第63話 銀隼
「ハンナ、そこはもう見られてる。西へ二軒移れ」
向かいの屋根からレナードの声が飛んできた。
私は返事の代わりに小型弩を構え、通りを走る黒い獣の前脚へ二本目を撃ち込んだ。一本目とほとんど同じ場所に当たり、外殻の隙間へ矢尻が沈む。
仕留めるには足りなかったが、踏み込みが鈍ったところへ下にいた槍使いが横から穂先を入れたので、私はそれ以上狙わず屋根の反対側へ走った。
「移る!」
後ろにいた射手へ声を掛け、隣の建物へ飛び越える。さらにもう一軒西へ渡ったところで振り返ると、さっきまで私がいた屋根へ黒い獣が爪を掛けていた。
「危なかった……」
「二本撃ったら移る。三本目を欲張ると、今みたいになるよ」
レナードはそう言いながら、こちらを見ることもなく弓を引いた。
弦が鳴り、矢が黒い獣の肩口へ深く突き刺さる。私の矢ではわずかに動きを鈍らせるだけだった巨体が横へよろめき、その隙に下の二人が踏み込んで、外殻の継ぎ目へ槍と剣を続けた。
同じ射手でも、レナードの矢は威力からして違う。
使っている弓そのものが強いだけではない。身体強化を腕と背中へ集中させて強弓を引き切り、放つ瞬間には矢にも魔力を乗せている。訓練で何度も見ていた射法だったが、黒い獣を相手にすると、その違いは嫌でも分かった。
「落ちた!」
下から声が上がり、黒い獣が石畳へ伏す。
「そっちは終わり。右の前衛が薄い!」
レナードの声に合わせて、屋根の上にいる射手たちが位置を変える。
西区へ集められた冒険者は二十人を少し超えていた。十人あまりが剣や槍、盾を持つ前衛で、残りを射手と魔術師、治癒や連絡を担当する者が埋めている。
地面の裂け目は三か所。
最初に出てきた魔物は数こそ多かったが、こちらへ向かわず逃げていく個体も多かった。その後に現れた黒い獣は一体ごとの強さがまるで違ったものの、前衛が向きを変え、射手が外殻の継ぎ目を狙い、危なくなれば位置を変えるという形で、今のところは押さえ込めている。
それをまとめているのがレナードだった。
「右奥、一体下がってます!」
屋根から声を落とすと、後脚を傷つけた黒い獣が路地の奥へ退いていく。
「追わなくていい!」
「まだ動けるぞ!」
下の剣士が返した。
「足をやってる。追って二人抜くより、前にいる奴を先に減らそう」
剣士はすぐに向きを戻す。
私なら、弱った今のうちに仕留めたいと思ったかもしれない。それでもレナードは一体だけを見ず、前衛の人数と射手の位置、その先に残る相手まで含めて判断していた。
「ハンナ、その屋根の東側は使うな。黒いのが壁まで来てる」
「分かりました」
「南側に降り口を残して。上まで来られた時に逃げられなくなる」
言われる前に屋根の中央へ寄ると、レナードはそれ以上何も言わず、別の黒い獣へ矢を放った。
警鐘が鳴り始めてから、それほど時間は経っていない。
それでも空はかなり赤くなっていた。西側の屋根を越えて差し込む夕日が、崩れた石壁や通りに立ち上る埃を橙色に染めている。
その光の中で、中央の裂け目が大きく崩れた。
「下がれ!」
前衛の誰かが叫ぶ。
地面の縁へ黒い腕が掛かった。
最初はまた黒い獣かと思ったが、地上へ出てきたものには二本の腕と脚があり、そのまま人の形を取って立ち上がった。
成人を二人縦に重ねても頭には届かないほど高く、細長い胴と異様に長い腕を黒い外殻が幾重にも覆っている。肩から背中には板のような構造が折り重なり、顔にあたる部分には目も口もなく、滑らかな頭部の中央を一本の細い溝だけが縦に走っていた。
「……何だ、あれ」
