第74話 約束
二日後、王都神殿で合同葬儀が行われた。
事件から九日が経った時点で、死亡が確認された者は二千七百人を超えている。それでも全容には遠く、崩れた建物の下や焼けた街区、地下へ続く崩落箇所では捜索が続き、所在の分からない者が千三百人近く残っていた。負傷者まで含めれば、その数は一万人を大きく超えている。
王都で亡くなったすべての者を、一度に送り出せるわけではなかった。
まだ身元の確認が終わっていない遺体もある。行方不明のまま、生死すら分からない者もいる。
それでも、軍、市、神殿、冒険者ギルドで死亡が確認された者については、遺族が集まれる範囲で一度大きな葬儀を行うことになったらしい。
神殿の敷地へ入った時、最初に目についたのは人の多さだった。
兵士の制服、市職員の服、冒険者の装備、普段着のまま来ている家族。怪我のため杖を使う者もいれば、腕を吊ったまま参列している者もいる。
俺たちも全員が元通りではなかった。
ミラは右肩をまだ大きく動かせず、歩き方にも少し硬さが残っている。ユリウスは長く立つことを治癒師に止められているため、神殿側が用意した椅子へ座っていた。
フィアナは俺の隣にいる。
いつもと変わらない距離のはずなのに、ふと右手へ意識が向きそうになり、やめた。
「アレン?」
「何でもない」
「そう?」
フィアナは少し首を傾げたものの、それ以上は聞かなかった。
少し離れたところにはガルドとセレナがいて、その向こうにはハンナの姿も見える。
神殿の前方には、死亡が確認された者の名前が所属ごとに掲げられていた。
軍人や近衛、神殿兵、冒険者、市職員、そして市民。
長い板や紙面を使って何列にも分けられているが、それでも一度には収まり切らないらしく、横には追加の名簿まで置かれている。
俺の知らない名前ばかりだった。
式では、その一人一人を読み上げることはしなかった。
神官が死者と、まだ戻っていない者のために祈りを捧げ、軍、市、神殿、ギルドそれぞれの代表が前へ進む。参列者も順に花を置き、言葉を交わす者もいれば、ただ頭を下げてその場を離れる者もいた。
式が終わったあと、俺は名簿の前へ向かった。
最初に探したのは冒険者の列だった。
名前を追っていくうちに、一つだけ見慣れたものがある。
レナード・フォーゲル。
その前にも後ろにも、知らない名前が並んでいた。
少し離れたところでは、ミラとハンナも同じ名簿を見ている。
二人とも何も話していない。
俺はそこから市職員の列へ移った。
しばらく探して、見つける。
エーベル・ハルトマン。
目の前に道路が浮かんだ。
石畳に広げられた図面と、転がった測量道具。その近くに落ちていた、片方だけの手袋。
名前の上下には、やはり俺の知らない者たちが続いている。
隣に来たフィアナが、何も言わず同じ場所を見た。俺も、そのまましばらく動かなかった。
「アレンさんですか?」
後ろから聞こえた声に振り返った。
十歳くらいの男の子がこちらを見上げている。その横には、黒に近い服を着た女性が立っていた。
顔を見たことはない。それでも、誰なのかはすぐ分かった。
「……そうです」
男の子が母親を見上げる。
「やっぱり」
女性が俺へ頭を下げた。
「エーベルの妻です」
「アレン・クロイツです」
名乗りながら、次に何を言えばいいのか分からなくなった。
会ったら何を話すのか、何度も考えたはずだった。
間に合わなかったことを伝えるのか。自分が仕留め切れなかった敵だったことまで話すのか。最初に謝るのか。
けれど、実際に二人を前にすると、用意していた言葉はほとんど役に立たなかった。
先に口を開いたのは男の子だった。
「父さんが話してました」
「俺のことを?」
「うん。地下を一緒に見た冒険者だって」
エーベルが笑いながら息子の話をしていた時の顔を思い出す。
「いつか会わせるって言ってた」
胸の奥が少し詰まった。
「俺も、会うって約束してた」
「本当?」
「ああ」
男の子は一度母親を見てから、また俺を見る。
「父さん、忘れてなかったんだ」
「忘れてなかったよ」
少なくとも俺へ話した時のエーベルは、本当にそのつもりだった。
「父さん、俺が冒険者好きだって言ってた? 特に強い人が好きなんだ」
「うん、聞いたよ」
「俺が何でも聞くから面倒だって言ってた?」
