第49話 撃った後
それからしばらく、俺は白い線と木杭の間を往復していた。
二歩目で勢いを殺し、向きを変える。
右は少し安定してきたものの、左へ切り返すと腰が遅れる。そこを意識すると今度は上半身に力が入り、何度か続けたところでガルドから声が掛かった。
「一度休め。雑になってきた」
「やっとか」
「その状態で続けても、変な癖が増えるだけだ」
言われてみれば、足より先に呼吸が乱れている。
水筒を取って訓練場の端へ歩きながら周囲を見ると、ユリウスは少し離れたところでまだ杭の間を動いていた。さっきより速度は落としているが、火球を撃つたびに足を止めることは減っている。
そういえば、ミラはどうなったんだろう。
受付へ向かってから戻ってきていない。
射手用の的が並ぶ方へ目をやると、そのさらに奥、木壁や足場が組まれた区画に何人か集まっていた。その中に見慣れた赤い髪がある。
「いた」
「捕まえたみたいだな」
いつの間にか隣へ来ていたガルドも、同じ方を見ている。
「本当に頼んだのか」
「頼むって言ってただろ」
「いや、そうだけど。その場で始めるとは思ってなかった」
「レナードならやりそうだ」
休憩中なら見に行っても問題ないだろう。
俺たちが近づくと、先にミラが気づいた。
「アレン。もう休憩?」
「一応な。どうだった?」
「どうだったも何も、今からよ」
どうやら間に合ったらしい。
ミラの前には二人の冒険者がいた。
一人は、大きな弓を背負った男だ。ガルドより少し若く見え、日焼けした顔に茶金色の短い髪、身体は細身だが、軽い防具の上からでも無駄なく鍛えられているのが分かる。
もう一人は小型の弩を持った女で、胸元には銀級の徽章があった。
「ガルド。珍しいな。人に教えてるって聞いたけど、本当だったんだ」
「お前まで言うのか」
「似合わないからな」
「帰るぞ、アレン」
「俺を巻き込むなよ」
男が笑った。
白金級というより、気のいい先輩冒険者に見える。ただ、胸元には小さな白金級の徽章が留められていた。
「アレン・クロイツだろ?」
「はい」
「レナード・フォーゲル。名前くらいは聞いてるかな」
「もちろんです」
『銀隼』レナード・フォーゲル。
高速で動く魔物や飛行する魔物への遠距離攻撃を得意とする、王都の白金級冒険者だ。
「そんなに固くならなくていいよ。今日はそっちじゃなくて、ミラに頼まれただけだから」
レナードがミラを見る。
「それで、弓を見てほしいって話だったな」
「はい。急にすみません」
「いいって。ちょうど空いてたし」
レナードは近くの的を顎で示した。
「まず普通に三本。いつも通り撃ってみて」
「距離は?」
「得意なところでいい」
それだけだった。
ミラは矢筒から一本抜き、構える。
一射目が的の中央近くへ刺さった時には、もう次の矢が弦へ掛かっていた。二射目はわずかに右、三射目はその間に入る。
三本とも、ほとんど拳一つ分の範囲へ収まっていた。
レナードが的を眺めて頷く。
「うん。こっちは教えることないな」
ミラが少し困った顔をした。
「……終わりですか?」
「まさか」
レナードは笑って、周囲に並ぶ木壁や足場を指した。
「当てる方は十分だ。だから、撃った後を見よう」
「撃った後?」
「普段、射ったらどうしてる?」
「状況次第です。位置を知られたくなければ動きますし、次も射てるなら残ります」
「じゃあ、その判断も含めてやろう」
レナードは訓練区画を見渡した。
腰ほどの木壁がいくつか並び、その向こうには人の背丈ほどの仕切りがある。端には二階ほどの高さの木製足場があり、梯子で上がれるようになっていた。
「ここで一発撃った。相手にも大体の位置は分かった。その次、どこから撃つ?」
ミラの目が動く。
正面の木壁、右側の足場、その奥の仕切り。
「相手の位置が分からないと決められません」
「そうだな」
レナードはあっさり頷いた。
「じゃあ、相手も入れようか。ハンナ、頼める?」
「分かった」
小型の弩を持った女が一歩前へ出た。
「ハンナ・ベルク。銀級よ」
「ミラ。同じく銀級です。お願いします」
「こちらこそ」
ハンナの弩は普段使うものより小さく、装填されている短矢も先端が丸められていた。
レナードが三つの的を順に指す。
「ミラはあれを一番から順番に射る。ハンナは反対側からミラの位置を探す」
「私を撃つんですか?」
