第54話 届く距離
「なら、今度は断らねえよな?」
声に振り向くと、訓練場の入口にエルンストが立っていた。
王都を離れていたせいか、肩に掛けた外套の裾には乾いた土が残っている。それでも腰の二本だけはいつも通りで、長旅から戻ったばかりというより、そのまま訓練場へ混ざるために帰ってきたように見えた。
視線は俺の手にある訓練剣へ向いている。
「断る理由はないな」
答えると、エルンストの口元が上がった。
「そうこなくちゃな」
「お前、戻って早々それか」
ガルドは呆れたように言ったものの、止める気はないらしい。
隣にいたクラウディアさんは、エルンストを興味深そうに眺めている。
「この子が『双牙』?」
「ああ。エルンストだ」
「名前は聞いたことある。若いとは聞いてたけど、本当に若いね」
そこでようやくエルンストも彼女へ目を向けた。最初は誰だという顔をしていたが、ガルドが何気なく名前を告げた途端、その表情が止まる。
「クラウディア・ヴァレンだ」
「……『嵐冠』?」
「そう呼ばれてるね」
さすがのエルンストも、今度は俺とクラウディアさんを見比べた。
「何で黒鋼級がこいつの訓練見てるんですか」
「見てるだけじゃないよ。少し教えてる」
「……王都離れてる間に何があったんだよ」
「俺にもよく分からない」
納得した様子はなかったが、エルンストの関心はすぐ俺の剣へ戻った。
「まあいい。やるんだろ?」
「そのつもりだ」
「なら訓練用に替えろ」
ガルドが武器棚を顎で示し、そのまま条件を確認する。
「身体強化と足運びに使う魔法まではあり。直接ぶつける魔法は禁止だ。明らかに入ったところで止める。俺が終わりと言ったら終わり。それでいいな」
「分かってますよ」
「俺もそれでいい」
エルンストは腰の二本を外し、長さの近い訓練剣を選んだ。左右で軽く振って握りを確かめる姿を見ながら、俺も手の中の剣を握り直す。
さっきまでガルドを相手にしていた時とは、少し違う緊張があった。
前に顔を合わせた時は、まともに戦える状態ではなかった。今ならどこまで届くのかと思うと、重さより先に身体の奥が熱を持つ。
「二人とも、そこから」
ガルドに促され、五歩ほど距離を取った。
エルンストは二本の剣を低く構えている。肩にも腕にも余計な力がなく、右と左のどちらが先に来るのか、構えを見ただけでは読めない。
俺も剣を身体の前へ置き、足の位置を確かめる。
「始め」
ガルドの声とほとんど同時に、エルンストが踏み込んだ。
速い。
身体強化の乗った一歩から右の剣が斜めに走る。正面で受けず身体を外へ流したが、その先へ左が追ってきた。
一つ目を避けた先まで最初から狙っていたのか、俺の動きを見て切り替えたのか分からない。
剣を合わせると乾いた音が鳴り、思った以上の重さが腕へ伝わった。その場で押し返さず、足裏へ風を入れて半歩外へ逃がす。二本目が肩のすぐ横を抜けたところで距離を取り直すと、エルンストも無理には追わず、すぐに構え直した。
「動くようになったじゃねえか」
「まだ始まったばかりだぞ」
「分かってる」
今度は言葉が終わる前に距離が詰まった。
右へ振った身体が途中で沈み、切り返しながら二本の剣が別々の角度から伸びてくる。両方の刃を目で追えば遅れると判断し、肩と腰の動きへ意識を移した。
先に出るのは左だった。
身体を引くと予想通り剣が伸び、その外へ踏み込む。空いた右側へこちらの剣を通したが、残っていた右剣が下から跳ね上がり、刃を外へ弾いた。
勢いを殺さず横へ抜け、土魔法で足場を締めながら身体を止める。振り返った時には、エルンストももうこちらを向いていた。
「今のは取れると思ったんだけどな」
「だったら取ってみろよ」
笑いながら言うあたり、まだ余裕があるらしい。
なら、こちらから試す。
一歩目で距離を詰め、右から剣を見せる。エルンストの左が上がったところで振り切らず、二歩目を左へずらした。
さっきまで何度も繰り返していた動きだ。
正面を外れ、そのまま脇へ回る。エルンストの視線がわずかに遅れたところへ肩を狙ったが、届く寸前で身体を捻られ、剣先は布一枚ほどの差を残して抜けた。
「……それか」
向き直ったエルンストの口元にはまだ笑みがある。ただ、目つきはさっきまでとは違っていた。
「いいじゃねえか」
「終わってから言ってくれ」
「褒めてねえよ」
次からは、明らかに圧が変わった。
二本あることそのものより、一方を出している間にもう片方が動き始めているのが厄介だった。受ければ空いた側へ入り、避ければ逃げた方へ回り込んでくる。距離を取ろうとしても、その分だけエルンストが前へ出るため、何合か交わすうちに背後の柵が近づいてきた。
このまま剣だけを追っていたら押し切られる。
視線を少し下げ、踏み込んでくる足と身体の向きを見る。
右の剣に押されて左へ逃げれば、もう左剣が待っている。反対へ抜けようとしても、エルンストの身体が先にそちらへ向いていた。
こいつは剣を振ってから追ってくるんじゃない。俺がどちらへ避けるかまで読んでいる。
次の右剣を斜め後ろへ避けた。
いつものように横へ抜けると思ったのか、エルンストの左がわずかに開く。
そこへ逆に踏み込んだ。
「おっ」
左剣がすぐに戻ってくる。
自分の剣を合わせて外へ流し、右が脇へ入る前に腰を落として懐へ潜り込んだ。