「そこまでは言ってないかな」
少しだけ口元が緩んだ。
「そのうち直接聞いてくれって言われた」
「何を?」
「冒険者のこと。俺から聞くより本人に聞いた方がいいって」
男の子が小さく笑い、それから少し迷うように足元を見た。
「父さん、最後まで仕事してた?」
喉の奥が詰まりそうになった。それでも、これは答えられる。
「してたよ」
男の子は動かなかった。
「道を見て、人を通してた。荷車がちゃんと抜けられるか確かめて、ほかの市の人たちにも指示してた」
「いつもみたいに?」
「うん。俺が見た時は、いつも通りだった」
「そっか」
それだけ言って、男の子は黙った。
隣の女性が息子の肩へ手を置く。
「ありがとうございます」
「俺は……」
一度、言葉が止まる。
「間に合いませんでした」
それだけは言わなければならないと思った。
女性はすぐには答えず、俺の顔を見ていた。
「主人が亡くなった場所に、あなたがいたことは聞いています」
「はい」
「詳しいことは、まだ市から説明を受けている途中なんです」
責める声でも、慰める声でもなかった。
「でも、この子には、父親が最後に何をしていたのか知ってほしかったので」
女性は隣の息子を見る。
「今の話を聞けてよかったです」
返す言葉が見つからなかった。
「……はい」
それしか言えなかった。
男の子が俺を見上げる。
「今度、冒険の話してくれる?」
一瞬、「俺でよければ」と言いかけてやめた。
「もちろん」
「じゃあ、また会える?」
「ああ」
「約束?」
「約束だ」
男の子は頷いた。
母親に促され、二人が人の流れへ戻っていく。
俺はその背中が見えなくなるまで立っていた。
「アレン」
フィアナの声で、ようやく隣を見る。
「大丈夫?」
「……うん」
完全に大丈夫かと聞かれれば違う。それでも、今の返事を嘘だとは思わなかった。
*
午後、俺たちは王都冒険者ギルドへ呼ばれた。
合同葬儀の直後に何の話かと思ったが、案内された二階の部屋へ入ると、机の上に一本の弓が置かれていた。
ミラの足が止まる。
見覚えがある。
レナードが訓練場でも使い、あの夜も持っていた弓だった。
机の横にはハンナが立っている。
「来たね」
「……それ」
ミラの声が少し低くなる。
「うん」
ハンナは弓を見下ろした。
「私が回収した。ずっとギルドに預けてたやつ」
ミラは近づいたものの、すぐには触れなかった。
「何でここに?」
「遺品の整理で、この弓をどうするか確認があった」
ハンナはそこで一度言葉を切った。
「レナードが、ミラに渡せって言い残したわけじゃないよ」
「うん」
「そんな話する時間なかったから」
ミラの表情は変わらなかった。
「私たちで話した」
「私たち?」
「レナードと長く組んでた連中。それとギルド」
ハンナが弓へ手を置く。
「このまま倉庫に置くより、あんたが持ってた方がいいってことになった」
「私が?」
「嫌なら断っていい」
ミラは弓を見たまま黙っていた。
「レナードが何を考えてたかなんて、本人にしか分からない。だから、きっとあんたに使ってほしかったとか、そういう話をするつもりもないよ」
「……うん」
「でも、最初の訓練は私も一緒にやったし、その後も何度か見てる。レナードがあんたの話をしてたこともある」
そこで初めて、ミラが顔を上げた。
「何て?」
「射つ方は十分だって。問題は、その前と後だって」
ミラが少しだけ目を細める。
「それ、直接も言われた」
「だろうね」
ハンナは弓を持ち上げ、ミラへ差し出した。
「受け取る?」
ミラはしばらく動かなかった。
やがて左手を出し、弓の中央を掴む。右肩を庇っているため、持ち上げるだけでも少し不自然な姿勢になった。
「重い」
「普通の弓じゃないからね」
「今の私じゃ引けない」
「今は肩も治ってないでしょ」
「治っても、すぐには無理だと思う」
「なら練習すればいい。使うかどうかも、そのあと決めればいいよ」
ハンナは手を離した。
ミラは弓を胸元へ寄せるでもなく、手の中でしばらく重さを確かめていた。
「……分かった」
少し間を置く。
「預かる」
その言い方を、ハンナは訂正しなかった。
「ハンナ」
「何?」
「ありがとう」
「私に言うことじゃない」
「それでも」
ハンナは少しだけ視線を逸らした。
「じゃあ、聞いとく」