隣の射手が呟く。
「分からない。だから寄るな」
レナードの声から、それまでの軽さが消えた。
「前衛、人型から距離を取って。射手は散れ。同じ屋根に二人以上残るな」
「撃たないのか?」
「何をするか見てからだ」
私は一軒西へ移る。
人型は地上へ出てもすぐには襲ってこなかったが、その後ろから黒い獣が二体這い上がり、一体が前衛へ、もう一体が脇道へ向かった。
そこまでは、さっきまでと変わらない。
人型の頭が動き、下で盾を構えていた男へ顔のない正面が向いた。
「そこ、動け!」
レナードの声に反応して男が横へ踏み出した瞬間、人型の頭部が白く瞬いた。
白い線が通りを貫く。
男が持っていた鉄盾の中央に大きな穴が開き、そのまま腕と胸当てまで同じ線上で抉られた。盾を持った男は何が起きたのか理解する間もなく崩れ、その後ろの石壁にも深い穴が残った。
「盾で受けるな!」
レナードの声が響く。
「頭を向けられた時点で外れろ! 光ってからじゃ間に合わない!」
人型が今度は屋根へ顔を向ける。
狙われた弓手が反射的に伏せた。
「伏せるな、動け!」
男が起き上がろうとした時には、白い線が屋根を横切っていた。瓦が弾け、男の肩口を貫いた光がそのまま背後へ抜ける。
身体は屋根の斜面を転がり、そのまま軒下へ落ちていった。
「治癒師、北側!」
下から二人が走る。
人型が出てから、ほんのわずかな間に二人が倒れた。
「レナード、人型を狙いますか?」
「俺が試す。君たちは黒い方を見て」
言うと同時に、レナードが弓を引いた。
矢が人型の左肩へ当たり、金属を打ったような音を立てて弾かれる。二射目は肘、三射目は膝の外側へ飛んだが、黒い獣なら深く通るはずの矢が、人型の外殻には浅い傷しか残さない。
「外は駄目か」
レナードは屋根の上を走り、人型の頭部が追いつくより早く一軒移った。
「継ぎ目を探す。ハンナは下を見て」
「はい!」
私も反対側へ動く。
人型が頭を向けるたびに射手が射線から外れ、その間を前衛が黒い獣を押さえる。その繰り返しで、最初の数度はどうにか戦線を保てていた。
変わったのは、黒い獣が一体倒れた後だった。
「屋根に来る!」
前衛と戦っていた一体が突然相手を捨て、建物の壁へ向かう。
爪が石壁へ掛かり、屋根にいた二人が左右へ散ったところへ、人型の頭部が向いた。
「戻れ!」
レナードが叫ぶ。
二人は踏み切りを止めたものの、一人は間に合わなかった。
白い線が着地しかけた足元を石畳ごと抉り、男は体勢を失って屋根から落ちた。
その下では、別の黒い獣が射手を見上げることもなく、負傷者を運んでいた二人へ向かっている。
「搬送を止めろ!」
前衛が一人割って入った。
黒い獣は盾を構えた男へ前脚を振り、身体ごと数歩先まで吹き飛ばした。それでも倒れた男へ追撃はせず、そのまま担架へ向かう。
「……狙ってる」
声が漏れた。
レナードは人型から目を離さないまま答えた。
「そうだね。もう近い奴から殴ってるんじゃない」
人型の背中で、重なっていた板がわずかに開いた。
乾いた音が一度響き、離れた場所にいた黒い獣までほとんど同時に向きを変える。
「射手、場所を変えろ! 魔術師は固まるな!」
レナードが指示を飛ばした。
黒い獣の一体が屋根へ、別の一体は魔術師へ、さらに一体が負傷者を運ぶ路地へ走る。さっきまでのように近くの相手へ飛びついているのではなく、射手や魔術師、負傷者の搬送まで含めて、こちらが崩れる場所を選んで動いていた。
「右の屋根、一人降りろ!」
「下にもいる!」
「西側へ飛べ! そこはまだ空いてる!」
