第67話 報せ
エルンストを乗せた担架が通りの角へ消えてからも、こちらの戦闘はしばらく続いた。
旧水路の開口部はまだ警戒を解けず、ガルドとセレナはそちらに残っている。俺はまだ動けたので、兵士や冒険者と一緒に、隣接する第1師団側の残敵掃討へ回されていた。
第1師団が統制体を倒したことで、黒い獣同士の動きは明らかに崩れている。さっきまでなら一体を追えば別の一体が進路を塞ぎ、兵士の隊列が乱れればそこへ別の個体が食いついてきたが、今は目の前の相手へそれぞれが襲いかかっているだけだった。
それでも、一体ごとの力まで落ちたわけではない。
「右を詰めてくれ。そこから抜ける」
声をかけると、建物側を守っていた二人の兵士が盾を寄せ、その間へ槍を持った男が入った。
正面の黒い獣が前脚を開き、石畳へ固定する。
「一歩下がれ!」
三人が揃って退いた直後、黒い獣が固定した前脚を軸に身体を押し出し、白灰色の杭がさっきまで盾のあった場所へ一直線に打ち出された。
見慣れた予備動作だった。
杭が戻るのを見て左側から入ろうとしたが、二歩目を踏んだところで左脚の奥に鋭い痛みが走った。身体がわずかに遅れたので無理に距離を詰めず、剣先で前脚の内側を示す。
「そこを狙ってくれ!」
二本の槍が伸びた。
黒い獣が身体を振って槍を外そうとしたところへ一歩だけ入り、開いた肩の継ぎ目へ剣を差し込む。深追いせず横へ抜けると、反対側から冒険者が首を狙い、その直後には盾兵が体当たりするように押し込んだ。
傾いた巨体へさらに槍が入り、黒い獣が石畳へ沈む。
「まだやれるか?」
近くにいた兵士が俺を見る。
「今のくらいなら」
「足、引きずってるぞ」
「走らなければ大丈夫だ」
「それを大丈夫とは言わないだろ」
そう言う男も盾の縁を大きく欠き、額から血を流していた。
「そっちも人のこと言えないだろ」
「俺は盾が壊れてるだけだ」
「頭から血が出てる」
「これは浅い」
「俺の脚も似たようなものだ」
言い合っている間にも、残った黒い獣を兵士と冒険者が道の奥へ追い込んでいた。
統制が消れたことで、戦い方そのものはずっと単純になっている。複数の盾で正面を止め、横から槍を入れ、動きが鈍ったところへ冒険者が継ぎ目を狙う。そこへ別の個体が合わせてくることがないだけで、同じ人数でも随分と余裕が生まれていた。
そのぶん、今まで視界へ入っていても意識を向ける余裕のなかったものまで見える。
通りの端では脇腹を押さえた兵士が治療を受け、その少し先では負傷者を乗せた担架が何度も行き来している。瓦礫の陰には、すでに布をかけられた人間もいた。
「残り一体! 正面で止めろ!」
通りの先から声が飛んだ。
何人もの兵士へ続けざまに指示を出している、指揮官らしい男がいる。鎧も周囲の兵士より上等で、伝令が次々とそこへ集まっていることから、この辺りをまとめている立場なのは分かった。
俺も前へ出ようとしたが、近くにいた年嵩の冒険者が肩へ手を置いた。
「お前はいい。もう十分だ」
「まだ剣は振れます」
「振れるのは見ていた。問題はそこじゃない」
男は俺の左脚へ目を落とす。
「一歩遅れたら、誰かがお前の分まで動くことになる。今は人数が足りてるんだから休め」
言い方は気に入らないが、間違ってはいなかった。統制体がいた時なら多少無理をしてでも一人でも多く前へ出る必要があったが、今は兵士たちだけでも黒い獣を押さえ込めている。
「……分かりました」
「素直だな」
「気が変わる前に行ってください」
「はいはい」
男が笑いながら前へ戻る。
俺は通りの端へ寄り、剣を鞘へ収めた。
身体を止めると、今まで意識の外へ押し出していた痛みが一度に戻ってくる。左上腕は脈打つたびに傷の周りが熱を持ち、右肩も重い。なにより左脚は、普通に立っているだけなら問題ないものの、強く踏み込んだ瞬間に奥から痛んだ。
しばらくして最後の一体が倒れたが、大きな歓声は上がらなかった。
盾を地面へ置いてその場に座る者もいれば、すぐに負傷者のところへ向かう者もいる。さっきの指揮官らしい男は息をつく間もなく周囲へ命令を飛ばし、通りを塞いだ瓦礫や黒い獣の死体を避けて、避難民と担架が通れる幅を作らせ始めた。
