第53話 選べる場所
それから三日、訓練ではまだ剣を抜かなかった。
王都ギルドの訓練場で続けているのは、踏み込みと制動、そこからの方向転換だ。最初の頃より動きはずいぶん繋がるようになったが、意識せず使えると言うにはまだ遠い。
その朝も白線の間を何度か往復したところで、ガルドが手を上げた。
「よし。今日は剣持て」
一瞬、聞き返しかける。
「もういいのか?」
「いいから言ってる。いつまで足だけやってても戦えんだろ」
言われて訓練場の脇へ向かうと、柵にもたれていたクラウディアが少し笑った。
「嬉しそう」
「そう見えます?」
「ちょっとだけね」
自分ではそんなつもりはなかったが、訓練用の剣を握った瞬間、妙に落ち着く感覚はあった。長さも重さも、普段使っているものに近い。
「最初は振らなくていい。今まで通り動け」
ガルドに言われ、構える。
一歩目に風を乗せ、二歩目で重心を運ぶ。前へ出た勢いを土魔法でわずかに受けながら左へ切り返したところで、声が飛んだ。
「止まれ」
足を止めて振り返る。
「何だ?」
「もう戻ってる」
「何が?」
「昔の動きにだ」
意味が分からずにいると、クラウディアが柵から離れて俺の前まで来た。
「もう一回、同じところまで」
言われた通りに踏み込み、方向を変える。
「そこ」
今度は俺の右肩を指した。
「剣を持った瞬間、振れる姿勢を先に作ろうとしてる。足が動き終わる前に、上半身だけ構えに入ってるね」
「そんなに違います?」
「足だけの時よりずっと分かりやすいよ」
自分では同じように動いたつもりだった。
剣を握ると、無意識に斬ることを優先しているらしい。
「分かりました」
「分かってないでしょ」
「いや、分かりましたよ」
「じゃあ、もう一回」
少し笑いながら言われ、構え直す。
今度は剣を気にしないよう、握る手の力を抜いて踏み込んだ。
二歩目へ入ったところで、クラウディアがまた笑う。
「ほら。今、剣を意識しないようにしてるでしょ」
「……分かります?」
「さっきより右肩が固いもの。意識しないようにしてる時点で、まだ意識してるけどね」
「難しいこと言いますね」
「だから慣れるまでやるんでしょう?」
正論だった。
何度か繰り返しているうちに、剣を持つことで何が変わっているのかは分かってきた。
足だけなら一つの流れになっていたところへ、「剣を振る」という動きを後から差し込もうとしている。そのせいで肩が先に入り、腰が遅れ、せっかく繋がり始めた足運びに小さな切れ目ができる。
「別に悪い癖じゃねえ」
ガルドが腕を組んだまま言う。
「今まではそれで戦ってきたんだからな。ただ、今やってる動きを混ぜるなら邪魔になる」
「なるほど……」
「よし。今度は振れ」
ガルドが訓練用の木剣を拾った。
「俺が前にいると思って動け。ただし、最初から当てに来るな。動きの中で振れる時だけ振れ」
「相手がいると、結局斬りに行きそうだけど」
「だから俺が立つんだよ」
確かに。
距離を取り、踏み込む。
ガルドが半歩前へ出たため、正面を捨てて左へ角度を変えた。そこから剣を出すと、木剣に軽く受けられる。
押し合わず、そのまま外へ抜けた。
「悪くねえ。もう一回」
次はガルドが早めに間合いを潰してくる。
剣を引いた瞬間、身体まで後ろへつられた。
「今のは駄目」
クラウディアの声が飛ぶ。
「足は右へ行こうとしてたのに、剣を戻す動きに腰まで引っ張られてる」
言われてみれば、剣を引いた瞬間に右足まで止まりかけていた。今度は自分でも感覚が残っている。
「分かりました」
「今度はたぶん分かってる」
「さっきより評価が上がったな……」
クラウディアが少し笑ったところで、ガルドが木剣を下ろした。
「一旦休め」
息を整えながら水を取りに向かい、訓練場の入口に見覚えのある男が立っていることに気づいた。
「アルノルトさん」
「邪魔してるよ」
『鉄陣』アルノルト・グレーフェは柵の外からこちらを見ていた。今日は長槍も盾もなく、訓練をしに来たわけではなさそうだ。
「いつからいたんですか?」
「少し前からだ」
「声くらい掛けろ」
ガルドが言うと、アルノルトは苦笑した。
「集中してたからな。昨日、そろそろ剣を戻すとガルドから聞いてね。ちょうどギルドに用もあったから、少し見せてもらってた」
「俺を?」
「白岩街道でどう動いたかは聞いたが、実際に戦ってるところはほとんど見てないからね」
そう言われると、少しやりづらい。
「教える気ならやめとけよ」
ガルドが口を挟む。
「今でも二人いるんだぞ」
「そのつもりはないよ」
アルノルトはクラウディアへ軽く頭を下げた。
「剣の扱いなら、私が口を挟むところじゃない」
「賢明ね」
クラウディアがすぐ返す。
「何で二人ともそんなに嫌そうなんだ」