それからミラの手にある弓をもう一度見て、扉の方へ向かう。
「私は下に戻るよ。ミラも、まだ肩は治ってないんだから無理しないで」
「分かってる」
「じゃあね」
ハンナは扉を開け、部屋を出ていった。
部屋の隅では、ユリウスが椅子へ深く腰を下ろしている。
「俺たち、これを見るために全員呼ばれたのか?」
「お前は座ってるだけだろ」
「座ってるのも地味に痛いんだよ」
脇腹を庇うように身体をずらすと、隣にいたセレナが呆れたように見る。
「だったら喋らず休んでいればいいでしょう」
「喋るくらいは許してくれ」
少しだけ空気が緩んだところで、扉が開いた。
入ってきたのはギルド本部の上級職員で、手には何枚かの書類を持っている。
「揃っていますね」
職員は俺たちを見回し、空いている席へ座った。
「本来なら日を改めてもよかったのですが、この先の王城との協議もありますので、先に伝えておきます」
机へ三枚の書類が置かれる。
「今回の王都防衛に関する報告と、それ以前の活動記録をもとに、昇級審査が行われました」
ミラがレナードの弓から顔を上げ、ユリウスも姿勢を少し直した。
「ミラ・セイン。銀級から金級へ」
「……私?」
「ユリウス・フェルナー。銀級から金級へ」
「……俺も?」
「はい」
職員は最後の一枚を見る。
「アレン・クロイツ。金級から白金級へ。それぞれ昇級が承認されています」
すぐには意味が入ってこなかった。
「白金……?」
「はい」
「俺が?」
「あなた以外にアレン・クロイツはいません」
「それは分かってます」
隣でガルドが鼻を鳴らした。
「随分間の抜けた顔するな」
「いや、普通驚くだろ」
「候補には上がると思ってたぞ」
「聞いてないけど」
「言ってねえからな」
相変わらずだった。
職員が書類へ目を戻す。
「誤解がないよう先に言いますが、今回一度の戦闘だけで決まったものではありません」
俺たち三人を見る。
「ミラ・セインについては、これまでの依頼実績に加え、王都での索敵、射点判断、避難路周辺の状況把握、統制体戦での射撃支援を評価しています。単独で金級相当と判断されました」
ミラは手の中の弓を一度見た。
「レナードに教わったことも使いました」
「それもあなたの実績です」
職員は淡々と答える。
「教わったことを実戦で使えるかどうかは、本人次第ですから」
ミラは何も返さなかった。
「ユリウス・フェルナーについても同様です。火力だけではなく、敵群の分断、進路制限、避難路維持、味方への支援を含めた総合評価です」
「途中で寝てましたけど」
「重傷で戦闘不能になったことを、評価から減点しろと?」
「いや、そういうつもりじゃ」
「なら黙って受け取ってください」
「はい」
セレナが横を向いて笑いを堪えている。
最後に職員の視線が俺へ来た。
「アレン・クロイツについては、王都事件だけではありません。これまでの依頼で示した判断力、複数人を動かす能力、格上の相手を含む戦闘での対応、今回の王都防衛での行動を総合しています」
「でも、白金級って」
「純粋な一対一の戦闘力だけで等級を決めているわけではありません」
職員がガルドへ目を向ける。
「当然、現時点でガルド・レイスと同じだけ戦えるという意味でもない」
「当たり前だ」
「本人より先に答えないでください」
「悪い」
全く悪びれていない。
職員は俺へ視線を戻した。
「白金級には、本人が戦えるだけでは足りません。高難度の依頼で状況を見て、必要なら他の冒険者をまとめ、依頼そのものを成立させる能力が求められます」
白岩街道の護衛を思い出した。
セレス修道院でヴァレクと戦った時も、王都で統制体を相手にした時も、一人でどうにかしたわけではない。
それは分かる。説明としても納得できる。
それでも、神殿で見た名簿が浮かんだ。
レナード。
エーベル。
その前後に並んでいた、俺の知らない名前。
二千七百人を超える死者と、まだ見つかっていない千人以上の人たち。
南東の道路で、あと半歩届かなかった時の感触まで戻ってくる。
「……辞退できますか」
職員がわずかに眉を上げ、ミラとユリウスもこちらを見る。
「制度上は可能です。理由は聞きますが」
「なら――」
「馬鹿言うな」
ガルドの低い声に遮られた。
「ガルド?」
「何のために断る」
「何のためって」
「死人が出たからか」
言葉に詰まった。