俺も何か手伝おうと周囲を見たところで、旧水路側から冒険者が一人走ってきた。
「アレン!」
革鎧は泥と血で汚れていたが、見覚えのある男だった。
「向こうは?」
「まだ残ってる奴を片づけてる。ガルドとセレナが開口部から離れずに抑えてるから、すぐ崩れるような状態じゃない」
「フィアナは?」
「治療の方だ。ミラとユリウスも治療所へ運ばれてる」
二人が生きて後送されたことを聞いて、ようやく少し肩の力が抜けた。
さっき俺が見た時、ユリウスは意識こそあったものの自力で起き上がれず、ミラも右肩と脚を痛めていた。そこから先はフィアナと治療師に任せるしかなかったので、無事に治療所まで運ばれたというだけでも十分だった。
「そっちは?」
男が俺の身体を見回す。
「片づいた」
「そうじゃなくて、お前だよ」
「歩ける」
「その答え方する奴はだいたい治療所に行くべきなんだよな」
「ここが落ち着いたら行く」
「セレナに聞かれたらそう言っとくぞ」
「本人には言わなくていい」
「俺は知らん」
肩をすくめた男の向こうから、今度は軍の伝令が走ってきた。
「第2師団方面より報告!」
通りにいた者たちの視線が集まる。
伝令は先ほどの男を見つけると、その前まで駆け寄った。
「師団長! 第2師団、統制体一体の撃破を確認! 残敵の掃討へ移っています!」
第1師団長だったらしい。
「被害は?」
「甚大とのことです。詳細はまだ集計中ですが、指揮系統は維持されています!」
「分かった。中央にも回せ」
「はっ!」
伝令が走り去る。
第1師団に続いて、第2師団も一体。
知らない相手へ最初からうまく戦えたはずはない。それでも部隊を立て直し、倒すところまで持っていったらしい。
少し前まで近くから繰り返し響いていた、統制体の照射が建物や石畳を穿つ衝撃音も、いつの間にか途絶えている。
その静けさに慣れるより先に、別の方向からまた伝令が来た。
「王城方面!」
近衛の印をつけた兵士が第1師団長のもとへ駆け寄る。
「王城付近の統制体一体、撃破を確認! 近衛騎士団および守備隊は周辺の残敵処理を継続しています!」
第1師団長が短く頷く。
「騎士団長は?」
「ご無事です。引き続き王城の防衛指揮を執っています!」
その言葉に、周囲の兵士たちから安堵の息が漏れた。
王城そのものが戦場になった以上、近衛も無傷では済んでいない。それでもディートリヒが指揮を続け、統制体を一体倒したことだけは分かる。
続いて東区からも伝令が入り、アルノルトの生存と、現地でまだ指揮を続けていることが改めて伝えられた。
その名前はすでに一度聞いていたが、正式な報告としてもう一度確認できたことで、胸の奥が少しだけ軽くなる。前線で剣を振れる状態ではないはずなのに、まだ指示を出しているらしい。
アルノルトならそうするだろう、とだけ思った。
伝令が第1師団長へ細かな状況を伝えている横を、別の担架が通っていく。
布の下から血の染みた脚が見え、その後ろには頭まで布をかけられた者が二人続いていた。
空を見上げると、西に残っていた赤みもかなり薄くなっている。崩れた建物の上の方にはまだ夕方の光が当たっていたが、通りの大半はすでに影に沈み、昼過ぎから続いている騒ぎの間に夜がすぐそこまで来ていた。
その時、冒険者ギルドの腕章をつけた男が西側から走ってきた。
「西区より報告!」
第1師団長が振り向く。
「統制体一体、撃破済みです。黒い獣の連携は崩れ、軍と冒険者で残敵の掃討を続けています」
「被害は?」
男がわずかに言葉を切った。
「多数です。集計はまだ終わっていません」
「分かっている範囲でいい。続けろ」
「白金級冒険者――『銀隼』レナード・フォーゲルの死亡を確認しました」
通りの音が消えたわけではない。
瓦礫を動かす音も、負傷者を呼ぶ声も、遠くの戦闘音も続いているのに、その名前だけは妙にはっきり耳へ入った。
「……レナードが?」
思わず口から出た。
伝令がこちらを見る。
「はい。統制体との戦闘で致命傷を負ったあとも攻撃を続け、首元へ大きな損傷を与えたとのことです。残った冒険者たちがその傷へ攻撃を集中し、撃破に至っています」
そこまでは聞こえたが、その先で男が何を話していたのか、一瞬だけ頭に入ってこなかった。
