第57話 次の射点
翌日の午後、俺は王都冒険者ギルドの訓練場で、レナードが見ているミラの訓練に付き合っていた。
昨日クラウディアと二度やり合った疲れが少し残っていたので、午前中は軽く身体を動かすだけにしていた。本当なら午後も休むつもりだったが、昼を過ぎた頃にミラから前衛役を頼まれた。
ガルドは朝から王都を出ている。
北西の街道沿いで荷馬を襲う魔物が出たらしく、ギルドから討伐を頼まれたらしい。夕方には戻ると言っていたが、もともと俺たちの訓練のために王都へ来たわけではない。仕事が入れば、そちらへ出るのは当然だった。
「もう少し右」
訓練場の中央からレナードの声が飛ぶ。
「アレンじゃないよ。ミラ」
「俺かと思いました」
「君はそこでいい」
言われた位置で足を止める。
訓練場には普段使う的のほか、低い木壁や荷箱がいくつか置かれていた。その間を俺とユリウスが動き、離れた場所からミラが複数の的を狙う。
矢は鏃を外し、先端を厚い布と革で包んだ訓練用のものだ。
もちろん、人へ当てるための訓練ではない。
射線へ味方が入れば撃たない。そのまま待つか、自分が場所を変えるか、それとも一射を捨てるか。撃ったあとの移動まで考えて、次に使う場所を先に作っておく。
最初に見た頃より、ミラの訓練はずいぶん実戦に近づいていた。
「じゃあ最初から。アレンとユリウスはさっきと同じ。ミラは好きなところから始めていいよ」
ミラは訓練場を見渡したあと、左側の木壁へ向かった。
見晴らしだけなら、もう少し高い場所もある。ただ、そこは降りられる方向が限られる。
ミラはそちらを選ばなかった。
「始め」
俺とユリウスが正面へ進み、途中で左右に分かれる。
俺が左、ユリウスが右へ抜けようとしたところで、レナードが声を上げた。
「右奥、二枚目」
ミラがすぐに弓を引く。
だが、放たない。
ユリウスが射線を横切っていた。
半歩だけ位置を変え、十分に抜けたところで弦を鳴らす。
矢が的を叩いた時には、ミラはもう木壁の陰を離れていた。
「左手前」
次の指示を受け、走りながら矢をつがえる。
今度は俺が邪魔になる。
このまま進めば、俺の動線と射線が重なる。
ミラは上げかけた弓を下ろし、俺が抜けるのを待つ代わりに、自分から荷箱の反対側へ回った。
そこで構え直し、左手前の的を射る。
弦が鳴った時には、視線はすでに次の場所へ向いていた。
「右奥、一枚目」
今度は距離がある。
ミラが弓を上げたところで、ユリウスが予定していた進路から急に外れた。
「そっちは――」
「そのままでいいよ」
レナードに言われ、ユリウスも意図を察したらしい。そのまま横へ走る。
ミラは一瞬だけそちらを見ると、矢を放たないまま木壁の裏を数歩走った。
ユリウスの進路と重ならない位置まで移り、そこで改めて右奥を狙う。
放たれた矢が、的の中央近くを叩いた。
「そこまで」
レナードが手を上げ、俺たちも動きを止めた。
「どうです?」
息を整えながらミラが聞く。
レナードは的ではなく、彼女が使った場所を順番に見ていた。
「最後はよかったね」
「当たったから?」
「そこは最初から心配してないよ。途中で一度、撃つのをやめただろう?」
「ユリウスが入ってきたから」
「そう。それでいい」
レナードはユリウスのいた位置から、右奥の的へ視線を通した。
「味方が邪魔だから撃てなかった、で終わらせない。そこを使われたなら、自分が動いて別の線を作る。それでも間に合わないなら、その一射は捨てる」
「最初にやった時も、撃たなかった気がしますけど」
「あの時は捨てたんじゃなくて、どうするか決められずに止まっただけだからね」
ミラが少し嫌そうな顔をした。
「厳しいですね」
「戦ってる側からすれば、結構違うだろ」
俺が口を挟む。
「分かってるわよ」
「ならいいけど」
「アレン、さっき二回くらい私の射線に入ったからね」
「言われた通りに動いただけだ」
「だから練習になるんでしょうね」
それは否定できなかった。
レナードが笑いながら弓を肩へ掛ける。
「前よりずっといいよ。撃つ前に次の位置を見るようになったし、自分の射線だけじゃなく、前を動く人間の進路も見えてきた」
ミラはすぐには答えず、自分が使った場所を振り返った。
「まだ遅いところ、ありますよね」
「あるね。二つ目から右へ移った時、一度止まって次を探しただろう?」
