第59話 地の下から
「旧水路沿いで、路面が持ち上がっています!」
職員の声が響くと、弛緩しかかった空気が変わった。
ガルドが立ち上がり、俺たちも手元に置いていた装備を取る。剣を腰へ戻しながら扉の前の職員を見ると、すでに手元の紙には行き先が書き込まれていた。
「場所は?」
「中央市場南東、旧水路の入口から南へ一街区です。現地の警備隊が周囲を空けています。南東第二集合点へ向かってください。アルノルトさんの班は東側、レナードさんたちは西へ。市の救助班も出ています」
二日前なら、ここから誰を向かわせるか決めていただろう。今は行き先も集合場所も、連絡を戻す先まで決まっている。
「行くぞ」
ガルドを先頭に階下へ下りると、ギルドの広間でも職員たちが待機していた冒険者を振り分けていた。壁際の卓では地図へ印が増え、戻ってきた伝令の報告が短く書き取られては次の職員へ渡されていく。
入口にはクラウディアもいた。
濃い色の実戦服に短い外套をつけ、腰には剣がある。
「南東でしょ。私も行くよ」
「クラウディアさんも?」
「そのために王都に残ってるんだから」
それだけ言って外へ出たクラウディアを追い、俺たちは中央市場へ向かった。
◇
中央市場までは五分もかからなかった。
普段なら荷車と人で進みにくい通りを、警備隊が大声で空けている。市の職員も南東へ入ろうとする者を止めており、何が起きたのか聞き返す声は多いものの、人の流れそのものはまだ保たれていた。
「道を空けてください! 南東へは入らないでください!」
声を背に市場の奥へ進んだところで、足の下から低い振動が伝わってきた。
走っていても分かるほどの揺れが数息続き、弱まったかと思うと、少し先でもう一度石畳が震える。地面全体が揺れているというより、すぐ下を重いものが動いているようだった。
「まただな」
ユリウスが前を見たまま言う。
旧水路へ続く道を曲がると、縄で区切られた南東第二集合点が見えた。その奥では何人かの作業員が、盛り上がった石畳から距離を取っている。
「アレン!」
旧水路側からエーベルが走ってきた。
「下に人は?」
「いません。工事を止めてたんで、今日は水量の確認しかしてませんでした」
それを聞いて、ひとまず息をつく。
エーベルに案内されて柵の向こうを見ると、以前崩れた旧水路の入口から南へ続く石畳が、数十歩にわたって膨らんでいた。
「何が起きてる?」
「そこまでは。ただ、これ……崩れたんじゃないんです」
エーベルが足元を指す。
「下から石組みごと押し上げられてます」
その直後、地面が大きく跳ねた。
「下がれ!」
ガルドの声に全員が距離を取る。盛り上がっていた石畳が中央から割れ、跳ね上がった石と土埃の間から何かが這い出してきた。
鹿より一回り大きい四足の身体は灰白色の硬そうな皮膚に覆われ、長い前脚と、角とも牙ともつかない突起が頭部に並んでいる。
見たことのない種類だったが、こちらへ顔を向けた時点で魔物だと分かった。
警備隊の一人が武器を構えるより早く、ガルドが前へ出る。飛びかかろうとした魔物の肩口へ大剣を叩き込み、そのまま石畳へ沈めた。
「一匹だけとは思うな」
ガルドは倒した魔物ではなく、その背後の穴を見ていた。
奥から石を掻く音が続いている。
「警備隊は人を交差点より北へ! 戦える人員だけ残してくれ!」
「分かった!」
「ミラ、上を取れるか」
「右の倉庫が使える」
ミラは通りに面した二階建ての倉庫へ向かう。ユリウスには後方を任せ、地下へ直接魔法を撃たないよう伝えると、フィアナも負傷者を受け入れる場所を確認していた。
次に二体がほぼ同時に穴から飛び出した。
一体が俺へ向かってくる。正面から受けずに半歩外へずれ、伸びてきた頭をかわしながら前脚の内側へ剣を入れると、体勢を崩した魔物が横へ流れた。
追って踏み込みかけた身体を土の魔法で止め、向きを変えて首元へ刃を落とす。その向こうから来ていたもう一体には、屋根へ上がったミラの矢が先に届いた。目元を射抜かれて仰け反ったところを、ガルドが仕留める。
さらに穴から影が続いた。
今度は種類までばらばらだった。鱗を持つ四足獣、太い尾を引きずる爬虫類じみたもの、人の背丈ほどある甲殻を背負った魔物まで混じっている。
「なんでここに魔物が……」
セレナの声が後ろから聞こえた。
三体がまとめて出ようとしたところで、ユリウスが石畳を斜めに隆起させる。壁にするほどの高さはなくても、走ってくる魔物の足を乱すには十分で、先頭が躓いたことで後続まで進路を変えた。
正面へ来る数が減った隙にミラの矢が一体を止め、俺とガルドで残りを受ける。
目の前の群れを片づけた時、百歩ほど南でも石畳が盛り上がった。
「南側でも割れたぞ!」
土埃が上がる。
クラウディアは俺たちが振り向くより早く走り出していた。風に押された身体が一気に加速し、通りを数息で横切る。
新しく開いた穴から飛び出した魔物が避難中の市民へ向きを変えたが、横から吹きつけた風に前脚を取られ、突進の向きがずれた。
クラウディアはその横を抜けながら首元を斬る。
「そのまま北へ! 止まらないで!」
避難する人々へ声を飛ばし、続いて出てきた三体へ向き直る。青白い雷が先頭を撃ち抜き、残る二体は横からの風に押されて進路を重ねた。そこへ追いついた冒険者たちが槍と剣を入れる。