二本の剣をまともに振らせなければいい。
肩がぶつかりそうなところまで入ると、エルンストが初めて一歩退いた。
そのまま追いながら剣を返す。胸元へ届く寸前で片方の剣が滑り込み、鈍い音とともに弾かれたが、今度はそれで止まらない。
右を見せてから踏み込む直前に左へ切り返し、足裏へ風を噛ませて初速を変える。
エルンストの反応が、わずかに遅れた。
左肩へ送った剣が届く。
そう思った瞬間、エルンストが身体を沈めた。
剣先が肩口をかすめるように抜け、その脇を通ってきた別の剣が俺の脇腹で止まる。
「そこまで」
ガルドの声で、二人とも動きを止めた。
「今のはほぼ同時だな。アレンの方が先に振ってるが、そのままならエルンストの剣も入ってる。続けていい」
エルンストが楽しそうに剣を引いた。
「まだやれるよな?」
「聞く必要あるか?」
呼吸はかなり速くなり、額から汗も落ちている。それでも止めたいとは思わなかった。始めた時よりむしろ身体は軽く、もう一度あの懐へ入れるかを考えている。
距離を取り直したところで、訓練場の端に何人か冒険者が集まっていることに気づいた。騒ぐ者はいないが、皆こちらを見ている。
クラウディアさんも腕を組んだまま動かなかった。
「強いね、あの子」
「戦うだけなら、とっくに白金級候補だ」
「うん。それは分かる」
その会話が聞こえているはずなのに、エルンストは気にした様子もなく二本の剣を構え直した。
「行くぞ」
今度の踏み込みは、さっきよりさらに速かった。
身体強化を一段上げたらしい。
正面から入った身体が左へ流れ、その動きの中から右剣が走る。軌道を外すと、その陰から左が突き出された。
一本目を受けたあとも下がらず横へ抜ける。追ってくる足に合わせて向きを変え、こちらからも剣を返した。受けられればすぐ離れ、正面に居続けないよう足を動かす。
それでも、純粋な速度と反応ではエルンストが上だった。
右へ出れば追いつかれ、反対へ回ればもう身体がこちらを向いている。それでも最初のように押され続けることはなくなり、受けてから逃げていた動きが、少しずつ攻めにもつながっていく。
肩へ来た刃を流しながら半歩ずれ、もう一本が届く前に外へ出る。
振り返ったエルンストと目が合った。
笑っている。
気づけば、俺も同じように笑っていた。
「楽しいな」
口にしてから、自分でも少し意外だった。
「今さらかよ」
エルンストはそれだけ返すと、間を置かずに踏み込んでくる。
次の一合は、それまでで一番速かった。
左右から迫る二本のうち、一つを流し、もう一つの下へ身体を沈める。そのまま立ち上がる勢いで剣を振ると、エルンストが大きく後ろへ跳んだ。
初めて、はっきり距離を切らせた。
そのまま追う。
一歩目で間合いを詰めると、エルンストの右側が空いていた。左剣が予想した軌道で出てきたため、それを弾きながら二歩目を右へ置き、風を乗せる。
右剣はまだ外へ開いている。
このまま左へ回れば届く。
身体を返した瞬間、エルンストが笑った。
外にあったはずの右剣が一気に戻り、俺の剣を弾き飛ばす。軌道を外されたまま左へ抜けようとしたが、その先にはもう片方が待っていた。
土魔法で足場を締め、崩れかけた身体を無理やり止める。
喉元へ、剣先が止まった。
こちらの剣も伸びていたが、エルンストには届いていない。
「そこまで」
今度のガルドの声には迷いがなかった。
息を吐きながら剣を下ろすと、エルンストも喉元から刃を離した。
「俺の勝ちだな」
「……ああ」
悔しいが、今のはどう見ても負けだ。
最後の攻防を思い返す。右側が空いたのも、その奥まで入り込めそうに見えたのも、偶然じゃなかった。
「最後、わざとか?」
「ああ。途中から、お前が押された時に横へ抜けるのは分かってた。空けとけば来ると思った」
「嫌なところ見てるな」
「戦ってんだから見るだろ」
もっともだった。
エルンストも呼吸は荒く、額には汗が浮かんでいる。最初に向かい合った時ほどの余裕は、もう残っていなかった。
負けたことに変わりはないが、それだけは少し嬉しい。
ガルドとクラウディアさんがこちらへ歩いてきた。
「最後、当てる方に意識寄ったな」
ガルドに言われ、俺は頷く。
「切り返したところで入ったと思った」
「だから空いてる方へそのまま飛び込んだ。途中までは良かったんだがな」
アルノルトさんに言われたことを意識していたはずなのに、最後は目の前の隙に釣られた。
「まあ、久々に剣持った初日なら十分だ」
「珍しく素直に褒めるな」
「調子乗んな。負けてんだろ」
「分かってるよ」
横でクラウディアさんが小さく笑った。
「でも二人とも、途中からずっと楽しそうだったね」
エルンストと顔を見合わせる。
否定する気にはならなかった。
エルンストは訓練剣を肩へ載せると、満足そうにこちらを見る。
「次はもっと動けるようになってからやろうぜ」
「また勝つつもりか?」
「当たり前だろ」
「じゃあ、その時はもう少し困らせる」
「今日も十分面倒だったがな」
そう言う顔は、負かした相手を見るものというより、もう次を楽しみにしているように見えた。
俺もたぶん似たようなものだ。
負けたのは悔しい。けれど、それ以上に次はどう崩すかを考えている自分がいた。




