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第6話 野営の夜

9/22 全体的に推敲し文章をアップデートしました。(内容は変更なし)

 最初の野営地へ着いたのは、日が西へ傾き始めた頃だった。


 街道から少し外れた場所に、旅人や隊商が繰り返し使ってきたらしい開けた土地があり、その脇を細い川が流れている。長年踏まれて固くなった地面には石で囲った古い焚き火跡が残り、森までもある程度距離がある。三台の荷馬車を入れても十分な広さだった。


 ローデンはすぐに野営を決めず、ミラと神殿兵二人を周囲の確認へ出した。


 俺とガルドも別方向へ回り、森との距離や川岸の様子を見ていく。


「ここなら悪くはねえな」


 ガルドがしゃがみ込み、地面に残った足跡へ目を落とした。


 鹿や小型獣らしいものに馬の蹄が混じっている。少なくとも、新しい小鬼の痕跡は見当たらない。


「昼の群れがここまで来ると思います?」


「腹が減ってりゃ分からんが、わざわざ俺たちを追うより街道で別の獲物を待つ方が楽だろ」


「ですよね」


 昼に追わなかった相手を、夜になったからと忘れるわけにもいかない。


 森の縁を歩きながら、折れた枝や新しい糞がないかを見る。ガルドも馬を繋ぐ場所や、暗くなった時に死角になりそうな位置まで順に確認していた。


「焚き火は二つくらいですかね」


「二十人以上いるからな。一つに集めても邪魔になるだけだ」


 野営地へ戻ると、ミラたちも大きな問題はないと判断していた。


「森側に新しい痕跡はありません。北側だけ少し藪が近いので、見張りは気をつけた方がいいです」


「分かった。ここを使おう」


 ローデンが決めると、一行はすぐ準備に入った。


 川の上流側を飲み水に使い、洗い物はその下。飲用分は浄化したうえで、夕食に使う水は念のため沸かす。排泄場所も川と寝床から離れた風下側に決められた。


 神殿兵や世話役は慣れた様子で動いており、細かな指示を待つ者はいない。俺たち冒険者も薪集めや馬車周りの確認を手伝った。


「見張りは四交代にします」


 一通り準備が整ったところで、ローデンが護衛を集めた。


「一組目はミラ殿と兵二名。二組目はアレン殿と兵一名。三組目は兵三名。最後をガルド殿、ユリウス殿と兵二名でお願いします」


「俺、最後か」


 ユリウスが少し嫌そうな顔をする。


「朝弱いんだろ。最後なら終わったあと寝直さなくて済むぞ」


 ガルドに言われ、ユリウスは数秒考えた。


「……確かに」


「そこは納得するんですね」


「楽な方がいいだろ」


「否定はしませんけど」


 ローデンはそのやり取りを気にする様子もなく、見張りの範囲と異常時の合図を確認していった。


     ◇


 食事ができる頃には、木々の向こうへ日が沈みかけていた。


 大きな鍋には豆と干し肉、根菜、それに刻んだ葉物が入っている。まだ初日なので傷みやすいものから使っているらしく、パンも柔らかかった。


 皆が食事を受け取り始めると、ユリウスが鍋の中を覗き込みながら眉を寄せた。


「これ、三週間ずっと同じ味じゃないよな」


「まだ一食目ですよ」


「だから今のうちに確認してるんだよ」


 俺が隣へ腰を下ろすと、反対側にいたミラが呆れたように言った。


「遠征に出るたび同じこと言うの、そろそろやめたら?」


「食事は大事だろ。体調にも士気にも関わる」


「そう言って、美味しいもの食べたいだけでしょ」


「それも士気のうちだ」


 ユリウスは真顔だった。


 完全に間違いとも言い切れない。


「何か持ってきてるんですか?」


 俺が尋ねると、待ってましたとばかりに腰の鞄から小さな布袋をいくつか取り出した。


「香辛料」


 乾燥させた葉や粉、細かな種のようなものが入っている。


「また持ってきたんだ」


「大した重さじゃないだろ」


「前もそう言って増やしたよね」


「でも最後は皆使った」


 ミラが一瞬黙る。


「……使ったけど」


「じゃあ正解だ」


「荷物を増やしていい理由にはならないから」


 二人のやり取りを聞きながら、一つの袋の匂いを嗅いでみる。


 少し辛そうだが、豆の煮込みには合いそうだった。


「後で少しもらってもいいです?」


「もちろん」


「アレンまでそっちに行くの?」


「美味しくなるならいいじゃないですか」


「ほら、分かってる」


 ユリウスが満足そうに頷き、少し離れたところでガルドが笑った。


 俺も煮込みを口へ運びながら周囲を見る。


 フィアナは治癒術師や世話役たちと同じ鍋の料理を食べていた。特別なものを用意されているわけではないが、座る場所は自然と輪の中央に近くなっている。


 朝には馬の腹へしゃがみ込んで馬具を見ていたのに、こうして囲まれているとまた印象が違った。