射手が屋根を渡る。
人型の頭が追い、白い線が走った直後、別の黒い獣が着地点へ前脚を掛けた。
男は空中で身体を捻ったが避けきれず、前脚を胸に受けて隣の壁へ叩きつけられた。そのまま地面へ落ちた身体は動かない。
屋根に残った射手は、私を含めて三人になった。
「レナード!」
「見えてる」
人型は声ひとつ発さず、黒い獣も吠えない。その静かな敵を相手に、こちらだけが急速に人数を減らしていく。
「黒いのを減らす!」
レナードが弓を引いた。
「人型ばかり見てたら手が足りない。先に動ける奴を減らすよ!」
矢が黒い獣の前脚の付け根へ深く入り、私たちも同じ個体へ狙いを集める。
前衛が盾で向きをずらし、槍が外殻の隙間へ入った。
一体が倒れる。
続けて別の一体にも攻撃を重ねる。
それでも、こちらの前衛も減っていた。
最初に十人以上いたはずなのに、まともに動ける者は七人ほどしか残っていない。倒れた者の何人かは治癒師のところへ運ばれていたが、石畳から動かされていない者もいる。
「右、二体!」
私が声を落とす。
「下がりながら持たせろ!」
前衛が距離を取ったところで、人型の頭部が一人の魔術師へ向いた。
「走れ!」
男が動く。
今度は白い線がすぐに出なかった。
頭部の溝に残った光が消えず、そのまま強さを増していく。
「もっと離れろ! 壁の後ろで止まるな!」
レナードの声が響き、魔術師が商家の角を曲がった。
次の瞬間、通りが真っ白になる。
商家の壁が大きく抉り取られ、その奥の柱とさらに向こうの建物まで一直線に穴が開いた。逃げ込んだ魔術師の姿は戻らず、近くにいたもう一人も崩れた石材に巻き込まれて倒れる。
治癒師が走ろうとした。
「待て、まだ撃つ!」
レナードが止める。
人型の頭はもう次の相手を探していた。
そこへ黒い獣が前衛へ飛び込む。
二体が正面から来て、一人が盾を斜めにして最初の一体を流したところへ、もう一体が横から前脚を重ねた。
男は脇腹を打たれて石畳へ倒れる。
隣の剣士が助けに入った時、傷ついて伏せていたはずの別の黒い獣が動いた。
「行くな!」
レナードの声が届くより早く、その前脚が剣士の脚を払う。
姿勢を崩したところへ正面の一体が突っ込み、救助に入った剣士も石畳へ投げ出された。
人型が出てから、動かなくなった者だけでも五人はいる。治癒師のもとへ運ばれた負傷者は、それよりさらに多かった。
「ハンナ、東の屋根は捨てろ。西へ」
レナードが言う。
「でも、そっちからなら人型の首が――」
「同じ場所から三回撃ってる。もう見られてる」
人型の頭部が、まるでその言葉を確かめるようにこちらへ動く。
私はすぐに走り、隣の屋根へ飛び移った。
その直後、白い線がさっきまでいた場所を貫き、瓦がまとめて吹き飛ぶ。
「……ほんとに見られてた」
「だから言ったでしょ」
レナードはそれだけ返し、自分も別の屋根へ移った。
下を見れば、黒い獣は六体いるはずなのに、前衛の近くに四体、路地側に一体しか見えなかった。
「レナード、傷ついた奴がいません!」
「右奥を見て」
建物の隙間を覗くと、後脚を傷つけて最初に追わなかった個体が、路地の奥を回っていた。
前へは出てこない。
壁や建物の陰を使いながら、こちらから見えにくい側へ移動している。
「回り込んでる」
「見失わないで。無理に撃たなくていい」
「はい」
私たちは正面の黒い獣へ射撃を集中した。
レナードの矢が一体の肩を大きく揺らし、前衛がそこへ畳みかける。さらにもう一体も、槍で脚を止められたところへ射撃を重ねて倒した。