ガルドは椅子の背から身体を起こし、俺をまっすぐ見る。
「エーベルのことか。レナードか。それとも、お前が名前も知らねえ連中まで全部か」
「……それもある」
「だったら余計に断るな」
思わず眉を寄せた。
「どういう意味だよ」
「白金を何だと思ってる」
「それは――」
「勲章じゃねえぞ」
ガルドはそこで一度言葉を切った。
「よくやりましたって首から下げる飾りでもねえ。白金ってのは、こいつならこの仕事を任せられるって、ギルドが責任持って外へ出すための等級だ」
職員は口を挟まなかった。
「お前が今回のことで、自分はそこまで任せられねえって思ったなら断れ。判断もできねえ、人も見られねえ、次に同じことが起きても何もできねえって思うならな」
「そこまでは思ってない」
「なら何で断る」
返せなかった。
「死人が出たことと、お前に次の仕事を任せるかは関係ねぇ」
エルンストに言われた言葉とは少し違う。それでも、聞いているうちに同じところへ引っかかっている気がした。
「気に入らねえなら、白金になってから次はもっと上手くやれ」
ガルドはそれだけ言って背もたれへ戻った。
「以上」
「雑だなぁ」
「細かく言っても同じだろ」
ユリウスが小さく笑い、すぐに脇腹を押さえた。
「痛いなら笑うなよ」
「今のは無理だろ」
「何がだ」
「最後だけ急にガルドだった」
「最初から俺だ」
セレナがとうとう吹き出し、俺も少しだけ息を吐く。
神殿で、エーベルの息子と約束した。また会って、冒険者の話をすると。
その時に、何を話せる人間でいたいのか。
そこまで考えてから、机の上の書類へ目を戻した。
「……受けます」
職員が頷く。
「分かりました」
「すみません」
「辞退できるか確認すること自体は問題ありません。ただし、次からはもう少し考えてから口にしてください」
「はい」
「二十歳で白金なんて言われた直後に冷静に考えろってのも無理だろ」
ガルドが横から言う。
「どちらの味方なんですか」
「別に誰の味方でもねえよ」
職員は一度目を閉じた。
「話を続けます」
「お願いします」
何かが軽くなったわけではない。神殿で見た名前も、エーベルの息子の顔も消えてはいなかった。
「正式な登録変更はこちらで進めます。装備や受注権限については、登録変更後に改めて説明します。それと、ミラ・セイン、ユリウス・フェルナー」
職員が二人を見る。
「まだ治療中であることを忘れないように。身体が戻るまでは、昇級後の依頼を受けることも認めません」
「はい」
「分かってる」
「その返事をする人ほど信用できないんですが」
「俺、何かした?」
「先ほどから椅子の座り方を三回変えています」
「痛いんだよ」
「だから休めと言っています」
ユリウスが何とも言えない顔をするのを横目に、職員は俺へ顔を向けた。
「アレン・クロイツは、明日の朝、王城へ来てください」
「王城?」
「今回の地下施設と、北方で確認されている動きについて協議があります。フィアナ・エルシェ、セレナ・ヴァイス、ガルド・レイスも出席するようにとのことです」
部屋の空気が少し変わった。
「北方も?」
「詳しい内容は王城で」
職員はそれ以上答えず、書類をまとめて立ち上がった。
扉が閉じたあと、しばらく誰も動かなかった。
「王城って、また面倒そうだな」
ユリウスが言う。
「お前は呼ばれてないだろ」
「分かってるよ。王城には興味ない。話には興味あるけど」
セレナが首を傾げた。
「それなら後で教えてあげるわ」
「珍しく優しいな」
「治療中の人を退屈させると、勝手に動きだすしね」
「信用ないなあ」
「あるわよ。勝手に動く方への」
「それ信用って言わないだろ」
ガルドが立ち上がる。
「アレン」
「なんだ」
「明日、遅れるなよ」
「分かってる」
「白金になった初日から王を待たせるのも面白いがな」
「面白くないだろ」
「俺は面白い」
「ガルドはそうだろうな」
ミラが小さく笑った。その手にはまだレナードの弓があり、構えるでも弦へ触れるでもなく、ただ手放さずに持っていた。
俺の前には、白金級への昇級を記した書類が残っている。
書類を見ても、最初に浮かんだのは白金級という文字ではなく、神殿で会った少年の顔だった。
『約束?』
『約束だ』
窓の外では、王都の瓦礫を運ぶ荷車の音が続いていた。