「やっぱり」
「でも、そこは回数だよ。次はもう少し距離を取ろうか」
「まだ増やすんですか?」
「ここまでやって、近い的ばかり射ってても面白くないだろう?」
「レナードさんが楽しんでません?」
「半分くらいはな」
平然と認めたので、ミラも笑った。
その横で、ユリウスが肩を回している。
「俺、次は魔法使っていい?」
「今日はもう終わりだよ」
レナードが答えた。
「いや、次回」
「それはミラの訓練にならないだろう?」
「俺だけずっと走る役なのか」
「嫌ならアレン一人でもできるよ」
「それはそれで腹立つな」
ユリウスが言うと、ミラが笑った。
「じゃあ来ればいいじゃない」
「考えとく」
二人のやり取りを聞きながら、俺は台に置いていた水筒を取った。
少し前まで、走りながら矢をつがえるミラには、次の一射を急いでいるようなところがあった。
今は、射ったあとに移動先を探すのではない。射る時にはもう、その次に使う場所へ意識が向いている。
俺がこのところ繰り返してきたことと、妙なところで似ていた。
一つの動きに全部を使わず、その先で選べる余地を残しておく。
「アレン」
呼ばれて顔を上げると、レナードがこちらを見ていた。
「次はもう少し速く動いてくれる? ミラも慣れてきたから」
「俺まで難しくなるんですか?」
「君、金級なんだろう?」
「便利な言葉ですね、それ」
「使える時に使っておかないとな」
「じゃあ次回で」
「明後日だな。俺も明日は依頼がある」
レナードはそう言って、ミラへ視線を移す。
「明後日も来られる? 今度はもう少し遠い距離でやろう」
「分かりました」
「アレンにも、もう少し好きに動いてもらおうか」
「俺にまで要求増えてません?」
「その方が練習になるだろう?」
楽しそうに言われれば、反論するだけ無駄だった。
◇
夕食の頃には、宿の食堂に俺とミラ、ユリウスが先に集まっていた。
ほどなくして史料院からセレナとフィアナも戻ってくる。
朝から王都の外へ出ているガルドは、まだ帰っていなかった。
セレナが鞄を椅子の横へ置いて料理を取りに行き、フィアナもそのあとについていく。
戻ってきたセレナが、俺たち三人を見た。
「訓練はどうだったの?」
「俺はひたすら走らされた」
ユリウスが不満そうに答える。
「自分から来たんでしょ」
ミラが言う。
「こんな役だとは聞いてなかった」
「途中から楽しんでたじゃない」
「どこがだよ」
セレナが面白そうに笑いながら席につき、フィアナも俺の隣へ料理を置いた。
「アレンも今日は訓練してたの?」
「俺は前を走ってただけだよ」
「昨日もあれだけ動いたのに?」
「軽くだよ」
向かいからミラがこちらを見る。
「軽くって言うには、結構走ってたけどね」
「ミラは黙って食べろ」
「はいはい」
フィアナが少しだけ眉を寄せる。
「明日は休んだら?」
「旧水路も見に行きたいんだけどな」
「一日くらい後でもいいでしょ」
「動けるなら動いた方がいいだろ」
「またそうやって無理する」
「別に無理してるつもりはないよ」
フィアナは少しだけ考えるように俺を見た。
「……私はアレンの味方だよ」
「急にどうした」
「味方だから言ってるの。ちゃんと休んだ方がいいって」
「味方なら、行かせてくれてもよくないか?」
「それは違うよ」
フィアナは当たり前のように言った。
「無理してたら、止めるのが味方でしょ?」
少し考える。
「……まあ、それはそうか」
「でしょ?」
フィアナが満足そうに笑った。
向かいのミラも何か言いたそうにこちらを見ていたが、目が合うと料理へ戻った。
「明日は起きてから決めるよ」
「うん。それでいい」
それ以上、フィアナは何も言わなかった。
しばらくして、食堂の扉が開く。
振り向くと、ガルドが大剣を肩に担いで入ってきた。
外套の裾には乾いた泥がつき、革鎧にも一日外を歩いたらしい埃が残っている。
「おかえり」
「ああ」
ガルドは大剣を壁際の武器置きへ預け、空いている席まで来ると大きく息を吐いた。
「遅かったな」
「思ったより奥まで入り込んでやがった。街道から追ったら、戻る頃には日が落ちかけてた」
「片づいたの?」
フィアナが聞く。
「ああ。案内に来た奴らと巣まで確認した。明日からは普通に通れるだろ」
「何が出たんだ?」