「身体には当てない。射線が通ったと思ったら、その時ミラがいる場所のすぐ脇の板を撃ってくれ。それで実戦なら当てられたと判断する」
ハンナが頷く。
「三つ全部当てる前に射線を取られたら私の負け、ですね」
「そういうこと」
「始める前に中を見ても?」
「もちろん。その方がいい」
ミラが少し意外そうな顔をした。
「実戦なら、戦う場所を見るだろ?」
「見ます」
「なら同じだ」
ミラは弓を持ったまま区画へ入り、歩いて配置を確認し始めた。
最初の的は正面の木壁から見える。
二つ目は右へ移らなければ射線が通らず、三つ目はさらに奥、木製足場か左側の隙間から狙える位置にある。
ハンナは反対側へ回った。
こちらからは見えているが、ミラの位置からだと木壁に隠れている。
「結構やりにくそうだな」
「そうだろうな」
ガルドが答える。
やがて配置を見終えたミラが、最初の木壁へ入った。
「いいです」
「じゃあ始めよう」
身体を少し出し、一つ目の的へ射る。
命中。
矢が刺さったのを確認するより早く身を引き、右へ移動する。
「ちゃんと動くな」
俺が言うと、レナードがこちらを見た。
「銀級だからな。撃った場所に立ち続けたりはしないよ」
ミラがそんな初歩的なところから教わるわけではないらしい。
右側の木壁へ入り、身体を低くしたまま二つ目の的を探す。
一度だけ顔を出し、すぐ引く。
もう一度。
今度は弓を構え、二射目を当てた。
そのまま次へ走る。
木製足場へ向かうと見せて途中で進路を変え、左側の仕切りへ入った。ハンナも一度、弩を向ける先を失う。
だが、そこでミラの動きが止まった。
三つ目の的を探している。
仕切りの端から少し身体を出した瞬間、乾いた音が響き、短矢がすぐ横の木壁に当たった。
「そこまで」
レナードが声を掛ける。
ミラが顔をしかめた。
「今ので?」
「もう一歩出たら、ハンナから胴が見えてた」
「見えてたわね」
ハンナも弩を下ろす。
ミラが戻ってきた。
「移動の仕方が悪かったですか?」
「いや、そこは悪くない」
レナードは三つ目の的と、ミラが止まった仕切りを見比べた。
「二つ目を撃った時、三つ目をどこから撃つか決めてた?」
「左へ行こうとは思ってました」
「左の、どこ?」
ミラが少し考える。
「……そこまでは」
「たぶん、それだ」
レナードが仕切りを指した。
「左へ移るところまでは決めてた。でも着いてから、撃てる場所を探した。その時間をハンナに使われた」
「撃ってから移動するだけじゃ遅い時がある、ということですか?」
「そう。次にどこへ行くかじゃなくて、そこからどこを撃つかまで決めておく。できれば、その後どこへ抜けるかもな」
ミラが黙って区画を見る。
もともと周囲を探ることなら、俺たちの中でも一番得意だ。射る前に敵や地形を見つけることには慣れている。
今はそれを、自分が射った後まで伸ばそうとしているらしい。
「もう一回お願いします」
「もちろん」
二度目は、始めるまでに少し時間がかかった。
ミラは三つの射点を歩き、立ち止まっては的と遮蔽物を見比べている。
一射目。
移動。
二射目。
そこまでは同じだったが、今度は撃った直後に迷わず足場へ向かい、そのまま梯子へ手を掛けた。
「上か」
いつの間にか訓練を切り上げたユリウスも、こちらへ来ていた。
「三つ目がよく見えるな」
高い場所なら、最後の的へ真っ直ぐ射線が通る。
ミラが足場へ上がり、弓を構えようとした。
直後、手すりの板に短矢が当たった。
「そこまで」
「あっ」
ミラが下を見る。
ハンナは少し離れた場所で弩を下ろしていた。
「今度は何です?」
「高いところ、便利だろ?」
「よく見えます」
「向こうからもな」
レナードが笑う。
ミラが足場から降りてきた。
「でも、高所は使いますよね?」
「使うよ。俺も好きだ」
「じゃあ、どうすれば」
「上がるなら、上がった時にすぐ撃てるところまで決めておく。それと、誰から見られる場所かも考える。高いからって安全とは限らない」
ミラが足場を見上げた。
「面倒ですね」
「弓ってそういう武器だろ」
「レナードさんが言います?」
「俺だから言うんだよ」
軽く返してから、レナードが背中の弓を外した。
それまで気軽に話していた空気が、少し変わる。
弓そのものが大きい。
ミラのものより明らかに長く、厚みもある。
「見せた方が早いな」
