻る商人や旅人も多いままです。少なくとも平時の動きではありません」
ガルドが北東側へ目を落とした。
「俺が見た頃より、さらに増えてるんだな」
「はい。ただ、王国への攻勢準備だと判断できる材料は依然としてありません」
こちらが警戒のつもりで兵を増やしても、北方から同じように見えるとは限らない。以前ヴォルフラムから聞いた話も、そこは変わっていなかった。
レオポルトは追加された報告を一通り聞くと、地図上の札へ視線を落とした。
「監視と偵察は増やす。ただし、北へ大きく兵を動かす判断はまだしない」
「私も現段階では、それが妥当と考えます」
ヴォルフラムが応じる。
「では次へ移ろう」
レオポルトの言葉を受け、マティアスが北方の地図を端へ寄せた。
代わりに王都地下の図面が机の中央へ広げられる。
見覚えのある旧水路の線と、その外側へ増えた印を追ううちに、俺は少しだけ身体を前へ寄せていた。
「事件後、地下へ通じる開口部はいくつか確認されています」
マティアスの言葉を受け、市の担当者が図面の上へ三枚の札を置いた。
「その多くは崩落が激しいか、地上側から確認できる範囲では先へ進めません。現在、調査隊を入れられると判断しているのはこちらの三箇所です」
三枚の札は、それぞれ別の開口部に置かれている。
「全部同時に入るのか?」
オスカーが尋ねた。
「その予定です」
市の担当者が頷く。
「三班に分けます。ただし、第二班と第三班は深く入りません。地上との連絡を維持できる範囲で、通路の形状、崩落箇所、ほかの区画との接続を確認します」
「一班は何人だ」
「十名前後です」
オスカーは図面へ視線を落としたまま、僅かに眉を寄せた。
「少なくねえか」
「多く入れても、内部では動けない可能性があります」
答えたのはヴォルフラムだった。
市の担当者が横に置いていた断面図を広げる。
「入口付近ですでに幅が一定ではありません。二人並べる場所もあれば、一人ずつしか通れない場所もあります。内部で崩落が起きれば、人数が多いほど後方が詰まりやすく、撤退にも時間がかかります」
「先頭で何か出ても、後ろに二十人並べたところで全員が戦えるわけじゃねえか」
ガルドが言った。
「そういうことです」
ヴォルフラムが頷く。
「地上側では捜索と復旧、各開口部の警戒も続いています。高位戦力を地下へ集中させるわけにもいきません」
オスカーは断面図をしばらく見てから頷いた。
「分かった。それなら十人でいい」
マティアスが三枚の札のうち二枚へ手を伸ばした。
「第二班と第三班は、今説明した通り浅い区画の確認を優先します。問題はこちらです」
残った一枚を指す。
「第一班は、この入口からさらに奥を調べます」
セレナが手元の資料を開いた。
「事件中に敵が地上へ出た場所だけを見るなら、もっと広く散らばっています。でも、事件前から確認していた灰色の構造物と旧水路の位置、事件後に見つかった開口部を重ねると、この周辺だけ地下の空間が外側へ広がっている可能性が高いの」
指先が現在の水路図から外れた線をなぞる。
「市の図面に載っていない部分が多いから断定はできないけど、位置関係を見る限り、完全に独立した区画ばかりとも考えにくい。三箇所の中なら、ここが一番奥へ続いている可能性が高いと思う」
「可能性、か」
レオポルトが確認する。
「はい。ここが中心だとまでは言えません」
セレナはすぐに答えた。
「施設自体が一つに繋がっているのかも分かっていません。ただ、最初に深く調べる場所を一つ選ぶなら、ここです」
俺も図面を見る。
灰色の構造物を最初に見つけたのも、この周辺だった。事件後に確認された開口部が書き加えられたことで、以前はそこで途切れていた図面の外側に新しい印が増えている。
「アレン殿」
マティアスに呼ばれて顔を上げた。
「文字についてはどうですか。第一班の入口を選ぶ材料になるものはありますか」
「今まで見た範囲ではありません」
俺は答えた。
「読めた表示も、施設全体の位置を示すようなものじゃなかったです。中で新しい表示が見つかれば確認できますけど、今ある文字だけで入口を選ぶのは難しいと思います」
「分かりました」
マティアスはそのまま書類へ書き込んだ。
「フィアナ殿は?」
今度はレオポルトが尋ねる。
フィアナは少し考えてから答えた。
「今、場所を選べるような感覚はありません。中でこれまでと同じような反応があれば、その時はすぐに伝えます」