訓練場でミラの射撃を見ていたレナードの姿が浮かぶ。
ミラは王都へ来てから何度も彼のところへ通い、教わった射ち方や立ち位置を訓練場で繰り返し試していた。
そのミラは、今は治療所にいる。
もう知っているのか、それともまだ知らないのか。
どちらにしても、俺がここで聞いたばかりの話を持って治療所へ行くことではない。西側にはその場にいた者が生きているし、ギルドから正式な連絡も行くだろう。
「統制体を直接迎撃していた者だけでも、レナードを含め七名以上の死亡が確認されています。重傷者も多数です」
伝令はそこで一度息を継いだ。
「西区全体では、兵士や冒険者、市民を合わせて死者はすでに数十名。まだ確認できていない区画もあります」
第1師団長の表情がさらに硬くなる。
「分かった。中央へ回してくれ」
「はい」
伝令は頭を下げ、そのまま次の報告先へ向かった。
俺はしばらく西の方を見ていた。
「アレン」
旧水路側から来た冒険者が隣へ立つ。
「聞いた」
「ああ」
それだけで会話は終わった。
何かを言っても変わらないし、今はまだ言葉にする必要もなかった。
その後も伝令が何度か行き来し、各方面から届いた情報が中央を経由して整理されていった。
やがて、中央から来た兵士が第1師団長へ告げる。
「各方面からの報告を照合しました。現時点で、統制体六体の撃破を確認しています」
同じ王都の中で六体もの統制体と戦い、そのすべてを倒したという数字だけが先に揃った。そのために死んだ人間が何人いるのかは、まだ誰にも数えきれていない。
「ほかに確認されている個体は?」
「現時点では――」
兵士が答えようとしたところで、通りの向こうから別の伝令が飛び込んできた。
これまでの者たちとは走り方が違った。人を避ける余裕もないらしく、何人かの肩をかすめるように抜けてこちらまで来ると、膝へ手をついて一度だけ大きく息を吸った。
「北東方面! 避難区域へ続く街路で統制体を確認!」
第1師団長がすぐに顔を向ける。
「数は?」
「三体です!」
周囲がざわつく。
「確認は取れているのか?」
「はい! 三体とも同型です。避難区域へ接近しています!」
第1師団長は一瞬だけ黙り、すぐに周囲へ指示を飛ばし始めた。
「動ける者をまとめろ! 残敵処理に必要な人数は残せ! 伝令は隣接する部隊にも回れ!」
兵士たちが動く。
俺も反射的に前へ出かけ、左脚へ体重を乗せたところで痛みが走った。
近くにいた年嵩の冒険者が、それを見て腕を出す。
「どこへ行く気だ」
「北東です」
「走れるのか?」
普通に歩くことならできるが、今必要なのは急いでそこまでたどり着き、着いたあとにも戦える人間だ。無理をして走れば、途中で脚が止まる可能性の方が高い。
答えられずにいる俺から視線を外し、第1師団長が伝令へ聞いた。
「現地の戦力は?」
「守備隊が避難誘導を継続しています。統制体三体とは――『嵐冠』クラウディアがすでに交戦中です!」
思わず顔を上げた。
「クラウディアさんが、三体を?」
伝令はこちらへ一瞬だけ視線を向けたが、すぐ第1師団長へ報告を続ける。
「『嵐冠』が三体を引きつけています。その間に守備隊が避難民を北側へ流していますが、周囲には黒い獣も残っています!」
「増援を急がせろ!」
第1師団長が声を張る。
走れる兵士たちが北東へ向かい始め、まだ動ける冒険者も何人かその後に続いた。
ここから歩いて向かったところで、着く頃には戦いがどうなっているか分からない。無理に走れば、戦場へ着く前にこの脚を使えなくする。
俺はその流れを見送るしかなかった。
クラウディアが一体を相手にするところなら想像できる。訓練場で二度剣を交えた時、俺ではまともに追えない速さで動きながら、周囲の状況まで全部見ていた。
それでも、あの統制体を三体まとめて相手にしていると聞いて安心できるほど、俺はあいつらを軽く見られなかった。
崩れた建物の上には西の空の赤みがまだわずかに残っていたが、通りはもう薄暗い。
北東側はここから見えない。
しばらくして遠くで何か大きなものが砕ける音が響き、その少しあと、屋根の上を漂っていた煙が一度だけ大きく流れた。