レナードがハンナを見る。
「同じので頼む」
「あなた相手に?」
「練習だから」
「射てる気がしないんだけど」
「頑張ってくれ」
ハンナは呆れたように息を吐きながら、再び弩を構えた。
レナードは三つの的を一度眺める。
「始めるぞ」
一射目。
矢が的へ刺さった時には、もうレナードは木壁の陰へ身体を引いていた。
「速っ」
ユリウスの声が漏れる。
足元で風が動き、レナードは木壁の裏を低く走る。次に姿を見せたのは、最初とは反対側だった。
二射目。
ハンナの弩がそちらへ向く。
だが射つ前に、レナードはまた遮蔽物へ入った。
ただ走り回っているわけではない。
姿を隠している間は必要以上に速く動かず、射線が通る場所へ出る一瞬だけ風を使っている。
木壁の裏から足場の側面へ回り、梯子を数段飛ばして上がる。
三射目。
高い位置から放たれた矢が、最後の的へ刺さった。
「終わり」
レナードが弓を下ろす。
ハンナは結局、一度も弩を射てなかった。
「ずるくない?」
「何が?」
「速すぎる」
「だから白金なんだろ」
ガルドが横から言うと、ハンナが肩をすくめた。
レナードは笑いながら足場を降りてくる。
ただ速いだけなら、クラウディアとの訓練でも見ている。
レナードは、移動した後に次を考えているように見えなかった。射る時には、もう次に姿を出す場所を決めている。
「全部、最初に決めてたんですか?」
ミラも同じところが気になったらしい。
「全部は無理だ。相手も動くからな」
レナードは首を振る。
「一つ先くらいは持ってる。そこが潰れたら別の場所へ変える」
「二つ先、三つ先まで決めるわけじゃないんですね」
「決めてもいいけど、そこに固執すると相手が予定通り動かなかった時に困るだろ?」
何も決めずに動くわけでも、先まで固め切るわけでもない。ひとつ先を用意して、状況が変われば捨てる。
白岩街道で自分がやったこととは規模も状況も違うが、その考え方には覚えがあった。
「もう一回やります」
ミラが言った。
「休まなくていいのか?」
「まだ二回しか射ってません」
「走った方が多いけどな」
「それはレナードさんのせいです」
「俺?」
レナードが笑う。
三度目は、最初の射点へ入る前から少し違っていた。
ミラは一つ目の的だけではなく、二つ目、その先の木壁まで見ている。
一射目を当て、すぐ右へ移る。
二射目。
今度は足場へ向かわず、低い仕切りの裏を抜けた。
ハンナの弩が右へ向く。
ミラは出てこない。
数秒後、反対側の木壁から姿を出し、そのまま三つ目へ弓を向けた。
「お」
思わず声が出た。
矢が飛ぶ。
三つ目の的の縁を掠め、そのまま後ろの土へ刺さった。
「あー……」
ミラが顔をしかめる。
「そこまで」
レナードは笑っていた。
「外しました」
「外したな」
「そこは先に褒めるところじゃないですか?」
「移動は良かったよ」
「先に言ってください」
「でも外した」
「分かってます」
ハンナも笑いながら弩を下ろした。
「少なくとも、私は最後まで見つけるのが遅れたわよ」
ミラが少しだけ表情を緩める。
レナードは外れた矢を拾い、ミラへ差し出した。
「最初から全部できたら、俺がいらないからな」
「それもそうですね」
「次はもう少し広いところでやろう。高低差もちゃんと使える場所がある」
ミラが矢を受け取りながら、少し目を見開いた。
「次も見てもらえるんですか?」
「そのつもりで頼みに来たんじゃないのか?」
「今日だけだと思ってました」
「一回見ただけじゃ、変わったか分からないだろ」
ミラは一瞬だけ驚いた顔をしてから、笑った。
「お願いします」
「じゃあ、都合は受付に預けておくよ」
話がまとまったところで、背後からガルドの声が飛んできた。
「アレン。休憩長すぎだ」
忘れていた。
「今行く」
「見物しに来たんじゃねえぞ」
「分かってるって」
戻ろうとすると、ミラがこちらを見た。
「アレン」
「ん?」
「そっちも頑張って」
「ミラもな」
そう返して白い線のところへ戻る。
さっきまでと同じ位置に立ち、足の向きを確かめたところで、三射目を放つ前のミラの動きが頭に残っていることに気づいた。
矢は外れた。
それでも、一射目の時とはもう違う場所から射っていた。
「アレン」
「分かってる」
ガルドの声に意識を戻し、俺はもう一度、一歩目を踏み出した。