クラウディアは倒れた魔物には目も向けず、次の割れ目を見ていた。
訓練場で向かい合った時にも、速さと判断の差は嫌というほど思い知らされた。それでも今は、俺一人に対してではなく、市民や味方まで含めた通り全体に行っている。
「アレン、左!」
ミラの声に振り向くと、別の亀裂から十体近い魔物が這い出していた。
「ガルド、前を頼む!」
「ああ!」
「ユリウス、右へ流すな。市場側に抜けられる!」
「分かった!」
俺もガルドの後ろへ続いた。
◇
それからしばらくは、一つを押さえれば別の場所が割れるという状態が続いた。
地面の亀裂だけでなく、古い排水口を壊して出てくる魔物や、建物の床を突き破るものまでいる。それでも南東区の戦線は崩れなかった。
警備隊は住民を戦闘区域から外し、市の職員は負傷者を運ぶ道を確保する。到着した王国軍の先遣は盾を持った兵を前へ並べ、その後ろに弓兵と魔術師を置いて、通りを塞ぐ形で魔物を受け止めていた。
集合点ではギルドの連絡員が戻ってくる伝令の報告を書き取り、必要なものだけを別の伝令へ渡している。
二日前に決めた手順が、そのまま使われていた。
「負傷者、二人!」
「こっちへ!」
フィアナの声が返る。
石片を受けたらしい兵士が運ばれてくる横で、セレナは到着したばかりの伝令へ声をかけた。
「他でも出てるの?」
「東側で二か所です。まだ数は――」
その答えを遮るように、南から咆哮が響いた。
空気を震わせるほど低い声に、戦っていた冒険者たちまでそちらを見る。建物の向こうで屋根より高い何かが動き、直後には一角の石畳が大きく崩れた。
土埃の中から現れたのは、長い首と鱗に覆われた巨大な頭だった。続いて翼が広がり、道の両側に並ぶ建物へ届きそうなほどの大きさになる。
「飛竜だ!」
誰かが叫ぶ。
その後ろからもう一体が這い出し、少し離れた場所でも別の翼が土埃を押しのけた。
三体。
一体だけでもまともに相手をするなら、ガルドに正面を任せて俺が横へ入り、ミラには翼か目を狙ってもらう。ユリウスには飛び立つのを――そこまで考えたところで、クラウディアが俺たちの前へ出た。
「そのままでいいよ」
「一人でやるんですか?」
横にいたガルドが短く笑う。
「見とけ」
最初の飛竜が翼を広げ、石畳を蹴って身体を浮かせる。
クラウディアが剣を上げると、青白い光が空から落ちた。
雷鳴が響く頃には、飛び上がりかけた飛竜は頭から石畳へ落ちていた。
残る二体が同時に動く。一体は翼を広げ、もう一体は首を低くしてクラウディアへ突っ込んだ。
横風を受けた飛竜が片翼を持ち上げられ、姿勢を崩して石畳へ倒れ込む。クラウディアはその首元へ一気に入り、剣を深く突き込むと、刃を伝わせた雷で動きを止めた。
その間に最後の一体が迫る。
大きく開いた顎がクラウディアを捉えたように見えたが、噛みつく直前に身体が風に押されてわずかに外へ流れる。飛竜の頭が空を切り、すれ違いざまに振り上げられた剣が喉を裂いた。
そこへ雷が走る。
勢いの残った巨体は石畳を削りながら滑り、建物の手前で止まった。
最初の一体が翼を広げてから、ほんのわずかな時間しか経っていない。
「……三体だぞ」
ユリウスが呟いた。
俺もすぐには言葉が出なかった。
黒鋼級なのだから、桁外れに強いことは知っている。訓練場でも、まともに相手にならなかった。
それでも、飛竜三体を相手に援護を求めることもなく、ほとんど足を止めずに片づけるところまで想像していたわけではない。
しかもクラウディアは飛竜の死骸を確認することもなく、通りの左手を見た。
「まだ来るよ。十……もう少しいるね」
建物の間から新しい魔物の群れが現れる。
「兵は今の位置。冒険者は右から回って」
通りを抜けた風が先頭の魔物たちを中央へ寄せ、そこを軍の盾列が受け止める。後方から矢と魔法が集中し、横へ抜けようとした個体だけをクラウディアが潰していく。
その時、集合点の方から馬の蹄が響いた。
「急報!」
乗り手が飛び降り、そのまま連絡員の卓へ駆け込んだ。
「東区でも地面が割れています! 魔物多数、現地の冒険者と警備隊が交戦中!」
「発生地点は?」
「確認できているだけで三か所です。負傷者はまだ集計できてません!」
報告を書き取っているところへ、今度は南西から別の伝令が走り込んでくる。
「倉庫街でも地下から魔物が出ています!」
セレナがこちらを見た。
「一か所じゃないわね」
フィアナの顔色がわずかに変わる。
あの夜に見た王都の光景を、俺も思い出していた。
「北東からも伝令!」
連絡員の机に報告が増えていく。
クラウディアがそれを確認し、ガルドへ顔を向けた。
「ここ、任せてもいいかな?」
ガルドは軍の盾列と集まり始めた冒険者、それから北側へ確保された避難路を見回した。
「ああ。行け。こっちは俺らでやる」
「じゃあよろしくね」
クラウディアはすぐに走り出し、風に押されるように通りの向こうへ消えた。
俺は剣についた血を振り払い、旧水路側を見る。
穴からはまだ魔物が出ているが、南東区では軍と冒険者が戦線を作り始めていた。
問題は、同じことが王都の各地で起きていることだった。
遠くから鐘が鳴る。
やがて別の方角からも重なり、さらにその奥からも続いた。
王都のあちこちで、戦いが始まっていた。