「残り四!」
私が数を伝えた直後、レナードの矢が三体目の首元へ入る。
黒い獣が大きくよろめき、下の前衛が距離を詰めた。
その時、傷ついた個体が路地から姿を現した。
前衛には向かわず、建物の壁へ爪を掛け、そのままレナードのいる屋根へ登り始める。
「レナード、下!」
「見えてる」
彼はもう動いていた。
西側の屋根へ渡ろうとしたところで、さっきまで二人の前衛と戦っていた別の黒い獣が相手を捨て、移動先の建物へ走る。
レナードが踏み切りを止めた。
人型の頭部が回る。
東へ戻れば白い線が通り、西へ飛べば黒い獣が待っている。その背後からは傷ついた一体が屋根へ上がってきており、別々に動いているように見えた三体が、レナードの逃げられる方向だけを順番に塞いでいた。
「レナード、そっちは駄目!」
「分かってる!」
白い溝が光るのとほとんど同時に、正面の黒い獣が両の前脚を大きく開いて身体を沈めた。
杭を使う時の動きだった。
レナードもそれを見ていた。杭を撃つなら前脚を地面へ固定する一瞬があり、外へ逃げれば人型の射線に入る以上、その懐へ入るのが一番安全なはずだった。
距離を詰めたレナードの前で、黒い獣の前脚が石畳へ下りる。
だが、固定されない。
杭を出すはずだった脚が途中で動きを変え、懐へ入ったレナードへ横薙ぎに振り抜かれた。避けきれなかった一撃が脇腹から胸当てへ入り、金属が押し潰される鈍い音とともに身体が横へ飛ばされる。
屋根の縁へ背中から激しくぶつかったレナードは、そのまま止まることなく下の路地へ落ちていった。
「レナード!」
屋根の端まで走った私を、下から誰かが止める声が聞こえた。
それでも覗き込む。
レナードは石壁の近くに倒れ、すぐには動かなかった。屋根に残った黒い獣が彼を追おうとしていたので、私は前脚へ二本続けて撃ち込み、一発を継ぎ目へ通してこちらへ注意を向けさせる。
その間に前衛二人がレナードへ向かおうとした。
「来るな!」
掠れた声が路地から上がる。
レナードだった。
「頭を見ろ!」
二人が反応して左右へ散り、その間を白い線が通り抜けて石畳を深く穿った。
レナードは壁際まで身体を起こしていたが、胸当ての右側が大きく潰れ、その下から脇腹にかけて血が広がっている。片脚もまともには動いていないらしく、立ち上がろうとはしなかった。
浅く息をするたびに肩が揺れ、口元にも血が滲んでいる。
「レナード、今治癒師を呼びます!」
「来なくていい」
「でも――」
「君まで降りたら射手が減る。上にいて」
途中で咳き込んだものの、レナードは弓を手放さなかった。
人型が前衛へ頭部を向ける。
レナードの視線もそちらへ移った。
白い線を避けて前衛の一人が横へ走り、その動きを追って人型の頭が大きく回る。
首と肩の外殻の間に、細い隙間が開いた。
「……首?」
私の声に、レナードが一度だけ頷く。
「そこなら入る」
そう言って矢をつがえた。
「待って。それ、今の身体じゃ――」
「一回だけなら」
レナードが弓を持ち上げる。
普段の射撃とは明らかに違った。
左腕で弓を押し出し、右手で弦を引くにつれて、身体に残っていた魔力が肩から背中、腕へ集まっていく。身体強化をほとんど上半身だけへ集中させ、その上から矢にも魔力を重ねているのが、離れた屋根からでも分かった。
もともと普通の射手には満足に引けない強弓が、いつも以上に大きくしなる。
弓身が軋み、レナードの腕も震えていた。
潰れた胸当ての下から血が増えても、弦を戻そうとはしない。
「レナード、もういい!」
「まだ」
返事はそれだけだった。