「増えるとアレンが混乱するから」
「俺のためだったんですね」
「半分くらいは」
残り半分については聞かないことにした。
休憩を終え、もう一度ガルドの前へ立つ。
「今度は、当てられそうでも形が崩れるなら捨てろ」
「分かった」
踏み込む。
ガルドが正面を塞いだ。左へ抜ければ剣は届きそうだったが、そのまま振れば身体が前へ残る。
打つのをやめ、二歩目でさらに外へ回る。
ガルドがこちらへ向き直る。その動きに合わせて右へ切り返し、横から剣を出した。
受けられる。
そこで引き合わず、そのまま外へ流れた。
「続けろ」
ガルドが距離を詰めてくる。
正面へ戻るのをやめ、斜め後ろへ一歩下がった。左右どちらへも動けるよう足を置いたところで、ガルドの踏み込みがわずかに止まる。
今度はこちらから入った。
足が先に動き、剣がその後からついてくる。
届く。
そう思った瞬間、ガルドの木剣が下から手首を軽く叩いた。
「そこまで」
「今のは入ったと思ったんだけどな」
「そう思ったから取られたんだよ」
相変わらず容赦がない。
「でも、かなり良くなったね」
クラウディアが言う。
「最後以外は」
「最後が一番大事じゃないですか?」
「だからまだ練習してるんでしょう」
それもそうだった。
水を飲みに戻ると、今まで黙っていたアルノルトが近づいてきた。
「面白いな」
「何がです?」
「さっきの下がり方だ」
てっきり剣か魔法の話だと思っていた。
「一度、正面へ戻れたところがあっただろう」
「たぶん」
「そこで戻らず、斜め後ろへ下がった。あの足の置き方なら、ガルドが来ても左右どちらへでも切り返せた」
言われて、先ほど立っていた場所を見る。
「詰められそうだったので」
「そうだろうな。ただ、後ろへ逃げただけなら、もっと下がってる。あそこで止まったから、ガルドも一度足を止めた」
「そこまでは考えてませんでした」
「なら、普段からそうしてるんだろう」
アルノルトは特に意外そうにもせず、訓練場へ目を戻した。
「白岩街道で聞いた話にも似てる。一つに決め打ちせず、駄目ならすぐ別の手へ移れるようにしておく。人数が増えても、君は同じ考え方をするんだろうね」
その言葉に、数日前フィアナへ話した昔の記憶が頭をよぎった。
全部分かるまで待つな。決めた後でも、状況を見て直せ。
まさか剣を振る時にまで出ているとは思わなかった。
「本人が考えてないところまで見るんですね」
「それが私の仕事だからね」
アルノルトは淡々と答えた。
「十人、二十人と一緒に動くなら、誰が何を得意として、どこで無理をするのかを見ておかないと組ませられない。本人が意識してることだけ聞いても足りないんだ」
「一対一でもそこまで見るんですね」
「見るだけだよ。剣そのものなら、ガルドやクラウディアの方がずっと詳しい」
自分の専門と、それ以外をきちんと分けている。
アルノルトはさっき俺が下がった場所を顎で示した。
「ただ、一度引いても左右どちらへも出られる足を残す。ああいう判断は、大勢を動かす時にも使える。前が崩れた時に、立て直す余地を残せるからね」
「ありがとうございます」
「礼を言われるほどじゃないよ。見て気づいたことを言っただけだ」
そう言って、アルノルトは入口の方へ身体を向けた。
「じゃあ、私は戻る」
「もうですか?」
「午後から仕事がある。本当に見に来ただけだからね」
「本当に見に来ただけだったな」
ガルドが言う。
「最初からそう言っただろう」
アルノルトは苦笑し、クラウディアにも軽く会釈して訓練場を出ていった。
「いいところ見てるね」
クラウディアがその背中を見ながら言う。
「クラウディアさんとは違う?」
「私は足と剣の繋がりを見てた」
「俺は崩れ方だな」
ガルドが続ける。
「三人で全然違うんですね」
「同じところ見てても仕方ないでしょ」
「アルノルトさんまで三人目に入ってるじゃないですか」
「あの人は勝手に見てただけ」
そこは譲らないらしい。
「休憩終わりだ。もう一回やるぞ」
ガルドに呼ばれ、訓練場の中央へ戻る。
まだ足だけの時ほど滑らかには動けない。それでも、最初に剣を握った時より、振ることと動くことの間にあった切れ目は小さくなっていた。
ガルドの右から入り、剣を出す。
受けられる前に方向を変え、そのまま左へ抜けた。
次の一歩を置いたところで、入口から声が飛んできた。
「やっと剣持ったのか」
聞き覚えがある。
振り返ると、土埃のついた外套を肩へ掛け、腰に二本の剣を差したエルンストが立っていた。
「戻ったのか」
「ああ」
横ではクラウディアも声の方へ顔を向けている。ガルドは相手を見ただけで、特に驚いた様子もなかった。
エルンストは俺の手にある剣を見て、口元を上げる。
「なら、今度は断らねえよな?」