 視線に気づいたらしく、フィアナがこちらを見る。


 軽く会釈すると、小さく返された。


 俺もそれ以上は気にせず、食事へ戻った。


     ◇


 日が沈むと、野営地は思っていたより早く静かになった。


 翌朝使うものをまとめ、食器を洗い、装備と足の状態を確認すれば、見張り以外は休むだけになる。


 俺も靴を脱いで足を確かめた。


 今日は街道が良かったので、目立った擦れはない。何日も歩く旅では、小さな靴擦れでも放っておけば面倒になる。


 寝床へ入ったものの、しばらくしても眠気が来なかった。


 二十人を超える一行で動くのが久しぶりだからか、頭のどこかがまだ周囲を追っている。


 馬車の位置、森までの距離、何かあった時に抜けられる方向。


 考えても仕方のないことまで浮かんできたので、眠るのを諦めて起き上がった。


 焚き火から少し離れ、川へ近づく手前で空を見上げる。


 街の灯りがないだけで、星の数がまるで違った。


 前の世界でも、山へ行けばこれくらい見えただろうか。


 そう考えたところで、当時の景色を以前ほど細かく思い出せなくなっていることに気づいた。


 記憶そのものがなくなったわけではない。


 家族も、仕事も、自分がどんな人間だったのかも覚えている。


 けれど、毎日通った道沿いの店や、部屋から見えた景色、何でもない休日の空気のようなものは、少しずつ輪郭が薄れていた。


 子供の頃は、それが怖かった。


 何かを忘れるたびに、前の人生まで自分の中から消えていくような気がしたからだ。


 今は、そこまで考えなくなった。


 忘れたくないものはある。それでも、こちらで過ごした二十年も、同じように自分の記憶になっている。


「眠れないんですか?」


 後ろから声を掛けられ、振り返った。


 フィアナが外套を羽織って立っている。手には空の杯があった。


「フィアナさんこそ」


「喉が渇いただけです。水をもらいに来ました」


 彼女は野営地の端に置かれた水桶へ向かい、自分で杯を満たした。


 一口飲んだあと、こちらを見て少し迷う。


「ここ、座ってもいいですか?」


「どうぞ」


 フィアナは川が見える位置にある平たい石へ腰掛け、俺も少し離れた場所に座った。


「疲れました?」


「少しだけです」


「まだ初日ですよ」


「分かってます」


「やっぱり馬車に――」


「それ、また言うんですか?」


 最後まで言わせてもらえなかった。


「乗れる時に乗るのも大事かなと思っただけです」


「荷馬車って意外と疲れるんですよ。ずっと揺れてますし」


「それは分かります」


 舗装されていない道では、座っている方が楽とは限らない。俺も長く乗るくらいなら歩く方を選ぶことがある。


 フィアナは暗くなった野営地へ目を向けた。


「外で寝るの、久しぶりなんです」


「村にいた頃は?」


「収穫の時期に、畑の近くで寝たことならあります。遅くまで作業する時とか」


「なら少しは慣れてるんですね」


「全然違いますよ。あの頃は家族が一緒でしたから」


「聖女になってからは、ほとんど神殿ですか?」


「はい」


「退屈そうですね」


「退屈ですよ」


 あまりに早い返事に、思わず笑った。


 フィアナも少し遅れて笑う。


「そんなにはっきり言っていいんですか?」


「ここでは誰も聞いてません」


 少し離れた場所に見張りの影はあるが、普通の声なら内容までは届かないだろう。


「嫌な場所というわけじゃないんです」


 フィアナは杯を両手で包んだ。


「皆さん、本当によくしてくださいますし、私がルミエルへ来ることになってから、村にも色々してもらいました」


「村にも?」


「税が少し軽くなりました。治癒師も定期的に来てもらえるようになって。去年は作物もあまり良くなかったので、それだけでもかなり助かっています」


「それも、聖女になることを受け入れた理由ですか?」


 フィアナはすぐには答えず、川へ視線を向けた。


「……大きかったと思います。父も腰を悪くしていましたし、弟たちはまだ小さかったから。私がルミエルへ行けば家族や村が少し楽になるなら、それでいいかなって」


 淡々と話しているが、本人にとって簡単な決断だったとは思えない。


「後悔しています?」


 聞くと、川の音だけがしばらく続いた。


「まだ、分かりません」


 やがてフィアナが答えた。


「聖女になって、まだ半年くらいですから」


「もっと長いのかと思ってました」


「それ、褒めてます?」


「一応」


「なら受け取っておきます」


 フィアナは少し笑ってから、杯へ口をつけた。


「最初は立ち方まで直されたんですよ」


「立ち方?」


「歩き方とか、話し方とか。人前でどう笑うかまで」