「狼型の魔物が何頭かだ。荷馬を襲えば餌が取れるって覚えたらしい」
「ガルドが行くほどだったの?」
ユリウスが尋ねる。
「数が少し多かっただけだ。急ぎで手が空いてる奴を探してたから受けた」
白金級だからといって、毎回大物ばかり相手にするわけでもないらしい。
ガルドは店員へ料理と水を頼み、届いた水を半分ほど一息で飲んだ。
「史料院の方は何か出たか?」
今度はセレナへ聞く。
「少しだけ。百八十年くらい前の地下工事や立入制限が、また何件か見つかったわ」
「繋がりそうなのか?」
「まだ無理ね。時期が近いものはあるけど、場所が離れすぎてる。偶然じゃないと言える材料も足りないわ」
セレナはそう言って、パンをちぎる。
「エミリアが別の保管記録を見つけてくれたから、明日も見るつもり」
「私も午後から行くよ」
フィアナが言った。
「午前は神殿?」
「うん」
話はそのまま明日の予定へ移り、やがて訓練とも地下とも関係のない話が混ざり始めた。
ガルドは黙々と料理を食べ、ユリウスは今日出された肉の量が自分だけ少ない気がすると言い出し、ミラに気のせいだと返されている。
セレナは途中で何か思いついたらしく、椅子の横へ置いていた鞄へ手を伸ばした。
「ご飯の時くらい置いておいたら?」
フィアナに言われ、その手が止まる。
「今書かないと忘れるかもしれないでしょう」
「食べ終わってからでいいじゃない」
「覚えてる保証は?」
「そこまで大事なら覚えてるよ」
「そうとは限らないわ」
結局、セレナは手帳を取り出した。
「書くんだ……」
「書くわよ」
フィアナが呆れたように笑う。
俺もつられて口元を緩め、残っていた料理へ手を伸ばした。
一口運ぶ。
その時、隣で小さく息を呑む音がした。
見ると、フィアナの手が止まっている。
杯は卓の上に置かれたまま、指だけが縁を強く掴んでいた。
「フィアナ?」
返事がない。
目は開いているのに、こちらを見ていなかった。
ついさっきまで聞こえていたユリウスたちの声にも反応しない。
「フィアナ」
もう一度呼ぶ。
肩が小さく震えた。
腕へ触れた瞬間、フィアナが大きく息を吸う。
視線が戻り、俺を捉えた。
「アレン……?」
「大丈夫か?」
顔色が悪い。
異変に気づいたミラとユリウスも黙った。
セレナが身を乗り出し、ガルドも食器を置く。
「神託?」
セレナが尋ねた。
フィアナは答えようとしたが、すぐには声が出なかった。
何度か呼吸してから、ようやく口を開く。
「……王都だった」
「分かったのか?」
「うん。今度は、分かった」
フィアナが俺を見る。
「中央市場があった。神殿へ行く大通りも、今日歩いた場所も見えた」
セレナの表情から笑みが消えた。
「そこで何が起きてたの?」
「地面が……下から押されたみたいに持ち上がって、石が割れてた。建物の壁も崩れて、人が走ってた」
一度、フィアナが息を整える。
俺は何も言わずに待った。
「鐘が鳴ってた。すごくたくさん。それから煙みたいなもので見えなくなって、気づいたら別の通りにいたの。でも、そこでも地面が壊れてた」
「一か所じゃないのね」
セレナが確かめる。
フィアナは頷いた。
「何度も場所が変わった。離れたところで、同じことが起きてた。それで……黒いものがいた」
エルムの地下で見た黒い獣が、真っ先に頭へ浮かんだ。
「黒い獣か?」
「分からない。でも、エルムで見たものに似てた。あれより大きいのもいた気がするし、形が違うものもいた。人が逃げてるところを動いてた」
ミラが何か言いかけ、そのまま口を閉じる。
「人が倒れてた。建物の下にもいて、助けを呼んでる人もいた。それなのに、また別の場所が見えて……そこにも人がいて……」
声が途切れた。
膝の上で握られていた手へ、自分の手を重ねる。
「もういい。全部一度に話さなくていい」
フィアナは俺の手を見て、少しだけ息を吐いた。
「前のとは違う」
「うん」
「見てるだけじゃなかった。そこにいるみたいだった」
セレナが椅子を引いて立ち上がる。
「エリアス大司祭へ連絡した方がいいわ。これまでの神託と地下の記録もまとめて――」
「違う」
フィアナが顔を上げた。
まだ顔色は戻っていない。
それでも、声ははっきりしていた。
「神殿だけじゃ駄目」
フィアナは俺たちを順番に見た。
「王様に伝えないと」