「分かった」
レオポルトが頷く。
マティアスは別の紙を開いた。
「第一班の人員を確認します。オスカー・ベルン、ガルド・レイス、アレン・クロイツ、セレナ・ヴァイス、フィアナ・エルシェ。この五名を中核に、王国軍工兵、市の技術者、記録と連絡を担当する者を加えます。全体で十名前後に収める予定です」
ミラとユリウスの名前はなかった。
昨日会った二人の状態を思えば、最初から地下へ入れる案ではないのだろう。
「クラウディアは地上側だ」
ディートリヒが言った。
「分かってる」
クラウディアはあっさり答えた。
「今の状態で中へ行っても邪魔になるだけだしね。連絡と判断の方に回るよ」
「珍しく素直だな」
オスカーが横を見る。
「怪我してる時まで前に出るほど馬鹿じゃないよ」
「そうだったか?」
「治ったら確認する?」
「いつでもいいぞ」
「その話は後にしろ」
ディートリヒが二人を止めると、クラウディアは肩をすくめ、オスカーは笑ったまま図面へ視線を戻した。
「俺は先頭でいいのか?」
オスカーが尋ねる。
「状況次第だ。通常の通路では工兵と技術者の確認を優先する。敵が出たら、お前とガルドが前へ出ろ。撤退することになれば、どちらかが後ろを受け持て」
「分かった」
オスカーは断面図を自分の方へ引き寄せた。
「この辺りなら斧は振れる。こっちは狭いな」
太い指が、途中で幅の縮まっている箇所を示す。
「風も強くは使えねえ。天井ごと落としたら意味がないからな」
「どのくらいなら使える?」
ガルドが聞いた。
「中を見ねえと分からん。狭けりゃ抑える。広い場所まで出られたら話は別だ」
それだけ言うと、オスカーは断面図を元の位置へ戻した。
マティアスが次の書類を開く。
「連絡方法については――」
その時、扉が叩かれた。
近衛がすぐに応じ、短いやり取りのあとでディートリヒを見る。
「団長、正門から緊急の報告です」
「入れ」
扉が開き、別の近衛が部屋へ入ってきた。
「会議中、失礼いたします。正門に北方の者と思われる男が一名、現れました」
ディートリヒが椅子の背から身体を起こす。
「どこまで入れた」
「正門外です。こちらが制止した時点で止まりました」
「武装は」
「帯剣していましたが、自ら外して地面へ置いています。その後の武装解除と身体確認にも抵抗していません。現在は拘束した上で、正門詰所にて確保しています」
レオポルトが尋ねた。
「名は」
「ヴァレク・ノルガ、と名乗っています」
フィアナがこちらを見た。
俺も近衛へ顔を向けていた。
「北方盟主の使者として、陛下へ言葉を届けに来たと申しております。それ以外については、陛下に直接話すと」
ディートリヒの視線が俺へ向く。
「アレン殿」
「はい」
「セレスに現れた男と同じ名だな」
「同じです」
「王都南東で、お前を助けた者でもあると報告を受けている」
「はい」
あの時、ヴァレクが来なければ、俺は損傷した黒い人型に殺されていたかもしれない。
だが、セレスでフィアナを連れていこうとしたのも同じ男だ。
レオポルトが俺を見る。
「本人に間違いないなら、話を聞くべきだと思うか」
「はい」
そこまでは迷わなかった。
「王都で助けられたのは事実です。でも、セレスでは敵でした。何を考えてるのかも、まだ聞いてません」
「そうか」
レオポルトはそれ以上求めず、今度はフィアナへ視線を向けた。
「フィアナ殿。会うことに異議は?」
「ありません」
フィアナはすぐに答えた。
「私も、あの人が何をしに来たのかは聞きたいです」
レオポルトがディートリヒを見る。
「ここまで連れて来られるか」
「可能です。ただし拘束は解きません。近衛を増やし、陛下との距離も取らせます」
「それでいい。連れてこい」
「承知しました」
ディートリヒが近衛へ指示を出す。
報告に来た兵が部屋を出ると、廊下の向こうで人の動く音が増えた。扉の前にも近衛が二人追加される。
オスカーが椅子を僅かに引いて入口へ身体を向け、ガルドも同じように座り直した。
しばらくして、複数の足音が近づいてくる。
扉の前で一度止まり、近衛の声がした。
ディートリヒが頷く。
「入れ」
扉が開いた。
先に近衛が二人入り、その後ろから両手を拘束された男が姿を見せる。
黒い旅装に、髪際から後ろへ伸びる二本の角。
暗い赤の目が室内を見渡し、最後に俺とフィアナのところで止まった。
間違いない。
ヴァレク・ノルガだった。