 大神殿で見た姿が頭に浮かぶ。


「今、面白がりました?」


「少しだけ」


「やっぱり」


「でも、よく身につきましたね」


「練習しましたから」


 今では自然に見える振る舞いも、最初からできたわけではないらしい。


「辞めたくなることもありますよ」


 不意にそう言われ、フィアナを見る。


「それ、俺に言っていいんですか?」


「秘密ではありません。ただ、わざわざ人に話さないだけです」


「今のところ辞めるつもりは?」


「ありません」


 そこは迷わなかった。


「辞めるとしても、自分で決めたいんです」


 フィアナは杯へ視線を落とした。


「聖女になった時は、色々なことが一気に決まりました。神殿の方が村へ来て、何度も調べられて、気づいたらルミエルへ行く話になっていて」


「自分で選んだ感じがしなかった?」


「全く選べなかったわけではないです。でも……あまり」


「だから、今度は自分で確かめたい?」


 フィアナが少し考えてから頷いた。


「たぶん、そうです」


「何を知りたいんですか?」


「神託のことも、自分が選ばれた理由も」


 フィアナは少し眉を下げた。


「治癒の力が強いからだとは言われています。でも、私より長く治癒を学んでいる方もいますし、どうして神託を受けるのかは誰にも分からないみたいで」


「フィアナさんにも?」


「もちろんです」


 小さく笑う。


「分からないことばっかりなんですよ、聖女って」


「それなら、気になるのも分かります」


「アレンさんも?」


「俺も似たようなところはあります」


「だから冒険者を?」


「それは仕事です」


 フィアナがまた少し笑った。


 会話が途切れても、気まずくはなかった。


 川の水音と、遠くで焚き火の薪がはぜる音だけが聞こえる。


 その時、森の方で乾いた枝が折れた。


 俺は反射的にそちらへ顔を向け、フィアナも少し遅れて姿勢を正した。


「何かいますか?」


「分かりません」


 立ち上がり、暗い木々の間へ目を凝らす。


 音は一度きりだった。


 鹿か、小型の獣か。それとも枯れ枝が落ちただけか。


「見に行きます?」


「行きません」


 即答すると、フィアナがこちらを見る。


「何かいたら?」


「分からないまま暗い森へ入る方が危ないです。戻ってミラさんに伝えましょう」


「分かりました」


 二人で野営地へ戻り、一組目の見張りをしていたミラへ音の方向を伝えた。


「一度、縁だけ見てくる。アレンは次の見張りなんだから寝て」


「俺も行きましょうか?」


「こっちは人がいるから大丈夫」


「分かりました」


 ミラは同じ組の神殿兵を一人連れ、森の縁へ向かった。


 ほどなく戻ってきたが、危険な痕跡は見つからなかったらしい。


「小さい獣だと思う。足跡もそれらしいのがあったし、小鬼じゃない」


「ならよかったです」


「夜は音が大きく聞こえるからね。気になったら、さっきみたいに知らせてくれればいいよ」


「そうします」


 俺は今度こそ寝床へ戻った。


     ◇


 次の見張りで起こされた頃には、二つの焚き火もかなり小さくなっていた。


 組む神殿兵は、二十代半ばほどの男だった。


「トーマ・リードです。よろしくお願いします」


 まだきちんと話したことのない相手だった。


「アレンです。よろしくお願いします」


「名前は知ってますよ。金級の人が来るって聞いてましたから」


「それなら、俺だけ一方的に知らなかったんですね」


「神殿兵は八人いますから。これから覚えてもらえれば十分です」


 話しやすそうな人物だった。


 俺たちは焚き火から離れ、野営地の外周をゆっくり回る。


 馬を見て、荷馬車の周囲を確認し、森側から川側へ回る。


 大きな変化はなく、昼間の小鬼が追ってきた様子もない。


 一周して焚き火へ戻ると、トーマが薪を一本足した。


「そういえば、アレンさん」


「はい?」


「宿の事故で、フィアナ様を止めたって話、本当ですか?」


 思わず横を見る。


「どこまで広まってるんです、それ」


「神殿兵の間では結構有名ですよ」


「勘弁してください」


 トーマが声を抑えて笑った。


「珍しいんですよ」


「フィアナさんに意見する人が?」


「それもありますけど、腕を掴んでまで止める人はもっと珍しいです」


「倒れそうだったので、他にどうしようもなかっただけですよ」


「分かってます」


 面白がってはいるようだが、単にからかいたいだけでもなさそうだった。


「皆さん、やっぱり遠慮するんですか?」


「多少は」


 トーマは炎を見ながら少し考えた。


「聖女様ですからね。本人が普通に何か言っただけでも、こっちが考えすぎることがあるんです」