人型の頭部が前衛を追って横へ回り、重なっていた首元の外殻が一瞬だけ開く。
レナードの指が離れた。
弦が鳴った瞬間、空気を強く叩いたような衝撃が路地から屋根まで駆け上がり、放たれた矢はその響きを置き去りにして人型の首元へ突き立った。
それまで外殻に弾かれていた矢とはまるで違う。
矢は継ぎ目を貫き、羽根の手前まで深く沈んだ。衝撃で黒い頭部が大きく横へ振られ、前衛へ向いていた白い線は狙いを外れて建物の上部を斜めに削る。
首を覆っていた外殻の一枚がめくれ上がり、その奥に黒い構造が露出した。
人型の背中に並ぶ板も不規則に開閉し、それまで噛み合っていた黒い獣の動きまで一瞬乱れる。
「首だ!」
レナードが声を張った。
「そこを狙え!」
下の前衛も、残った射手も見ていた。
私は弩へ矢を掛ける。
「ハンナ」
呼ばれて下を見ると、レナードは弓を下ろし、壁へ深く身体を預けていた。
「そこはもう使うな。西へ移れ」
「……はい」
私は屋根を走った。
一軒西へ飛び移り、着地したところで人型を見ると、頭部はさっきまで私がいた場所へ向いている。
レナードの言った通りだった。
「首へ射線を通して!」
下へ叫ぶ。
「こっちも二体いる!」
前衛から返事が飛んだ。
まともに動ける前衛は五人ほどしか残っておらず、そのうち二人は黒い獣を引き受け、別の一人も肩を負傷して片手で剣を握っている。
簡単に人型へ近づける状態ではない。
「右の一体、脚を撃つ!」
隣の射手が声を上げたので、私も同じ個体へ弩を向ける。
二本の矢がほとんど同時に飛び、一本が前脚の内側へ、もう一本が肩の継ぎ目へ入った。
黒い獣が一歩よろめき、その隙に前衛が横へ回る。
人型の首まで射線が通った。
「開いた!」
私の矢が、レナードの矢のすぐ下へ刺さる。
もう一人の射手も続け、めくれた外殻のさらに奥へ矢を入れた。
人型がこちらを向こうとするものの、首元に深く刺さったレナードの矢と壊れた外殻に邪魔されているのか、頭の動きが明らかに鈍い。
それでも白い線は撃てる。
「移る!」
射手たちはそれぞれ別の屋根へ走り、直後に白い線が空になった射点を穿った。
下では槍使いが人型へ近づく。
残っていた黒い獣が守るように戻ろうとしたので、私たちは前脚へ矢を集め、一瞬だけ速度を落とさせた。
その間に槍使いが人型の首元へ踏み込み、レナードの矢が刺さっている隙間へ穂先を押し込む。
「入った!」
人型の腕が横から振られ、槍使いが一度退く。
そこへ別の剣士が入れ替わるように踏み込み、浮いた外殻へ刃を差し込んだ。
白い溝が強く光る。
「頭の前から外れて!」
前衛が左右へ散ると、照射は傾いた頭部の向きへそのまま走り、向かいの建物を大きく削った。
人型は頭を戻そうとしたが、首が途中で止まる。
「もう一度!」
槍使いが首元へ入り直し、剣士も反対側から刃を押し込む。
私は弩を構えた。
レナードの矢が刺さった場所は、もう継ぎ目というより明確な傷口になっている。
そこへ矢を送り込むと、人型の右腕が途中で止まり、背中の板が大きく開いた。
乾いた音が連続する。
残っていた黒い獣が一斉に人型へ戻ろうとした。
「来る!」
一体が前衛へ飛びつく。
盾持ちが正面から受けず、身体ごと横へ流そうとしたが、疲労も重なっていたのか完全には逃がせなかった。
前脚の一撃で男が石畳へ倒れ、助けに入った剣士が間に合うより先に、もう一度前脚が振り下ろされる。
それでも、槍使いと剣士は人型から離れなかった。
「今だ、押せ!」
二人が首元へ入れた武器に同時に力を掛ける。