「本人の言葉と神託は別でしょう」


「理屈ではそうなんですけど」


 トーマが苦笑した。


「例えば、フィアナ様が『まだ大丈夫です』って言うでしょう?」


 事故現場を思い出す。


「言いますね」


「聖女じゃなければ、『どう見ても大丈夫じゃない、休め』で済む。でも聖女様だと、一瞬だけ考える人がいるんです。本人にしか分からない何かがあるんじゃないかって」


 あの時の治癒術師たちが、強く止め切れなかった理由も少し分かった気がした。


「それ、本人には相当面倒でしょうね」


「だと思います」


 トーマが少し離れた寝床の方を見る。


「普通の十八歳なんですけどね」


「俺もそう思います」


 そう答えると、トーマがこちらを見て少し笑った。


「本人が聞いたら喜ぶかもしれませんよ」


「そうですか?」


「でも、直接言うのはやめた方がいいです」


「なぜ?」


「『普通ってどういう意味ですか』って怒られそうなので」


 すぐに想像できた。


「……ありそうですね」


 二人で小さく笑った。


 その後、見張りが終わるまで特に異常はなかった。


     ◇


 翌朝は薄い雲が空を覆っていた。


 雨になるほど重くはないが、昨日より空気が冷たい。


 寝具を畳み、靴を履く前に足を確認する。世話役たちは朝食を作り始め、神殿兵は馬と車輪を見て回っていた。


 夜に聞いた森の音についても、明るくなってから改めて確認されたが、危険な魔物の痕跡は見つからなかった。


 予定を変える理由はない。


 最初の町までは、順調なら翌日の昼頃に着く。


 朝食を済ませ、焚き火を完全に消す。残った灰にも水をかけ、土を被せてから出発した。


 午前中は昨日と変わらない穏やかな道が続いた。


 畑と林が交互に現れ、小さな集落や農家も点在している。反対方向から来る荷馬車とも何度かすれ違った。


 ユリウスだけが、少し退屈そうだった。


「本当に何も起きないな」


「何も起きない方がいいでしょう」


 俺が答えると、彼は杖を肩へ載せた。


「分かってるけど。せっかく三週間も出るんだぞ?」


「観光じゃないんだから」


 後ろからミラの声が飛んでくる。


「でも本当に歩いて、祈って、帰るだけだったら?」


「最高の護衛依頼でしょ」


「ミラさんの言う通りですよ。死なずに報酬をもらえるなら、それが一番です」


「二人とも夢がないなあ」


 ユリウスがぼやく。


 横にいたガルドが楽しそうに笑った。


「アレン、お前二十の割に現実的すぎねえか?」


「ガルドさんが危険な仕事を楽しみすぎなんじゃないですか」


「否定はしねえな」


 このまま予定通り、最初の町まで何事もなく着くかもしれない。


 そう思い始めた頃、先行していたミラが戻ってきた。


 走ってはいない。


 それでも、表情を見れば何かあったことは分かった。


「前方に村があります」


 ローデンが地図を取り出す。


「予定に記載されている村か?」


「はい。街道沿いのベルカ村です。ただ、少し様子がおかしい」


 ミラは一度、来た方向を振り返った。


「見える範囲に人がいません。畑にも道にも誰も出てないし、家畜も見えない。炊事の煙も上がってないように見えます」


 ローデンの表情が引き締まった。


「村全体が?」


「少なくとも、外から見える範囲は」


 地図を見る限り、街道から離れた村ではない。


 この時間なら、畑にも道にも誰もいない方がおかしい。


「巡礼の立ち寄り予定にはありません。街道は村の入口近くを通ります」


 ベルナールが地図を確認しながら答える。


 ローデンが次の判断を口にする前に、小さな声がした。


「待ってください」


 フィアナだった。


 皆の視線が集まる。


 彼女は街道の先を見たまま、胸元へ片手を当てていた。


 顔色が少し悪い。


「フィアナ様?」


 ベルナールが近づく。


 すぐには返事がない。


「フィアナさん、どうしました?」


 俺が声を掛けると、ようやくこちらを向いた。


「……ここ」


 声が少し掠れている。


「ここ、知っています」


 ローデンが眉を寄せる。


「ベルカ村へ来られたことがあるのですか?」


 フィアナはゆっくり首を横へ振った。


「ありません」


「では、なぜ?」


 本人にも説明できないようだった。


 それでも視線は、街道の先から離れない。


「夢で……見たんです」


 風が林を抜け、街道脇の葉を揺らした。


 ここからでは、ベルカ村の建物はまだ一部しか見えない。


 それでもフィアナの目は、初めて見る場所を探るものではなかった。

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