黒い外殻の奥で何かが砕け、頭部が大きく横へ折れた。
白い溝が弱く明滅したあと、人型の長い身体がゆっくりと傾く。
前衛が武器を抜いて離れた直後、大通りへ横倒しになった巨体が石畳を揺らした。
黒い獣は止まらなかったが、その動きから、それまでの噛み合いが消えていた。人型を守ろうとしていた一体が急に近くの剣士へ向かい、もう一体も周囲を待たず、自分に近い相手へ飛びかかる。
「連携が崩れてる!」
「一体ずつやるぞ!」
残った前衛が形を作り直し、私たちも屋根から射撃を続けた。
人型を倒したからといって黒い獣そのものが弱くなったわけではなかったが、互いの逃げ道を塞いだり、こちらの動きに合わせて攻撃を重ねたりすることはなくなっていた。
前衛はすでに半分以下しか残っていない。魔術師も一人は白い光に呑まれ、もう一人は瓦礫の下から運び出されたまま戻らず、屋根から射撃を続けられるのも三人だけだった。
それでも、相手がばらばらなら戦える。
残った二体を一体ずつ引き離し、前衛が向きを変えたところへ矢を重ねる。最後の黒い獣が石畳へ倒れた頃には、弩を引く右腕が震え、指先の感覚もほとんどなくなっていた。
誰も歓声は上げなかった。
大通りには黒い獣の死骸だけでなく、倒れた人や壊れた盾、折れた武器がいくつも残り、最初にいた人数のうち、自分の足で立って武器を持っている者は半分にも届いていなかった。
「負傷者を先に!」
誰かの声で、止まりかけていた全員が再び動き始める。
私も屋根から降りた。
すぐにレナードのところへ行きたかったが、途中に倒れている者を放っては行けない。歩ける負傷者に肩を貸して治癒師のところまで運び、まだ動ける射手を確かめたあと、地下の裂け目にも見張りを残した。
そうしている間にも、気づけば何度も路地へ目が向いていた。
「西区の班! 連絡です!」
大通りの向こうから、ギルドの連絡員が走ってくる。
「大型人型について、中央から呼称統一! 以後『統制体』と呼びます!」
周囲にいた何人かが、倒れた黒い人型へ目を向けた。
「東区で統制体一体を撃破! 周囲の黒い四足は、統制体が倒れると連携が崩れるとの報告あり! 通常の白い攻撃は鉄盾を貫通、首の付け根と脚の関節には攻撃が通ると――」
「もう倒した」
槍使いが言った。
連絡員が言葉を止める。
「こちらも?」
「ああ。首だった」
男が倒れた統制体の頭部を指す。
首元には、レナードの矢が深く刺さったまま残っていた。
「最初のあれが入ってなかったら、たぶん無理だった」
誰も否定しなかった。
連絡員は倒れた統制体と周囲の惨状を見回し、紙へ何かを書き足した。
「死傷者数は?」
「まだ確定してない。死者は少なくとも七。重傷はその倍近い」
「分かりました。中央へ返します」
連絡員が離れていくのを待つこともなく、私は路地へ向かった。
レナードは壁際に横たわったままで、そのそばにはすでに治癒師が一人座っていた。
私が近づくと、治癒師は何も言わずに首を横へ振った。
覚悟していたはずなのに、その仕草を見た瞬間、足が止まった。レナードの右手は石畳の上に力なく落ちていて、ついさっきまであれほど強く弦を引いていた手が、もう動かない。
さっきまで握っていた弓は、少し離れた石畳に落ちている。
私はそこまで歩き、屈んで拾った。
弓身には大きな傷はなく、弦も切れていなかった。最後の一射であれほど強く引かれたのに、弓だけはそのまま残っている。
手に取ると、見ていた時よりずっと重かった。
私は何も言わず、その弓を抱えて立ち上がった。




